目覚めの時
リヒトは目に捉えては消えていく、ヴァーリッシュの速さの前に右往左往していた。
リヒトは目まぐるしく動き続けるヴァーリッシュに攻撃することができない。
対して、ヴァーリッシュは距離を縮め、リヒトを小突いて、また離れていくを繰り返す。
完全に遊ばれているリヒトは、何とか打開策を模索する。
まず思いついたのは、あの青い世界のことだ。
しかし、あれは意図してできるものではない。リヒトの中の選択肢から消えた。
では、剣を手当たり次第に振るのはどうだ。
体力は消耗するが、まぐれで当たるかもしれない。
そんな馬鹿なことがあるかと、リヒトは心の中で自嘲した。
鎧に施された呪文を断たれたリヒトには、今の鎧はただの防御用の金属板としての機能しか持たない。
それも、剛化型と思われるヴァーリッシュの剣の前では、服と同等といえる程の意味しかない。
「くっ! ぐあっ!?」
「ほらっ! そらっ! どうしたどうした。もっと楽しく舞い踊れ」
「くそっ」
弄ばれるリヒトは、ただただ耐えた。
下手に力を使えば、それだけ疲労が蓄積してしまう。
ここに至るまでの戦いでも、かなりの体力を消耗していた。
機会を伺うリヒトは、ひたすら耐え続ける。
「何だつまらん。仕方ない。私の華麗な美技を見せてやろう」
ヴァーリッシュの姿がまた消えた。
その瞬間、リヒトは顔を歪める。鋭い痛みが右肩の上に走った。と同時に右肩に掛けていた鎧がずれた。
痛みに意識を捕らわれていると、次に左肩にも同様の痛みが走る。
鎧の左肩の留め具が斬られると、鎧が更にずれた。
「そらそらそらぁ!」
声と共に、リヒトの鎧に傷が入っていく。
そのどれもが鎧の留め具を狙ったものであり、的確に断っていく。
止まることを知らないのではないかと思う程に動いていたヴァーリッシュが止まった。
同時に、リヒトの鎧が音を立てて外れた。
「いやぁ、素晴らしい姿だ。ダーカーの正装とはそのようなものかな」
楽しそうに笑い、拍手をする。
鎧だけでなく服まで割かれ、上半身をさらけ出していた。
辱めを受けたリヒトを見て、ヴァーリッシュの部下も声を出して笑い出す。
目の前の真剣な戦いが大衆演劇ではないかと思われる程に、全員が腹を抱えて笑う。
「どうだ、ダーカ・ラーガ? 死ぬ前に楽しい思いができただろう?」
笑いを堪えたヴァーリッシュが言う。
その事にリヒトは返事をしなかった。肌を熱くする傷のことを考えていた。
あの素早さで、正確に斬ることができる程の腕前。
ふざけた相手だが、それを補って余りある敵だということを、リヒトは再度理解し、冷や汗をかく。
「なんだ。喋ることもできなくなったのか? 残念だよ。もっと楽しい返しを期待していたのに」
リヒトは沈黙を貫く。ヴァーリッシュの瞳を睨みつけ、構えた剣を下ろさなかった。
「気に食わないな、その目。私に勝てるとでも思っているのか? ならば、更に絶望させよう」
言い放った瞬間、リヒトの目前にヴァーリッシュが迫っていた。
身構えたリヒトの剣に衝撃が走る。ヴァーリッシュの剣とぶつかり合っていた。
爆発的な加速で得た力をそのまま剣に込めての突撃に、リヒトは押し負けている。
歯を食いしばって、折れそうな体を持ちこたえる。
また力の押し合いとなったが、純粋な力との勝負であれば負けはしない。
リヒトは渾身の力で押し返していく。
その時、ヴァーリッシュの口が歪んだ。
リヒトはまた、妙な手ごたえを覚える。押したはずなのに、押し切っていない。
過去の経験が呼び起こされ、ぶつかり合う刃に目を向ける。
