要塞の主
カルナ国の荒野に少しずつ緑が現れる。
未だ、地肌がむき出しになっている所が見られるが、緑が茂っている所もあり、物悲しい風景に彩りが戻った。
太陽が傾きかけた頃、遠く離れた所に人工物らしきものの姿を捉えた。
出した斥候が嬉々とした表情で戻ってきている。
「タイヌマンです! この先にタイヌマン砦があります!」
斥候の声に兵士達がざわめきだした。
明るい声を発し、安堵の息を吐いている。
リヒト達は一週間歩き詰めで、このタイヌマン砦を目指していたのだ。
戦闘は最初の騎馬隊の激突だけで、それ以降は敵影も見ることなく、順調に進むことができた。
とはいえ、一度、戦闘が起きた事に変わりはなく、兵士達は普段以上に気を張っていた。そこにやっと落ち着ける場所が目に見えたのだ。
リヒトも兵士達と同じく、胸を撫で下ろした。
軍は進み、タイヌマン砦の姿が目前まで迫ってきた。
巨大な砦は、要塞と言っても過言ではなかった。タイヌマン砦。こここそが、カルディネア最北に位置する一大拠点だ。
「でかいな」
遠目から見ても分かっていたが、近づくことで、その大きさにリヒトは思わず呟いた。
「この砦なくして、カルナ国は落とせんからな。未だに、この砦は防備を硬くしているところだ」
「ギルディス」
先頭を行くリヒトの横にギルディスが並んでいた。
「だが、あれだけ堅固な砦があっても、カルナ国との戦は膠着状態だ」
「そうなのか。あれだけの大きさなら、かなりの兵力を持っていそうだが」
「でかさだけで強くなれるのであれば、苦労はしない」
顔を僅かにしかめると、近くの兵士に指示を出し、伝令へ向かわせる。
砦に辿り着いた兵士は大きな声を上げて、ギルディスの到着を告げているようだ。
砦の門がゆっくりと開くと、中から数名の兵士と彩鮮やかな服で着飾った男が姿を見せた。
「誰だ、あれは?」
「イルフート。一応、王族の血縁だ」
「随分と余裕のある体格をしているな」
リヒトは嫌味な言葉を口にした。
遠目からでもイルフートの体系は肥満であることが分かる。
金髪にでっぷりとした体を見ると、グラドニア帝国のアルタリカを思い出した。
ギルディスを先頭にした軍が、タイヌマン砦の門の前で止まる。
イルフートがゆっくりとギルディスの下へと近づいた。
「ギルディス王子。この度は加勢に来ていただき、まことにありがとうございます。ささやかながら宴の準備をしておりますので、どうぞお入りください」
「歓待、感謝します。兵士に休む場所を提供して欲しい。野宿続きだったので」
「もちろんでございます。ささ、皆さま、お入りください」
イルフートの招きに従い、リヒト達は砦の中に歩みを進めた。
砦の中には数十にも及ぶ大きな兵舎が並んでおり、軍隊の規模の大きさが伺える。
中央に位置する建物も高くて大きい。あの中にも兵士が収容できるのだろう。
軍は休む場所を割り振られ、リヒト達から離れて行った。
残ったのは将校であるリヒト達で、砦の中心に向けて馬を進める。
砦の中心に到達すると、全員馬を降りて、案内されるまま建物の中に入った。
建物の案内は兵士から、簡素な身なりの女中が引き継いだ。
「この階は客室になりますので、どうぞ時間までおくつろぎください。ギルディス様は個室で、他の方々は二人一部屋でお願いします。中にはお召し物もございますので、お着替えください」
案内されるまま、リヒト達は部屋へ入る。
リヒトと相部屋になったのはゴリュウであった。
身に着けていた鎧を外して、部屋のクローゼットに掛けられている服を手にする。
着替えを済ませていると、ゴリュウが感慨深そうに唸った。
「タイヌマン砦の中ってのは、こんなんだったんだな。こりゃ、攻めるのに苦労するわな」
「この砦を攻めたのか?」
「いや、この砦まで攻めたことはなかったはずだ。大抵は、原野戦だな。それもここ数年は微妙な戦いで、適当な痛み分けで終わっていた」
「随分と消極的な戦だな。それなのに、ゴリュウは捕まったのか?」
