亡国の将
山の頂上に位置する砦は、低い石の壁と丸太で組まれた高い壁で築かれていた。
前方の石壁から兵士の陰がちらほら見える。
奥の丸太の壁の上には、弓矢を携えた兵士が、こちらの動きを注視していた。
砦の前面は強固に守られており、背面は急斜面で攻めづらい。
前面から仕掛けるしかない状況ではあるが、傾斜のキツい坂によって更に攻めづらくなっている。
付近の木は切り倒されており、動きが丸見えだ。攻めるに硬く、守りに易い。まさしく、言葉通りであった。
リヒトを連れた一行は、砦が一望できる位置で停止した。
砦の周りにはすでに別の隊が囲んでおり、敵の動きを封じている。
「見ろ。なかなか、攻めづらそうだろう?」
ギルディスが目だけを後ろに向け、リヒトに問いかけた。
「あぁ、戦うのは大変そうだ」
「その通りだ。堅固な砦の上、兵士の士気も高い。だが、それも限界に近いだろう」
「補給を断って、どのくらいだ?」
「三ヶ月は経っている。備蓄がどれだけあったかは知らないが、食料は尽きていよう」
リヒトから目を離して、砦を見た。
砦の中の兵士達はどうなっているのだろう。食料がなくなっているのならば、戦うことは難しいはずだ。
なのに、降伏をせず、徹底抗戦の構えを崩してはいない。
援軍も望めないこの状況で、何を思い、何を考えて戦っているのか。
リヒトは考えはしたが、答えはでなかった。
「……このまま、出てくるのを待つのはどうだ? そうしたら、無駄な争いをしなくて済むんじゃないか?」
「それも一つの手ではあるな。だが、消極的な勝利では格好がつかんだろう。敵とぶつかり合って勝つ。我が軍の初陣を飾るために必要なことだ」
「我が軍か……」
リヒトは道すがらギルディスより聞いた話を思い出した。
カルディネア王国の王子は、自分直轄の軍を持つことを許されている。
だが、その軍を作るのは王子自身であり、将校を取り立てるのも自分の力量でやらねばならない。
正規軍から回された部隊を率いる隊長はいても、それを取りまとめる将は、今のところギルディス以外いない。
頼ることのできる者がいない初めての戦。ここでギルディスの国内での評価が決まるのだろう。
負けられない。その気概をギルディスの背中からリヒトは感じ取った。
「さて、そろそろ攻めるとするか。貴様も準備をしろ。武具は揃えてある」
「そうか……」
気乗りがしないまま、リヒトが馬を降りると、二人の兵士が黒い鎧を手に持って近づいてきた。
黒い鎧に、いくつか金色の装飾がされている。厳めしい鎧を体に装着すると、手足を動かして馴染み具合を確かめる。
リヒトの体を測って作ったのかと思う程に、ぴったりと体に合っていた。
「兜がないんだが?」
リヒトは兵士達の手に何も残っていないことから問うた。
「貴様に兜は必要ない。ダーカ・ラーガ、ここにあり。敵にダーカーであることを見せつけるためには、兜は不要だ」
あまりの酷い言葉にリヒトは顔を渋めた。
ただ、その言葉に間違いはない。リュートのように圧倒的な武力がないリヒトは、格好だけでも見せなければ、敵をけん制できない。
ここでもリュートのすごさを実感させられた。
気を取り直したリヒトは鎧に魔力を込めると、体に力がみなぎるのを感じた。
感覚的に敏捷型の鎧であることを知った。慣れ親しんだ感覚に気持ちが落ち着くのを感じた。
この感覚で戦場を駆け抜けた。そして、これから戦場に挑む。かつて共に戦ったエイガーと。
何のために、どうして戦わなければならないのか。ここでも、答えの出ない問いを己にした。
思い詰めた表情のリヒトの傍に、一人の兵士が近づく。手には一振りの剣があった。
「どうぞ。あなたの剣です」
差し出された剣を受け取ると、鞘から抜いた。
きらりと光った剣を見て、リヒトは大きく息を呑んだ。
美しく磨かれた刀身。中央に刻まれた呪文。雨に濡れたように艶のある刃。
それはまさしく、リュートから借りた名剣レグムントであった。
「ど、どうして、これを」
「貴様が後生大事に握っていた剣を打ち直したものだ。別の奴にくれてやっても良かったが、貴様が俺の下で働くことになったからな。返してやる」
ギルディスが口だけで笑うと、また砦に目を向けた。
戦う準備は整った。これから戦闘が始まる。戦う覚悟は決めたはずなのに、納得のいく答えが見つけられていないままで。
「整列!」
ギルディスの声に肩が跳ねた。
周りの兵士がギルディスの下に集まり、隊伍を組んでいた。
「これより、あの砦を落とす。初めは硬化型の歩兵で攻める。矢の雨をくぐれば、敵が現れるであろう。その時は、後方に位置した敏捷型の出番だ。騎兵は待機だ。いつでも動けるようにしておけ」
