九話 赤+トマト=平和
夜明けと共に覚えのある感覚が全身にあって、この世界に来てからこれで何度目だろうと流石にしみじみと思う余裕も出てくるほどで。
頭は痛い、身体は怠い、喉が痛くて咳と鼻水が止まらない。
間違いない、これは風邪だ。
思い返すと、僕のセカンドライフは定期的に体調を崩さなければならないらしい。不摂生な生活をしている訳ではないのだが、まだ世界に慣れていないせいもあるのかなと重い身体でドアを開け甲板へと出た。
湿ってじとじとした室内を出て、涼風を浴び少しでも新鮮な空気を吸いたかったのだが、そこの空気はこれ以上ないほど淀んでいた。
正確には空気と言うより雰囲気ではあるのだが。
ざっと数えても十人は超えていた。
一人はドアの脇、一人は船主の手前で、一人はマストの下で――――。場所こそ違えどそれぞれぐったりと項垂れるか横になるかして動かずにいた。
「大丈夫ですか?」
近くにいた騎士に声を掛けると、ぼんやりとした目で曖昧な返事だった。意識が朦朧としているのだろうか。
これは一体どういう事だろうかと考え、ふとホヘット村での出来事を思い出した。村中で風邪が流行り、僕を殺そうと近づいてくる足音。まるでその時と一緒だった。
また僕が原因だろうか。
幸い気付かれてはいないようなので、同じように体調が悪いふりをして……いや実際に悪いのだが、部屋に籠って船が付くのを待っていることにした。余計な動きをしてあらぬ疑いを……いや実際は僕のせいかもしれないのだが、面倒な事態は避けなくては。
だから寝よう。部屋に戻って動かずに休もう。
着く頃には、もしかしたら僕の風邪が治っているかもしれない。
船で来たのは名もない港。宿と道具屋があるだけの小さな港。
数人の騎士に出迎えられ降り立つが、人数は最初の半分以下になっていた。船内の至る所から咳やうなり声が洩れてくる。
「諸君、トラブルで人数は少なくなってしまったが、我々の思いは変わらない。今日こそ何としてでも魔王を倒し、大陸に平和を」
隊長らしき人が背筋を伸ばし、凛々しく剣を前に構え隊を鼓舞する。
「いざ、魔王城へ出発!」
遠くにぼんやりと見える魔王城。ここから数時間も掛からなそうだったが、手前に町があり一度そこで足を休めることになった。
歩いている時に談笑などする者は一人もいなくて、余計に時間が長く感じられたせいもあり、疲労も溜まっていたので休憩はありがたかった。
入口にはボロボロになった気の看板で〝カヨタの村〟と記してあった。家は数えるほどしかなかったが、そもそも廃村と化していて誰も住んでいなかった
中心にある噴水広場の水は止まっていて、そこに腰掛けると一人の騎士が話しかけてきた。
「僕と同い年くらいですよね。あ、僕はポーラと言います」
「どうも、アリィです」
正直休みたかった。転がって仮眠でも取りたかったが、ポーラの情熱がそれを許さなかった。
何でも父親が討伐隊の元隊長で、魔王をあと一歩のところまで追い詰めたのだとか。
家族に優しく、けど剣の稽古の時は厳しくて。とても尊敬できる父でした。五年前、魔王に敗れた時は悲しくて食事が喉を通りませんでした。毎日、夜には涙が溢れ眠れなかった僕と妹を母はいつも手を繋ぎ寝かしつけてくれました。
そんな母も先日、突然死してしまって。医者が言うには疲労が蓄積していた上に風邪をこじらせてしまったことが原因のようです。
今まで一度もなかったんですけど、僕の村で風邪が流行してしまって。魔王の負力のせいじゃないかって。
父が居なくなってから、仕事に家事に大変だったと思います。僕と妹を一人で育ててくれた母には感謝してもしたりません。
両親はいなくなってしまいましたけど、妹と約束したんです。必ず帰るって。生きてホヘット村に絶対戻って来るって。
ホヘット村って…………犯人俺だわ。
ばれたらどうなる?
冷や汗が全身を伝って、そよ風がひんやり冷たく感じられる。言葉が詰まって何も言い返せないが、とりあえず心痛な顔をしとけばいいか。
風邪で顔色も悪いしそれっぽく見えるだろう。
「すいません、アリィさんとは会って間もないのにこんな話。でも、他の方は年齢がずいぶん上の方ばかりで……。それに僕自身も誰かに話したかったのかもしれません。話すことで、少しでも苦しみや悲しみ、恐怖心を和らげたかった。そう思います。あ、そろそろ集合みたいですね。行きましょう、アリィさん。僕たちで、大陸の平和を取り戻しましょうね」
ポーラは爽やかな笑顔を向け走って行ったが、対照的に僕は余計に気持ちが沈んだせいか、足取りが重くてかなり憂鬱になっていた。
せめて風邪さえ治ってくれればな。
「皆、レソッネ城はすぐそこだ。気持ちを一つに、最後まで戦い抜くぞ!」
勇ましい体調の掛け声に応えたのは僅か数十名。
あれ、また人数減った?
