十二話 メリビィ
目を開けると眩しさはなくて、ただ寝息を立てる少女の顔があった。
いつまでも見ていたかったが、寝っ転がってばかりも身体によくないと思い、ふと自分はいまどんな大勢にいるのかと確認しようとして、ようやく把握することができた。
頭は柔らかい何かの上。目線の先には少女。
……これは膝枕というやつか。
思い至って身体が自然に反応してしまった。
僕は慌てて起き上がろうとして、けど少女との距離感を掴めていなかったのか、次の瞬間、少女の額に自分の額をぶつけてしまう。
それも思いっきり、加減もなしに。
少女は痛みで目を覚ましたのか小さく呻り、自身の額を必死に押さえている。
「ううぅ……」
僕は欲求不満なのだろうか。そんな声すら艶めかしく聞こえてしまう。
痛みに悶えながらもどうにか「大丈夫?」と声をかける。
「……はい……痛いですけど、大丈夫です……」
立ち上がった少女はぽんぽんと足とスカートに付いた土や葉を払い僕と向かい合った。背丈は十センチほど少女の方が低く、見上げる形となり上目遣いになっていて、それが少女の瞳の色を際立たせていた。
その碧さは澄み切った清流のように純粋で、汚れも淀みもなくて、時間など忘れて見惚れてしまうには十分すぎた。
「……どうかしましたか?」
ただ見惚れていた。
けどどこかに疚しさがあるような気がして、それを見透かされている気さえして動転し、僕は思っていたことをそのまま、包み隠さず話していた。
余りにも間の抜けた声で。
「あ、その…………綺麗な目だなって……」
自分は何を言っているんだ。
なんて気恥ずかしい、呆けたことを言っているんだと思っても、もう口から出てしまった言葉を取り消すことなど出来なくて。
「わた、しの……目がですか……?」
戸惑ったように首をかしげ、困ったように眉毛を曲げる。
「うん、そう……目が……碧くて綺麗だなって……」
一回目でたかが外れたのか、二回目はそれほど恥ずかしくなかったが、その目に見られているんだと思えば鼓動は早くなっていく。
「ありがとうございます。そんなこと言われたの初めてです」
照れながら前髪を掻き分け、改めてましてと言わんばかりに背筋を伸ばし、両手を前に重ね「ふぅ」と息を吐いた。
「ところで私はですね、メリビィと言います」
突然の自己紹介に、慌てて僕も背筋を伸ばそうとして、ふと体中の痛みが消えていることに気づいたが、まずはと少女を、メリビィを見つめた。
目と目を合わせるなんて恥ずかしかったが、いまこの瞬間は逸らしたくもなかった。
「僕はアリィ」
「怪我の手当てはしましたけど、少し脱水もありそうですね。これをどうぞ」
受け取ったのは何の素材か分からないが柔らかい袋で、その中に水分が入っているようだった。遠慮がちに一口だけ飲むつもりが、喉が渇いていたのか二口三口と止まらず、思わず全部飲み干してしまった。
唖然とした表情で見られているが、もしかしてとんでもないことをしでかしてしまったのだろうか。
この大陸では水はとても貴重で、今の分量で何日分もあるとか、あるいは水ではない特殊な飲み物で、あんなに飲んで良い物ではなかったのだろうか。
「余程喉が渇いていたんですね」
メリビィが袋をひっくり返すと水が一滴垂れただけだった。
「あらら、空っぽ。これだけ飲めば、ウイ村に行くにしてもノークの町に行くにしても、水分は大丈夫そうですね」
驚きつつも笑顔は絶やさない。
もしかして、メリビィの分も全部飲んでしまったのだろうか。
そう思っていると、どうやら僕の顔は読み易いらしい。
「心配しないでください。ちゃんと自分の分はありますから」
「そっか、よかった」
「それじゃアリィさん、私はここで」
「え?」
待って、そんなパターンあり?
「道中、お気をつけて」
ファンタジー物なら違うでしょ。
何かと理由付いて近くの村なり町まで一緒に行くんじゃないの?
