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青の世界、再び

 利人の心の中は闘志で満ち溢れていた。


「来いっ!」


 声を張り上げた利人に、男が怒りに満ちた声を上げる。


「死ねえええ!」


 男が短剣を突き刺そうと、手を後ろに引いた。

 殺しのための動作を見ても、利人の心は引かなかった。


 利人には戦う術などはない。格闘技を習っていたわけでもなく、喧嘩なんて小学生の時以来した覚えがない。

 なのに、戦おうする意思は衰えることはなく、更に眼光を鋭くした。


 お互いの距離が縮まり、男の短剣が突き出される。

 迫る短剣を睨みつけていた利人の視界が薄っすらと青くなっていく。

 青の世界に入ったのだ。

 

 利人はこの光景に動じることなく、次に浮かぶであろう文字に備えた。

 老婆を救うための選択肢がきっとあるはずだ。そう信じて。

 

『右に避けますか?』


 浮かんだ文字は一つだけだった。

 その事実を利人はすぐには受け入れることができず、文字を注視したまま固まってしまう。

 どうして一つしかないのだ。思わぬ事態に利人の頭の中は、そのことでいっぱいになってしまった。


 困惑する利人を余所に、緩やかながら着実に時は進んでいく。

 ただ黙って見ていた利人はやっと我を取り戻して、文字から男に目を向けた。


 男の突き出した短剣は、リュートの心臓を目掛けている。

 選択肢で左に逃げるがないのは、避けても傷を負ってしまうためなのだろうか。

 考えても仕方のないことに気を取られていると、文字が微かに震えだした。


 タイムリミットが迫っている。

 答えは一つしかない。右に避ける。ただ、それだけだ。

 右足に力を入れようとした時、一つの事に気づき、込めかけた力を抜く。

 避けてしまえば、利人の後ろにいる老婆に危険が迫る。


 短剣で刺されないとしても、捕まって人質になるかもしれない。

 逃げないで立ち向かったはずが、避けるという選択を取れば、逃げることに繋がってしまうことに利人は愕然とした。


 老婆を守る方法は文字として浮かばなかった。まだ、この青い世界が何かを理解してはいなかったが、事態を打開するための力になると期待していた結果がこれであった。

 逃げる選択を捨て、立ち向かう覚悟を決めたはずなのに。利人は皮肉な結果に嘆きかける。


 捨てさった選択が舞い戻ろうとした時、利人は震える文字を見て、一つのことに引っ掛かった。

 逃げるではなく、避ける。避けることが本当に逃げることに繋がるのか。

 文字が伝えるのは避ける事のみで、その後を伝えるものではない。


 利人が取れる選択は一つしかない。だが、その選択の先は無数にあるのではないか。

 逃げるために、避けるを選ぶのではない。戦うために避けるを選択する。

 折れかけた利人の心が、燃えるような思いによって、曲がらない意思へと変わった。


 右足に力を入れる。

 その動作に連動するかのように、世界の青が引いていく。


「えぇぇぇぇぇ!」


 世界が変わる前に響いていた声の続きが聞こえた。

 発する殺意に変わりはなく、利人の命を奪うための行為が繰り出される。

 その時、利人は男の視界の隅に動いていた。


 短剣をすれすれで避けた利人は、腹に力を入れ、左足が地を蹴った。


「だあぁぁ!」


 咆哮と共に上がる左足。風を切るような蹴りが向かう先は、男の腹部であった。


「ごふっ!? おおおぉぉぉ……」」


 男は体をくの字にして、後ろによろめき、口から苦悶に満ちた声を上げる。

 男を撃退した利人は上げた足を地に下ろすと、次の動きを模索した。

 決して勝てない敵ではない。今の利人にはそう思えるようになっていた。


「くっそぉ……ガキィ!」


 怒声を上げると、再び、利人に殺意と共に突進を仕掛けた。

 次の攻撃が来る。利人は再度、身構え、男と相対した。


「おおおおお! がっ!?」


 雄たけびが途中で途絶えると、力なく前のめりに倒れていく。

 その影から姿を現したのはリュートであった。


「まったく。無茶をするんだから」


 腰に手を当て呆れたように首を振ると、利人の前に進み、手を差し出した。

 その手を利人は掴むと、軽々と持ち上げられて立った。


「あの、ごめんなさい。余計なことをしちゃいました?」


「いや、お陰で助かったよ。ま、母さんのことだから、大丈夫かなとは思ってたけどね」


「母さん?」


 リュートが向けた視線の先には、先ほどの老婆がいた。


「えっ? あの人がお母さんなんですか?」


「そっ。母さん、大変な目にあったね」


 優しく声を掛けたリュートに対して、母のメラルダは腕組みをして頬を膨らませる。


「もう、助けるのが遅いじゃないの。その子に助けられなかったら、どうなっていたことか」


「母さんなら大丈夫だって。元女騎士さん」


「そんなに猛々しくないわよ。そういえば、帰ってきてたのね。お休みが取れたの?」


「いや、違うよ。お仕事。あ、そういえば、父さんも飛び出そうとしてたけど……」


 リュートは周りを見回すと、人だかりから男性に肩を借りて歩いて来ているボルカノスを見つけた。

 顔は青ざめており、生気を失いかけている。


「おうぇっ!」


 ボルカノスは口を開けて、えづきだした。

 その姿を見て、リュートは嘆くように首を振った。


「酔っぱらって走るからだよ」


「うるさい……。酔ってなど……うえっ!」


「ああ……。何やってるんだよ、まったく。あ、ありがとうございました。後は僕が」


 リュートはボルカノスを引き取り、肩に手を回した。

 何度もえづくボルカノスを横目で見て、利人に目を向ける。


「リヒト、ごめんね。父さんを連れて帰ってくれないかな」


「あ、はい。分かりました」


「ありがとう。母さん、彼を家まで連れて行ってあげて」


 利人は小走りでリュートの下へと向かいボルカノスを引き取る。

 何度も吐きかけていることに、少しだけ恐怖を感じていた。


「もちろんよ。命の恩人なんだから。さ、いらっしゃい」


 手招きするメラルダに頷き、ゆっくりと歩き出した。


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