予期せぬ戦い
死が漂う都市ゼペリンから、リヒト達を乗せた馬車は遠ざかっていく。
黒い雲が立ち込め、今にも雨が降りそうな天気であった。
陰鬱な雰囲気が漂う馬車の中でリヒトは、ぼんやりとグァンドールの言葉を思い出していた。
『まだ足りないな』
『励めよ』
どういう事だろうか。ダーカ・ラーガに何か求めているのだろうか。
リヒトの正体を知っているのはギルディスのみと聞いていた。
それを見ず知らずのグァンドールに看破されるはずがない。
では、何が足りないのか。
リュートの背中を思い出すと、勇ましい姿が目に浮かんだ。
確かに、リュートに比べればまだまだだ。それは自覚している。
鍛えてはいても、その差は歴然だ。
ダーカ・ラーガを騙ったリヒトを見て、グァンドールは失望しての言葉かもしれない。
世に聞こえたダーカ・ラーガがこの程度か。それを見て、足りないと評したのか。
何が正解なのか分からないが、リヒトを見る目が普通ではなかったことだけは確かだった。
「どうかしたか?」
ギルディスが問う。
リヒトは話そうか一瞬躊躇したが、首を横に振って否定する。
「なんでもない」
「そうか。……そうだ。国境線に着いたら、貴様に一働きしてもらうぞ」
思わぬ言葉にリヒトの眉が上がる。
「何の話だ?」
「俺がグァンドール皇帝に言った、もう一つの礼だ」
その言葉で、先ほどの光景をリヒトは思い出す。
「あぁ、言っていたな」
「その内容は、ルクス共和国軍残党の討伐だ」
「なっ!? 討伐だと!?」
「そうだ。討伐だ」
寸分の感情の変化を見せることなく、ギルディスは断言した。
リヒトは討伐という言葉に、胸が大きく鳴っていた。
自分が育った国の人間と戦う。そんなこと、考えたこともなかった。
ギルディスの下にいれば、戦争に行くことは覚悟していたが、それがかつての自国となど誰が思うだろうか。
リヒトは困惑し、ギルディスに問いかける。
「討伐する必要があるのか?」
「負けを認めず、山砦に籠っているのだ。そのままにしておくには危険であろう」
「降伏勧告をしたら済む話じゃないのか?」
リヒトの問いにギルディスは首を振った。
「それで済まんかったから、我々が出向いたのだ」
「くっ……」
顔を歪め、うつむいた。
戦うことに納得できない自分がいる。
「貴様、まさか自分の手を汚さないつもりか?」
はっとして顔を上げた。
冷たい瞳のギルディスがリヒトを見ていた。
その目から温情などはなく、絶対零度と言える程の冷たさである。
見る者を凍り付かせるような瞳のまま、ギルディスは語る。
「お前は自分が汚れることを受け入れたのだろう? 生きるために選んだのだろう? そんなお前が、手を血で染めたくないと言うのか?」
「分かっている……分かっているが」
「理解しようとするな。敵となったら戦う。そう頭に叩き込んでおけ」
「簡単に割り切れるか……」
「割り切るのではない。塗りつぶせ。敵はお前を殺す。殺されたくなければ殺せ。シンプルな思考以外は不要だ」
言い終わると腕組みをして、目を閉じた。
リヒトは膝の上に置いた手を握りしめ、ぶちまけたい感情を必死に堪えた。
手を汚すことぐらい理解していた。なのに、この事態になって、それを躊躇している。
それは何故か。国のために戦ったからなのか。
いや、違う。リヒトは否定した。
戦いたくないのは、かつてリュートが国のために一緒に戦った者達だからだ。
リヒトの思い出の中の者達がいるかもしれない軍隊と、戦うことになることを恐れている。
同じ時を過ごした、かつての仲間を殺す。リヒトにはどうしても納得できなかった。
だが、納得できないと言っても、戦いは避けられないだろう。
納得できないなら、納得できる答えを見つけなければならない。
それが何か。リヒトは必死に考えた。
思案が終わらぬまま、リヒトとギルディスを乗せた馬車が国境線に到着した。
そこにはすでに騎兵と歩兵が並んでおり、戦の気配を漂わせていた。
騎兵が一人、馬車に近づく。
乗っている男はシームだった。
馬車の手前で馬を降りると、馬車のドアの傍に立つ。
ギルディスは静かにドアを開けて地に降り立つと、並んだ軍隊を見つめた。
「これが俺の軍隊か」
騎兵千に、歩兵が三千。
リュートが率いた隊の倍以上の兵士を前にして、リヒトは息を呑んだ。
精悍な顔つきの兵士達の視線がギルディスに集まる。
熱い視線を一手に引き受けたギルディスが隊列の前に立った。
「これより、ルクス残党の討伐に向かう!」
ギルディスの言葉に全員が声を上げた。
ギルディスの傍には白亜の馬と、黒毛の馬が引かれてきた。
白馬にまたがったギルディスは、黒い馬に指をさす。
「乗れ。貴様の馬だ」
そう言うと、ゆっくりと馬を進め、軍隊を引き連れて行った。
残された馬の背をリヒトは撫でると、馬が首を軽く声を上げた。
「黒い馬か……。よろしく頼むな」
呟くと馬の首を軽く叩き、馬にまたがった。
馬を駆けさせると、リヒトの横にシームが並んだ。
細い目がリヒトを見る。
「ダーカ・ラーガ……。無事なようだな……」
「あぁ、問題ない」
「また……やり合いたいものだ。それも叶わぬ願い……か」
「俺が敵に回れば、あるかもしれないぞ」
「それは……面白そうだ……」
細い目を更に細めて、笑った。
純粋に楽しそうな顔を見て、リヒトの口元が緩む。
真っ直ぐな男だ。リヒトは好感を抱いたシームから目を離し、更に馬を走らせた。
兵士の横を抜けて行き、先頭を走る馬群の中心に向かう。
リヒトの向かう先にはギルディスがいる。合流するために近づくと、馬に乗るロシュが遮った。
「ギルディス様の命に従ってください。必ず」
眉間にしわを寄せ、厳しい声色で言った。
「もし、裏切れば斬ります。あなたの後ろには、常に切っ先が向いている事、忘れないように」
言うだけ言うと、ゆっくりと速度を落とし、馬群に隠れて行った。
気を取り直して、ギルディスの傍に向かうと、その顔に笑みが浮かんでいた。
何か気に食わないと、リヒトは不満げな顔をして問う。
「何か面白いことがあったのか?」
「ロシュに何か言われたのだろう? 渋い顔をしていたぞ」
軽く声を上げて笑った。
その顔が突如、変わる
「敵の砦が見えたぞ」
森の陰から見えるのは、山の上に築かれた砦であった。
小高い山の頂上にある砦は、自然が作り出した斜面を壁として守りを固めていた。
「あれを崩すぞ」
「やれるのか?」
「補給を断って久しい。そろそろ音を上げるだろう。上げないのならば……」
「殺す……か」
視線をギルディスに向け、呟いた。
ここまで来てしまった。何も答えがでないまま、流されて来てしまった。
戦う覚悟ができないまま、戦場に到着したのだ。
「今回の敵は厄介だぞ。ルクス共和国の猛将エイガーだ」
リヒトの顔が強張り、目を見開いた。
鼓動が高鳴り、手綱を握る手が固くなる。
エイガー。それは一度、リュートと戦場を共にした将の名前だった。




