二十一話 二人旅
天幕を出るとすっかり日は登っていた。
目映い朝日の中で、ヨーコは手のひらに載せた指輪二つをうら寂しげに眺める。
今思えば僕は聞くべきだったんだ。
ヨーコの両親がクシュ盗賊団にいると知った時のロイズの反応は明らかにおかしかった。
ロイズはヨーコから離れた場所で、クシュ盗賊団が人殺しを何とも思わない集団で、最初から生きている可能性は低いと思っていたことを教えてくれた。
僕が強引に話を進めなければ、ほんの少しでも耳を傾ければ、ヨーコの悲しみを軽減できたのではないか。そう思わずにはいられなかった。
ロイズが奥の部屋に行くと、ヨーコの両親はもう息絶えていた。
よく見るとヨーコの髪色は父親似だったが、隣にいた母親の髪色がロイズ自身に似ていた。
どうりでロイズの近くにいたがると思ったら、そういうことだったらしい。
どうしてもと言って付いてきたヨーコは、もう泣くことはなく、両親それぞれの指輪を外したらしい。
戻ってきたヨーコは、誰に目を合わせるでもなく、誰かに言った。
「何か一つでもあれば、ママとパパが見守ってくれてるんだって、思えるから」
それはもしかすると、自身に言い聞かせていた言葉だったのかもしれない。
天涯孤独。少女に背負わせるにはなんて残酷な現実を、ロイズは打ち消すように、いかにも楽しさを含んでいると勘違いするような笑顔でヨーコに言い放った。
「一緒に来るか?」
「行きますっ」
その手筈も雰囲気も読まずに、一気に台無しにした男がいた。
「あねさん、どこまでもお供します」
「誰があねさんだ!」
振り向きざま溝内に正拳を喰らい倒れそうになるも、ヨーコの肩に捕まる。
「ちょっと……」
逃げようとするヨーコの肩をがっちりと捕まえ、この男、J・Kは満面の笑みだった。
「二人共ども、お世話になります」
「お前は来るなっ」
「そんなの酷いじゃないですか! どうして僕だけダメなんですか?」
半べそになりながらも訴えるが、ロイズは明らかに面倒くさそうな表情である。
「俺はヨーコに聞いたんだ。お前になんか聞いた覚えはない」
「じゃあなんですか、僕が野垂れ死んでもいいっていうんですか? ゲレートダスティーズのみんなが戻った今、僕一人でサキュ城に戻れっていうんですか?」
「なんで一緒について行かなかったんだよ」
「置いてかれたんですよ」
「自分のせいだろ」
「じゃあ連れてってくれますね。僕は弱いんですから、一人じゃ戻れないんですからね」
「なんでだよ、連れてくわけないだろっ」
実に不毛だ。終わりのない、時間だけが過ぎていく無意味な会話。
だけど……。
「ふっ」
初めは小さな笑い声。
「ふふっ……あは……」
その会話が全く無意味ではなかったと、それどころか価値のあるものだったと、
「あははははっ」
次第に大きくなる笑い声が気づかせてくれた。
ヨーコは口を大きく開けて、細めた目からは涙を滲ませ、それはいつまでも聞いていたい、天まで届きそうなほどのあか抜けた笑い声。
薄緑の髪は身体に合わせ海月のようにゆらゆら揺れる。
ヨーコのお陰か自身の執念か、J・Kはロイズたちと一緒に行くことになった。
「短い間だったが、それなりに楽しかった」
行く先は知らないが早々に旅立つロイズたちを僕とメリビィは見送る。
泣き落としなどなかったかのように、あっけらかんとロイズの横に立つJ・K。
「アリィさん、メリビィさん、お気をつけて」
「はい、J・Kさんも、ロイズさんとヨーコちゃんに迷惑かけないようにしてくださいね」
相変わらずメリビィの容赦ないもの言いは健在だった。
「もちろん……それと僕のことはジャスティンと。J・Kはゲレートダスティーズ内でのコードネームみたいのものですから。本名はジャスティン・K・シュバイン。こうして苦楽を乗り越えたもの同士、親しく呼び合いましょう。ね?」
