皇帝との謁見
整備された街道の先に臨むは亡国となったルクス共和国の旧首都、ゼペリンである。
高い壁に囲まれた都市は堅牢さを見せつけ、侵攻する者を跳ねのける力を持っていた。
重い雲が広がる下、リヒトとギルディスを乗せた馬車は、ゼペリンの第一の門をくぐった。
壁の中は商店が並び、奥に住居が多く見られた。石造りの住居は空の色と似ており、雰囲気をより重いものにしている。
人通りのない道路を馬車は進む。
「人がいないな」
窓から外を覗いたリヒトが言う。
その言葉に動かされ、ギルディスもリヒトの視線を辿った。
「外出禁止令がでているのだろう。……いや」
「何だ? 何かあるのか?」
「行けば分かる」
窓から視線を外したギルディスは目を閉じ、口を閉じた。
会話を断たれたリヒトは改めて窓から外を見ていると、視線を感じて目を向ける。
建物の二階にある木造りの窓の隙間から、少年がリヒトを見ていた。
その目は曇っていた。空が曇っているからではない。光がなく、感情が見えない。
心が死んだ目の少年が窓を閉めると、都市から伝わるものがなくなった。
響くのは馬車の車輪の音と、馬のひづめの音。
この都市は死んでいるのではないか。リヒトは寒々しいものを感じた。
凍ったような世界をリヒト達は進み、また高い壁の前に到着した。
広い堀があり、水が通されている。
その堀を越えると壁があり、その先に城が頭を見せていた。
城は無機質な灰色で作られ、カルディネア王国のニルヴァウヌ城と比べると随分と寂しい作りだ。
だが、強固な作りであることに違いはない。
国の中枢を守る城の硬さを見ていると、堀と城を繋ぐ橋が架かった。
城から四人の兵士が、馬車に近寄る。
馬車のドアを兵士の一人が叩く。
「申し訳ございませんが、これよりは徒歩でお入りください」
兵士は声を張り上げて言うと、一歩後ろに下がってリヒト達の下車を待っていた。
城の中に馬車を入れさせない。仮にも共闘した国の王子である。それなりの待遇をするのが普通だが、この暗い世界を支配する王はそれを認めていないようだ。
ギルディスは鼻で笑うと、ドアを開けて下車をし、リヒトも続く。
いつの間にかギルディスの後ろにロシュが控えていた。
リヒトを刺々しい目で一瞥すると、グラドニア帝国の兵士に声を掛ける。
「このお方を誰と心得る。カルディネア王国第三王子、ギルディス様なるぞ」
「承知いたしております。ですが、これは皇帝のご命令です。ご理解いただきますよう、お願いいたします」
「あなた達の王は、礼を失しているようですね。これは国際問題にも発展しますよ?」
ロシュの言葉を受けた兵士はそれでも、頑なに馬車での入城を許さなかった。
二人の押し問答をギルディスが遮る。
「もうよい、ロシュ。グァンドール皇帝の命令ならば、下は従わない訳にはいくまい。命令を忠実にこなしていると思おう」
「しかし」
「気にするな。よし。では、案内してもらおうか」
ギルディスの言葉に二人の兵士が反応し、先導しだした。
リヒトとロシュは後ろに付こうとした時、ロシュの前に一人の兵士が立つ。
「何ですか?」
兵士をロシュは睨みつけた。
「申し訳ございません。これよりはお二人のみとなります」
「何!? どういうことですか!?」
「これも皇帝の命令でございます」
「くっ! ならば、そこの男の代わりに私が入ります。それで良いでしょう?」
ロシュはリヒトを指さした。
その指先の方を見た兵士は、ロシュに向き直り、首を横に振った。
「皇帝はギルディス王子とダーカ・ラーガのみ、入城するように仰っております。これを曲げることはできません」
「なっ!? く……」
ロシュはリヒトを見て、忌々しそうに顔を歪めた。
ギルディスの傍を離れることが辛く、心配なのだろう。忠実な所が取り柄との言葉をリヒトは思い出した。
ここで何か声を掛けようかとリヒトは思ったが、何を言ってもロシュの気分を害するだろうと口を閉じた。
「ロシュ、帰りを待っていろ。さぁ、先に行こうではないか」
再び先導しだした兵士の後ろをリヒト達は付いていく。
城門をくぐり、通路を通って城の中を進む。寒々しいのは城の中もで、静まり返った場内に響くのは鎧の触れ合う金属音だ。
通路を通っていると、窓から中庭が見渡せた。
その光景にリヒトの目が大きく開いた。
断頭台に絞首台が並んでいる。断たれた首は地に転がり、死体の山が中庭の真ん中に築かれていた。
大量のカラスが集まり、死体を突いて己の体の中に取り込んでいる。
整えられた中庭に広がる地獄を見ていると、ギルディスの声が響く。
