8話 瑠璃のお風呂
藍川さんに卵粥をゆっくり、あーんと食べさせてから、トイレにも抱いていって、ふと今日はたくさん汗をかいていることに気づく。
「そういえば部屋に風呂があったけど、これじゃ藍川さんは入れないしなぁ」
バスタブは深い一人用だった。お湯は【魔石】でいくらでも出せることは確認しているので、案外と広い浴室に横になれるような病人用の広いバスタブを作れば、彼女も風呂に入れてやることもできるか。
よし、がんばってみよう。昨日からアリスの言っていた【魔力制御】のイメージを集中させて、【時空錬金】を使う。実は病室とトイレ用に柔らかティッシュやウエットティッシュなどを錬成していたので、Lv2にレベルアップしていたりする。
「こうして、こうして、背中が沈まないように斜めにして……足がのばせるように長く伸ばして」
ブツブツとつぶやきながら、バスタブを知らずに魔改造する。
「おー、できた。やれば何とかなるもんだな。あ、シャンプーとか、リンスとか、コンディショナーとか、ボディーソープとか、ワシャワシャするタオルとか……いるなぁ」
またブツブツ言って手を握ると、何もない掌から粘土を固めるようにシャンプーが姿を現す。フタを押せば1回分出てくるタイプにしたのは、こだわりだ。
「できたぁ、材料いらずなとこが便利だな。一気に作っちゃうか。これは意外と楽しいぞ」
すべてを錬成してずらっと並べてから、ベッドからお風呂場に藍川さんの身体を横に抱いてくる。
「今日はお風呂に入れるぞぉ。ほら、シャンプーハットも用意したから泡も目に入らないんだ」
なぜか紅い瞳を三角にしてシャンプーハットをにらむ白髪の頭にかぶせてやり、病院着を脱がせようとしていると後ろから、
「何やっとんじゃいっ!」
ドカッ、
「あいたー!」
顔を真っ赤にして怒ったアリスが俺の頭に踵を落としていた。びっくりした顔をしていた藍川さんがくすくすと笑う。
鈴をコロがすような声で、くすくすと笑う。
結局、彼女をお風呂に入れるのも、侍女にまかせることになった。
そんなこんなで、風呂上がりでベッドに横たわる白髪の少女の手を取っていつものマッサージをしながら、今日も【魔力制御】のイメージトレーニングを続ける。
今回は【波魔法】を応用して魔素を波状に制御して連続パルス化してみる、ようは電極マッサージ器の魔法版だ。おお、触れている手がピクピクして、その度に彼女の大きな紅い瞳の上にある白い睫毛がつられるようにピクピクする。
「ハクローの【時空錬金】ってちょっと異常ね。普通、何も無いところから物を生み出すことはできないもの。しかもこの風呂上り用保湿乳液のプラケース、バーコードまで付いているし」
「『等価交換』って言ったか? でも具体的にイメージしろって言ったの、アリスだぞ」
「これ私にもちょうだいよ、あとシャンプーとかも。王城の大浴場って固形石鹸だけなのよ。せっかく、真紅にカラーリング設定した髪がバリバリになっちゃうから嫌だったんだぁ」
「わかった、わかった。香りは何がいい?」
「とりあえずこのままでいいわ。ねえ、そのハクローのシャンプーはえらいスースーする匂いがするけど、何それ?」
「『シーフリーズ』は【サーファー】の基本だろ?」
「凍ってるじゃない、髪に優しくなさそうね。ハゲるわよ」
「ほっとけ」
【魔力制御】の練習をしている藍川さんの細い手を包む俺の両手が魔力でぼんやりと光を帯びているが、なんか効いてそうだからいいか。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ロウソクの灯りが照らす王城内の侍女の部屋がある区画、暗がりで血の滴り落ちるナイフを片手に、納得できない顔をしている黒いフードをかぶった男が一人。
「せっかく異世界まで来たのに、何かつまらん」
つんつんとナイフで床に転がった赤い塊をつつきながら思案顔をする。
「ああ、貴族のお嬢様が侍女をやってるからといって、しょせん人間の娘だから元の世界と変わり映えしないのか。ケモ耳にシッポ付きの獣人の娘とかエルフの娘とか……あ、あと魔法を使うのもいいなぁ。よし、今度探しに行こうっと」
機嫌の良くなった殺人鬼はべったりと血の付いたナイフをくるくると振り回しながら暗がりの廊下に消えていく。
後には腹部を開かれ、まるで解剖されたような侍女の死体がひとつ血だまりに横たわる。その周りには引きずり出された内臓が、整然と並んで残されていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
