黒髪鬼、奔る
リヒトの雄たけびが森に轟く。
脚に力を込めて、一人の敵に向けて飛び掛かる。
振り上げた剣が流れ星のような筋を描き、敵の体に刃を入れる。
魔力によって強化された剣が、敵の鎧を布地の服のようにあっさりと裂いた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ!」
断末魔が響く。
敵の命を奪ったリヒトは、一息つくこともなく、また一人の敵に向け駆け出す。
馬に乗った敵は槍を構えて、リヒトと対峙した。
敵は、疾駆し接近するリヒトに槍を突き出す。
眼前に迫る槍をリヒトは冷静に剣で弾くと、飛び上がり敵の頭目掛けて剣を振るう。
頭を守るための頑丈な兜も、リヒトの前では無意味な物となり、敵の頭は斜めに切断された。
絶命の声を上げることなく、馬から崩れ落ちる敵を見もせず、リヒトは更に駆ける。
向かう先の敵は馬を走らせ、リヒトへと突進する。馬の迫力と突進の勢いを借りた敵は、槍を大きく振り上げた。
一気に距離が詰まる。敵の視線と、リヒトの視線がぶつかり合った時、二人が同時に動いた。
敵はリヒトに馬をぶつける、もしくは避けても槍で対応できるように、リヒトから目を離さなかった。
その目が徐々に上に向く。リヒトは低く飛び上がり、敵と水平の高さになるように飛んだのだ。
敵は顔を引きつらせて、リヒトの視線から逃れようと目を閉じようとした。
次に敵が見たのは首を失った自分の姿だった。
敵の首を刎ねたリヒトは勢いを殺すことができず、体から地面に落ち、転がった。
すぐさま立ち上がると、リヒトは目をひんむき、獰猛な獣になったかのように獲物を探した。
その目が止まる。見つけた敵は、先ほどの敵とは違い、明らかに動揺が見えた。
狩れる。心の中で舌なめずりをすると、次の瞬間には走り出していた。
「ひぃっ!?」
怯えた声を上げた敵は、馬をひるがえして、戦場を去ろうとした。
逃がしはしないとばかりに更に加速をし、去ろうとした敵に飛び掛かって、馬の尻を斬る。
馬の絶叫が響くと、敵は馬と共に地面に崩れ落ちた。痛みで閉じた目を開けた時、見えたのはリヒトが持つ剣の刃であった。
瞬く間に四人を屠ったリヒトは、整わぬ呼吸のまま、敵を探す。
素早く目を動かし、残りが九騎であることを把握すると、右端にいる敵を次の獲物と定めた。
地面をえぐるような力で駆ける。迫る黒い獣に敵は悲鳴を上げた。
その悲鳴をかき消す声をリヒトは上げ、肉薄する。
「死にたくなければ! 去れぇぇぇぇ!」
張り上げた声、そのままの勢いで剣を跳ね上げる。
「ひぃぎゃぁぁぁぁ!」
リヒトの剣に左手と左足を断たれた敵は、バランスを崩して馬から落ちた。
「い、痛いよぉ……。ひぃっ!?」
震える瞳がリヒトを映し出している。
恐怖に彩られた目は、剣を振るうリヒトを捉え、閉じることのないまま空を見続けた。
一瞬で首を刎ねたリヒトは、おもむろに振り返る。
返り血を浴びたリヒトの姿はまさに、ダーカ・ラーガであった。
顔に掛かった血を袖口で拭うと、大きく息を吐いた。
「まだやる気か? 俺を殺せるとでも思っているのか?」
リヒトの口調が強いものへと変わっていた。
その眼光も普段の柔らかなものではなく、暗く淀んだ色だった。
髪も、服も、瞳の奥も黒い男の迫力に敵は呑まれている。
「言っただろ? 死にたくなければ去れ。そうしたら追わない」
数では不利な状況であるにも関わらず、そのことを感じさせない物言いであった。
有利なのは自分だと言わんばかりの態度に、更に敵は慄く。
困惑はしているが、動く気配がない敵に対し、リヒトは追い詰める。
「じゃあ、お前から斬る。一番偉そうだからな。行くぞ」