この瞬間だけ見れば顔が美青年なだけあって決まってはいる。先ほどの泣き落としを見た後でも、やはり美青年だと思わされてしまう。
「おう、じゃあなジャスティン。ヨーコちゃんも、ばいばい。それから……」
ついこっちまで背筋が伸びてしまうじゃないか。
最後にもう一人、別れを言わないとな。
僕はロイズたちに聞こえないようメリビィに囁く。
「僕が合図したら、走って」
「え?」
「なかなか良い経験になったよ。だいぶ助けてもらったし、ありがとう」
ちょうど僕の正面、すっかりその容姿にも慣れてきた人物に、これからすることを考えてニヤニヤしてしまう。
「じゃあな…………ロイズちゃん」
穏やかだった顔が一瞬にして固まる。
「メリビィ!」
メリビィの背中を叩いた。それが合図だと気づいたらしい。
「……おま、ぶっ殺すぞ。あ、待て――――」
振り向いて手を振るメリビィ。
「ロイズちゃーん、ばいばーい」
追ってくる様子はなかったが、見えなくなるまで走って逃げた。
「しかし驚いたね、ロイズの固有スキルには」
湖畔で水面に反射する日光が眩しくて、二人そろって後ろに倒れる。
草の上は少し硬かったが、程よい風が吹いて居心地は悪くなかった。手のひらを枕に空を流れる雲をじっと眺める。
「しかもすっごいキレイだった」
メリビィは口をとがらせ、投げやりに言う。
「メリビィだって可愛いじゃん」
「え、あ……ありがと……」
そんな素直に照れられると思わなくて、言ったこっちも恥ずかしくなってくる。
男性だったはずのロイズが女性に。性別を変えられるスキルなんて反則じゃないかと思ったが、結局当の本人が弱かったら意味ないんだよな。
「二人っきりの旅になっちゃったね。これからどうしよっか?」
今日も始まったばかりで今日の予定も未定な僕ら。
それがこれから先のことなんて、浮かぶわけ…………あった。
いつか――――そうメリビィが言っていたこと。
どうせならと、思い切って口にしてみる。
「今から行こっか」
「どこに?」
「コットー城に」
驚きの後、見る見る笑顔に変わっていくメリビィ。どうやら僕の提案は受け入れられたと返事を聞くまでもない程、分かり切った答えをわざわざ聞いてみる。
その言葉が聞きたくて、笑顔で答えるその声が聞きたくて。
「いいねぇ。よし、今から行っちゃおう。れっつごーっ――――わっとっと」
言葉に合わせ手を挙げ、余りに勢いよく起きたせいで立ち眩みでもしたのか、ふらふらっと僕の体に倒れてきた。ぶつかる寸前でメリビィは手をつき激突は免れたが、顔は吐息がかかるほど近かったが、高揚してるのか気にする様子もなく笑みを崩さず僕を見つめる。
怪しくも危なくもない雰囲気。
そのまま口づけでもするのかと思うほどさらに顔を近づけてきたメリビィに身構えるが、唇より前に額同士がぶつかった。
「アリィは時々、いいこと言うよね」
「時々なの?」
「そうだよ、時々ね」
メリビィはふっと離れ、結局何ごともなく起き上がり服についた砂を軽く叩く。
「船に乗ってコットー大陸だね。それなら次に私たちが向かう場所も決まり」
「どこに向かうの?」
メリビィは真上に上りつつある太陽の方角を指さした。
「それはもちろん、メニシェ港だよっ」
どうやらあっちに向かうらしい。
ワイルドウルフが出てきたらどうしよう。
ドキドキしながらコエテーアを出発したが、目の前に現れたのは五十センチほどのキノコの形をしていて、ウサギの耳と狼の尻尾をはやした寸胴の、前世でもお目にかかったことのないような生き物だった。
だが魔物には変わりない。
立ち止まり気持ちを切り替え戦闘の用意をしようとするが、メリビィは顔色一つ変えずに歩き続け、キノコ型の魔物の横を通り過ぎた。
「何してるの、アリィ?」
僕が付いてきていないことに気づき、不思議そうに振り返る。
「え、だって……魔物……」
「マイルンがどうかした?」
