進まぬ行軍
総勢、一万六千の軍勢が列を作り、タイヌマン砦を後にした。
一万はイルフート、六千はギルディスの軍である。
イルフートの軍が先に行き、ギルディスは後方に付いていた。
大勢の兵士が行軍をしていると、ゴリュウが怒鳴った。
「おっせぇっ!」
行軍の速度に怒りを爆発させた。顔を赤くし、これでもかと言わんばかりに怒りを表している。
リヒトもその遅さに呆れているところだった。
自分達が率いる兵士の行軍速度と比べて、圧倒的に遅い。
そのせいで、ゴリュウだけでなく、他の兵士も苛立ちを見せている。
これから自分達は戦をしに行くのだ。それなのに、その覇気が感じ取れない。
イルフートの兵士の背中は頼りなく見える。共に戦う者達がこれでは、戦の時に背中を任せることができるのだろうか。
考えれば考える程、悲観的になってきたので思考を切り替える。
今回の戦はギルディスの進言で始まった。
今回は大規模な侵攻で、狙うはカルナ国の要所、城塞都市タオ。
だが、それは名目であり、実際はそのタオとタイヌマン砦の間のコビル平原まで軍を進めるというものだ。
侵攻をすれば必ずカルナ国は軍を差し向けるはず。
ギルディスは打倒カルナ国のための、第一手を打ったのだ。
それなのに、この行軍である。
リヒトの更に後方にいるギルディスは何を思っているのか、少しだけ気になり振り返る。
視線があったのはロシュであった。
「何か?」
「なんでもない。ちょっと後ろが気になっただけだ」
「前だけ見ていてください。後ろを気にする必要はありません」
お前の視線が気になって仕方がない。とは、言えなかった。
ロシュの視線を背中で受け続けるリヒトに、背後を気にするなと言う方が無理である。
「ロシュ、こんな動きでカルナ国に勝てると思うか?」
「勝ってください。そのために、あなたはいるのですから」
リヒトは思わず、口をへの字に歪めそうになった。
相変わらずの冷たい物言いに、リヒトは何も返すことなく前を向いた。
緩やかな行軍。景色がいつまで経っても変わらない。
ロシュを見ぬように振り返ると、まだタイヌマン砦が目に見える。
もう日が暮れようとしていた。あと、どの程度、先に行けるのか。
遅々として進まない列を見て、ため息を吐いた。
と同時に、兵士の足が止まった。
「何だ?」
リヒトは遠くに目を向けると、兵士が地面に腰を下ろし始めているのが見えた。
ここに来て、また休憩か。リヒトは呆れ返って言葉も出なかった。
だが、遠くから聞こえる声に耳を疑う。
「野営の準備だ~! 野営の準備をしろ~!」
「はぁっ!?」
思わず大声を上げた。
日が暮れようとしてはいるが、まだ進むことはできる。
体力を消耗したまま戦に挑むのは愚かだが、過度に体力を温存したままでいるのも得策とは言えない。
適度な緊張感で兵士の体を温めておかなければ、戦はできないのだ。
「おいおい、ここで野営って……ふざけてんのか!?」
ゴリュウの怒号が轟く。
自分の言葉を代弁してくれたゴリュウに、リヒトは密かに感謝した。
だが、その声はむなしく平原に消えた。
一度、腰を下ろした兵士は立ち上がろうとはせず、動いている者は野営の準備の担当者だけだ。
ギルディス軍は、その光景を立ち尽くして見ていた。
「おい、リヒト、どうするよ? 俺達だけで先に行くか?」
「いや、まずはギルディスの判断を仰ごう。ロシュ、聞いて来てくれるか?」
リヒトの問いにロシュは頷き、ギルディスのいる軍の中央に向かった。
イルフートの軍が着々と野営の準備を始めている姿を見て、ギルディス軍はざわつきだしたが、休もうとする者はいなかった。
