戦に向けて
荒野に砂ぼこりが舞い上がる。
騎馬隊が駆けた痕跡は宙に浮かび、風に乗って消えていく。
遠退いていく敵騎馬隊を砂ぼこりが隠すと、リヒト達は馬を止めた。
「ふっざけんな! 逃げんじゃねぇ!」
ゴリュウが憤慨し、大声を上げた。
この言葉を聞くのは何度めだろうか。リヒトは思い返すと、すでに三度は聞いている。
だが、ゴリュウが言いたくなるのも無理はない。
タイヌマン砦の補給線の確保の任務を遂行して、三ヶ月が経っていた。
その内、敵が迫ることはあっても、戦うことなく逃げられてしまうことが六回あった。
まともなぶつかり合いもなく、ただ近づいては逃げられる現状に全員が焦らされていた。
リヒトは被害が出ないことを歓迎しているが、戦うことがないことを残念にも思っている。
それはシームも同じだろう。無駄な追撃を終えると、深いため息を吐いている。
「おい! あいつら何なんだ!? ちょっかいしか出さないじゃねぇか」
怒りの矛先をそのままリヒトに向けた。
言われても答えようがないので、リヒトは肩をすくめる。
「さてな。俺達にビビってるんじゃないのか?」
「くっそぅ……。あぁ、ぶっ飛ばしてぇ」
「その時まで体力は温存していてくれ」
リヒトは穏やかに返すと、ゴリュウは憮然とした表情を浮かべた。
一応、理解してくれたこととして、本体に合流するために馬を走らせる。
軽快な足取りで馬を走らせていると、リヒトは肌に痛い視線を感じ振り返る。
視線の主は思った通り、ロシュであった。
「何かあるのか?」
何かなければ、ロシュはリヒトに近づかない。
小言を言いに来たのだろう。リヒトは聞く前から辟易していた。
「えぇ。今後も命令通りに動いてください。間違っても、ゴリュウと同じように暴れようとしないでください」
ロシュはリヒトをゴリュウと同じような人間と分類しているようだった。
失敬な、とリヒトは言おうとしたが、思い当たる節があるので言葉を飲み込んだ。
「分かっている。深追いはしない」
「そうしてください。命令通り、補給路の安全確保に努めてください」
厳しく念を押したロシュは後方に下がろうと馬足を緩めていると、ゴリュウがロシュの横に付いていた。
「ってもよ。あんだけやる気がないんじゃ、俺達の護衛なんていらないんじゃないのか? イルフートの軍に任せりゃいいじゃねぇか」
「それで上手くいかなかったから、私達がいるのです。黙って命令に従ってください」
「ちっ。面白くねぇ」
「犠牲が出ないに越したことはありません。良いですか? 命令には必ず、従ってください」
ロシュの念押しにゴリュウは顔を渋め、いかにもめんどくさそうな顔を見せた。
リヒトとゴリュウの二人に厳しい視線をロシュは向けると、後方に下がって行った。
姿が見えなくなったところで、リヒトは張りつめた気が緩み大きく息を吐く。
現在、補給線が途絶えることはなく、タイヌマン砦の備蓄は十分にある状態だ。
戦う条件は揃ってきていた。まだ冬には遠い。攻勢に出る好機であるが、未だそのような話は聞いてはいない。
一兵士のリヒトが考えても仕方がないと頭を切り替えて、ギルディスが護衛する補給部隊へと合流した。
リヒトは軍の中心に向かい、ギルディスへの報告を行う。
「今回の敵も逃げて行ったぞ。敵はあまりやる気がないようだな」
「そうか。それは良かった」
ギルディスはリヒトの言葉を聞きながら、書簡に目を通している。
片手間で報告に耳を傾けていたことに、リヒトは不満を抱き声を尖らせる。
「聞いているのか?」
「聞いている。兵士を無駄に減らさずに済んで良かったな」
「こんな状況、いつまで続くんだ? 俺達がいる意味ってあるのか?」
リヒトはゴリュウが抱いていた疑問を、そのままギルディスに伝えた。
その言葉を聞いてもギルディスは書簡から目を逸らさない。
「おい、聞いているのか?」
「何度も言わせるな。補給が途絶えないのは、俺達がいるお陰だ。そう思え」
「そう思えって」
「戦も近いだろう。それまでは調練だと思って、馬を走らせておけ。しっかりと鍛えておかないと、馬が駄目になるぞ」
ギルディスは言うと、別の兵士からまた書簡を受け取り、読み進めだした。
まともに話をしても取り合ってもらえなさそうなので、先頭に向けて馬を駆けさせた。
・ ・ ・
補給部隊をタイヌマン砦に届けて、数日が経った。
砦の外では兵士達が調練に勤しみ、戦いに備えている。だが、兵士達とは違い、将校達の戦に対する姿勢は後ろ向きだった。
応接室ではギルディスとイルフートがテーブルを挟み、向かい合っていた。
「イルフート殿、戦を仕掛けないとは、どういうおつもりですか?」
ギルディスが眼光を鋭くし、イルフートの目を睨みつけている。
「い、いやぁ、まだ仕掛けるには兵糧が足りていないと」
「攻めかけるには十分だと思いますが」
「そのぉ、どうせ攻めるなら、更に軍備を整えてからにしませんか? カルナ国内に攻め込むなら、もっと兵を集めてからでないと」
イルフートの態度は、後ろ向きと言うよりも、逃げていると取られて仕方がないものだった。
ギルディスが応援に来てもなお、兵士が足りないと言っているのだ。
「では、兵士が集まれば、よろしいのですか?」
「も、もちろんです。兵士さえ集まれば、カルナ国とて容易に打倒せましょう」
「良いでしょう。それならば、近隣の領主から兵を集めましょう」
「そ、それだけでは足りますまい。まだ、必要です」
「ならば、傭兵でもなんでも雇いましょう。戦を仕掛けねば、カルディネア王国が侮られてしまいます。攻めるのは王の意向です。それに逆らうと言うのですか?」
ギルディスは王の言葉を借りて、イルフートを押していく。
顔が青くなったイルフートは、ハンカチで顔を拭き、そわそわしている。
「そ、それならば、仕方がありますまい。一度、仕掛けてみましょう」
「今の軍勢でよろしいのでしょうか?」
「え、えぇ。進行すれば、恐らく敵は原野戦を仕掛けてくるでしょう。それと戦う。それでよろしいですか?」
カルディネア王国はカルナ国の制圧を目的としている。
それの足掛かりは、まず敵兵士を打倒すことだ。カルナ国内の要所を落とすことができずとも、着実に兵士を削ることができれば、次の戦争に繋がる。
ギルディスは深く頷いた。
「分かりました。それならば、すぐに準備に取り掛かりましょう。私の軍はすぐに出せますので。それでは、失礼します」
ギルディスは早口で言うと、部屋を後にした。
部屋を出ると、ロシュがギルディスの後ろに付いた。
「ギルディス様、いかがでしたか?」
「重い腰をやっと上げたところだ」
「では、戦に?」
「あぁ。戦いに飢えている奴に伝えておけ。喜ぶだろう」
戦が始まる。このために自分は来たのだ。後方任務だけで、今回の遠征を終わらせるつもりは毛頭なかった。
必ず、功績を上げる。自分の夢を叶えるために。
ギルディスはより一層顔を険しくさせ、中央棟を後にした。