「戦わないと……あれ、でも襲ってこない……?」
何か思い至ったのか、メリビィはマイルンと呼ばれた魔物の横に立ち、頭を軽く叩いた。
ぼふっぼふっ、という縫いぐるみでも叩いたかのような柔らかそうな音が聞こえた。試しに僕も恐る恐る触れてみると、縫いぐるみというよりわさわさした着ぐるみのような感触だった。中に人でも入っている気さえしてくる、ぎこちない二息歩行で歩いては止まり、歩いては止まり。
「アリィはヨーチェ出身だから見たことないんだね。マイルンって言ってね、ショウガン大陸では最も有名な魔物だよ。基本的に襲ってこないし、人懐っこいから家で飼ってる人もいるくらい」
確かに人を襲うどころか、何も考えてなさそうな恍惚とした遠い目をしている。
「害のない魔物もいるんだね」
「昔はもっとそこら中にいたらしいよ。私が生まれた頃は既に何百匹も狩られちゃってて、こうして稀に見る程度にまで減っちゃったみたい」
「害がないのに狩られちゃったの?」
「大昔に干ばつで食料飢餓があったときに、それなりにおいしくて、それなりに栄養があって、何より他の魔物に比べて圧倒的に狩りやすいマイルンが標的になったんだって」
可哀そうに。こんな頭の中が空っぽそうな目をしているマイルンにも、悲しい歴史があるんだな。
自然界は弱肉強食、弱いものは捕食されてしまうのはどこも一緒だな。
だが安心してほしい。弱い者同士、僕はお前たちをなるべく(・・・・)殺さないと誓ったからな。
歩き続けて小一時間、潮の香りが漂ってきた。遠方に海が見えた。灯台が見えた。次第に響いてくるのは喧騒ではなく波音。
石造りの家と五メートルほどの背の高い木々が立ち並ぶ、何とものどかな港が見えてきた。
停泊している何隻もの船はどれもが小振りで、波に揺られ大きく上下していた。
見渡すと、殆どが民家だと思われる建物の中で一つだけ突出して大きい建物があった。五角形で民家の三倍はあろうかという高さがあった。
「どうして五角形なのかって言うとね」
教鞭を振るう教師のように、メリビィは芝居がかった口調で教えてくれた。
「建物の中には五つの施設が入っていて、それを意味する形になってるの」
「五つって?」
その質問を待ってましたと言わんばかりに、嬉々として自慢げに指を一つ一つ折り曲げていく。
「船着き場でしょ、ギルドでしょ、宿屋でしょ、それから商店に役場。全部があの五角形の中に収まってるの」
「ずいぶん詳しいね」
「それはもちろん、いつかはコットー城に行こうと道のりや掛かる時間、乗る船はしっかりチェック済みだよ」
なんとも頼もしい。正直、異世界にきて新しい大陸での始まりは毎度、生死を彷徨う事態に見舞われていたから、次こそは回避したいと思っていたんだ。
自信たっぷりに胸を張るメリビィを見て杞憂だったと安堵する。
「さっそく一番早い便で、コットー大陸に向かっちゃおう」
何もかもがメリビィの中で完璧に事は進んでいた。
コエテーアからメニシェ港までの道のり。船の出発する時間。
その先の船旅での荷物の買い出し資金も、コットー大陸のカウォレ港に着いてからのいざコットー城までの道のりも頭に入っていた。
地図なんていらない。
朝でも夜でもいい。太陽と月さえ見えればたどり着ける。
それは誰が見ても完璧な計画で、落ち度などないように見えた。
たった一つを除いては。
「え?」
船着き場で二度確認するメリビィ。
「うそ……そんな……」
船着き場で三度確認するメリビィ。
計画は、根本から崩れ落ちた。
看板にはそれぞれの大陸までの運賃がかかれていた。その金額を見て唖然とし、よろよろと近くにあったベンチにへたり込んだ姿を見れば、その意味を推し量ることができた。
「足りないの?」
「…………」
コクっと言葉なく頷く。
僕に差し出してきた袋には硬貨が入っていて、僕は数えるまでもなく、運賃には遠く足りないと判断できた。
