選択肢
利人は固い何かの上で寝転んでいるのを感じ、薄っすらと目を開けた。
目に入ったのは、駅で見上げた曇天と変わらない。
雲が流れるのを嫌がっているのか、時間が止まったかのように雲が留まっている。
変わらぬ景色を呆けて見ていると、急に現実に引き戻された。
自分は死んだのではないか。目の前に迫っていた電車のことを思い出すと、大きく身震いをし、慌てて体を起こした。
利人は体中に手を当てて、身の無事を確認し、何事もないことが分かったところで、安堵の息を吐く。
次いで、足を見つめる。そこには当たり前だが、足があった。
足がなければ死んでいるという発想であったが、それが確認できたお陰で更に安心する。
下げた視線をゆっくりと上げると、見知らぬ光景に目をしばたたいた。
「ここ……どこ……」
目に映ったのは、うっそうと茂る木々だった。
辺りに目を向けると、同じように木がいくつも並んでいる。何度、周りを見ても、その景色は変わらない。
あまりの変わらなさに、利人は頬を摘まんで力強くひねった。
「いたっ!」
痛みを覚えた。
生身の感覚であれば痛いのは当たり前のことである。だが、そうでもしないと今の状況を受け入れることはできなかった。
何故、自分はここにいるのか。ここに来る前に何があったのか。何かの力に引っ張られて、駅を通過しようとした電車の前に出たことは覚えている。
その前はどうだったか。あの声を思い出した。優しい声色で力を貸せと言われ、その後に引っ張られたのだ。
全ての始まりは、あの声ではないか。考えた結果、利人はそう思うしかなかった。
ただ、そう思っても状況は変わらない。思っても仕方がないのなら、立って動いてみよう。
気分が重いと体も重いのか、ゆっくりと立ち上がって背を伸ばす。
大きく息を吸うと、森の爽やかな匂いがした。改めて、自分は森にいるのだということを理解して、ゆっくりと歩みだした。
「誰かいないのか?」
なだらかな傾斜を下りながら言った。
言葉の通り、誰もおらず、動物の姿もない。聞こえるのは鳥のさえずりだけだった。
しばらく鳥の会話を聞きながら森の中を歩くと、枯れ木の折れる音が響いた。
利人は足を止めて耳を澄ませる。鼓動が耳に伝わる程に静かにしていると、別の音が聞こえた。
金属の食器を重ねた時のような音だ。人工的に聞こえる音に興味と不安を覚えるが、興味が勝り、静かに音の下へと向かう。
歩くにつれて金属の音が近くなってきた。
利人が近づいたのもあるが、音を鳴らす側も近づいてきている。
それが分かると、近くの木の陰に隠れて息を潜める。
音は次第に大きくなり、金属音だけでなく、草を踏みしめる音も聞こえた。
何かが近くまで来ていることを悟り、そっと木陰から顔を覗かせる。
そこに映ったのは、茶色の頭巾に青い服を着た人だった。
鼻の下に生やしたヒゲから、男性であろう。
その男性はゆっくりとした足取りで、利人の方に向かってきていた。
この森に来て孤独を味わっていた利人は、何の考えもなしに男性の前に立つ。
「良かった! ここはど」
「何者だ! 貴様!」
男性の怒声が響く。
利人はその声に驚き、呆気に取られると、すぐに恐怖に身が縛られた。
男性は利人に向けて、槍を突き付けていたからだ。
「ちょっ!? えっ!?」
「貴様、ここで何を……。ダーカー!?」
「えっ? ダーカー?」
問いかけた利人を男性は見つめて、目を尖らせた。
「貴様! カルディネアの者か!?」
「カッ!? カルディネア!?」
「いや、どっちでもいい。抵抗するなよ。大人しく捕まれ。でないと、ここで」
突き付けた槍を更に前に出す。
槍の切っ先が鈍い鋼色を見せ、利人の目の前で止まった。
恐怖が目の前に迫り、利人は大きく息を呑んだ。
何故、自分は槍を向けられているのか。自分が何をしたというのか。こんな事態に何でなってしまったのか。
捕まれとこの男は言った。殺すではないにしろ、それに近いことが待っているかもしれない。
「おい! 後ろを向け! ゆっくりとだ!」
男の声で現実に引き戻された。
このまま捕まってしまえば何をされるか分からない。逃げたい。生きたい。死にたくない。生きてやる。
身がすくみ、歯が噛み合わないほどの恐怖に襲われながらも、どこかでそれに抗おうとする力が湧いてきていた。
「うおーーー!」
突如振り返ると、全力で駆けだした。
咆哮を上げながら走る足は止まらない。後ろから利人を制止する声が聞こえるが、それを無視して走り続ける。
男を引き離しつつあった時、木の陰から何かが姿を見せた。
「うっ!?」
前に進もうとした足を踏ん張って、無理やり体を止める。
利人に立ちはだかったのは、先ほどの男と同じ格好をした男だ。
ヒゲのない顔つきから、先ほどの男に比べて若く見える。
「怪しいヤツめ!」
若い男は次の言葉はなく、槍を突き出した。
容赦なく向かう切っ先に利人は目を向ける。
また死が迫ってきていた。ここで死ぬのか。やっと恐怖から逃れるかと思った利人の脳裏に、その言葉が過る。
死の恐怖を思い出した。だが、頭と違って心は恐怖に染まってはいなかった。
胸の内から湧き上がるのは、また抗うための熱い闘志だ。
利人の怯えた顔を映した切っ先に今写るのは、熱い目をした漢だった。
生きる意志が心を満たした時、利人の見る世界が変わった。
すべての光景に青みが掛かる。
変わったのは色だけではない。目の前の男の動きが変わっていた。
ひどく緩慢なのだ。ゆっくりではなく、止まっているのかと思う程だった。
何が起きているのか理解が追い付かないでいると、視界に別のものが浮かぶ。
『右に避けますか? 左に避けますか?』
二つの文字が利人の前に突如として現れた。