剣を向けた敵は体を跳ねさせ、味方に目を向け、助けを求めた。
しかし、逃げる素振りはなかった。怯えて動けないだけなのか。リヒトは更に押す。
「殺すっ!」
声を荒げ、走り出した。
「ひっ! ひやぁぁぁぁぁ!」
狙った敵が震えた声を上げて、リヒトに背中を見せ走り出した。
その行為を見て、他の敵も後に続く。
どうやら、敵の指揮官だったようだ。リヒトは無駄に体力を削られずに済んだことに、安堵の息を吐いた。
つかの間の平穏がリヒトに訪れると、兜を取って、額に垂れる汗を拭い、深呼吸を繰り返す。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁ!」
「やっ、やめっ! あああぁぁぁぁぁ!」
いくつもの悲鳴が木々を揺らした。
声は敵が去った方角からだ。リヒトは目を向け、身構える。
段々と近づく馬の足音から、追っ手であることは分かった。
どのぐらいの規模か。また戦って勝てるだろうか。
ダーカ・ラーガの異名を借りれば、戦いを有利に進めることができることは分かった。
ただ、戦い続ければいつかは力尽きるだろう。
生き残るためには勝ち続けなければならないが、どれだけ戦えば生き残れるのだろうか。
終わりが見えなさそうな自問を終えて、静かに敵が現れるのを待つ。
敵が見えた。
そして、驚愕した。
敵の規模が先ほどとは段違いだ。百騎以上はいるか。
リュートの騎馬隊の半分ほどの敵が、リヒトに向かってきた。
これは無理だろう。と心の芯にヒビが入る。
勝てっこない。更に細かなヒビが入った。
死ぬか。心の芯が折れそうになる。
リヒトは己が何をしようとも、生き延びることができないと観念した。
リュートは逃げることができただろうか。距離を稼ぐことはできたか。
振り返って、リュートが去った方角を見つめる。
生きて欲しい。リヒトは自分の分まで、とリュートに思いを託した。
いや、託そうとして止めた。
そんなことをして何になる。リュートを助けると言っておきながら、更に負い目を負わせるつもりか。
自分の決めたことは、最後まで自分が責任を持つ。死ぬのが分かっていても、死ぬまでは生きることができる。
ギリギリまで死なない。リュートと同じ時間を生きるんだ。
自分の信念を思い出したリヒトの心の芯は、太く硬いものへと変わった。
絶望が迫る中、死地で生きる時間を得ようとするリヒトの目は、光に満ちていた。
馬群が迫ると、先頭の騎兵が馬から降りて、兜を取った。
綺麗な銀髪を横に流しており、上品な顔立ちをしている。だが、どこか鼻に付く目をしており、リヒトを見る目は冷めていた。
その銀髪の後ろに隠れるように現れた男が、リヒトに指をさす。
「ヴァーリッシュ様! こ、こいつです! こいつが、ダーカ・ラーガです!」
「ふ~ん、こいつがダーカ・ラーガか。思ったよりも、弱そうだな」
「ほ、本当にやば、やばいんです。危険です」
「そうか、危険か」
銀髪の男は一息吐くと、目にも留らぬ速さで剣を抜き、後ろにいた男の首を刎ねた。
「どちらが危険か、あの世で比べると良い」
くつくつと笑うと、嫌みな笑顔でリヒトを見る。
「ダーカ・ラーガ。貴様は、この私、自ら殺してやろう」
「……やれると思っているのか?」
リヒトは一歩踏み出した。
それに合わせて、ヴァーリッシュも一歩踏み出す。
「やれるさ。何故なら私は」
抜いた剣を構えた。剣は細身である。リヒトの剣とぶつかれば、簡単に折れてしまいそうだ。
それなのに、ヴァーリッシュは足を止めることなく、リヒトに近づく。
「武鬼操者だからな」
剣が光を帯びると、その姿を変えた。




