薄れる世界
シームの槍が光る。空を穿つ切っ先がリヒトに迫った。
「ちっ!」
横に飛び退くと、槍の切っ先から伸びる螺旋の刃がリヒトを襲う。
「くっ!?」
螺旋の刃がリヒトの剣と打ち合い、火花を散らした。
リヒトはすぐさま、攻撃に転じようとシームに向け大きく踏み込んだ。
その時、背後から迫る脅威を肌で感じる。
「っ!?」
剣で逸らしたシームの槍が引き戻されていた。
通常であれば隙である。だが、シームの槍はただの槍ではなかった。
螺旋の刃は裏側にもあったのだ。
「んぐっ!?」
迫る刃から逃れようと体をのけ反った。
顔すれすれのところを刃が通過していき、槍はシームの脇へと納まる。
顔が引きつりそうなリヒトとは対照的に、シームは表情を一切変えず、リヒトをただ見据えていた。
次の一撃に備え、リヒトは剣を構える。
たった一段の差だが、槍と剣でのリーチの違いを更に拡げており、リヒトに分が悪い状況であった。
高ぶる鼓動を深呼吸で鎮める。
次の攻撃の機を狙っているシームと、また見合う形となった。
場内の混乱は極致にあり、あわてふためく観衆でごったがえしている。
その中でリヒトとシームはお互いの視線を外すことなく、ただ次の一手を探っていた。
シームの細い目が光った。同時にくり出された高速の突きがリヒトを襲う。
「はっ!」
リヒトが声を上げ、剣が動く。
槍の切っ先を剣が捕らえ、宙へ上げた。
跳ね上がった槍の下をくぐろうと、リヒトは屈み気味で踏み込んだ。視界の端で、上がった槍を捉えていると、空の青が濃ゆくなった。
『右に避けますか? 左に避けますか?』
青の世界に浮かぶ選択肢の隅で、ゆっくりと下りてくる槍を見る。
その動きは先ほどの槍と比べて動きは遅めだが、強烈な死を与える一撃であることが分かる速さであった。
逡巡し、左に飛ぶことを選んだ。
「ぬんっ!」
シームの力強い声が響く。
垂直に下ろされた槍は観客席を破壊し、木屑を舞い上げた。
「む?」
シームの左眉がピクリと動いた。
表情は変わらないが、リヒトを見つめる目の色が少しだけ変わった。
捉えたと思った一撃が躱されたためだろうか。眉間にも小さなしわが寄っている。
対して、距離を詰めることができなかったリヒトは顔を渋くさせていた。
結局は仕切り直しの状態になり、形勢が悪いまま、次の動きを思案しなければならなくなったのだ。
流れる汗を拭くことすらできぬまま膠着状態に入っていると、慌ただしい足音が聞こえた。
「シーム様! 加勢に参りました!」
鎧を着こんだ兵士が八名現れ、リヒトを取り囲んだ。
更に状況が悪化したことに、リヒトは歯噛みをし、シームを睨む目を更に強くした。
にじりよる兵士達が視界の端でちらつく。
リヒトの思考が一瞬だけ、右から近づく兵士に向いた。
「せっ!」
シームの声を耳にし、一瞬だけ逸らしてしまった目を槍に戻した時、視界が青に染まった。
『左に避け」
選べるものはなく、反射的に左へと飛んだ。
青が晴れた世界でシームの槍がリヒトの眼前を通過する。
飛んだ足が地面に着くと、リヒトの体がよろけた。
「なにっ!?」
体の異変を感じ取ったリヒトは、更にシームから距離を取り、一呼吸をした。
「うりゃぁぁぁぁぁ!」
背後から聞こえた声にリヒトは驚愕し、振り向く。
視界の中に兵士が突き出した槍が見えた時、視界が染まっていく。
静止したような青の世界の中、ゆっくりと兵士の槍が近づく。
その光景にリヒトは首を傾げそうになった。
槍の接近が早い。シームの突き程ではないにしても、槍が近づくのが目に見えて分かる。
かなりの使い手なのか。リヒトは兵士の姿を見ても、そうは思えず困惑した。
『左に避けますか?』
今度も選択ではなかった。文字が直前で変わらないか注意しながら、槍を最小限の動きで躱す。
「えっ!?」
兵士がリヒトの俊敏な動きに呆気に取られた。
隙だらけの兵士にリヒトは剣を横に構えて、一歩踏み込んだ。
地を踏みしめた足が崩れ、膝を地に着きそうになる。
「うっ!?」
慌てて姿勢を戻すも、体が思うように動かない。
頭が熱を持ち思考が鈍り、体が怠さを覚え、動きが鈍くなっていた。
何故、このようなことになっているのか。
リヒトは理解できぬまま、向かい合っていた兵士から距離を置く。
その時に気づく。下がったことで、奴との距離が縮まったことに。
「ふっ!」
シームが息を吐くと同時に突きが放たれた。そのことを何とか認識できた時、また青の世界が訪れた。
『右に』
文字が途中で切れ、すぐに認識できない程にブレだす。
思案することなく、右に飛んだ。
一段下に行く形で飛んだリヒトは、足を観客席に乗せた時、体がずれる感覚を覚えた。
「なっ!?」
足がくの字に折れ、後ろに体を引かれると、尻もちを着いてしまった。
リヒトは驚き、すぐに立ち上がろうとした。だが、体が思うように動かない。
歯を噛み締め、何度も足に力を込めようとするが、足が震えて言うことを聞かない。
何故だ。頭の中をこの言葉だけが巡る。
その思考も朦朧とする意識の中では、答えが出ることはなく、ただ時間を浪費するだけであった。
肩で息をしているリヒトに、シームが近寄る。
「ダーカ・ラーガよ……。ここまでの……ようだな」
シームは槍を引き、リヒトに狙いを定める。リヒトへの死の宣告が行われた。
ブレる視界に映る切っ先が光る。
リヒトの視界が青く染まる。染まったが、槍の動きは今迄以上に速い。
『下』
浮いた文字は少なく、初めからブレていた。
リヒトに選択をする暇はなかった。崩れそうな体をそのままにした。
「ぐぅっ!」
地に倒れ、這いつくばってシームの顔を見る。
見下ろす目には殺気以外なく、圧倒的有利な状況であっても微塵の隙も無い。
万事休すであった。
「くそっ……」
「無駄な足掻き……だ。諦めろ……」
「……俺の一番嫌いな言葉だ」
「そうか……。ならば……」
シームは静かに言うと、槍を構え、リヒトの額を狙う。
「あぁ……続けよう」
リヒトは剣を地に着き、何とか立ち上がると、よろめく体で剣を構えた。
すでに勝敗は決している。だが、リヒトは諦めていなかった。意識が朦朧としていようが、体が震えて力を失っていようが、戦う闘志は無くしていない。
気を抜けば閉じて開かなくなりそうな瞼を必死に開いて、シームを睨みつける。
一瞬で決着が着く戦いが始まろうとしていた。
「それまでだ」
涼やかな声が、二人の戦いを制した。声の主はギルディスであった。




