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亡国への帰郷

 田園風景を横に、豪奢な馬車が騎馬隊に囲まれて進んでいく。


 装飾が施され、覗く景色が少ない窓ガラスに映る、自分の顔をリヒトは見ていた。

 長く伸びたヒゲを剃ったお陰で、見た目が幾分か実年齢に近づいた。とはいえ、引き締まった顔から漂う雰囲気は大の大人以上に落ち着いたものだ。


 豪華な馬車には不釣り合いな平服を着ているリヒトの前には、華美な服に身を包んだギルディスがいた。

 黒字に金の刺繍が施されたジャケットを着こなしている姿は、男でも惚れ惚れとするものだ。

 窓に目を向けているリヒトの横顔にギルディスは声を掛けた。


「懐かしいのか?」


 リヒトは首を振って、目をギルディスに向けた。


「いや、来たことはない」


「そうか。収容所までもう少しだ。とは言っても、グラドニアから逃れてくる難民でごった返していて、収容所とは言えないがな」


「……グラドニア帝国は住みにくい所のようだな」


「亡国の民など、ぞんざいな扱いだ。死なない程度に生かされ搾取される。逃げ出したくもなろう」


「そうだな。生きるために逃げたんだな……」


 リヒトは目を車窓の外に向けた。

 その目を睨みつける者がいる。緑色の髪の純朴そうな顔立ちの青年、ロシュである。

 敵愾心に満ちた目から視線を外して、ため息を吐いた。


「嫌われたものだな」


「逆に好かれる要素があるとでも思っているのか?」


 リヒトは顔を歪めて、湿っぽい視線をギルディスに向けるが、本人は意に介さず言葉を続ける。


「あれは忠実な所が取り柄だ。真面目で勤勉。人の模範のような男だな。まぁ、そこがたまに傷でもあるのだが」


「随分と買っているんだな」


「あぁ。あの大牛ゴリュウに引けを取らなかったのだからな」


 ロシュとゴリュウの戦いをリヒトは見てはいなかったが、後で聞いた話によると、ゴリュウの猛攻を応援が駆け付けるまで凌ぎ切ったとのことだった。

 正直、やや小柄な男が、あの巨漢とやり合って無事で済むとは思えなかったが、事実、五体満足で馬車の横を並走しているところを見ると、信じざるを得なかった。


「そういえば、ゴリュウはどうした?」


「生きているぞ。槍で突かれまくった割には元気にしていたぞ。流石は大牛と呼ばれるだけある」


「強い男だ、簡単には死なない」


「そうだな。殺すには惜しい」


「殺すのか?」


「それは奴次第だ」


 ギルディスの冷たい瞳が光る。

 刃物を連想させるような冷たく尖った視線を、リヒトはいなすようにして視線をずらした。


 リヒトはゴリュウの身を案じたことに内心、驚いていた。

 ほんの少しの間だけ敵となり、味方となって戦った。

 時間にして一時間もない。それなのに、ゴリュウと何かが通じ合った気がしていた。


 ゴリュウとの立ち合いを思い出し、一つの事柄に思い当たった。


「一緒の時間を過ごした……」


「何だ? どうかしたか?」


「いや、何でもない。子供達は元気なのか?」


「そこまでは知らん。先に兵を走らせてあるから、すぐに分かるだろう」


 ギルディスは口を閉じると、リヒトとは逆の方に首を向けて、窓から外を見た。


「一つだけ言っておくが、子供はお前のことを売った訳ではないぞ」


「分かっている。そんな子供達じゃない」


 村の子供達は誘拐犯との一件以降、友好的な関係を築いてきた。

 明るく語る子供達が、リュートや自分のことを売るはずがない。リヒトは過去の光景を思い出し、改めてそう思った。


 純粋な少年達の瞳は今、どのようになっているのであろうか。

 家が焼かれ、住むところを失い、隣人を殺され、敵国の下にいる。

 子供には酷すぎる境遇だ。子供達のことを思うと、リヒトは顔をうつむけ、沈痛な面持ちになった。


「そんな顔をしても、何も変わらん」


 リヒトの目が見開いた。体をわなわなと震わせ、怒りをあらわにしている。

 怒号を浴びせようと顔を上げたリヒトは、はっとして口をつぐんだ。

 あざけりも、おごりもなく、ただ真摯な表情でリヒトのことを見ていた。


「変えたければ、自分で変えろ。願うだけでも、語るだけでも変わらん。手を伸ばせ、地を蹴れ。動かなければ、世界を変えることはできん」


「……言われなくても、分かっている」


