想い
城塞都市は夜の闇に抱かれ、静かな時を過ごしているのに対して、ニルヴァウヌ城では社交界が開かれていた。
煌びやかな空間の中で談笑をする貴族達や重臣達。楽団の調べに乗って踊る紳士淑女。
この空間のどこにも汚らわしいものはない。ギルディスに振られる話題以外は。
ダンスホールの隅に陣取ったギルディスは、自信を囲む貴族の子女を相手にしていた。
「ギルディス様、ダーカ・ラーガを召し抱えられたって本当なのですか!?」
興奮気味に問いかけた子女に向けて、ギルディスはゆっくりと頷いた。
子女は声を上げて驚く。先に問いかけた子女が更に食いついた。
「どうして、そのようなことをされたのですの? カルディネアの敵ですわよ?」
「そうですね。かつてはそうでしたが、今は違います。ダーカ・ラーガは亡国の騎士。寄る辺のない男なのです」
「だからと言って、敵であったことには変わりありませんわ」
「えぇ、その通りです。ですが、ダーカ・ラーガを従えることで我が国にもメリットがございます」
ギルディスの問いに、子女はきょとんとした。
その顔に優しく笑み、ギルディスは続ける。
「強力な敵が味方になる。それはカルディネアに取って大きな力になります。失った将兵は戻りませんが、失わなくてもよい命を救うことができるでしょう」
ギルディスは子供に言い聞かせるようにゆっくりと言った。
言葉の意味を理解したのか、子女達は何度も頷き感嘆する。
ギルディスの周りが華やいでいると、その輪に近づく者がいた。
「皆様、ちょっとよろしいでしょうか? ギルを少しお借りしたいのですが」
「ラ、ラドクルス様!?」
柔和な笑みを浮かべたラドクルスは静かに頷くと、子女の輪を抜けてギルディスの横に行く。
子女達は一礼するとギルディスから離れ、別のテーブルへと向かった。
二人だけになったことを確認したギルディスは、ラドクルスに声を掛ける。
「兄様、どうかされましたか?」
「弟と話しがしたかっただけだよ」
「嘘が下手ですね。何故、俺がダーカ・ラーガを従えたのか、気になっているのでしょう?」
ラドクルスは笑って頷いた。
正直な人だ、とギルディスは思った。優しい顔立ちに誠実な人柄。周りからは王となるには覇気が足りないと陰口を叩かれているが、ギルディスは王たる器であると思っていた。
ただ、それはあくまで平時であり、今の乱世には向いていない。剛毅果断が求められるこの時代で、優しさが取り柄のラドクルスには王の座は荷が重い。
今の世を生き抜くには頼りない兄に、ギルディスは言う。
「カルディネアのためです。ダーカー・ラーガは優秀です。国民の不満解消のためだけに処罰するなど、勿体ない。他の将兵に代わって戦わせる方が、何倍も有意義です」
「そうは言ってもなぁ。お前自身の株を下げることになるんだぞ?」
「捕虜にした兵を最前線で使う。これは世の常です。戦いで負った罪は、戦いで晴らす。間違いではないでしょう?」
困り顔のラドクルスに、ギルディスは意地悪な顔を見せる。
ギルディスの言葉にラドクルスは唸って考え込んだ。
言ったことに間違いはなかった。捕らえた兵士は前線に出して戦わせる。
もっとも危険な役割を担うのだ。その任を無事果たすことができた暁には、カルディネア王国の国民となる権利が与えられる。
道を失いかけた者達に、生きる道を提示する。カルディネア王国は代々、これを踏襲して今の国の礎を築いてきた。
「しかし、ダーカ・ラーガだぞ?」
「ダーカ・ラーガだからです。この戦乱の世に名が知れた者を使うことで、無駄な犠牲を減らせるかもしれません」
「言いたいことは分かった。まぁ、父上も認めたことだしな」
「えぇ、私は子飼いの将が少ないから、見かねてかもしれませんね」
「そうだな。早く、将を見出さねばならないな」
ギルディスの肩に手を置くと、ラドクルスは笑い声を上げた。
将を見出す。それはカルディネアの王子として、まっとうしなければならない責務であった。
カルディネア王国では、国王直轄の正規軍とはまた別に、王子が軍を率いることを認めている。
王子たる者、国をけん引する者となれ。軍事国家カルディネア王国らしい考えである。
だが、その軍を作るのは王子自身であった。
優秀な者達は正規軍で取り立てられていることが多いため、一から将校を見つけねばならない。
自分の軍隊を築く。今、ギルディスはそれを行っている真っ最中だった。
「兄上のように精強な軍を作りたいものです」
