信念を貫く
巨木の前に立ったリヒトは、手にした剣に魔力を込める。
剣に彫られた呪文は剛化型であり、込められた魔力が刃先の鋭さを強化させる。
斬撃の威力を最大限に発揮させた剣を肩に乗せると、右足を踏み出す瞬間、全力で剣を振った。
木に刃が触れると、まるで紙を切るようにすっと吸い込まれていく。
滑るように木を断とうとした剣が、木の真ん中で止まった。止まった剣を抜くと、リヒトは一度振るって剣を見る。
物質を切断するために強化された剣は、リュートから貰ったものだ。
練習用に貰った硬化の剣から、より実践的な剣に変えてもらった。
この剣を貰うためにひと悶着あったが、結果リュートが折れた。
譲り受けた剣は、過去にリュートが使用していたものだった。
それも、ボルカノスが軍人になったリュートにプレゼントしたものだ。
ボルカノスからリュートへ。そして、リヒトの手に渡った剣を感慨深く見る。
値打ち物の剣に刻まれた呪文は、優秀な彫り師が刻んだもので、魔力の伝達が良い。
無駄なく伝わる魔力が、普通の剣よりも更に強力な物へと変えてくれる。
その力をもってしても、巨木を断つことはできなかった。
自分の持つ魔力の量のせいなのか、腕のせいなのか。どちらにせよ、未熟さを痛感していた。
「兄さんだったら、斬れるのかな……」
切り傷を負った巨木に手を当てる。
この木は特に固いものだと聞いている。それを途中まで斬ったことができたことは、十分に誇れることであったが、今のリヒトにはそう思えなかった。
比較対象が『ダーカ・ラーガ』と呼ばれるリュートなのだ。剣を振るい始めて、まだ三年も経っていないリヒトが追い付ける訳がなかった。
「よし、帰るか」
滅入りそうな気分を切り替えると、背中に感じていた視線に体を向けた。
そこには、紺色の髪の少年が三人いた。少年達はリヒトの横を通って、巨木の傷をしげしげと眺める。
「兄ちゃん、すげぇなぁ。もうちょっとで斬れそうじゃん」
「さっすが、ダーカ・ラーガの弟だよなぁ」
楽し気に声を上げると、一人の少年がリヒトに熱い視線を向ける。
「お兄ちゃんも戦争に行くの? こんだけ凄いんだから、活躍するんだろうなぁ」
「戦争か……。戦争になると思うか?」
「大人達、みんなが言ってるよ? カルディネアが攻めてくるって」
「そうか。やっぱり、そうなんだな」
剣を鞘にしまうと、子供達を連れて村へと向かう。
子供達の話は噂ではなく、ほぼ確定と言ってよかった。ルクス共和国とカルディネア王国との国境線で兵の動きが活発化している。
カルディネアは常々、ルクス共和国を狙っていた。小国ながら、肥沃な大地が広がるルクス共和国を欲しているのだ。
カルディネアの圧力が強まっているのは、前線の兵士だけでなく、国民も感じ取っていた。
暗雲が立ち込める中、ルクスの英雄ともいえるリュートと、その弟のリヒトに期待を持つのも分かる。
子供達の熱い眼差しを受け、これから起きることを想像する。
おそらく。いや、確実にリュートはリヒトが軍に入ることを拒否するだろう。
どう説得したら良いのか。リヒトは良い案が浮かばないまま、森を抜けた。
・ ・ ・
「ダメだ!」
リュートは大きな声で却下した。もちろん、リヒトが軍に入ることに対してだ。
このやり取りを、もう数ヶ月していた。話はいつも、リヒトが自分の意志を強く訴え、リュートが却下する。
「でも、兄さん」
「でもじゃない。軍隊に入らなくても、僕を助けることはできる。父さん、母さんを守るために残るのも、僕の助けになる」
「でも」
「でもじゃない」
話は進むことなく、これの繰り返しだった。
このやり取りはリュートが返ってくる度に行われており、ボルカノスもメラルダも慣れたのか、ただ黙って食後のお茶を楽しんでいた。
「兄さん、何度も言うけど、俺は兄さんを助けたいんだ。その結果、ボルカノスさんやメラルダさんを助けることに繋がるんじゃないかな?」
「屁理屈をこねるんじゃない。とにかく、ダメなものはダメだ」
話を完全に打ち切ったリュートは、腕組みをし、憮然とした表情を浮かべた。
対してリヒトも負けてはいなかった。リュートの目をじっと見据えたままである。
一歩も引くつもりはない。その思いが瞳の奥から熱い意志を見せていた。
ここで引き下がって、もし戦争が始まってしまえばリュートを助けに行くことが難しくなってしまう。
戦争が始まる前に軍に入隊せねばならない。
リヒトが異世界で生きていく目標が離れていくのは、絶対に避けなければならない。
ここが踏ん張りどころだった。いつもであれば、リュートの目力に負けていたが、今回はその力を押し返さんばかりに強く見つめている。
二人の視線がぶつかり合っていると、一つのため息が聞こえた。
ボルカノスであった。
「リュート、ここらが潮時ではないか?」
「父さん!? 何を言い出すんだ? リヒトは戦に出るような人間じゃない」
「わしから言わせれば、お前も似たようなもんだったぞ? 人を強くさせるのは環境だ。戦に出れば、強い男になるかもしれんし、ならんかもしれん。それならば、それに近い場所に連れていくことは悪い事ではないと思うが?」
「くっ……」
返す言葉に詰まったリュートは、ボルカノスから視線を逸らす。
その先にはリヒトがいた。変わらず、真っ直ぐな強い意志を見せている。
リュートは次の逃げ場をメラルダに求めた。メラルダはリュートの視線に気づくと、ふっと微笑んだ。
「みんな、どうかしてるよ……。分かった。僕の従者という形で軍に入れるよう、交渉しよう」
観念したリュートはため息交じりに言った。
リヒトは目を輝かせて、リュートの言葉の意味を確認する。
「本当に良いの?」
「ダメと言っても来そうだからね。それなら、最初からいた方が気が楽だし。ついでに直接、稽古もつけてやれるからね」
「ありがとう、兄さん! ありがとう!」
今にも飛び跳ねそうな勢いで礼を言った。
その姿が面白かったのか、メラルダが口を手で隠して上品に笑う。
つられて、ボルカノスも頬を少し緩めた。
戦の気配が漂い、厳しい冬が迫る中、この家には温かな微笑みが浮かんでいた。




