迫る武鬼操者
ヴァーリッシュの手にした剣が、鋼色から氷のように薄っすらと白いものへと変わっていた。
凍り付いたように見える刃は薄く鋭い。葉が刃に触れるだけで斬れてしまいそうな程だ。
ヴァーリッシュは冷たい刃をリヒトに向け、突き付けた。
口を歪め、リヒトを見下す目をし、ゆっくりと口を開いた。
「綺麗な物だろう? 私のような男にふさわしい武鬼だと思わないか?」
「さぁな。分不相応な気もするが?」
「ふんっ。貴様の名も身分不相応に見えるが? このような男に怯えるとは、惰弱な奴らめ」
吐き捨てるように言うと、自軍に兵士達に見やる。
「この戦い、手出しをするなよ。私がダーカ・ラーガを一人で討つ。お前達はただ見届けるといい」
冷徹な瞳が兵士達を震え上がらせる。
ヴァーリッシュの怖さを知っているのか、誰も何も言うことなく、息を呑んで黙っていた。
空気が静まったことを理解すると、改めてリヒトに目を向ける。
「さて、準備は整ったな。……どうした? 貴様も武鬼にしなくても良いのか?」
「くっ」
リヒトに返す言葉はなかった。
リュートから借りた剣は名剣だ。リヒトの魔力を込めただけで、硬化型の鎧でも切り裂くことができる程に強力だった。
だが、それはあくまでも同等、もしくは下回るものに対してだ。
武器に込めることができる魔力を超えて注入された力が、爆発して形成される武鬼とは力が違う。
硬化型にせよ、剛化型にせよ、その力を限界以上に引き出した剣を前にして、ただの剣で相手ができるのか。
リヒトは嫌な汗が額を伝うのを感じた。
「私は騎士だ。その精神に反することはしたくはないが。それに応じることのない蛮族には、それ相応の対応をしよう」
「くそっ」
ヴァーリッシュの圧力に屈しかけたリヒトは、必死に堪えて剣に魔力を込める。
剣に魔力が満ち、呪文の効果で刃が研ぎ澄まされた。
「なんだ。まさか、魔力切れか? つまらないな。まあいい、少しは俺を楽しませてくれよ。行くぞ!」
ヴァーリッシュが腰を落とした次の瞬間、リヒトの眼前に白い刃が迫っていた。
「くっ!?」
のけ反り避ける。退けた顔の上すれすれを通過した剣を見て、リヒトの体に粟立つ。
後ろに飛び退き、ヴァーリッシュとの距離を取る。
離れた距離から一瞬で詰め寄ったことから、リヒトと同じ敏捷型の鎧を着ていることが推測できた。
だが、その鎧の性能は違う。軍が支給した鎧と比べて、ヴァーリッシュの鎧は作りも輝きも違う。
施された呪文もより良いものだろう。武鬼だけでなく、鎧での性能も劣っている。リヒトの勝ち目は更に薄いものへと変わった。
「ほぉ。まさか私の突きを避けることができたとは。ダーカ・ラーガの名は伊達ではないな」
「あぁ。今度はこっちから行くぞ!」
声を上げたと同時に地を蹴っていた。
強化された脚力を全開にしたリヒトの動きは、目で追うことは難しい。
高速で肉薄したリヒトは剣を上げて、斬撃を繰り出す。
「おあぁぁぁ!」
リヒトの目が見開く。振った剣は空を斬っただけだった。
背後に感じた殺気に、肌を寒気が撫でる。
「遅いな。その程度か、ダーカ・ラーガ!」
「くぅっ!」
振り返りざま、剣を振るう。リヒトの剣とヴァーリッシュの剣がぶつかった。
力の押し合いになる。体格的には大きな差はない。敏捷型の二人は純粋な力比べとなった。
「ぐうぅぅぅぅ!」
「はぁぁぁぁぁ!」
拮抗した力で互いに剣を押す。
じわりじわりとリヒトの剣がヴァーリッシュの顔に近づいていく。
このまま押し切る。リヒトは叫ぶ。
「おらぁぁぁぁぁ」
その時、リヒトは手に掛かっていた感触に違和感を覚えた。
押したはずなのに、剣は前に進んでいなかった。何が起きたのか。違和感の元を探る。
目に付いたのは剣の刃だった。
ヴァーリッシュの剣が、リヒトの剣の刃にめり込んでいた。
それがじわじわと、刀身に向かっていく。このままでは剣が斬られてしまう。
恐怖と焦りから押す手の力を緩めてしまう。
ヴァーリッシュの顔に歪んだ笑みが浮かぶ。
「ふんっ!」
「しまっ!?」
押し返されたリヒトは姿勢を崩し、後ろによろける。
大きな隙が生まれた。その隙を逃すヴァーリッシュではなかった。
一瞬で距離を縮めると、煌く刃を引いて、強烈な突きを繰り出す。
剣は空気を貫き、リヒトの胸の一点を狙って突き進む。
リヒトは死の恐怖が迫ることだけ理解すると、思考を止めた。その時、世界が変わる。
青い世界が広がった。
緩やかに時が流れ始めると、リヒトはやっと今の状況を把握しだした。
ヴァーリッシュの光のような速さの剣が迫っている。
この緩やかな世界でも、その速さは止まることはなかった。
今まで見たこともない程の速さだ。小さな子供が剣で突くような速さだが、それが普通の世界ではどのようなものなのか。想像するだけで身震いした。
恐怖がぶり返していると、一つの文字がリヒトの視界に浮かぶ。
「倒れます」
文字が見えたのは途中までだった。
その文字もすぐに震えだし、読むことが困難になる。リヒトはこのままいけば、この文字が消えることが分かっていた。
そして、取れる選択肢がなくなることが何に繋がるのか。
リヒトは迷うことなく、よろめいたままの体に身を委ねる。
青が晴れ、時が正常に動き出した。リヒトはこの日、刃が眼前を抜けていく姿を二度見た。
「何っ!?」
驚愕の声を上げた。目を剥いて、倒れたリヒトを見ると、足を上げている姿が目に入った。
「おらぁ!」
ヴァーリッシュの腹に蹴りを入れると、その力に押されて数歩下がった。
リヒトはすぐさま立ち上がり、剣を構える。一瞬の攻防で、リヒトの体に汗がどっと噴き出た。
「どうした? その程度で俺を殺せるのか?」
「ちっ! 舐めたマネを……。良いだろう。貴様には絶望を与えてやろう」
不敵な笑みと共に、ヴァーリッシュの姿が消えた。
一瞬なんてものではなかった。あまりの速さに困惑し、辺りに目をやる。
「後ろだ」
背後からの声に反応しようとした時、背中に鋭い痛みと、強い熱を感じた。
「あぐっ!?」
リヒトの背中に一筋の傷が入った。それは鎧を裂いたということである。
慌てたリヒトは、突き動かされるように前に逃げようとした。
そのリヒトの前にヴァーリッシュが突如、姿を見せた。
一瞬。瞬きの間以上の速さで動いたヴァーリッシュは剣を跳ね上げた。
「うあっ!?」
リヒトの胸に先ほどと同じ痛みが走る。
痛みが走る胸に手を当てると、先ほどと同じように鎧に切り傷が入っていた。
背中と、胸。ヴァーリッシュは何を狙ったのか。リヒトは察すると、血の気が引いた。
「貴様の呪文は断った。これから貴様は私の死のダンスに付き合ってもらうぞ。せいぜい、滑稽に踊って死ね」
剣を遊ぶように一回転させると、ゆっくりと歩み寄った。