「俺の部隊の隊長が能無しでな。突出し過ぎて、囲まれたって訳だ」
呆れ顔を見せたゴリュウは肩をすくめた。
ゴリュウは捕まるまでに百人以上の敵を倒したと聞いたていたが、そのような状況とはリヒトは知らなかった。
改めてゴリュウの強さを知ったリヒトは感嘆の声を上げる。
「そんな状況で戦えるなんて、すごいな」
「暴れるだけ暴れたからな。あの時は楽しかったぜ」
豪快に笑うたくましい男と会話を続けていると、部屋のドアがノックされた。
リヒトは招く言葉を発すると、案内をしてくれた女中が部屋のドアを開けた。
「宴の準備が整いましたので、ご案内いたします」
リヒトとゴリュウは女中に従い、案内されるまま広間へと通された。
ギルディスとイルフートは部屋の長テーブルの奥に並び、その横から手前に掛けて将校が並んでいる。
リヒトはギルディスの近くの席に案内された。
長テーブルの上には豪勢な料理やフルーツなどが並んでいる。
この土地には不釣り合いな程に、色とりどりの食べ物が所狭しと置かれていた。
すべての席が埋まったことを確認したイルフートが椅子から立って、盃を手にした。
「この度、本国よりギルディス王子が加勢へと参られてくれました! これで我が軍は盤石! 向かうところ敵なし! 今宵は戦勝祈願、いや、一足早い戦勝祝賀会と行こう! 皆の者、本日は思う存分食べ、美酒に酔ってほしい。それでは、乾杯!」
全員が盃を上げて、乾杯と声を上げる。
酒を一気に喉に流し込む。味気のない水しか口にしていなかった身には、果実酒の甘さが身に染みる。
肉を手に取り、むさぼる。肉汁が口の中に広がり、その味に頬がとろけそうになった。
食事を堪能していると、ギルディスが盃を揺らしているのが見えた。
「何だ? 食べないのか?」
「必要な分は食べた。あとは適当に時間を潰すだけだ」
「本当に愛想がないな。見ろ、イルフートは動き回っているぞ。お前も、自分から行けよ」
最初はイルフートの部下の者達が挨拶に来たが、ギルディスのあっさりした対応にすごすごと帰って行った。
それ以降、ギルディスは誰とも語らうことなく、宴の時間を過ごしていた。
「あれが、あの男の処世術だからな」
「そうなのか? 軍才はあまりないと?」
「ないな。むしろ、この砦にいる連中すべてが凡才の集まりだ」
吐き捨てるように言うと、盃を口に付けた。
凡才の集まりとは、どういうことだろうか。言葉の真意を確かめようと、リヒトはギルディスに声を掛ける。
「それは、どういう」
「おぉ! あなたがダーカ・ラーガ殿ですか! 噂に違わぬ雄々しい気を発しておりますなぁ」
「お、おぉ……。それはどうも」
突然のイルフートの登場にリヒトは戸惑いを覚える。
イルフートはリヒトの盃に酒を注ぐと、テーブルに置いた自分の盃を手に取った。
「いやぁ、ここに来るまでに、あの神騎将とやりあったそうで。厄介な相手だったでしょう?」
「あ、あぁ。まぁ、それなりに」
「おぉ! それでも余裕のあるご様子。これは大牛殿といい大変心強いですなぁ。いやぁ、流石はギルディス様。猛将を何人も従えていらっしゃる」
会話の矛先がギルディスへと向いた。
リヒトは少しホッとすると、ギルディスの態度に注目する。
口元を少し緩めた。
「イルフート殿の将には負けます。ここにはいらっしゃっておりませんが、オーウィン殿を筆頭に優秀な将を何人も抱えていらっしゃるではありませんか」
「優秀な将と仰っていただき、まことに嬉しい限りです。他の者も喜びましょう。どれ、舞や歌などいかがですか? お~い、踊りの準備をしろ~」
イルフートの声で、広間に三人の踊り子が並び、ハープと笛の音色に合わせて踊りを始めた。
艶めかしい舞に一同の目が向く中、ギルディスは黙って盃を眺めている。
イルフートが舞う踊り子にちょっかいを出しに行った
「タヌキめ……」
ギルディスの呟きはリヒトに微かに届くと、それ以上は歌声にかき消され、誰にも届くことはなかった。