自分達の軍は士気が高い。そのことにリヒトは安心した。
食事の準備を始める兵士を前にして、リヒト達は地に座ることなく立っているとロシュの声が響いてきた。
「野営の準備をしろ~! 今日はここまでだ!」
「んだとぉ!?」
ロシュの声にゴリュウが真っ先に反応した。
ここでも、自分の声を代弁してくれたゴリュウに、リヒトは心の中で感謝をした。
「野営の準備をしてください」
「俺達は戦いに行くんだろ!? こんなところでちんたらしてたら、戦場に着く前に飯が無くなっちまうだろうが!」
「ギルディス様のご命令です。従ってください」
「くそっ! 休みゃ良いんだろ……ったく」
ゴリュウは愚痴ると、馬から降りて地面に寝転がった。
ふて寝をしているゴリュウを見て、リヒトは深い深いため息を吐いた。
「全員、野営の準備だ!」
リヒトの言葉に兵達は応じて、迅速に動き出した。
無駄のない動きを見せる自分達の兵士と、未だに野営の準備が終わらないイルフート軍を見て、これからの戦のことが不安でたまらなくなっていた。
士気の高さは、そのまま軍の力へと変わる。それが低ければ、勝てる戦も勝てないのだ。
そんなことも理解できないのか。怒鳴りたくなる気持ちをリヒトは抑えて、幕舎の設営を手伝う。
ギルディスの軍の野営の準備が完了した時、イルフートの軍もやっと準備が完了したようで、食事の香が漂ってきた。
リヒトはゴリュウとシーム、イースバウと共に焚火を囲んでいた。
「何なんだ、この遅さは。こんなんじゃ、カルナ国に入る前に冬になっちまう」
憤慨するゴリュウの言葉に、イースバウは目を丸くした。
「冬は、まだまだ先ですが?」
「ものの例えだよ! これだけ遅いと、いつまで経っても着きゃしないぞ」
「いつかは着くでしょうね」
イースバウは爽やかに笑った。
この男、どこかがズレている。
整った顔立ちに、すらりとした肢体。発する美声と良いとこ尽くめのように思えるが、どこかズレている。
決して頭が悪いわけではない。文字の読み書きも堪能で、兵士の指揮も上手い。だが、どこか人と捉えどころが違う。
「お前は歌でも歌ってろ!」
「そうですね。食後に一曲、歌わせていただきましょうか」
また爽やかに笑った。
この二人のやり取りはいつ見ても面白いと、リヒトはゴリュウにバレないように笑った。
「ったく。シーム、お前はどう思う? このままじゃ、戦にならんかもしれねぇぞ?」
「それは……困る。まともに戦って……ないからな」
「だよなぁ。うっぷん晴らししてぇなぁ」
ゴリュウは地面に寝転がると、イルフート軍の兵士を照らす焚火を見つめた。
「あいつら、やる気あんのか、本当に……」
ゴリュウの言葉に答えることができず、黙って食事を進めた。
・ ・ ・
夜が深まり、天に浮かぶのは星の光だけとなった。
静まり返った夜には、風の吹く音しか聞こえない。
幕舎の中で寝ていたリヒトは、眠りから目を覚ました。
何かが来る。胸騒ぎに襲われ、掛けていた布団を跳ね上げて、剣を手に幕舎の外へと出る。
辺りには、ぽつりぽつりと、かがり火が立っているのが見える。
それ以外は何もない。自分の思い過ごしか。リヒトは自身に言い聞かせようとしたが納得ができず、夜の作る闇を見つめた。
闇が歪んだ気がした。
その時、かがり火とは違う火が方々で上がり始めた。
兵士達を照らす火は増えて行き、それに比例して兵士の悲鳴が響く。
何が起きているのか、リヒトはすぐに理解し、反応した。
「夜襲だ! 夜襲を仕掛けてきたぞ!」
リヒトの声に被さるように、兵士の悲鳴が平原に響いた。




