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月がこんなにきれいな夜は  作者: 芦谷かえる
第二章「searching for」
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十九話 チョコレートと赤い髪

 

 日はとっくに傾いた。

 茶色の天幕の前で佇む三人。

 一時間は優に過ぎていることは明白で、けれどどうすることも出来ずにいた。

「遅いね」

 メリビィがそっと呟く。

 人も疎らになってきて、肌寒い風が吹き始めて、宿代は預かったから中に入って待ってようという僕の提案をヨーコは拒んだ。

「一時間で戻るって言ったもん、もうすぐ戻ってくるに決まってる」

 頑なに動こうとしないヨーコを一人にするわけもいかず、僕一人でも付いて待ってようとしたら、メリビィも部屋だけ取って戻ってきた。

「一人よりも二人、二人より三人のほうがヨーコちゃんも心細くないと思って」

 町の所々で燃える松明が天幕の影を不規則に揺らす。店の殆どはしまり、鎮まり返る。湖の表面に映り込む茶色い天幕の影は、月が雲に覆われ暗い夜のせいで目を凝らさなければ見えずらかった。

「ロイズ、まだ帰ってこないの?」

「もう少し待ってみよ」

 何度も何度も同じことを聞くヨーコに、何度も何度も同じことをいうメリビィ。

 ヨーコはロイズが戻ってくるまで宿には入りそうにない。

 だったら僕もヨーコの気のすむまで、あるいはロイズが戻るまで待っていようと思った。

 ロイズに限って、何かあったとは思えなくて。

 先に痺れを切らしたのはヨーコだった。

「あたし探してくる!」

「ヨーコちゃん、待って」

 掴んだメリビィの腕を振りほどいて、真っすぐ駆け出した。

 闇に紛れすぐに見失ってしまういそうな薄緑の髪。

 僕らは追いかけた。当てもなく町中を走り回るヨーコを。右へ左へ。時に戻り、時に止まったかと思ったら急に走り出して。

 しだいに足が疲れてきたのか走るスピードも落ちてきても、それでも探し続けた。額にびっしょりと浮かんだ汗。すっかり乱れてぐしゃぐしゃになった髪。苦しそうな荒い呼吸。

「はぁはぁはぁはぁ」

 ついに疲れ果てたのか、足を止め膝に手を置く。

「もしかしたら宿に戻ってきてるかもしれないよ? 一度戻ってみない?」

 すれ違いになった可能性もあると思ったし、走りっぱなしでそろそろ休んだ方がいいとも思い、そう提案した。

 息が切れてすぐに喋れなかったのか、声には出さず、けど意思だけははっきりと示した。ヨーコは首を大きく横に振って。

「………………ここにいる」

 どうにか絞りだした声。

 目の前にあるのは挙げるほどの特徴もない一張りの天幕。

「中にいるの?」

 ヨーコと同じ視線まで腰を落としてメリビィは聞いた。

 何ということか、服の隙間から胸の谷間がばっちし見えるではないか……いや、今はそんなこと言ってる場合ではなくて……だからと言って目を逸らす理由もないわけで…………よし、落ち着こう。

