十四話 ロイズ
帰路、夜は深まり酒場からは賑やかな談笑、歌声、音楽に酔っぱらいの喧嘩。先程よりも明るく感じたのは、雲に隠れていた半月が町をぼんやりとした薄明りに包んでいたからだった。もう雲は疎らで、今夜は月が隠れることはなさそうだった。
「そういえばまだ聞いてなかったな。お前らの名前」
宿に着き中に入りかけた手前その人物は、盗賊狩りの盗賊は、彼は……僕ら二人を交互に見た。
「僕はアリィ」
「私はメリビィと言います……えっと、あなたの名前は……」
「ん、まだ言ってなかったか。ロイズだ。ロイズ・コレーティア」
なぜかロイズは、そのまま宿に入らず隣の建物へと向かった。
「あれ、宿はここですけど」
僕の言葉など最初から耳に入っていないと言わんばかりに、思いっきり肩を叩かれる。
「安心しろ、今夜は私のおごりだ」
話が見えてこないのは僕だけだろうか。
「おごりって?」
もちろんメリビィもだ。
「お前ら何を言ってるんだ。酒を飲むのに金はいるだろ。以上だ」
話がまるで噛み合っていないが、ロイズはもうその建物の……どう見ても酒場にしか見えない店の門を潜っていた。
「エール三つ」
丸テーブルに座るなり謎の飲物を頼み、早速ロイズは僕を指さした。
「それは相当レアだな。見たことないし、不思議な気を発してる」
指の先は、どうやら僕のブレスレットだった。
「あいつらもそんなようなことを言ってたような……」
「いや、あいつらはダメだ。その本当の価値なんか分かりゃしない。ところでお前、それ外せるか?」
「もちろん、ほら……あれ、な、なんで……?」
おかしなことだ。嵌めるときはすぐ外れそうなほどすっと緩く入ったのに、今はサイズが縮んだように、どうしたって外すことができない。
「やっぱりな」
「やっぱりって……」
「それ、呪われてるな」
どうやら僕は、呪われているらしい。
身体に悪影響は出ていないように見えるが。ロイズに聞いてみても、この指輪自体の効果も外せないこと以外は分からないそうで、困ってないんだからいいんじゃないかということで、僕を楽観的に宥めた。当の本人からしたら、そんなんで得体の知れない不安は消えないが。
話途中に、エールなる泡立った飲物が運ばれてきた。
ロイズが高々とグラスを持ち上げたのに釣られ僕も持ち上げる。
「うぅ、重い……」
メリビィは両手で重そうにグラスを持ちあげた。
「今日の勝利に、乾杯っ」
中身が零れんばかりにグラス同士をぶつけ合い、一口飲んでやはりと思う。
多少味は違えど、アルコールを含んだその飲物はまるでビール。
「でも、未成年が飲んで大丈夫なの」
「ミセイネン?」
通じなかったらしく、メリビィはあごに手を当てる。
「エールを飲んじゃいけないって、お前はどこの国出身だ。こんな美味しいものを飲む権利、何人たりとも奪うことはできやしないさ」
ここは異世界、そんな法はないらしい。
だったらそんなこと気にする必用はないんだ。
そう思えばエールも進む。
得体の知れなかった自分が呪われている不安も、気づけば薄らいでいって、それがどうしたと開き直ってみれば、さらに進んで……。
僕らは夜通し飲み通続けた。
くだらない会話、楽しいことも悲しいことも、前世の愚痴も僕の育った国ということにして……。何もかもがエールのつまみになって。
メリビィと今日会ったばかりの盗賊狩りの盗賊ロイズ。
三人で過ごした夜は、思えばこの世界に来て一番楽しかった夜だった。
実に楽しい夜だった。
*
夜明け前、まだ酔いも醒めやらぬ微睡みの中、隣で眠るメリビィを起こさないよう静かに立ち上がる。戸をそっと開け部屋の外に出ると、余りに静かで心が妙に落ち着く。
宿の共同施設で用を足し、覚束無い足取りでどうにか部屋に戻り、布団に入ると違和感があった。
何かおかしい。
それは些細なことであるようで、何かとても重大なことでもあるような気もして。
何かおかしい。
けれどこのまま目を閉じてしまおうかと思いつつも、拭えない違和感がそれを妨げる。
何かおかしい。
徐々に目が覚めつつある五感に訴えてきたのはまず香りだった。