「魔王の負力に負けるな」
体調の声も空しく、道中一人また一人と不調を訴えその場に倒れ込んでいく。
城に着く頃にはついに十人を切っていた。
どうやらポーラもまだ残っているらしい。顔色は真っ青で、立っているのがやっとという感じだ。何となく気まずいので、彼にはどこかで休んでてもらいたいのだが。歯を食いしばり必死の形相で足を進めている。
レソッネ城、通称魔王城に魔物はいなくて、すぐ玉座の間にたどり着いた。
ドアを開けるとそこにあったのは、宙に浮く二メートルほどの黒く丸い球体だった。
魔王どこ?
見渡してみても、どこにも見つからず、謎の球体の影になって見にくい場所に居るのではと一歩前に出るが、どこにも見当たらない。
「お前が〝光の勇者〟、我をうち滅ぼす者か」
「え?」
球体が喋った。思ったより高い声で、ゆっくりはっきりとしていて、幼い少女のような声色で。
「ああ、そうだ。この方こそ〝光の勇者〟。お前をうち滅ぼす者だ。さあ勇者様、今こそその力を!」
と、勇ましい隊長の声。
僕がやるの? さっきまでのいかにも自分がやります、正面切って戦いますみたいな雰囲気はどこ行ったの。ねえ、そんな後ろの方で大声上げてないでさ。
だが心配はしていない。僕は選ばれし者なんだ。こうやって走り出して剣を振りかざせば特別な力が解放されるに違いない。
「てやぁーっ」
球体はあり得ないほどの硬さがあり容易く弾かれ、さらに魔法でも使ったのか身体は後ろへ数メートル吹き飛ばされてしまった。
だが心配はしていない。僕には固有スキル、〝かぜ〟使いの能力があるんだ。
「風よっ」
手のひらを魔王へ向ける。イメージとしては緑色のエアロソニック的な物体が魔王を切り裂く、そんなイメージ。
何も起こらない。物音一つ立たない。どうした、僕の力はこんなものじゃないはずだ。もう一度、真の力を解放するんだ。
「風よ!」
「ほう、これは珍しい。かぜ使いとは。確かに頭は痛いし身体が少し鈍くなった気がするが、それがどうした。我にかぜをひかせたところで、攻撃が当たらなければ勝てはせぬぞ」
かぜ使いって……嘘でしょ。もしかして風じゃなくて〝風邪〟使い?
「俺がその好機を逃すとでも?」
その声は。
「隊長―っ」
「遅い」
魔王が何をしたのか知らないが、隊長は真横に吹き飛ばされ壁にぶつかり床に倒れ、そのまま意識を失ってしまった。ピクリとも動かない。まさか一撃でやられるなんて……死んでないよね。
「残るは二人か」
後ろを振り向くといつの間にやられたのか、たった一人を除いて地面に倒れ込んでいた。
唯一立っていた人物、それはポーラだった。
生まれたての小鹿のように足を震わせ、剣を杖代わりにどうにか立ち続けていた。
でも無理だろ。結局は舞い上がっていただけなんだ。〝光の勇者〟だなんて分不相応の重荷を背負わされ、出来もしない魔王退治を引き受けて、異世界転生も束の間の夢のような時間だったんだ。
目の前に浮かぶ黒い球体の魔王に、初めて底知れぬ恐怖心を覚えた。
「さらばだ、〝光の勇者〟よ」
できればもうちょっと楽しみたかったな……。
「アリィさん!」
懐かしい声が聞こえた。
優しい声。
振り向くと、持った明かりの逆光で目が眩しく、はっきりと人影を捉えることができなかったが、その逆光のせいで神々しくも見えた。
まるで天使のような。
けどそこにいた人物は輪っかも翼もなくて、少女と呼ぶには大人びていて、けれど大人と呼ぶにはあどけなさが残る年頃の見目をしていた。
目が慣れ、顔を捉えることができて、つい先日まで一緒にいたにも関わらず、ほんの二、三日会わなかっただけで懐かしさが込み上げてきた。
そう、君の名前は――――
「テイラさん!」
どうしてこんな所に。
「大丈夫ですかっ?」
まさか、助けに来てくれたの。絶体絶命のピンチで駆けつけてくれるなんて、かっこよすぎます。決まりすぎます。でも、こんな危険な所に来てしまっては、君の命もあぶない。
「逃げるんだ、勝てる相手じゃない」
「そういう訳には行きません」
君もいたのか。
「ロヤ、どうして君まで」
「旅立たれてしまうのは勝手です。でも」
短い間だったけど友情があったとでも言いたいのか、そんなことで命の危険も顧みずに助けに来てくれたのか。