「ちょ、ちょっと待って」
まだ一緒に居させてよ。
そりゃ会って数分のどこの馬の骨とも知らない奴かもしれないけどさ、せめて隣の町村までは一緒に行くのが定石でしょ。
一目見て魅了してしまった人と、居られるならまだ離れたくないよ。
自分勝手だけどさ。
「いえ、そろそろ行かないと日が暮れてしまうので」
「メリビィさんは」
「メリビィでいいですよ」
「だったら僕もアリィで」
「なんでしょう、アリィ」
おう……自分の名前も板についてきたのか、急に呼び捨てされるとドキッとするぜ。
「メリビィはどこに行くの?」
おう……あって間もない子を呼び捨てにするって、ちょっとドキドキしたぜ。
「ノークの町です」
よし、多少強引だが行先さえ分かればこっちのもんだ。
「あれ、僕もノークの町に用事があるんですよ」
「そうなんですか、でしたら――――」
そうこの流れ。
「もしかしたら町で会うかもしれませんね。それでは私はそろそろ」
だからなんでそうなるの。
「いや、せっかくだから一緒に行かない?」
「一緒にですか、やめといた方が良いですよ。私、あまり勾配のある道は苦手なので遠回りして向かうことになるので、時間かかっちゃいます。真っ直ぐ行けば三分の二位の時間で着きますよ」
「奇遇だね、僕も勾配は苦手で」
ここまでくればもう押し通そう、そうしよう。
「折角同じ道使うんだったら、一緒に行った方がね、楽しいと思うよ。それに僕、この大陸に来たばっかであんまりよく知らないから、色々教えてくれるといいな」
知らない場所なので教えてください。
無意識だったが、今思えばこれはなかなかの鉄板文句ではなかろうか。
「そこまで言うんでしたら」
僕の暑い精神とは裏腹に、涼しげな顔でさらっと流れるそよ風のように。
「足並み遅いですが、それでも良ければ、ご一緒に行きましょう」
「そうこなくっちゃ」
雨上がりの森は豊かな木々の香りが鼻を掠め、地面は思いの外渇きがよく、泥濘はなく歩きやすかった。
気温は上昇していって暑かったが、程よく流れる涼しい風のお陰で、頬を伝う汗も歩いた疲れも心地よくさえ感じられた。
「アリィはどこの大陸から来たんですか」
「ヨーチェ大陸から船できたんだけど、途中で魔物に襲われて」
「だからあんなに傷だらけだったんですね。治癒のスクロールが一枚だけ残っていてよかったです。えっと、それじゃあショウガン大陸初心者のアリィに、私が色々教えてあげます。まずは――――」
ここは西から四番目の大陸、ショウガン大陸です。
なんといっても一年を通して過ごしやすい気候と、小さい魔力石を使ったアクセサリー店がどんな村にもあります。
魔物の強さは五大陸の中で四番目なので、戦闘用というよりファッションアクセサリーとしてに重きが置かれたデザインで、他大陸からは民芸品感覚で買いに来る人が多いですね。
おしゃれで、可愛くって、きれいで……。
風習として、成人した女性は父親から、悪い男が寄り付かないよう魔除けの魔石を使った首飾りをプレゼントするというのがあります。
村を飛び出した放蕩娘なので、私には縁がありませんけどね。
「家ではなく……村?」
え、まあ……どうせならってことで。
大陸のもう一つの特徴と言ったら、最も小さい大陸でもあるということです。
けどそれは欠点ではなくて、小さいがゆえに隅々の村まで街道が整備されているのと、大陸のどこであろうと小さな物なら翌日には届くという物流のし易さに繋がっています。
いい点ばかり上げましたが、残念ながら悪い点もあって、それは盗賊ですね。
五大陸の中で最も盗賊が多いです。国が取り締まってはいるのですが、その度に盗賊は技術をあげていって、ずっといたちごっこが続いています。
ただ一点言えるのは、盗賊が狙うのは貴族です。盗賊には盗賊の仁義というものがあるのでしょうか。私達庶民には手を出しません。
だから私の生活が脅かされることはないんですけどね。
そう自虐的に笑わなくても、身が安全なのはいいことなんだからさ。
本当はメリビィ自身のことを聞きたかったが、彼女自身の気質からか、幼い顔立ちながらも端正に整った顔立ちや、話しかけた時の柔らかな表情が、どうにも隣を歩いているだけで満たされていて、話題の一つも振ることなど忘れて横顔を見つめている自分がいた。
ずっと聞き手役ってのも悪くない。
ところが、歩いていると、一人の老人が正面から歩いてきていた。
その老人は、頭がおかしかった。
「おおぉぉ、巫女様ぁ」
メリビィを見るなり、身体を震わせ膝をつき拝み始めたのだ。
これは完全にやばいやつだな。僕は見て見ぬふりをしてそのまま通り過ぎようとしたが、メリビィはあろうことかその老人手を差し伸べた。
僕は慌ててメリビィを老人から引き放そうとして、メリビィは口を開いた。
「もしかしてウイ村の方ですか?」
「はい、左様でございます」
「そんな、やめてください巫女様だなんて。私は私にできることをしたまでです」
どうにか老人を立たせようとメリビィは手を引っ張るが、老人は頑なに立とうとはしない。
「巫女様って?」
たまらず僕はメリビィに尋ねたが、待ってましたと言わんばかりに老人が細い目をさらに細め語り始めた。
大昔の神話でも語り始めそうなその佇まいから語られたのは、
「あれは……三日前のことじゃった」
つい最近のことだった。
