誓い
リヒトとシームは気を抜くことなく、睨み合ったまま動かない。
「武器を収めろ。シーム、命令だ」
視線を外さない二人にギルディスはため息を吐き、呆れ顔をした。
リヒトの視界に映るシームの傍に、ギルディスが姿を見せた。
「いい加減にしろ。ダーカ・ラーガ、貴様もだ。ここは引け」
ギルディスの言葉にリヒトの眉間にしわが寄る。
今のリヒトには承服できない言葉であった。
「諦める気はない」
「では、死ぬ気はあるのか? 無駄死にだぞ?」
「潔く死ぬな。お前が言っただろう」
ギルディスは目を閉じて、深いため息を吐く。制しようとしている、二人を見やった。
シームとリヒトの間にはまだ殺気が充満しており、いつ弾けてもおかしくない程だった。
どちらも引く気はない。死だけが二人の戦いを終わらせる唯一の方法だと言わんばかりに。
「まったく……強情な奴だ。良いだろう。ダーカ・ラーガ、貴様に生きる選択肢を与えよう。……俺に仕える気はないか?」
二人の間に満ちていた殺気がしぼんでいく。予想外の話にリヒトだけでなく、シームも気を抜いてしまった。
視線は外さないまでも、二人の意識は完全にギルディスに向いていた。
「……何を言っている?」
リヒトは事態を飲み込めず、一言返すのが精一杯であった。
場が混乱しそうな言葉を放ったギルディスは平静な顔で続ける。
「何度も言う気はないぞ。俺に仕えろ。それが、この場で生き残る唯一の方法だ」
「ふざけるな。俺がお前に仕える訳がないだろう」
顔を歪めたリヒトは言うと、薄めた殺気を強くする。
リヒトの動きにシームも反応し、二人の間に流れる空気が変わった。
肌がひりつきそうな気がぶつかり合う二人の間に、ギルディスが足を踏み入れた。
「ギルディス様!」
「シーム、もうよい。こいつに戦う力は残ってはいない」
「しかし……」
「俺が良いと言うのだ。従え」
「はっ……」
シームは槍を下ろして、リヒトに向けた殺気を解いた。
場の緊張が薄らぐ中、リヒトは一人、気を張っている。
戦いを続けるリヒトは顔をしかめて、ギルディスに言う。
「俺はお前に仕える気はない」
「ほぉ。では、甘んじて死を受け入れるのか? それは諦めではないか?」
「くっ」
リヒトの顔が渋くなる。自分がどのような立場にいるか、十分に分かっているからだ。
威勢が良いのは口だけで、気を抜けば地に崩れそうな体では、戦うことなんて到底できない。
だが、それでもギルディスに、カルディネア王国に従う理由にはならなかった。
ギルディスはリヒトをじっと見つめる。
「諦めるのならば、それも良い。汚い死にざまを見てやろう。だが、生きるのを諦めないのならば、その道を用意しよう」
リヒトは黙って、ギルディスを睨む。
向けられた殺気にギルディスは全く怯むことなく、一歩リヒトに近づく。
「貴様には戦場で生きてもらう。いや、生きなければならない。そうならざるを得ない」
また一歩リヒトに近づく。
これは好機だ。リヒトはその機会を活かそうと体に力を込める。
だが、体は小刻みに震えるだけで、手を伸ばすこともできない。
「ルクス共和国、モーリス駐屯地の近くの村が貴様の出身だと調べはついている」
更にギルディスは近づく。
目前まで迫ったギルディスに成す術もないことに、リヒトは歯を食いしばった。
「その村……滅んだぞ」
「なっ!?」
驚愕の声を上げ、目を大きく開いた。
脳裏に浮かぶのは過去の光景だ。ボルカノスとメラルダ、そしてリュートと過ごした時間が過る。
だが、それも一瞬で、すぐに現実へと目を向けた。
「嘘を吐くな」
