夜襲
上る火によって、辺りが薄く照らされる。
兵士の叫び声が増えるに従い、次々と火が闇に浮かぶ。
悲鳴が響くのは、リヒト達よりも先にいたイルフートの軍からである。
火に照らされる兵士達は狂乱したかのように動き回っていた。
混乱をきたしているイルフート軍を見たリヒトは、自軍の兵士に向けて吠える。
「各隊、まとまれ! 火を焚いて、敵の影を探れ!」
素早く指示を出すと、鞘から剣を抜き闇に紛れる敵の気を探る。
悲鳴がギルディスの軍に近づきつつある。敵の到来に備え、兵士達が火を灯した。
闇を抜けて、明かりの中に大きな影が姿を見せた。
現れたのは赤毛の大柄の馬だ。火に照らされ、体が燃えているように見える。
赤い馬の上に乗るのは、緑色の羽織物を着た軽装の男であった。
片手に曲刀を持っており、兵士の横を駆け抜けざまに斬りつけていく。
赤い馬は足を止めることなく、兵士を突き飛ばしながら猛進する。
行く手にはリヒトがいた。火の光を帯びた軽装の男の曲刀が弧を描いた。
「せぇあっ!」
軽装の男の気合を込めた剣がリヒトに迫る。
剣筋を見定めたリヒトは剣を跳ね上げた。
「ふっ!」
曲刀とぶつかったリヒトの剣の勢いは止まらない。
一歩、敵に向けて踏み込んで、高々と上がった剣を一気に落とした。
「っ!?」
リヒトの剣が空を斬った。
軽装の男と馬を斬れる間合いであった。だが、その剣は敵を捉えることができなかった。
赤い馬が突風のように、リヒトの横を駆け抜けていく。
その早さで理解した。闇の中を突進した馬が、更に加速したのだ。
馬に恐怖はないのか。乗り手に戸惑いはないのか。様々な疑問が浮かぶが、すぐさま振り返る。
すでにリヒトの間合いから離れていた。赤い馬は軍の中央に向けて突撃している。敵の狙いはギルディスか。リヒトは剣を逆手に持った。
「行かせるか!」
剣を振りかぶり、馬に向けて投擲した。剣は空気を裂き、軽装の男に襲い掛かる。
男の背中に突き立とうとした瞬間、馬が逸れた。
剣はそのままの勢いで、闇の中に消えた。
「くそっ! 借りるぞ!」
リヒトは近くの兵士から剣を奪うと、赤い馬の背中を追った。
闇の中に姿が消えそうになっている。馬の脚に人が追い付ける訳がないが、それでもリヒトは追った。
直線に走っていた馬が、急に横に逸れた。
闇と光の合間に身を置いた敵は足を止めて、光が背中を照らすシームと向かい合っていた。
「シーム!」
リヒトは声を掛けながら走る。
リヒトの到着を待ったかのように、奥から軽やかな声が響いた。
「いやぁ、まいった、まいった。ケイカが足を止めるってのは、なかなかないよぉ? あんた、なかなかの武人だねぇ」
「褒め言葉は……不要。来い……」
「そいつはダメだ。そっちの男もやるねぇ。黒髪かい? てことは、ダーカ・ラーガか」
軽装の男はうんうんと頷き、リヒトとシームに目をやる。
「流石に大将首は無理か。一応、名乗っとくな。俺はロウリ。神騎将って言えば早いかな。んじゃな、武人さんに黒髪さん」
ロウリを乗せた馬が振り返り、地を蹴って闇へと消えていった。
遠退いていく気配を感じ、リヒトは剣を下げ、シームは構えた槍を下ろした。
「シーム、奴と何があったんだ?」
「いや、槍を……構えただけだ。突然……横に逃げた」
「突然?」
リヒトの返した言葉に、シームはゆっくりと頷いた。
突然という言葉に、リヒトも思い当たるところがあった。
捉えたと思った瞬間、ロウリの馬が加速した。
馬に指示を出す暇はなかったはずだ。それなのに、更に速度を上げた。
そんなことができるのだろうか。リヒトは悩み、唸り声を上げた。
闇の中からリヒト達に迫る足音が鳴る。
「神騎将の名前は伊達じゃねぇな」
「ゴリュウ。無事だったか」
「あぁ。こっちまで来たのは、ロウリだけだったみたいだな。数人の怪我人が出ているだけのようだ」
「そうか。損害は少なさそうだな」
周りを見ると、負傷した兵士が手当てを受けている。
ロウリに斬られた。もしくは、あの馬に弾き飛ばされたのか。
見た感じでは、死者は発生してはいなさそうだ。リヒトは一つ、深い息を吐いた。
「俺の剣が届かなかった」
「まぁ、相手は馬だしな。不利な状況だぜ」
「完全に捉えたと思ったんだが……」
リヒトは手にした借り物の剣を見つめる。
ロウリの曲刀を弾き上げてから、踏み込んで斬りつけた。
その一瞬の隙間を縫うようにして、馬が加速したのだ。
「あの馬……ケイカ……と言っていたな」
「あぁ、言ってたな。ロウリの馬の名前かな」
「だろうな……。ケイカ……あれはただの馬……ではない」
シームの細い目が鋭くなり、微かに開いている。
ロウリの去った方角へ向け、シームは呟く。
「神馬と言っても良い……だろう。ロウリとケイカ……以心伝心のようなものが……あるのかもしれない」
「なるほど。異名に違わぬ力の持ち主、てことか」
リヒトもシームと同じ方角へと顔を向ける。
今回は完全に敵の勝利である。あの後ろ姿からは勝者の余裕しかなかった。
闇に響いている悲痛な声を聞けば、敗者はリヒト達であることは明らかだ。
兵士が隊を組んで、敵の動きを警戒している。
敵の脅威は去ったと思われるが、まだ気を抜いてはいけない。
これ以上の負け戦にしないためにも、リヒトは今一度、兵士に警戒の指示を出す。
夜の静けさはどこに行ったのか。平原には兵士の声が響き渡っていた。