僕らが向かうノークの町のちょうど東側に位置するウイ村。最近は日照り続きの干ばつで、畑や水田が渇き、作物が枯れる寸前にまで追いやられていた。
そんな時にメリビィがやってきて、ほんの数分で雨を降らして土を潤わせたのだとか。
「まさに奇跡のお力。そのお力を使えるあなた様は、巫女様以外ありえません」
僕は似非の〝かぜ〟使いだが、まさかメリビィが五大元素の中の、水の使い手だとは。
「いつでも村にお越しください。そしてどうか、おもてなしをさせてください」
「はい、また遊びにいきます。でも、おもてなしとかは大丈夫ですから。本当に私は巫女でもなんでもない、ただの旅人ですから」
そういって老人をゆっくり立ち上がらせ、屈託ない笑顔を振るまうメリビィは、可愛いというよりなんだかかっこよくて凛々しくて、僕の中に潜んでいた乙女的な部分をズキュンズキュン刺激しまくっていた。
あたし、恋しちゃった――――。
…………いや、戻ろう。要するに、老人の頭は普通だったという話だ。
老人は何度振り返っても頭を深々と下げていて、どうにも落ち着かなかったので、見えなくなっても暫く歩き続けてから、改めてメリビィに話を聞いた。
「ギルドに依頼があったんです、干ばつ続きなので、どんな方法でもいいので解消できる方って。役に立てるかどうか分からなかったんですけど、うまくいってよかったです」
この世界に五大元素という概念があるのか分からないが、もしかしてメリビィはすごい人なのだろうか。
「それにしても水使いだなんて、うらやましいよ」
「何の話ですか?」
「だって雨を降らしたんでしょ」
「違いますよ、私が三法使いなわけないじゃないですか」
やっぱりあるのか、元素的なやつ。
「三法って?」
「知らないんですか? 世界を司る精霊の力で、熱、水、地の三つの源のことじゃないですか」
おっと、前世の常識にとらわれるとこだった。水と地はともかく、火ではなくて熱というのか。
「私の固有スキルは〝小雨〟です」
なんかずいぶん細かい感じの能力が出てきた。
「水も操れません。天候を操れるわけでももちろんありません。ただほんの少しの、それこそ手が届く小さな範囲に小雨を降らせることができるんです」
ちょっと悲しそうなメリビィ。泣きそうでも俯いているわけでもないのだけれど、励ましたくなる雰囲気。
「たったそれだけの能力です。本当に、たったそれだけの能力なんですけどね」
てっきり続きがあるのかと思ったが、話はそこで途切れてしまう。終わったわけではなくて、僕にはメリビィが何かを言いかけたようにも見えた。
でも言わなかったことを、聞こうとは思えなかった。その悲しい表情に踏み込む覚悟がどの程度のものか推し量れなかったし、聞いたところでその表情を晴らせる自信もなかった。
だから僕は外堀を埋めようと思った。
もしかしたら的外れで、なんの救いにもならないかもしれないけれど。
「役に立たない能力なんてないよ」
〝風邪〟使いの僕が言う。
「え?」
良いこと言おうとしたが、何にも浮かばなかった。
だからせめて、事実だけは伝えようと思った。
「少なくても、メリビィの能力に救われた人はいる。メリビィの能力は苦しんでいる人を救えるんだよ」
そんなの知ってる、だからどうしたとでも言わんばかりの顔でもしてたらどうしようかと思ったが、それは違った。
「そんなこと……初めて言われました」
困ったように泣きそうな顔をしていて、口を開いた瞬間、潤んだ瞳から涙が一滴こぼれ落ちた。
ばか……僕が泣かしてどうする。
「ありがとう」
ごしごしと大袈裟にこすったせいで目は赤くて、でも嬉しそうに眼を細めてはにかんで。
これ以上、この話はおしまいと言わんばかりに、両手をポンっと叩いて僕を見る。もう悲しさなどどこにも見えなかったその顔に僕も嬉しくなる。
「ところでアリィの固有スキルは?」
嬉しくなって、でもメリビィ。その質問は悲しさなしには語れないのよ。
「それは…………秘密」
「ずっるーい、教えてよ」
考えて考えて、やっぱりまだ言わないことにした。
「教えない」
このやり取りが楽しかったっていうのも手伝って。
「教えて」
「ううん、教えない」
「教えてってば」
ローブの袖をぐいぐい引っ張られるが、ふと正面にぼんやりと森の向こうに町の景観が見えていた。
「あ、そろそろ森を抜けるよ」
都合よく訪れた森の終わり。
「あ、待ってよ」
メリビィを置いて走り出す僕。
森を抜ける手前で聞こえてきた賑やかな音に足を止める。
「わっ!」
メリビィの声に後ろを振り向くと、どうやら僕が急に止まったせいで、驚いて声を上げたらしい。
止まれそうにない速さ、距離。
どうしたってそれは、起こるべくして起きたのだろう。
メリビィの体が勢いそのままに僕に思いっきり激突する。
後ろに倒れるも草木のお陰で体はそれほど痛くなかった。
「ご、ごめん。でも、だってアリィが急に止まるから」
僕に覆いかぶさるように乗っかるメリビィの体は柔らかかった。
前を向くと、ちょうどメリビィの胸があった。しっかり膨らんでいて、少しでも顔を上げれば触れてしまいそうだった。
僕は戦った。
唾をのみ、グッとこらえて、どこか違う場所を見なくてはと身体を伸ばすふりをして首を後ろに向けた。
すぐ目の前には、逆さまではあるが賑やかで人々が道を行き交う、オレンジ色の建物がいくつも立ち並ぶ光景が広がっていた。
ノークの町だった。