「嘘ではない。今では燃えカスしかないぞ」
「嘘だ!」
リヒトは吠えると、足に魂を込め一歩だけ前へ進んだ。
震えは止まらないが、意識は晴れ、闘志が沸き立つ。
噛みついてでも戦ってやる。リヒトは目を剥き、首を伸ばした。
「お前達が! お前達が! 絶対に許さない!」
「勘違いをするな。我が国ではない」
「嘘だ! お前達以外にいる訳がない!」
「いや、あの戦いは我々だけの戦いではない。グラドニア帝国。ルクス共和国の同盟国が裏切り、我々の側に着いた」
「なっ!?」
リヒトは息を呑んだ。
グラドニア帝国。ルクス共和国の西方に位置する、一大国家である。
二国は長年友好の儀を結んでいたとリヒトは聞いていた。
そんな国が裏切り、東方の大国カルディネアと組み、ルクス共和国を攻めた。
あまりの非道さにリヒトは怒りに打ち震えた。
「そんな……いや、信じられない! すべてお前の嘘」
「そうかもな。だが、それは村の生き残りに聞くと良い。子供が三人だけ生き延びたようだ」
「子供達が?」
「そうだ。保護したのは俺の隊だったから、覚えているぞ。お前のことを知っていたな」
ギルディスは口を歪めて、おもむろにリヒトに迫り、口を耳元に当てた。
「ダーカ・ラーガの弟、リヒト。貴様の名だな」
リヒトの顔色が青く変わった。
自分の正体がバレたことだけではない。
リュートの身に危険が迫る可能性が上がっていたからだ。
影武者であることがバレているのであれば、その事実を知ったカルディネア王国は追撃の手を緩めないだろう。
離れていくリュートの背中を思い出したリヒトの耳に、ギルディスの涼やかな声色が響く。
「戦場で見たダーカー・ラーガと貴様は違う。俺には分かる」
ギルディスの声がナイフの刃のように鋭く、リヒトの肌を突く。
口角を上げたギルディスは優しく言う。
「だが、貴様が偽物であろうが関係ない。俺に従え」
「何故だ……。どうして、俺を」
「決まっているだろう。力ある者を俺は手にしたいだけだ」
「俺は……俺は……」
「貴様は戦わなければならない。グラドニアに復讐するためにも。……兄を助けるためにもな」
最後の言葉にリヒトの体がビクついた。
ギルディスの言葉にリヒトは確認の言葉を発する。
「兄さんは?」
「行方知れずだ。だが、貴様が従えば、見つけた時には悪いようにはしない」
「信じて良いのか?」
「あぁ、もちろんだ。その代わり、貴様にはダーカ・ラーガとして戦ってもらう。どうだ? 悪い条件ではないだろう?」
ギルディスの言葉に変える言葉は一つしか思いつかなかった。
「分かった」
「よし。それならば……」
ギルディスはリヒトの耳元から顔を外し一歩後ろに下がると、ゆっくりと手を伸ばした。
「ダーカ・ラーガよ。俺に従え」
伸ばされた手は救いの手であった。
リヒトの命だけではない。リュートの命を救うかもしれない手。
その手が導くのは戦場だ。ルクス共和国を滅ぼした一因の、カルディネア王国に従って戦うことになる。
だが、リュートの助けになるのならば。それがどんな道だろうと構わない。
手を取れば、血を浴び、泥に塗れ、汚れていくだろう。それでも、リュートを助けたい。
自分を救ってくれたリュートのためならば戦える。それがどんなに汚らわしいものであっても。
リヒトの心は決まった。
剣を離し、ゆっくりと地に膝をつき、震える手を伸ばして、ギルディスの手に乗せる。
大きく息を吸い、顔を引き締め、ギルディスの目を見つめた。
「はい。俺の命、貴方に捧げます」
ゆっくりと頭を下げて、主従の契りを交わした。