「これがグァンドール皇帝だ」
「こんなこと……」
「勝者の特権だ。敗者の最後の姿を目に焼き付けておけ。こうならないようにな」
先を行くギルディスの背中を見る。
その背中からは何を考えているのか分からない。
ただ、リヒトと違い、冷静にこの事態を受け入れた。
憤りを隠せないリヒトと違って、ギルディスは表情を崩していない。
そのことがリヒトの怒りが噴出するのを抑えてくれた。苦々しい顔を見せるだけに留めたリヒトは、離れた距離を詰めるために気持ち足を速めた。
一つの重厚感のある木造りの扉の前に立った。
兵士が大きく三度ノックする。
「ギルディス王子とダーカ・ラーガを連れてまいりました!」
兵士の声に対して、間をおいて低い声が聞こえた。
「入れ」
「はっ! 失礼します!」
重々しい扉をゆっくりと開くと、長大な部屋が見えた。
シャンデリアが奥と手前にあり、部屋の中を明るく照らしていた。
茶色のカーペットが温かみを与え、白い壁が清潔感を強調する。
城の中庭の惨状からは考えられない程、綺麗な部屋であった。
部屋の奥に目を向けると、二段高い作りの床の上に装飾豊かな椅子が置かれていた。
部屋の最奥には大きな窓ガラスがある。その前に人影が見えた。
人影がおもむろに振り返ると、静かに動き、椅子の上に座った。椅子の軋む音でリヒトは我に帰る。
椅子の上に座る者が手を伸ばすと、手招きをした。
「ギルディス王子、よくぞ来てくれた。近くに来られよ」
腹に響く重い声を発した。
「はい。失礼します」
ギルディスが歩むと、リヒトのそれに倣う。
近づくにつれて、男の容姿が見えてきた。
中年で獅子のたてがみのように跳ねた金髪と、もみあげから顎まで続くヒゲ。
恰幅の良い体だが、肥満体には見えない。肩の盛り上がり方から十分に筋肉を蓄えていることが伺えた。
これがグラドニア帝国、グァンドール皇帝。ボルカノス、メラルダを殺した軍隊の頂点。
その姿にリヒトは眼力を強くして凝視した。
ギルディスは段差の手前まで進むと、深々と礼をした。
「此度の戦、我らが国にご協力いただき、ありがとうございました。本来であれば我らが王、カルディネア十世が出向くべきでしょうが、何分、ティターナ王国との戦争に掛かりきりでありまして」
「気にされるな。こうしてギルディス王子に出向いたもらったのだ。十分に礼は尽くされとる」
「そう言っていただけると安心いたします。後ほど、もう一つのお礼をいたしますので、今度もよろしくお願いいたします」
また礼をすると、グァンドールが膝を一回叩いて笑った。
「カルディネア十世は良い子供を持っておる。凛々しい顔を崩すことがない。あの中庭を見ただろうに」
「拝見いたしました。グァンドール皇帝、ここにあり。そう示しているように見受けました」
グァンドールは口を開けて、高らかに笑った。
強面が見せる笑みにリヒトは寒気を感じる。
「益々良い。わしの息子達と変わって欲しいぐらいだ」
「何を仰いますか。皆さま、優秀な方ばかりと聞いております。今度、是非、お会いしたものですね」
「それがいい。息子達にも良い刺激になろう」
グァンドールの笑みが薄まると、その視線がリヒトへと向いた。
体を少し前に出して、顎に手を当てヒゲを擦っている。
何を見ているのか。ねちっこい視線に不快感を覚える。
頭の先からつま先まで見て、最後に目を見た。
「お前がダーカ・ラーガか?」
グァンドールの声は訝しさがこもったものだった。
リヒトは思わず、体が大きくビクつきそうになった。グァンドールの目からは敵愾心でもなく、蔑んでものとも違うものが感じ取れた。
負の感情ではない目にリヒトは困惑し、言葉ではなく頷くことで肯定する。
「そうか……。ふむ……なかなかたくましいな」
「あ、ありがとう……ございます」
「だが、まだ足りないな」
「えっ?」
リヒトの疑問にグァンドールは答えることなく、ギルディスに目を戻した。
「ギルディス王子、今日はここまでにしよう。疲れた」
「申し訳ありませんでした。そこまで気が回らず」
「いやいや。せっかく来てもらったのに、悪かった。カルディネア十世には親書を送らせていただく。今後とも、良い関係を築けるようにな」
「はい、是非とも。それでは失礼します」
ギルディスは一歩下がると、深く頭を下げた。
リヒトも同じように頭を下げ、グァンドール皇帝に背中を向ける。
その背中がぞくりとした。
振り返るとグァンドールが口を歪めてリヒトを見ていた。
「励めよ、ダーカ・ラーガ」
グァンドールの言葉に疑問を覚えながらも、ギルディスに続いて部屋を後にした。




