手を染めて
森の静けさは、金属がかち合う音で消されていた。
甲冑を着た者が列を作って、森の土を踏みしめていく。
その先頭に立つのは黒い毛色をした馬に乗るリュートであった。支給された馬も黒で揃えていることから、この国のリュートへの期待の大きさが伺える。
リヒトは鎧を着こみ、リュートの後ろに付いて、森を見回してた。
今、リヒト達が向かっているのは、前線であるノーランド地方である。
ルクス共和国すべての軍隊が、そこに集結するように命令があり、リュート達も例外ではなく、前線へと向かっていた。
この行軍はリヒトにとって初めての行軍であり、大勢の前に姿を見せたのも初めてだった。
普段は迫害されるダーカーの身分を隠すため、常に青いバンダナで髪を隠し、更にはフードを被って、リュートの陰で過ごした。
今まで参加することなく、慣れない軍隊行動にリヒトはそわそわしている。
「リヒト、馬の扱いも上手になったね」
首を回したリュートが言った。
リヒトが馬に乗ったのは軍隊に入ってからで、学んだのは剣よりも乗馬の方が長かった。
乗馬経験は三ヶ月ちょっとしか経ってはいないが、リュートの厳しい教育のお陰か、随分と様になっていた。
リヒトは馬の首を撫でて言う。
「兄さんの訓練のお陰だよ。あれだけ厳しくされたんだ。上手くならない方がどうかしているよ」
リヒトの軽口に対してリュートは軽く笑い声を上げた。
「戦場で生きるには必要なことだからね。まぁ、もっと練習は必要だけど、それなりには乗れているから、逃げるのに不便はしないだろう」
「逃げる前提なんだね。……戦争になるのかな?」
不安そうに言うと、リヒトは顔を曇らせた。
リュートも同様であり、戦場の怖さを知っている分、余計に憂いを感じさせる。
「どうだろうねぇ。睨み合いだけで終わるかもしれない。カルディネアは北と南でも戦争をしているから、こちらに割く戦力がどれだけあるか」
「戦力は拮抗しているってこと?」
「数……ではね。正直、兵士の練度はあちらの方が上だろう」
「そうなんだ。戦いになったら、大変になりそうだね」
「戦争ってのに、軽いものはないよ。人の生の終着点が交じり合った場所だからね」
嘆くように首を横に振ると、真正面に顔を向けた。
戦争という響きに慣れてきたリヒトであったが、実際の戦争を見てはいない。
人から聞いた知識しかないのだ。
リュートが気落ちする程のものが、どれだけ大変なことなのか。
普段、見せたことのない顔がリヒトを身震いさせた。
しばらく行軍を続けると、リュートがすっと手を上げた。
その動作に軍隊は従い、足を止め、次の指示を待つ。森の中は不自然なくらいに静まり返っていた。
突然、リュートは馬から飛び降りると、一本の木に斬りかかる。
「はっ!」
声を上げ、振るった剣は木を切断した。
木が崩れる音と共に、違う音が響いた。
「ぎゃあああぁぁぁぁ!」
絶叫である。倒れる木に合わせて鎧を着た兵士が地面へと崩れた。
リュートは木の陰がざわめくのを感じ、振り返ることなく口を開く。
「各自、戦闘準備! 囲まれているぞ!」
リュートの声を皮切りに、リヒト達の周りから声が上がった。
敵軍の声が響く中、慌てて武器を構えると、木々の陰から現れるであろう者達の姿に身構える。
「攻めろーーーーー!」
敵の将校の声だろうか、敵の上げる声より一層大きな声を出していた。
更に敵は声を上げると、木を倒さんばかりの勢いで襲いかかってきた。
自軍も雄たけびを上げ、向かってくる敵軍に立ち向かっていく。
陣形などなく、個々で敵と戦う乱戦状態へと入った。
リヒトは怒号が飛び交う中、剣を構えておろおろと周りを見ていた。
戦わなければならないことぐらいは分かっている。だが、どう戦えば良いのか分からない。
今、目の前で起きていることは命の取り合いである。剣で斬り、槍で突き、メイスで砕く。
そのすべてが人を殺すための動作なのである。リヒトが前に振るった剣とは違った。
助けを求めるようにリュートへと顔を向ける。
そこには、一人で戦う鬼の姿があった。一振りで確実に命を奪って行き、逃げようと背中を見せた敵も両断した。
情け容赦のない戦いをリュートがしている。あれだけ優しいリュートを変えてしまうような戦場に自分はいるのだ。
恐ろしさに心が締め付けられ、体が凍りつきそうになる。
怖い。怖い。怖い。そう思いながら、また戦う者達を見た。
その顔は覇気があるように見えるが、必死に震えを抑えている顔にも見えた。
声を上げて、体を無理やり動かす。
そうしなければ死ぬからだ。襲い掛かる死という恐怖から逃れる唯一の方法は、先に殺すこと。
生存本能に突き動かされて戦う兵士達の顔から、目が離せないでいた。
「死ぃねぇぇぇぇ!」
不意の怒声にリヒトの体が大きくビクついた。
声の方に振り向くと、剣を大きく構えて突撃してくる兵士の姿があった。
この兵士も恐怖に必死に抗っている顔をしている。
自分はどんな顔をしているのだろうか。
そう思いながら、手にした剣に魔力を込める。
剣に魔力が満ちた時、敵の剣がリヒトに襲い掛かった。
剣同士が打ち合った。高い金属音が鳴ると、次に剣に亀裂が入る音がした。
敵が持つ剣にヒビが入っている。リュートの剣の威力に力負けしたのだ。
敵は目を大きくし、剣を引いて一旦態勢を整えようと、後ろに下がった。
だが、足がもつれて尻もちを着いた。
恐怖に染まった顔を見せている敵にリヒトは近づく。
目の前の人間は敵なのだ。敵は殺さなければならない。そうだ、殺すのだ。
何度も心の中で唱えたリヒトは、剣を構える。
「うっ……」
リヒトは剣を振るえなかった。剣をだらりと垂らして、力なく敵を見る。
敵は困惑した。が、リヒトに動きがないことが分かると否や、折れそうになっていた剣を握って、リヒトに向けて突く。
リヒトは自分に迫る剣を見て、やっと我を取り戻した。死に怯えた敵が、リヒトを殺そうと再度牙を剥いたのだ。
自分に迫る死を、どこか俯瞰するように実感が湧かないでいる。
死ぬのか。このままリュートを助けることなく死ぬのか。そう思うと、リヒトの中で何かが弾けた。
自分は何のために戦場に出たのか。今、一人で戦っているリュートを守れるようになりたかったからではないのか。
命は皆同等の価値がある。そう言う人もいるが、リヒトにとってリュートの命は、他の誰よりも重い。
カス扱いしても良いリヒトの命を救ってくれたリュートの命は、この世界で一番尊いものなのだ。
垂らしていた剣を振り上げて、敵の剣を払った。
そのまま、上げた剣を振り下ろすと、敵は頭から腹部まで割かれ絶命した。
「ごめん……」
呟くと、リヒトは鎧に魔力を込める。
鎧に施された呪文が、リヒトの体を強化していく。
全身に力がみなぎると、足を踏み出し、全力で突進した。
無双の働きを見せるリュートの下へと。