青の世界
利人が見る青みがかった世界に、二つの文字が浮かんでいた。
『左に避けますか? 右に避けますか?』
文字の意味はすぐに理解できた利人だが、この文字が何故浮かんだのかという疑問の方が大きく、目を丸くしていた。
見知らぬ所で目を覚まし、出会った人からは槍を突き付けられ、今では自分は殺されそうになっている。
驚きの連続だが、今の状況に利人は一番驚いていた。
時が止まったかのような世界でさえ驚きであるのに、更に言葉が浮かび上がるという事態に混乱しつつあった。
文字から目が離せないでいると、『右に避けますか?』の文字が細かく揺れだす。
その事が利人を更に驚かせた。揺れだした文字の揺れが段々と激しくなる。文字が読めない程に揺れが酷くなると、文字が散り散りになって消えていった。
残ったのは『左に避けますか?』のみとなった。
何故、文字が消えたのか。これもまた利人を混乱に陥れる要因となる。
自分に今、何が起きているのか。何度、自問しても答えが出ないことを更に自問した。
息がつまりそうなった時、忘れていた事態に気が付く。
自分は殺されそうになっていた。目の前に槍が迫ってきていたのだ。
利人は慌てて、文字から槍に目を向ける。そこには先ほど見たよりも、接近している槍があった。
自分を殺そうとする槍が着実に迫っていることを認識したと同時に、一つのことに気が付く。
槍の切っ先が僅かに右側に向いていたのだ。
向かってくる槍は変わらず利人を狙っていることに変わりはない。
死の恐怖は変わらず続く中、また一つのことに気が付いた。
『左に避けますか?』の文字が細かく揺れ始めたのだ。
これが意味していることは。利人は先ほどの文字が消えたことを思い出した。
この『左に避けますか?』まで消えてしまうということだ。
消えたからといって何になるか。一瞬、頭の中を過ったが、じわりじわりと迫る死から逃れる方法を直感的に選んだ。
左に避けるという選択を。
体を左に動かそうと力を入れた時、世界の青が晴れた。
そのことを認識した利人であったが動き出した体は止まらず、足をもつれさせる。
「わっ!?」
声を上げ、ふらつきながら槍を避けた。が、崩れかけた態勢を整えることができず、肩から地面へと倒れた。
「ぐぅっ! はっ!?」
倒れた痛みを口から漏らした時、目にキラリとした光が見えた。
光へと目を向けると、そこには先ほど逃れることができた槍が迫っていた。
避けられた槍を引いた男が、次の攻撃を繰り出したのだ。
男の突きはまた利人を捕えて、真っ直ぐに空気を穿つ。
尖った殺気によって利人の肌があわ立った。頭の中に浮かぶのは槍が自分の体を貫くイメージだ。
嫌な想像が更に体を強張らせようとした瞬間、また世界が薄く青に染まった。
また、世界が変わった。利人はそう思っていると、二つの文字が先ほどと同じように現れた。
『右に転がりますか? 左に転がりますか?』
前に現れた文字とは少し違っている。
まだ理解が追い付いていない利人は呆けていたが、その目が大きく見開かれた。
二つの文字が震えだしたのだ。
これは前と違った。
前は一つが消え、もう一つが消えそうになった。なのに、今回は二つとも消える前兆を見せている。
どちらの文字が消えてしまえばどうなるのか。利人の頭に浮かんだのは一つの言葉だ。
死ぬ。
前に『右に避けますか?』の文字が消えたのは、槍が目前へと迫った時だ。右に避けるがなくなった時、槍はわずかに利人の右側に寄っていた。
それは右に避けても槍に貫かれるからではないか。いや、そうとしか思えない。だから、更に槍が迫った時に避けようがなくなりそうだったため、『左に避けますか?』も消えかけたのだ。
そして今、二つ共消えてしまおうとしている。
文字のブレかたが激しくなった。このままでは二つとも消えてなくなる。
利人は今、考え付くことを行動に移した。
左肩を起こそうと力を入れる。
すると、また世界が元の色を取り戻し、体が右側へと転がった。
「何っ!?」
男が地面に槍を突き立て、驚愕した顔を利人に見せていた。
男の驚きに因って、一瞬の隙が生じた。利人は慌てて体を起こし、手をついて立ち上がり駆け出す。
「貴様! 待てっ!」
男に背を向けて走り出した。何度も心臓を締め上げるような体験が続いた利人は息を荒げる。
後ろから利人を制止する声に首だけを動かして一瞥すると、目を前に戻した。
そこには最初に出会った男が槍を振りかぶった姿があった。
「あぐっ!?」
槍の柄が利人の顔面を叩きつけた。
顔にめり込むのではないかと思えるほどの強打に利人は一瞬体が宙に浮き、背中から地面へと落ちる。
「ううううぅぅぅぅ……」
うめき声を上げると、意識がぼやけ、体が重くなっていく。
「たくっ。手間取らせやがって。お~い、さっさと来い! 隊長のところに連れていくぞ!」
ヒゲを蓄えた男の顔を見ていた目が重くなり、完全に閉じてしまうと意識が遠退いた。
・ ・ ・
ぼやけた意識の中、利人は一つの光景を俯瞰して見ていた。
闇が覆った世界を、煌々と光る炎が照らしていた。
夜なのだろう。ぼんやりした頭で利人は呑気に思った。
では、その夜の闇を払うような炎はなんなのだろうか。
おぼろげな視界に見えたのは、炎が輪になるように広がっている光景だった。
じっと見ると、松明らしき物を手にした者達が円を描くように大勢いた。
どのような顔をしているのかは分からないが、髪の色が特徴的だった。
金、銀、赤、緑、紺。集まった人々の髪は、いずれかの色に染まっている。
何かアニメみたいだな。などと考えた利人は、別のものに目が引かれる。
炎の輪の中央に二つの人影があった。髪の色は黒。よく見れば男女だ。こちらも顔立ちまでは分からないが、筋骨隆々の男性に、グラマラス女性。
どちらも動物の毛皮で作ったような服を着ている。
男性は首を回して周りをしきりに見ている。
女性は男性にひしと抱きついている。
この二人に何が起きているのだろうか。ぼやけていた思考が晴れるに従い、その光景が遠ざかっていく。
じわじわと離れていく光景を見ていると、女性と目が合った。
何故、こちらを見るのか。このまま続きを見たい。利人はそう思いながらも更に光景は遠退いて行き、完全に暗闇に染まると、また意識が薄れていった。
・ ・ ・
体を何度か突かれ、軽い痛みを覚えながら目を開けた。
「うっ!? うぅぅ……。ここは……?」
重いまぶたを開けると、格子越しに二人がこちらを見つめていた。
「やっと起きやがったか。隊長、こいつが森の中をうろついていた奴です」
喋った男を見ると、利人を槍の柄で叩いたヒゲの男であることが分かった。
次に利人は隣にいる男に目を向ける。
目鼻立ちの整った顔の男性で、背も高い。着ている服は黒で統一されている。
いや、服だけではなく、髪の色も黒だ。髪の色が黒だなんて当たり前と思った利人だが、先ほどの夢のせいか珍しいものに感じた。
黒衣の男が口角を上げた。
「大丈夫かい? 手荒いことをしてすまない。同族に出会えて嬉しいよ」
爽やかな声で言うと、微笑みを浮かべる。
その雰囲気に利人は緊張が解れるのを感じた。そのお陰か、黒衣の男の言葉が気になった。
「あの、同族って?」
「ん? 君もダーカーじゃないか」
黒衣の男の言葉に利人は首を傾げた。