飛ばされた命令に兵士が応じる声が山に響く。
砦の兵もそれが分かったのか、にわかに動き出した。
ギルディスの指揮の元、兵士が列を作る。
前列を全身甲冑で固めた兵士が盾を持って、金剛のような硬さを見せていた。
「おい、貴様も準備をしろ。後方の歩兵隊に行け。戦い方は好きにしろ。……戦果を上げてみせろ」
掛けられた言葉にリヒトは頷いて返すと、歩兵隊の中に加わった。
兵士達から立ち上る闘志を見ても、リヒトの中では答えが出せずにいた。
このまま始まって欲しくない。この数の敵を見て、諦めて欲しい。
リヒトの願いは、角笛の音で消された。
「前進!」
前面の歩兵隊が動き出した。
斜面を登っていると、矢が射かけられる。
ただ、その矢は硬化型の鎧と盾に阻まれて、傷を与えることはできなかった。
矢に呪文を刻むのは労力が掛かるため、ほとんど行われていない。
弓矢は敏捷型の兵士を射殺す意味合いが強く、硬化型には効果が薄い。
二度撃ち掛けたことで、敵が硬化型ということを理解したのか、ルクス軍残党は次の手に出た。
丸太を石の壁から斜面に放り出したのだ。
傾斜のついた坂を転がり、歩兵にその巨体をぶつけた。
前線の兵士が崩れた穴を埋めるように、後列の硬化型の歩兵が前へ出た。
次々と放られる丸太の波を乗り切った歩兵が、砦の石の壁に手を掛ける。
その手が斬られ、兵士は絶叫を上げて地面に転がった。
「掛かれぇ!」
砦の物見台から声が聞こえた。
その声に呼応して、石の壁の陰に隠れていた兵士が、カルディネア軍の歩兵に斬りかかった。
前線の兵の硬化した鎧を、敵の剣と槍が襲う。
硬化型の兵士が鎧に傷をつけられ、負傷していた。ルクス残党軍は剛化型で反撃に出ていたのだ。
動きも早い。敏捷型でもあることが分かる。
前線が混乱しかけた時、リヒトを含んだ敏捷型の歩兵隊が斜面を駆け出した。
ルクス軍残党は、その動きを察知したのか、接近される前に矢を射る。
「うあっ!?」
「ぐっ!」
幾人の兵士が声を上げ、地に転がる。それでも、カルディネア軍は飛ぶ矢をかいくぐり、前線を目指した。
素早く動く兵士の中に、無傷のリヒトはいた。もう、前線に辿り着く。そこまで行けば、敵は否が応でも殺しにくるだろう。
これは戦争なのだ。頭に言い聞かせても、納得いく答えはでない。
「開門!」
リヒトの思考を大声がかき消した。
開かれる門から姿を見せたのは、全身甲冑を着こみ、馬にも鎧を着けた騎兵隊であった。
先頭にいる騎士の華美な鎧に見覚えがあった。
エイガーが現れたのだ。
「突撃ぃ!」
声だけで人を跳ね除けそうな力を放ったエイガーは一気に駆け出した。
前線の歩兵を突き飛ばし、後方の敏捷型に一瞬で迫る。
「うがっ!」
「わぁっ!」
馬に踏みしだかれる兵の悲痛な声が響く。
カルディネア軍は混乱し、隊列を乱している。
それを刈り取るように、まとまった動きを見せるルクス残党軍。
勝敗が決しようとしている。
ルクス軍残党が勝つ。だが、勝ってどうなる。このまま戦いを続けても、終わりは来ないのではないか。
孤立無援の状況で死ぬまで戦う。そこに何を見出そうとしているのだ。
分からない。どうしてか、分からない。
リヒトは顔を歪めて苦悩する。答えが出ない。答えが出ないなら。
「戦を止めよ、ルクスの兵達! ダーカ・ラーガが、ここにいるぞ!」
声を天まで届けるように、張り上げた。
戦場に鳴り響いていた音がしずまり、どよめきが広がる。
ルクス軍残党の兵士達の目がリヒトに集中した。
「ダーカ・ラーガだと!?」
エイガーの声が響く。リヒトを探すために首を回して、辺りを見ている。
その目が、リヒトの視線とぶつかると、顔を険しいものに変えた。
「違う! こい」
「俺がダーカ・ラーガだ! エイガー! あなたに話がある! 俺を砦の中に連れて行ってほしい!」
リヒトの声に両軍がざわめく。誰もが困惑の色を隠せないでいる。
自軍の将が敵軍の陣地に連れて行って欲しいなど、前代未聞のことだ。
ギルディスに許可を取った訳ではない。完全な命令違反である。だが、そうだとしても話したい。リヒトは目に力を入れ、エイガーを食い入るように見る。
「ばっ! 馬鹿を言うな! 何故」
「あの日の最後を話したい! あなたと共に戦った日の最後を!」
「……あの日、共に」
エイガーの声の調子が段々と弱くなった。
猛々しい顔に、どこか物悲しい表情が浮かんでいる。
その表情も一瞬で消え、毅然とした表情でリヒトを見る。
「良いだろう。俺について参れ」
悠然と馬を進めるエイガーの背中は勝者であるにも関わらず、悲壮なものが漂っている気がした。