 頷いたヨーコは鼻で大きく息を吸って吐いた。

「だって匂いがする」

「匂い?」

 確かにロイズは甘い、チョコレートのような匂いを付けている。試しに嗅いでみるが、町中に漂う、松明の燃える匂いしか感じられない。

「この中からするの?」

「うん」

 不思議そうにメリビィは天幕を見る。

 どうにか感じようと鼻を向けるが、やはり匂いは感じられないらしい。

「どうする?」

「勝手に入るわけにはいかないし」

 メリビィも眉を曲げ、隣で今にも入って行ってしまいそうなヨーコを見張る。

 ヨーコも流石に見知らぬテントに入るのは躊躇いがあるのか、逡巡していると屈んで地面に落ちていた何かを拾った。

「あった」

 小さくて見えなくて、一歩近付いても見えなくて、何かを摘まんでいるヨーコの指先に、自分の息が掛かるほど近付いてようやく気付くことができた。

 線のように細く、けれどはっきりと赤く……いや、深紅の色をした一本の髪。

「ロイズのだ!」

 止めようと伸ばした手は間に合わなかった。

 開けた正面に誰かいたらぶつかること間違いなしの勢いで、一人飛び込んでいった。

 後に続いて僕らも向かった。

 乗せられて、正面に誰かいたらぶつかること間違いなしの勢いで。


 幸い誰もいなくて、ぶつかることも怒られることもなかったが、それどころか入った天幕には殆ど物が置いてなかった。

 中心に一人用の寝床が敷かれているのと、隅に置かれた衣類の入った四角い箱だけ。

 匂いはどこか別の場所から流れてきたのかもしれない。髪は偶然この天幕の前に落ちていただけかもしれない。

 僕は持主が帰ってきて怒られないうちにそそくさと出ようと踵を返したところで「待って」とメリビィに呼び止められる。

 振り向くと、ヨーコは地面に擦りつけんばかりに鼻を近づけ、辿るように少しずつ移動していく。

 隅まで移動したヨーコ。

 目の前には四角い箱。

 その周囲を嗅いで「ここら辺からするのに」と悔しそうにしゃがみ肩を落とす。

「何でいないの……んもぅ!」

 八つ当たりと言わんばかりに箱を持ち上げ投げる。

 さらに箱のあった場所すらも気に食わなかったのか、地面を思いっ切り叩きつけた。

「え?」

 どんな怪力かと思った。地面は大きく凹み、ヨーコの手はそのまま吸い込まれるように体ごと、凹んだ地面に落ちていった。

 不思議なことに、数秒たってから地面に激突する音が響いた。

 まるで掘ってあった穴に落ちたかのように。


 地下通路とでも言えばいいのか、明かり一つない真っ暗な通路。暗さに慣れてようやく歩き始めたとはいえ、基本的には何も見えないような状態なので、ことあるごとに前後でぶつかったり、壁にぶつかったり、低い天井には頭もぶつける。

 正直、この先に何があるのか想像しただけで引き返したかったが、ヨーコは止まらない。

 僕とメリビィはぶら下がったロープを伝って降りて行ったが、ヨーコは5メートルほど落下したにも関わらず、ケガなどしていないのか誰よりも素早く進んでいく。

 結果的に、落ちたのは穴ではなく通路だった。

 誰が何のために作った通路なのか分からないが、いい予感は全くと言っていいほどしない。

 五分ほど歩いただろうか、遠くに明かりのようなものが見えた。

 僕らはようやく訪れた変化に、一日の疲れと、狭く暗い通路から解放されるとの思いから、何も考えずに飛びついてしまった。

「誰だ!」

 ここが盗賊団のアジトかもしれないことを、そんな簡単な想像さえも怠って。

「ロイズっ」

 ヨーコは明かりが見えて走り出した。

「止まれ!」

 男にそう言われても走り続けた。

 男のいた場所は少し開けていて、手を左右に伸ばしても随分ゆとりのある広さだった。

 でもヨーコには関係なかった。

 男の後ろの小さな入り口を目指して走った。男が剣を構え慌てて振り下ろしたが、それよりも早くヨーコは男に体当たりをした。男は倒れはしなかったものの、反動で壁に頭をぶつけ、唸りながら抑える。

 その横を通り抜けようとして髪を捕まれる。

 少しは判断が早くなってきたのかな。

 僕は持っていた短剣を鞘ごと取り、顔面目掛けて腕を振りぬいた。

 手加減なんてする余裕もなく、男は衝撃で再度壁に頭をぶつけ、そのまま倒れる。気を失ったのか死んだのかわからない。

 一息つこうとして、僕は即座にヨーコの位置を確認して腕を掴んだ。

「なに?」

「ヨーコがすぐに走り出さないように。この先にも誰かいるかもしれないでしょ?」

「……分かった」

 渋々了承してくれたようだ。

 作戦なんて思いつかないけど、行き当たりばったりは止めた方がいいからな。

「ねえ、話し声が聞こえる?」

 メリビィがひっそりと呟いた。

 男がいた後ろにはさらに狭い道が続いていて、よく見るとすぐ先は二股に分かれていた。どっちに進むかしっかり検討しよう。

「うーん、聞こえない……」

「うそ、聞こえるよ。数人の声……こっち」

 今度はメリビィが先に歩き始めてしまう。

「ちょっと待ってよメリビィ」

 どうやら誰も、僕の話は聞いてくれないらしい。



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