「もしかして船代計算してなかったの?」
「私はバカだ。行くことだけ考えてた。道のりはどうだとか、船の中ではメニシェ港名物のオクタドンのゲッソーツリーを食べてとか…………」
悲しそうに天を仰ぐ。
「船代があんなに高いなんて、知らなかった……」
確かに今の僕らからすると高額である。
一つ星の依頼だったら五十回は受けないと及ばない額である。
夢も潰え、もう途方に暮れるしかないのか。
「でもさ……」
前世での記憶が、少しは僕をポジティブに変えてくれる。
払えないと思っていた家賃も、連勤残業休日出勤で、どうにか乗り越えたことがあった。思い出したくないほど大変だったが、確かにあの日々を乗り越え僕は生きていたんだ。
インフルエンザで心身ともに消耗しきって、不良にサンドバッグにされて、月に見とれてトラックに轢かれる寸前までは生きていた。
それに比べれば、そのお金を稼ぐぐらいの苦労は、耐えられそうな気がした。
前世で言うとこのせいぜい三か月程度だ。
僕はメリビィとなら、これぐらいの壁なら乗り越えられると思った。
「ねえ、メリビィ――――」
僕は遠回りせず、簡潔に、最も分かりやすく伝えようと思った。
「二人で百日頑張れば、貯められるね」
「…………アリィ」
慰めているわけでも励ましているわけでもなく、ただ道すじを伝える。
「メリビィ、ギルドはどこにあるのかな。広すぎて迷いそうだよ。早くしないと、今日は依頼を受けらんなくなるよ?」
顔を上げるメリビィがどんなことを思っていたのか、僕にはよく分からなかった。泣いてはなかったし、泣きそうな気配も感じられなかった。
「うん、そうだね」
見えない程度には潤んでいたのか目を擦り、勢いよく立ち上がり僕の手を掴んだ。
「任せて、ギルドに案内してあげるっ」
手のひらを握る力がほんの少し強いような気がしたまま、潮風の吹く方へ向かって走っていった。急ぐ必要もないのに、まだ当分日は暮れそうにないのに。
ギルドは建物の海側にあり、僕らは今日の依頼を終えテラスのような場所に立っていた。
夜の風景は一変していた。
暗い海は波音を静かに奏で、闇に佇む灯台は無機質なせいで得も言われぬ迫力を以って、その存在を一層際立たせていた。
「今日はありがと」
「なにが?」
とぼけたふりしてメリビィを見つめてみる。
知ってか知らずか、そのまま話し続けた。
「アリィってさ、私が困ったとき、悩んでいるときにいつも導いてくれるね」
「そう?」
そんなつもりはなかった。ただ前世の記憶がある分、言えること考えることがこの世界の人たちと少し違うだけのただの十六歳。
まだ全然子供だ。異世界で絶望したり楽しんだり、間違えたり下心を持ったり。特別な力もない誰よりも努力もしていない、ありふれた十六歳。
「私の人生がさ、アリィに引っ張られていくみたい。出会ってから予想もしなかった方向に流れて、予想もしなかったことが起きて」
「半分以上ろくでもないことの気がするけどね……もしかして僕って疫病神?」
「ううん、楽しいよ。きっとアリィが思ってるよりも、私は楽しんでるよ」
それは良かったという思いと同時に、もっと良く出来たのではという思いが混ざって素直に笑顔にはなれなかった。
「いつまで続くか分からないけど」
その言葉に胸が痛くなる。
どこかで終わり、なんてなくて、ずっと続くような気になっていた僕がいた。
「これからもよろしくね」
「よろしく、メリビィ」
僕は敢えて名前を呼んだ。
名前を呼べば、呼び続ければ離れないでいられる気がして。
空は曇っていて、ただただ暗かった。
月が見えないせいか、心細くてふいに数センチだけ距離を詰めた。
肩と肩がぶつかったけれど、メリビィは離れることなく保ち続けてくれた。
それだけで、月が見えない心細さなど気づけば忘れて夜は更けていく。




