立ちはだかる武人
リヒトとゴリュウは自身の武器を観衆に向けて不敵な笑みを浮かべた。
二人の宣告を受けて観衆はざわついている。そのざわめきを見てゴリュウは低く笑った。
「おい、どうやら理解していないようだぜ? もう一回言うか?」
ゴリュウの問いに、リヒトは静かに頭を振る。
「いらない。宣言はしたんだ。逃げるか戦うかは勝手にしてもらう」
「おぉ、怖ぇ怖ぇ」
「それよりも、本当に良いのか? 俺を倒せば、牢屋から出られるとか言われなかったのか?」
リヒトは目を向けることなく問うた。
聞かれたゴリュウは呵々(かか)と笑った。
「あぁ、そんなこと言ってたな。ま、本当かどうか分からんし、お前に負けたから、生きて娑婆に出るのは難しかっただろう。こっちの方が生きて出られる可能性が高そうだ」
「計算高いんだな」
「抜かせ。お前が生きろっつたんだろが」
「だったな」
リヒトは結んだ口を緩めた。
人とのやり取りで楽しいと思えたのは久しぶりだったからだ。
たかが半年。されど半年である。リヒトの人間性を変えたこの半年ぶりに、忘れかけていた人としての笑みを取り戻した瞬間だった。
「楽しそうじゃねぇか?」
「あぁ。誰かと一緒に何かをするのは楽しいことだ」
「なんじゃそら? まぁ、いい。そろそろ始めるか」
「ああ」
リヒトは言うが早く飛び出した。
その背中を追う形でゴリュウも走る。二人が向かう先はギルディスが見ている特別席だ。
場内を混乱させ、あわよくばギルディスを捕らえて脱走する。
リヒトとゴリュウは示し合わせた通りに動く。
観客席と決闘場を仕切る壁の高さは、三メートルはある。二人はまず、この高さを何とかしなければならない。
二人の急接近を受けて、やっと場内は異常事態に気が付いた。
悲鳴を上げうろたえる人。我先にと、人を押しのけて逃げていく人。
恐怖した人々の行動で、コロシアムの中は完全に混乱していた。
目論見通りとなったリヒトとゴリュウは、壁の間際まで到着した。
視線を上げれば、逃げ惑う人々が観客席にはおり、兵士達の到着はまだのようであった。
「俺を壁の上まで飛ばしてくれ」
「おうよ。俺も引っ張り上げてくれよ」
「あぁ、善処する」
「本気出せよ」
ゴリュウが壁に背中を預け、中腰になった。
リヒトは走ると、ゴリュウが腹の上で組んだ手に足を乗せる。
高々と宙を舞ったリヒトは、観客席の上へと降りたった。
観客席はリヒトの登場により、混乱の極みとなった。
喉が裂けるのではないかと思われるほど悲鳴を上げる人や、卒倒している人もいる。
その様子を一瞥したリヒトは、壁の下から投げ入れられたメイスを見て、壁の下を覗き見る。
「おい、俺の番だぞ」
「分かっている。重そうだ」
「男はたくましくないと、女にモテないんだぜ」
にかっと笑うと、手を伸ばし飛び上がった。
手を捕まえたリヒトは、全力でゴリュウを引き上げる。
壁の淵に手を掛けたゴリュウが、巨体を観客席に入れた。
「よ~し、とりあえず第一段階は成功だな」
「あぁ。次は、あそこの男を捕らえる」
リヒトは視線を特別席に向けた。
そこには、うろたえる重臣とは対照的に、静かに座ったままのギルディスがいた。
リヒトの視線を追ったゴリュウが、声を上げて笑う。
「お前の肝の太さはすげぇよ。ま、ここまで来たなら、やるだけだな」
「あぁ、行こう」
二人が一段上がった時、ギルディス達のいる特別席の陰から二人の男が姿を見せた。
一人は長身痩躯で、銀髪を胸まで伸ばし、目が細く血の気の薄い顔をしている。
もう一人は、やや長めの緑色の髪をしており、少し小柄で目が大きく、純朴そうな青年だ。
二人とも、リヒトとゴリュウを睨みつけている。