ヴァーリッシュの剣が、リヒトの剣の刀身まで斬りつけていた。
中央に彫られた呪文まで、あともう少しの所まで到達していた。
このままでは不味い。リヒトは悟ったが、対抗策が見いだせない。
何か方法はないか。このままでは剣が斬られてしまう。そうなれば、勝つことなんてできっこない。
死の恐怖が押し寄せる。
ヴァーリッシの言う絶望が、リヒトの足をすくおうとしていた。
リヒトは何度も斬られつつある剣に目を向けた。
じわじわと刀身を食うようにして、切れ目を入れていく。
それに比例して、リヒトの心は恐怖で塗られていく。
「くっそぉぉぉぉ!」
「良い顔だぁ! さぁ! さぁ! 絶望しろぉ!」
更に刃が進む。
リヒトの剣に施された呪文まで目と鼻の先まで迫った。
頭の片隅でリヒトは剣のことを思い出していた。
この剣は勝手にリュートから持ってきたものだ。
ダーカ・ラーガを騙るだけならいらなかったのに、これを持ってきてしまった。
もし、この剣が折られれば、リュートはどう思うだろうか。
リヒトは剣を見つめて、今までリュートがこの剣を振るった姿を思い出した。
いつだって勇敢だったリュートの姿を思う。剣を輝かせ、突撃する姿は眩いものだった。
その大事な剣を失ってしまう。リュートの一部だった剣が消えてしまう。
そのことにリヒトは恐怖した。
助けたかった人の一部を失うことへの恐怖。
リュートの命を失わせはしない。リュートの魂がこもった、この剣を失うわけにいかない。
リヒトは、込めていた魔力を更に込める。
リュートの剣が持つ力を限界まで引き出すために。
「うっ……くっ……うぅ」
魔力を一滴残らず絞り出すように、体を流れる力を込めていく。
体の中に残る魔力の搾りカスすら搾って。もう出るものも出ない状態になっても、魔力を送り込む流れは止めない。
この剣を守ることができるのならば。
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」
命を燃やし、あらん限りの力を込める。
魔力が込められ、呪文が輝きを放つ。その輝きが徐々に広まりつつあった。
「ま、まさか!?」
「負けてっ! たまるかぁぁぁぁ!!」
リヒトとヴァーリッシュの間に、目もくらむような光を放たれた。
輝きは一瞬で消えると、二人は目を薄く開ける。そして、目を見開いた。
黒い刀身に金の装飾、鮮血のような赤い刃。
まさしく、リュートが手にしていた名剣レグムントの武鬼であった。
「くっ!? まさか魔力を隠して!?」
怯んだヴァーリッシュは更に慄いた。
リヒトのレグムントとぶつかり合う刃が欠けているのだ。
同じ武鬼同士でのぶつかり合いで負けたのか。
悔しさで歯噛みをした時、ただ負けている訳ではないことに気づく。
ヴァーリッシュの剣が少し溶けている。厳密にいえば、武鬼の一部が溶け、ただの剣が露出しているのだ。
「そ、そんな!?」
リヒトの圧力に屈し、一歩後ろに引いた。
「おぉぉぉぉぉぉぉ!」
「くっそがぁぁぁぁ!」
空気が震えるような声を互いには発する。
刃のぶつかり合いは、気合の声と共に決着した。
ヴァーリッシュの剣が断たれた。
「なっ!?」
折れた自分の剣を見つめ、驚愕する。事態を受け入れられなかったヴァーリッシュの瞳に、赤い刃が映った。
「はぁっ!」
リヒトは高々と上げた剣を振り下ろすと、ヴァーリッシュの右肩から斜めに斬った。
切り口から鮮血が噴き出す。
「ぐあああぁぁぁぁぁ!」
絶叫が森に響き、ヴァーリッシュは静かに地面に倒れると、森にまた静けさが戻った。




