死よりも生を
リヒトとエイガーは荒れた呼吸をし、見合っている。
エイガーの鎧には深々と一筋の傷が入っており、その先の服が見えた。
呼吸の荒いエイガーの顔が更に険しくなる。
「何故だ……」
エイガーは呟くと、目を見開き、顔に青筋を立てた。
「何故、手を抜いた!? ダーカ・ラーガ!」
言われたリヒトは目をエイガーから離さず、表情を崩すことなく言う。
「言ったはずだ。俺はあなたを倒すと」
「ならば、殺せ! 俺は殺されるまで、戦い続けるぞ!」
「それなら……」
リヒトは俊敏に動き、エイガーとの間合いを取った。
それが何を意味しているか理解したのか、エイガーのこめかみの血管が動く。
リヒトは有利な状況を手放して、仕切り直しにしたのだ。
怒りをあらわにしているエイガーは、穂先がなく、斧の刃が半分になった槍斧を高々と振り上げた。
「良いだろう。お前を殺す!」
「あぁ! 来い!」
リヒトは声を上げると、剣を横に構えて一気に駆け出す。
対して、エイガーは不動の姿勢でリヒトが距離を詰めるのを待っている。
下手に動けば翻弄される。エイガーはそう判断したのか、リヒトの動きを注視し、掲げた槍斧を握る手に力を込めた。
リヒトとエイガーの距離が縮まる。
断たれたとはいえ、槍斧の方がリーチは長い。エイガーはリヒトの攻撃範囲外から攻めることができる状況だ。
分が悪いリヒトだが、接近する足を緩めることはなかった。真っ向勝負の姿勢だ。
エイガーの手がじわりと動く。
リヒトの足がエイガーの間合いに入った。
「ぬんっ!」
エイガーの渾身の一撃が振るわれる。
全身全霊を掛けた一振りが、リヒトに襲い掛かった。
その一撃が空を斬った。
刃をギリギリで躱したリヒトの目が光る。
「はあっ!」
リヒトの剣が弧を描き、エイガーの槍斧の柄を斬る。
槍斧は斬られ、エイガーが手にした物はただの鉄の棒へと変わった。
地に転がる槍斧の先端にエイガーの目が釘付けとなる。
「くっ! くそっ! まだだ!」
エイガーは一歩身を引き、棒を短く構えた。
その一歩に、リヒトは追随していた。
更に一歩踏み込んだリヒトの剣が上段から振り下ろされる。
エイガーはその動きに反応し、剣を受け止めようと棒を持ち上げた。
しかし、リヒトの剣は剛化され、エイガーの棒はただの鉄の棒だ。
リヒトの剣を防げる訳もなく、あっさりと切り落とされた。
「ぬぁっ!? くそぅっ」
二つに割けた棒を手から放ると、背中を見せ走り出した。
向かった先には最初に断たれた、槍の穂先と斧の半分になった刃があった。
ただの短い刃物でしかない武器を手に持つと、リヒトに向き直り、駆け出した。
迫力のある走りにリヒトは冷静に対処する。
突き出された槍の穂先を軽やかに躱す。続いて握られた斧の刃の横を抜ける。
エイガーの放った攻撃を難なく乗り切ったリヒトは、エイガーの背に回り剣を振り下ろした。
素早い斬撃がエイガーの背中を襲う。鎧は剣を阻むことができず、あっさりとその身を裂かれる。
またエイガーの背中が薄く切られた。
「くっ!」
エイガーが苦痛の声を漏らした。
振り返りリヒトを睨みつけると、再度、刃物を突き出した。
何度も突き、振られる、みじめな刃物をリヒトは顔色を変えることなく、冷静に処理し避ける。
段々とエイガーの息が上がっていく。
動かす腕に力が入っていないのか、切っ先がブレている。
力なく振られる刃から、脅威は感じられない。
それでも、エイガーは何度も何度も刃物を振るい続けた。
執念がなせる業なのか、吠えてはリヒトに迫る。
一方的な攻撃。そして、一人相撲が続いた。
避けるリヒトを追うエイガー。
その構図が、リヒトの動きで変わった。
「ふっ!」
リヒトは息を吹くと、エイガーの右手に握られた槍の穂先を斬る。
更に曲げた体をねじって、もう一撃放つ。
鎧に深々と剣が入り、真一文字の傷を入れた。
だが、それもエイガーに深い傷を負わせるものではなかった。
動いたリヒトに反応したエイガーは、またリヒトの姿を見失う。
首を回すたびにリヒトは姿を消し、確実に鎧を斬りつけていく。
鎧が無残なまでに傷だらけになっていた。
リヒトの姿を追い続けたエイガーの動きが止まる。
