戦う意志
「あの……将軍って?」
利人は目の前にいる、リュートの父を見たまま言う。
言われた本人は口をへの字にした。
「元だ、元! まだまだ現役でいられたのに、議会の老人共は何も分かっとらん! よりにもよって、後任がジャストルと来たもんだ! あいつは口だけは達者だが、戦が何たるかを知らんのだ! そんなんだからカルディネアに攻められても打ち負かせんのだ!」
激高し、大声を上げた元将軍は喉が渇いたのか、紅茶を勢いよく飲み干すとポットからお茶を注いだ。
怒りを鎮めるかのように、また一息に飲み干した。
憤慨している父の姿を見てリュートが笑った。
「リヒト、この人がこの国、ルクス共和国の元将軍、ボルカノスだよ」
紹介された当の本人は顔を背けて頭をかいていた。
少し恥ずかしそうに見えるボルカノスの姿が楽しいのか、リュートは笑みをたたえたまま続ける。
「まあ、さっきも言った通り、元なんだけどね。俺を引き取ってくれた時には引退していたから、だいぶ前の話だけど」
「そうなんですね。リュートさんはお父さんが軍人だったから、軍隊に入ったんですか?」
「そうだね。それ以外に道はなかったし、軍隊なら父の威光を十二分に活かせるしね」
冗談めかして言うと、ボルカノスが大きく鼻を鳴らした。
「弱弱しそうな奴だから軍隊ぐらいが丁度いい就職先だ。少しはたくましい顔になると思ったが、いつまでもへらへらとしおって」
「十分たくましくなったよ」
「ぬかせ。わしから言わせれば、顔に切り傷の2つや3つはないと、一人前の軍人とは言えん」
「はいはい。綺麗なままで悪かったですね」
二人の会話を聞いていると、本当の親子なのだと利人は感じていた。
口は悪いが愛情を感じられるボルカノスと話す、リュートの顔がとても穏やかなもので、見ているだけで心が安らぐ光景だった。
父と息子の会話を黙って聞き入っていた利人は思い出したかのように口を開く。
「リュートさん、さっきの話なんですけど」
「ん? あぁ、ここに住むって話か。忘れていたよ。父さん、良いでしょう?」
問われたボルカノスは、表情を渋くしてリュートを睨みつける。
その眼光は将軍であった者の力強さを伝えるには十分なものだった。横から見てこれ程の目力を発しているとなると、直接睨みつけられたら、どうなるのだろうか。嫌な想像をして、身震いしていた。
「何度も言わせるな。断」
「キャーーーーーーー!」
突然、家の外から悲鳴が聞こえた。
何事か分からず慌てているとリュートが家を飛び出し、ボルカノスも後に続いた。
何が何だか分からない利人も、二人を追って外に向かう。
外に出ると、村を十字に分ける広場で人だかりが見えた。
利人は人と人の間から見える光景を目にして、息を呑んだ。
「てめぇら! 近づくんじゃねぇぞ! 近づいたら、この女を殺す!」
「金を寄こせ! あと、馬だ! 食料も寄こせ!」
三人の薄汚れた風体の男たちと、その一人に捕まっている若い女性がいた。
みすぼらしい格好で、口周りに不揃いのヒゲを生やした紺色の髪の男が若い女性を盾にして、首に短剣を突き付けている。
ドラマなどでは度々見てきたことが実際に起きていることに利人は驚き、その光景に目を奪われていた。
男達がうるさく吠えていると、人だかりから一人の白髪の老婆が姿を現した。
「その子から手を離しなさい! 人質にするのならば、この私をしなさい!」
毅然とした態度で老婆は言うと、男達に近づいた。
老婆の危険な行動に利人は仰天した。老婆も捕まって人質にされるかもしれない事態になってしまったのだ。
どうにかしなければと、利人は頭の中でいくつもの考えが浮かぶ。