「でも、こんな高価なものを忘れていかれては、僕たちも扱いに困ります」
そう、ロヤが持っていたのは僕の袋。テイラさんの家に置いたままここに来ることになってしまい、もう手元に戻ってこないだろうと諦めていた。中身も財布と前世の家の鍵。財布に入ったカード類は高く売れるみたいだけど、どうにも価値を見出せない。前世の記憶が邪魔をするのだろうか。
「…………え、それだけ。それだけの理由でここに」
「私の父の遺言なんです。困っている人がいたら、力になってあげなさい。きっとアリィさんはこれを忘れて困っている。だから絶対に、どこにいようとも届けようと家を出たとき決めたんです」
「それにもう一つ、アリィさんに僕らはどうしても言いたいことがあるんです」
一歩前に出てロヤは顔を引き締め、やや精悍に見えなくもない表情で叫んだ。
「僕たち、結婚することになりました」
テイラさんとロヤ、二人はよく見ると手を繋いでいた。
「二人で互いを補えることに気づけたんです。一見使いようのない固有スキル。でも二人が協力すれば、大きな力になるって!」
これがあのロヤなんだろうか。弱々しくて頼りなかった彼は、今や立派な青年に映っていた。
「余興はすんだか?」
後ろから聞こえてきた少女の声…………ああ、魔王の声か。そう言えば戦っている最中だった。どうしたって勝ち目無いし、まだ死にたくない。全速力で逃げよう。
「二人増えた所で何の意味をなさない。まとめて次で終わりだ」
だめだ、逃げることも叶いそうにない。球体の魔王の頭上に浮かぶ赤い炎の塊。離れているにも関わらずその熱気で体中から汗が噴き出していた。
「なんだと魔王、お前はテイラさんを殺すと言うのか。僕にとってかけがえのない、大切な人をっ」
「ロヤくん」
ロヤの勇ましさに目を輝かせるテイラさん。ドラマチックなとこ悪いけど、勝ち目ゼロだと思うんだけど。勘違いも甚だしい。無謀にも程がある。
「絶対に許さないぞ、魔王」
「はっはっは、やれるものならやって見るがいい。勇者でもない、まして魔力も微々たるもののお前など雑魚同然」
「くっ…………ん、待てよ……まさか……テイラさん、耳を」
「え、はい…………あ、確かに……やって見る価値あると思います」
ロヤは持っていた袋を僕に投げた。そして、持っていた布で自身の腕とテイラさんの腕を巻き付けた。
「行くぞ、魔王」
走り出したのは二人だった。遠目でも分かるほど、解けそうにないほど強く結ばれた布は真っ赤で、まるで赤い糸で繋がれているようだった。
先に声を出したのはロヤだった。余裕か、十メートルほどの距離になっても何もせずにいる魔王に向かって繋がれていない方の手の平を向けた。
「見る者は赤、歪のない丸い世界。〝レッドワールド〟!」
手の平から放たれた赤い光は見る見る魔王を覆っていき、黒かった色をまるでトマトのような、艶のある真っ赤な球体へと変えてしまった。
「以前言いましたよね、何を赤く変えられるか分からないって。テイラさんが一緒になって探してくれたんです。何を変えられるのか。お陰で辿り着くことが出来ました。僕の〝レッドワールド〟。それは丸い物を赤く変えることが出来るんです」
魔王への距離は縮まりもう三メートルほどになった。気にする様子もなく鼻で笑い、高らかに答えた。
「それがどうした」
「次は私の番です。魔王、その油断が命取りです。くらえ、〝チェンジ〟!」
異変は瞬く間に起きた。
僕はそれを見て、まるで本物のトマトのようになっていく魔王を見て思い出す。
テイラさんの固有スキルは〝トマトチェンジャー〟。赤く丸い物をトマトに変えることができる。
「なんだ、何をした。こんな、こんなくだらない魔法で我がやられると言うのか、そんなバカな……うわぁぁぁぁぁ――――――」
僅か十秒もなかった。
目も前の球体の魔王は緑のヘタのついた巨大なトマトに変えられ、そのまま地面へと激突した。潰れるような音。一面に広がった赤い汁。
程よい酸味と、仄かな香りが食欲をそそる美味しそうなトマトに匂い。
魔王がトマトになる頃には頭上にあった炎の塊も消え、そこには全身を潰れたトマトの汁で赤く染めたテイラさんとロヤが背を向け威風堂々と佇んでいた。
かくして、魔王討伐は終焉を迎えた。