顔を伏せ、手にした刃物を落とし、体を小さく震わせている。
「……せ」
エイガーがか細い声で言った。
「殺せ! もういいだろう!? 殺してくれ! これ以上、俺をみじめにして何がしたい!? 早く殺せ! 殺してくれ!」
エイガーの懇願を聞き、リヒトの足が止まった。
「まだだ。まだ、終わっていない」
リヒトはエイガーの願いを両断した。
「何故だ!? もう、終わっているだろう!? 俺はお前に負けたんだ! 殺せ!」
「殺さない。絶対に」
「どうしてだ!? 殺さないなら、何がしたい!?」
「何がしたい?」
リヒトは一呼吸する。
自分の願いを伝える。かつて自分が抱いていた、死ぬことを良しとした理想を捨ててもらうために。
大きく口を開いた。
「生きてくれ! みじめでも良い、カッコ悪くても良い! 生きて、新しい生きる意味を見つけて欲しい!」
「そのようなことができるか! 俺達は多くの同胞の無念を晴らすために!」
「死んだ人をダシに使うな! あなたは死にたいだけだ! 自分に酔って、綺麗なままでいたいから!」
「な!?」
エイガーがリヒトの迫力にのけ反る。
強い意思を見せるリヒトの瞳が、更に強くなる。
「俺もそうだったから分かる! 兄さんを助けるために死ぬ! それが綺麗なものだと思っていた! でも、違うんだ! 生きることも綺麗なんだ!」
「ふざけるな! ならば、カルディネアに降ったお前は綺麗だというのか!?」
「分からない! でも、生きる意味は見つけた! あなた達にも見つけて欲しい! 生きる意味を! 生きて良かったと思えるような!」
「どこまで馬鹿にする気だ! 俺は死ぬ! 戦って死ぬ! カルディネアをグラドニアを許さない! だから、俺は!」
「死なせない! だから、俺はここで、あなたを!」
リヒトは地を蹴り、エイガーに肉薄する。
エイガーの顔目掛けて、剣を突いた。
エイガーは目を閉じ、表情を緩めた。穏やかな顔をし、抵抗する意思を見せていない。
リヒトの剣が空気を貫くと、鼻先で剣の切っ先が止まった。
「倒す」
リヒトは突き付けた剣を戻して、一歩後ろに下がった。
「どうして……」
エイガーが顔を歪めて、リヒトを見つめる。
「何故、俺を殺してくれない……。もう、十分……」
「あなたに生きて欲しい。俺がそう思うからだ」
「身勝手なことを……」
「あぁ、そう思う」
リヒトは顔を逸らした。
エイガーの言う事がもっともだったからだ。
身勝手な言い分を聞き入れろと、リヒトは言っている。
「生きてくれないか?」
「……生きて何をしろと言うのだ?」
「分からない。でも、生きて欲しい。生きたら」
「何かがある……か。俺はこの戦いで生き延びた後のことなど、考えたこともなかった。どう生きれば良いのだろうな。国も滅び、家族も死んだ。俺には何も残っていない」
エイガーは地に膝を着いた。
その声は震えており、強く手を握り締めている。
こみ上げる思いが溢れているのか、小さくうめき声を上げた。
リヒトはエイガーから視線を外して、砦に目を向ける。
「部下のみんながいるじゃないか。あなたの帰りを待っている部下が」
リヒトの声に動かされ、エイガーは砦に目を向ける。
そこにはエイガーを心配そうに見つめる瞳が並んでいた。
誰もが顔を曇らせ、固唾を呑んで見守っている。
「あいつらがいる……。そうだな。俺はあいつらの命を散らせようとしていたのだな。戦いの後のことなど考えなかった俺が」
エイガーはゆっくと立ち上がると、リヒトの目を見つめた。
晴れ晴れと表情のまま語る。
「あいつらを生かすために、俺は生きる。それでも良いか?」
「あぁ。ありがとう、生きてくれて」
「礼を言うのはまだ先だ。生きた事で更に苦しむことになるかもしれん。その時は、恨み言の一つくらいは聞けよ。リヒト」
エイガーが微笑んだ。
同じようにリヒトも微笑むと、右手を差し出した。
エイガーは目をしばたたいたが、すぐに分かったのか自分の右手でリヒトの手を握った。
「一緒に生きよう。先のことは分からない。けど、生きよう」
「あぁ。生きて死ぬ。お前の言葉、胸に刻む」
二人の力強い握手は、互いの思いが通じた証であった。