若い女性を颯爽と助ける想像をしたが、成功するイメージができなかった。
人に助けを求めるのはどうか。周りを見ても全員、この空気に呑まれているのか動き出そうという雰囲気はない。
リュートと、ボルカノスは見当たらず、頼れそうな者はいない。
老婆は真っ直ぐに汚い男達の下へと歩みを進める。
どうしてわざわざ自分から危険な真似をするのだろうか。利人は混乱する中で、老婆の心境を察しようとした。
老婆が行く先に目を向けた時、利人は理解した。捕まっている女性の下腹部が膨らんでいることに。
老婆は女性のことだけでなく、お腹の赤ん坊の事まで考えて行動しているのではないか。
自らを犠牲にしてまで、二つの命を救おうとしている。老婆が取った勇気ある行動が利人の心を震わせ、体を突き動かした。
人だかりをかき分けて、老婆の前まで駆け、行く手を遮った。
「おっ! 俺が代わりになります!」
利人は足を震わせながらも声を張り上げ、男たちを強く見据えた。
睨みつけるような視線を受けて、男達の顔色が更に険しくなる。
「馬鹿か! 男なんて人質いるかよ!」
「おい! こいつダーカーだぜ! 余計にいらねぇよな。あ、物好きな奴に売れるかもな」
「アホか! 女ならまだしも、男なんて売れねぇだろが!」
男たちは利人を散々馬鹿にすると、口を大きく開けて笑い出した。
その光景は人を激高させるには十分過ぎるものだが、利人は怒りを覚えていなかった。
男達が笑っている姿の端から、一つの影が宙を舞うのを見ていたからだ。
高々と飛んでいる影、リュートが一人の男に飛び掛かった。
「げふっ!?」
男の顔にリュートの足の裏がめり込んでいた。
鼻から血を噴き出し、折れた歯が地に落ちた。次の瞬間、女性を盾にしていた男に肉薄する。
女性の体に回していた手を握り締めると、力任せに引き離す。
「あいっ!?」
男の引っぺがされた腕を、リュートの手が猛獣の牙のように掴んで離さず、更に力を加えていく。
「いでででで!」
痛みを訴える男の足をリュートは素早く払うと、男は地に背中から倒れ、目を瞑って悶絶する。
男が閉じた目を開いた時、リュートの足の裏が男の視界を覆いつくしていた。
「ぶっ!?」
地面にめり込まんばかりに踏みつけられた男は、大きく痙攣した後、大の字になって動きが止まった。
「ひいっ!?」
最後の一人が喉から震え上がった声を上げた。
その男にリュートの鋭い眼光が向いた時、男は脱兎の如く駆け出した。
逃げた先には利人と老婆がいる。
男は逃げたのではなかった。次なる人質を確保するために駆け出したのだ。
自分よりも弱いと思われる利人か、確実に弱い老婆か。
「クソガキ! どけぇ!」
男がギラリと光る短剣を構えて、利人に猛進する。
刃物が発する殺意が一瞬、利人の心を凍りつかせた。恐怖が利人を襲い、足をすくませ、体を硬直させる。
全身が凍えたような震えまでしだした。
逃げたい。でも、体が言うことを聞いてくれない。
利人は迫る死を前にして、己の体に何度も命令した。だが、動くことはなく、より一層恐怖が強まっただけであった。
目を見開いて、呆然と立ち尽くす利人の背中にそっと手が当てられた。
「お逃げなさい」
後ろに目を向けると、老婆が利人の前に回ろうとしている姿が見えた。
老婆は利人を守ろうとしている。自分よりも強い人間を守ろうとしている。
そのことがどれだけ勇気のいることか。
そんな勇気、俺にはない。
利人は心のどこかで諦めた。
いや、もしかしたら。
心のどこかは、諦めることに抗いだした。
俺にだって。
心が叫ぶ。
「俺だってぇぇぇぇ!」
恐怖を勇気で跳ねのけた利人は咆哮を上げて、大きく一歩前に踏み出し、老婆を守るための盾となった。