「そうか。ならば良い」


 会話を終えると、馬車がきしむ音だけが流れた。

 静かに時が進んでいると、馬が駆ける音が近づいてきた。

 御者台の騎士と近づいてきた騎士が話をしているのが聞こえる。


 二人の会話が途切れると、馬車がゆっくりと動きを止めた。


「来たか。外に出ろ」


 ギルディスの言葉に従って、リヒトは馬車のドアを開け外に出た。

 馬から見下ろすロシュを一瞥し、辺りに目をやる。

 街道の先から三体の馬が駆けてくるのが見えた。


 近づくにつれて、その姿が鮮明になってくる。馬に乗っているのは兵士だけではない。子供が乗っている。

 気付けば、リヒトは馬に向かって駆け出していた。


「待て!」


「よい、ロシュ。ここは行かせてやれ」


 リヒトに二人の会話は届かなかった。

 ただ走る。逸る気持ちを抑えることなく、息を荒げて全力で駆けた。


「兄ちゃ~ん!」


 大きく手を振る子供達の姿が目に入ると、リヒトも大きく手を振った。

 馬が止まり、兵士が子供達を地面に下ろした。駆けるリヒトに向けて、子供達も駆け寄る。


「リヒト兄ちゃん!」


「お兄ちゃ~ん!」


「兄ちゃん! 兄ちゃん!」


 リヒトの胸に子供達が一斉に飛び込んだ。

 声を上げて泣きじゃくる子供達の頭をリヒトは何度も撫でた。


「みんな、無事で良かった。本当に良かった」


 三人を抱きかかえて、優しく言う。

 何度も何度も言って、三人に優しく接した。

 子供達の泣き声が止むと、リヒトは抱きしめた腕を解いて、三人の顔を見る。


「みんな、何があったんだ? グラドニアが攻めて来たって、本当か?」


 リヒトの問いに、いがぐり頭の子供が頷いた。


「うん……。俺達……ボルカノスさんから逃げるように言われて……」


「ボルカノスさんは? メラルダさんは?」


 子供は首を振った。

 リヒトが受け止めたくなかった事実を突きつけられ、顔が歪んでいく。

 ボルカノス、メラルダ、リュートと過ごした家はなくなった。

 その思い出を築いてくれた二人がいなくなった。リヒトは零れそうな涙を歯を食いしばって堪える。


「そうか……怖かったな。……兄さんは?」


 声を潜めたリヒトの問いに、三人とも首を振った。


「兄ちゃん……、俺、ダーカ・ラーガが捕まったって聞いて……。リュートさんのこと……。兄ちゃんのこと……」


 坊主頭の子供が顔をうつむけ、手を強く握っていた。


「喋っちゃったんだ。ダーカ・ラーガが捕まる訳がないって……。リヒト兄ちゃんもいるからって……」


 瞳から大粒の涙を流し、必死に言葉を紡いだ。

 子供の言葉でリヒトは悟った。リュートとリヒト。ダーカ・ラーガとその弟が負ける訳がない。

 子供らしい憧れが生んだ願いが口から出てしまったのだ。


 これを怒ることができるだろうか。リヒトの心の中には一切、怒りの念はなかった。

 生きていてくれた。多くを失ったリヒトは、そのことだけを喜んでいた。

 必死に笑顔を作り、子供達の頭を強めに撫でる。


「気にするな。みんな、生きていてくれて、ありがとう。絶対に助ける。だから、もう少しだけ頑張るんだ」


 リヒトが三人の子供達の目をゆっくりと見て、言い聞かせた。

 子供達はリヒトの言葉を噛み締めるように、しっかりと頷き、顔を引き締めた。

 リヒトは笑みを浮かべて、屈めた腰を浮かせると振り返り、ギルディスの方に振り向く。


 騎馬隊の先頭に立っていたギルディスが、ゆっくりと近づく。

 それに合わせるかのように、リヒトも歩みだした。


 お互いの距離が後一歩の所で足が止まる。

 澄んだ瞳のギルディスと、どこか清々しい顔つきになったリヒトが見合う。


「どうだ、安心したか?」


「あぁ、安心した。……俺の命、好きに使ってくれ」


「もとより、そのつもりだ。さて、では、行こうではないか」


「どこにだ?」


 リヒトの問いに、ギルディスが眼光を鋭くして答える。


「俺達の共通の敵となるグラドニア帝国、皇帝グァンドールの下にだ」


 リヒトの顔が強張った。

 村を焼いたグラドニア帝国のトップと会う。

 怒り、殺意、怨念がごちゃ混ぜになり、リヒトの中で巨大な黒い塊を形成した。

 凶悪な復讐心が生まれた瞬間だった。


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