「ま、ボディーガードくらいはいるよな」
「あぁ、そうだな。だが、やることは変わらない。邪魔をするなら、叩くだけだ」
「りょ~か~い。腕が鳴るぜ」
空いている腕を回して、歯を見せ笑った。
その姿を見て、リヒトは気になることを聞いた。
「本当に戦えるのか? 怪我の具合は? 」
「あ? 顎が痛ぇが大丈夫だろ。喋れているしな」
「……頑丈だな」
少し呆れて、ゆっくりと近づく二人に目を戻した。
長身の男は槍を携えている。小柄な青年は片手剣を手にしている。
「お前、どっちとやる?」
ゴリュウが二人に向けてあごをしゃくった。
「俺は前に立った奴と戦う」
「んなら、俺もだ。だがな、敵さんは多分」
ゴリュウが口を閉じた瞬間、二人の男が飛び掛かっていた。
リヒトに向け槍が伸びる。体をのけ反り、剣で払った。
ゴリュウに目を向けると、緑色の髪の青年がゴリュウのメイスを避けている姿が見えた。
大きくメイスを振るったゴリュウが苦笑する。
「やっぱ、やりづらい方で来たか」
ゴリュウから目を離して、銀髪の男に向ける。
自分の身の丈より長い槍を手にした男は、槍を脇に挟み、リヒトを睨みつけた。
リヒトの攻撃範囲を考えると、槍との戦いは相性が悪い。
敵はそのことを計算して相対したのだろう。リヒトは得心が行くと、剣を構えて銀髪の男を見据えた。
「ダーカ・ラーガ……名はなんと言う……?」
ゆっくりとした口調で、銀髪の男が尋ねる。
リヒトは顔色を変えることなく、答える。
「ダーカ・ラーガで良い」
「そうか……。俺はシーム……。押して参る……」
シームの槍が輝きを放つ。
リヒトは動じることなく、その輝きを見て、剣を握る手を強くする。
シームの武鬼が姿を見せた。
槍の中腹から螺旋状の刃が現れ、切っ先まで伸びている。
ランスのようで、ドリルのようにも見えた。その槍を構えたシームは、リヒトににじり寄る。
じわじわと狭まる距離と比例して、お互いが発する気は強くなっていく。
攻撃の機を伺うリヒトの足が半歩進んだ。
「しっ!」
シームが息を吐き、体を捻る。
リヒトを狙っていた槍の切っ先が動いた。
視界が青く染まる。
目で捉えることができたのは、槍が動いた瞬間だった。
それを見たリヒトは、今、青の世界に入っていた。
死が迫っている。強烈な死が。
リヒトは事態は把握して、次の瞬間を待とうと身構える。
『左に避け』
文字が浮かぶと急速に震えだした。
それに比例して、青の世界で動くシームの槍が迫る。
リヒトは少しだけ引き付け、左に飛んだ。
「ぬ?」
シームは細い目を開き、避けたリヒトに目をやった。
飛んだことで一段下に行ったため、シームとリヒトの間に高低差が生まれた。
不利な状況が生まれたことにリヒトは気づくと、顔を歪める。
「大人しく捕まれ……」
シームは槍をリヒトに向け、顔を険しくした。
大人しく捕まる。その言葉をリヒトは捨て去っていた。今の自分がどう生きるか決まっている。
「捕まったところで死ぬことに変わりはないだろう? なら、死ぬまで戦って見せるさ」
口を歪めたリヒトはシームに尖った視線を向ける。
殺意を持ったリヒトの目を見て、シームは口元を緩めた。
「礼を言おう……」
「何にだ?」
「諦めなかったことに……」
「何だ。お前も戦いたかったのか」
シームは静かに頷いた。
大人しく捕まれと言っておきながら、本当は戦いたかった。
武人としての気質に溢れたシームにリヒトは応える。
「なら、始めようか。殺し合いを」
「あぁ……始めようか……」
静かに語らった二人は口を閉じて、ゆっくりと呼吸を刻む。
二人の空気の中に気が充満した時、泡が弾けたように殺意が噴き出した。




