黒髪の民
屋内にある練習場が、二人の男の熱気で蒸せていた。
リヒトとゴリュウが、それぞれの武器を持ち、間合いを測るようににじり寄っている。
上半身を裸にしている二人の肌には汗が球になって流れていた。
「おらぁぁっ!」
ゴリュウがメイスを片手で振りかぶり、大きく振り下ろした。
リヒトは体を横に逸らし、最小限の動きで躱すと、肩まで上げた剣をゴリュウの右腕目掛けて斬りかかる。
隙が生じたはずのゴリュウの顔が笑う。
「ほいっと」
手にしていたメイスを離すと、すっと右手を後ろに引いた。
リヒトの剣は空を裂く。次の隙はリヒトに生まれた。
「おらよっ!」
ゴリュウが踏み込み、前蹴り仕掛ける。空気ごとリヒトを吹き飛ばしそうな力強さを持った蹴りがリヒトに迫る。
力んで硬直した体では満足に避けることはできない。リヒトは避けるではなく、敢えて受けるを選択し、後方に飛んだ。
「ぐっ!?」
後方に飛んだ体にゴリュウの蹴りが襲い掛かった。
跳ね飛ばされたリヒトは、地面に叩きつけられると地面を何度も転がった。
すぐにリヒトは立ち上がったが、動き出すために大きく呼吸をする。
同じように呼吸を整えているゴリュウが言う。
「これで五分だな」
「いって~……。戦いの最中に武器を捨てるって、どうなんだ?」
「何だ? 負け惜しみか? 戦場なら武器なんて、そこら中にあるんだ。なくなったら盗ればいい話じゃねぇか?」
ゴリュウは床に転がるメイスを手に持って肩に乗せると、練習場の隅に置いある水瓶から水をすくって飲んだ。
「かぁー! うめぇ! こりゃ、夜の酒は更に美味いな」
「勝利の美酒じゃないと思うぞ? 戦歴は八勝八敗だからな?」
「へいへい。体を動かした後の酒は美味いんだよ」
リヒトは痛みを訴える体のまま、ゴリュウの近くまで行き、コップで水を汲んだ。
喉を鳴らして一気に飲み干す。
「あぁ~……美味いな」
「格別だよな。しっかし、せっかくの休暇なのに、何で稽古しなきゃならねぇんだ。もっと遊ぼうぜ?」
「俺はいい。戦場で死なないために強くなりたいんだ。……付き合ってくれて、ありがとう」
リヒトの素直な感謝を受けたゴリュウは、顔を逸らしてむずがゆそうな顔をしている。
「くそ真面目な奴だな。真剣な顔をして言うなよ。こっ恥ずかしい」
「言える時に言わないとな。ゴリュウはもう帰るんだろ?」
リヒトはタオルを手にして、溜まった汗を拭う。
それに倣って、ゴリュウもタオルで体を拭き始めた。
「ああ。せっかくの王都だからな。しこたま飲んで、女遊びに興じてくる」
「ほどほどにな。骨抜きにされて戦場に行くことになんてなったら、目も当てられないからな」
「うっせぇ。イイ男は簡単に女の虜にはならねぇんだよ。なぁ、どうだ? お前も行かないか?」
ゴリュウの誘いに、リヒトの鼓動が高鳴った。
顔色を変えないように、平静を装って返す。
「お、俺はいい」
「んだ? 男の趣味でもあんのか?」
「ある訳ないだろ! お、俺はダーカーだ。女が寄ってくる訳がないだろう」
リヒトは過去の世界のことを思い出していた。
女性と付き合ったことはないし、女性から好意を持って接されたこともない。
この世界に来ても、女性との接点は薄く、まともに話しをしていない。
要は免疫がないのだ。
ダーカーだからモテないというのは嘘である。
リュートはダーカーであるが、傍から見ても分かる程に女性から好意的な目で見られていた。
リヒトがモテないのは、普通の顔のせいだからである。
「いや、ダーカ・ラーガと聞けば、それだけで求めてくる奴もいるかもしれねぇぞ?」
「その手には乗らないぞ? 下手なことをして、牢獄送りは困るからな」
「つまんねぇなぁ。まぁいいか。じゃ、いつも通り、俺は夜の街に繰り出すとするかな」
ゴリュウは意気揚々と練習場を後にした。
リヒトはまだ体が痛みを訴えていることから、治癒用の鎧の胴を着て小手をはめた。
魔力を鎧に流すと、体がじんわりと温かくなる。ぬるま湯につかっているような心地よさを感じながら、床に寝転がった。
先ほど思い出したリュートの顔を、今一度思い出す。
あれからどうなったのだろうか。ギルディスは調査を続けていると言っていた。
信用できるのかは分からないが、今は無理やりにでも信じるしかない状況だ。戦場を駆けまわり、敵を殺して生きる。生き続けなければならない。いつかリュートと共に生きるために。
冬も真っただ中で、春まではまだ時間がある。
それまでに更に強くならなければならない。カルナ国との大きな戦になれば、必ず神騎将は姿を見せるだろう。
今のままでは勝てるか分からない。強くなっても勝てるか分からない。それならば、限界まで強くなって立ち向かおう。
心に今一度、思いを刻み込むと、目を閉じて脱力する。
ゴリュウとシームに連日付き合ってもらい、体をいじめ抜いている。
これでどれだけ強くなることができるかは分からないが、今のリヒトができることを毎日繰り返していた。
練習場にはリヒトの息遣いだけが響いていると、二つの足音が混ざる。
ドアから顔を覗かせたのは、ギルディスであった。その後ろには金髪の中年男性が姿が見える。
金髪の男性は髪を整えていないのか、伸びるがままのぼさぼさ頭である。顔は目の下にくまがあり、全体的に陰気だ。
二人が練習場に入ってくると、リヒトは体を起こした。
「ギルディス、何か用か?」
「ああ、お前に会いたいという奴がいてな。宮廷お抱えの魔導士パルラケルスだ」
パルラケルスと呼ばれた男性は、恭しく頭を下げた。
「ご紹介にあずかりましたぁ、私、パルラケルスと申しますぅ」
気の抜けたような声色と口調をしている。
リヒトは慌てて、自己紹介を返す。
「俺はリヒトだ」
「存じ上げておりますぅ。今日はギルディス王子にお願いして、あなたに会いに来たのですぅ」
「何で俺に?」
きょとんとしていると、ギルディスが会話に入る。
「パルラケルスは呪文の研究だけでなく、魂の研究もしている」
「魂って、人の命か?」
リヒトの問いにギルディスは頷くと、パルラケルスに目を向けた。
「こいつは直に会いかったようだ。最古にして最高の民。ダーカーとな……」