甘く、脳が惚けるような、この世界ではあまり馴染みのない香り。
いや、最近どこかで嗅いだような……。
そして温かさ。
僕が布団を離れてそれほど時間は経っていないが、この温かさを保っているのは今になってみれば不可思議で。
……いや、そんなことよりも遥かに疑問に思わなければならない部分があるじゃないか。
僕は勢いよく起き上がり、見渡すといないのだ。
さっきまで僕の隣で寝息を立てて寝ていたはずのメリビィが。
部屋中見渡しても、姿形はなかった。
どういうことなんだ、何が起きた。
神隠しにでもあったのかと、脳は未だかつてないくらいに混乱状態に陥る。
「メリビィ?」
返事などあるはずもなく。
さらにいえば、今さらでもあるしこの神隠しに比べれば取り立てて問題にするほどのことでもない気がするのだが、何かおかしい。
布団から起き上がった瞬間、右手を付いた場所が布団とは思えないほどの柔らかさを持っていたのだ。考えれば考えるほど、それは柔らかすぎた。
手のひらより大きく丸みのあるそれは指を動かしてみると、程よい反発力があり、例えるなら一塊のジュレのような、例えるなら弾力のある温かい粉雪のような……。悪いものではない気がして、気持ちよくてもっと指を動かしたかったが、正体を確認せずにはいられなかった。
確認した上で、もっと味わいたかった。
「…………え?」
そんなはずはないと思った。
こんなことは起こりえないと思った。
同じ部屋の同じ布団、僕の真横にあったもの……僕の真横にあったのは、僕の右手に収まっていたのは――正確には収まり切れていないのだが――パンツ一枚で眠る見たこともない女性の、豊満な胸。
いつの間にか口内に溜まっていた涎を一飲みし、けれど吸い付いているかのように僕の右手は離れない。
けどその瞬間は、僕がその事実を確認して一秒にも満たない間に訪れた。
「んんーー……はふぅ…………ん?」
やばい、目が合った。
直後、頬に飛んで来た強烈な右手。壁際に吹っ飛ばされる僕。
「ご、ごめんなさい。部屋を間違えました、すいませんすいませんすいま――――」
「いいから出てけぇーーーーっっっ!」
急いで出て行こうと戸の前に立ったところで、お尻に鉄の棒で叩かれたような言葉を失うほどの痛みがやってくる。勢いで部屋の外に投げ出された僕は余りの痛みにごろごろとのた打ち回る。
痛みがようやく治まってきた頃、それでも歩くたびに激痛が走るのだが、今度こそは間違えないようにと部屋の番号を確認しつつ、恐る恐る戸を開ける。
足音を立てないように静かに進んでいくと、そこには確かに布団が二枚引いてあって片方は空っぽ。もう片方にはメリビィがまだ寝息を立てていた。
目の前には、さっきのは夢だったのではと思えるほどの平和な光景。
夢でないと、確かに教えてくれたのはお尻に走る激痛。
薄暗かったせいで、部屋を間違えたのかもしれない。そんなことでは済まされないことをしてしまったと思いつつも、手に残る感触。
少しずつ膨らんできた欲望。無防備に眠るメリビィ。抑えきれず、あろうことか手を伸ばす僕。けど…………。
その寝顔は、メリビィと出会った頃の感情を呼び起こした。
いつの間にか夜が明け、僅かに射し込んできた日の光は、飴色の髪に反射して眩しいほどに。
唇から僅かにもれる吐息、猫のように丸めた身体はその都度上下した。
ふと浮かんだのは月だった。
それも真夜中の、雲一つない空に浮かぶ真ん丸の黄色い月。
出会った日から僕はメリビィに惹かれている。なのに、その感情よりも先に、一緒にいることで味わえる安らぎのようなものに満たされる。
僕は勝手に解釈して納得する。
手を伸ばしたいけれど、きっとメリビィの持つ雰囲気が余りにも綺麗すぎて、触れることを躊躇わせるのだと。
触れてしまったら形を失う水鏡のような、体温で溶けてしまう淡雪のような……。
時間が経って、日は昇り切って。
膨らんでいった感情は、見とれているうちに気づけば萎んでいった。
僕は何事もなかったよう布団に入った。
お尻が痛いので、もちろんうつ伏せで。