「何を言う。ギルなら、良い軍を作ることができると思っているぞ」
「そう言っていただけると、少し安心いたします」
ギルディスは言うと、軽く笑う。
ラドクルスも笑うと、和やかな雰囲気が二人を包んだ。
しばし、楽団の奏でる調べに聞き入っていると、ラドクルスが、あっと声を上げた。
「そうだ。ギルは妻をめとる気はないのか?」
「妻ですか? まだ、早いと思いますが」
「何を言う。私がギルと同じ歳には婚約者がいたものだぞ? 父上に誰かおらぬか、話をしておこう」
「いえ、結構です。自分で何とかしますので」
「誰か決まった者でもいるのか?」
ラドクルスの問いに、ギルディスは微笑みで返した。
話を煙に巻こうとしていると思ったのか、ラドクルスは湿った視線を向ける。
その視線を受けてもギルディスは顔色を変えなかった。
「まぁ、いい。良い妻が見つかると良いな」
「はい。そう思います。……酔いが回ってまいりました。少し席を外させていただきます」
そう言うと、ギルディスはダンスホールを後にし、廊下へと出た。
廊下にはメイドが並んでおり、ギルディスがその前を通ると、一人のメイドが後ろに付いた。
ギルディスは廊下を進みながら、後ろを歩くミーアに声を掛ける。
「相変わらず呑気なことをしている。そう思わぬか?」
「ギルディス様は社交界はお嫌いなのですか?」
「そうだな。無駄に笑うのは労力がいる」
「でも、貴族のご令嬢に囲まれて楽しいのではありませんか?」
「楽しい?」
ギルディスは足を止めて、ゆっくりと振り返った。
目を丸くして、ミーアの顔を見ている。
「何故、楽しいと思うのだ?」
「えっ? その……モテるのは楽しいと聞きますので」
「楽しい……。そう思ったことは一度もないな」
「そうなんですか? だって、みんな……はっ!?」
「みんな?」
目を逸らしたミーアに一歩詰め寄る。
明らかにばつが悪そうな顔をして、ギルディスの視線を避けていた。
「みんなが何だ?」
「いえ~……そのぉ……」
「言え。どんなことであっても怒らぬ。お前に隠し事をされるのは、気持ちが良いものではないしな」
「え~……。じゃあ、言いますけどぉ。ギルディス様がご令嬢方と……」
「令嬢と?」
「夜に……」
「夜に?」
ギルディスは心理的に追い詰め、口をもごもごとさせているミーアの口を何としてでも開けようとしていた。
ミーアは目を瞑り、体を震わせ声を発した。
「じょっ! 情事を重ねている……と」
「……ほぉ」
「わ、私は信じてませんよ! ギルディス様はそのような方ではないと」
「童貞だと?」
「ちっ、違います!」
「どっちなのだ?」
呆れ顔を見せたギルディスは、腰に手を当ててため息を吐いた。
目だけをギルディスの顔に向けたミーアは、怒られるのを待つ子供のような顔をしていた。
「安心しろ、俺は童貞だ」
「せ、宣言しないでください!」
「だが、契りを結びたいと思っている者はいる」
「そ、そうですかぁ。お幸せな方ですねぇ。へへへ……」
「お前だ、ミーア」
「へ?」
間の抜けた声を上げたミーアの目を、ギルディスは食い入るように見た。
言葉の意味を理解したのか、ミーアの頬が赤く染まる。
「ま、またまたぁ。ご冗談を」
「つまらない冗談は言わん。お前を抱きたいと思っている。昔からな」
「えっ? えっ?」
「良い機会だ。このまま、お前を寝所に連れて行こう。……そうだな、女はこれが喜ぶと書いてあったな」
ギルディスは顎に手を当てて呟くと、ミーアの横に回り腰を落とした。
膝の裏に腕を回して、ゆっくりと上げる。姿勢が崩れたミーアの背中にもう一本の腕を回して、優しく抱き留めた。
「お姫様抱っこと言うようだな。なかなか良い眺めだ」
「えっ? えっ? えっ?」
「さて、では行こうか? 何、心配するな。本で得た知識はあるからな」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「何だ? 嫌だったか?」
「嫌とかではなく……」
ギルディスの腕の中で小さくなると、上目遣いで見る。
「し……信じて良いのですか?」
「お前に嘘を言ったことはない。安心しろ。好きだぞ、ミーア」
「わ、私も……です。ギルディス様」
ミーアは伏せた顔を上げて、ギルディスを見つめた後、静かに目を閉じた。
紅潮した頬と同じく、ほんのりと赤い唇にギルディスは自分の唇を重ね、二人の想いを交わし合った。