夜空に月が見える灯りの消えた病室で、ベットの横の椅子に座り、心電モニター代わりに手をつないでいると、淡い桜色のパジャマを着た藍川さんがもぞもぞと動く。
「ん? お昼にたくさん寝たから、眠れないのか?」
紅い瞳が月光に照らされ、戸惑うようにこちらを窺う。
「んーと、少しだけお話しをしてもいいですか?」
あいかわらず鈴をコロがすような心地いい小さな声で薄く微笑みながら、珍しくお願いをしてくる。それにしても、まだ大きな声は出せないようだが、今日一日でずいぶんと話せるようになったものだ。
「ああ、寝る子は育つというから、ホントは寝た方がいいんだろうけどな」
「えへへ、わがまま言ってすみません」
「いや、異世界のこんな状況でよく我慢していると感心しているぐらいだから、これくらい何でもないさ」
「えへへ、入院生活が長いので慣れているだけです」
「……そうか」
これだけやせ細っているんだ、それなりに長い入院生活だとは思っていたが。すると、はにかむように微笑んでから、藍川さんはゆっくりと自分のことを話し始めた。
「私は3才までは普通に黒髪で黒い瞳だったんです。最初は少しづつ髪が白くなり、そして瞳が紅くなって、肌も真っ白になっていくという色素が少なくなっていく病気でした。
病気としては生まれながらの先天性が一般的らしいのですが、私の病気をお医者さんは『後天性白皮症』と呼んでいました。
そのうち合併症を起こして外に出ることもできなくなり、小学校の低学年で入退院を繰り返すようになりました。お父さんとお母さんはお金をいっぱい出してくれて、お薬を飲ませてくれたり手術を受けさせてくれたけど、お医者さんは今年の夏は超えられないだろうと言っていました」
一度、大きく息をするように間を開けると、暗くなった窓の外を見ながら話を続ける。
「あの日、実は私の心臓は一度止まっていたんです。ああ、死ぬんだなと思ったら雷が落ちるような大きな音がして、天使さんの前にいました」
◆◇◆◇◆◇◆◇
(あれ? 私、立ってる? 違う、足は浮いてる……?)
「はい、次の方は……藍川瑠璃さんですね」
真っ白な部屋の中、書類を片手に五人の天使の中の一人が声をかけてくる。
「混乱されているとは思いますが、アイカワさんは事故に合われてこちらに来ていただいています。あ、死んだわけではありませんのでご心配なされないように」
「あのー、私、心臓が止まって死んだと思うんですが?」
支えるものがないまま直立した姿勢で、でも、つま先は床に触れていない。ぼんやりとしか見えなかった目も、今はしっかりと天使さん達の姿が見えていた。もう何年も立ち上がったことなど無かったので、妙に視線が高い。
(あ、やっぱり、金色のわっかと白い羽はあるんだ。でも弓を持っていないのは、キューピットさんじゃないからかな? エンジェルさん?)
「ああ、心臓が停止しても、しばらくは脳は生きていますので、死亡確認がされる前にこちらに来ていただきました。特に身体の方に不都合は無いと思いますが」
「うーん……調子は普段と変わらないみたいです」
「それは良かった。ところで、この事故を利用してあなたを別の世界に召喚しようとしている者がいます。召喚されるのはここに来ていただいているあなたの『魂』だけで、残念ながら我々にはそれを防ぐ手立てはありません。召喚された先の世界でも今と同じ身体が『魂』の器として用意されることになります」
「えっ、それって病気の身体ってことですか?」
「そうなりますが、このままあなたの魂を召喚されるのはいささか困るので、向こうの世界で生活しやすいようにいくつかご希望をお聞きいたします。現状、召喚により職業が【勇者】で初期設定されている以外はその他のスキルや装備などは一切が白紙の状態です。何か欲しいものや、なりたいものなどありますか?
例えば、健康な身体とか……」
「はいはーい! 健康な身体がいいです!」
「分かりました、他には何かご希望はありますか?」
「他ですか? 健康であれば、他には別に……あ、でも健康になって親孝行がしたかったです。あと、お友達もほしかったなぁ」
お父さんとお母さん、妹の詩織ちゃんのことを思い出すと悲しくなってくる。
「分かりました、【健康】と【親孝行】と【友達】のスキルをご用意しました。すべてユニークスキルなので、詳細が確認できるスキルレベルとなっている【鑑定】で詳しくは見ておいてください。手荷物は……ほとんど無いようですが、妹の詩織さんがお見舞いに持って来られていた『鉢植え』がありますので、【収納】に入れておきます。
言い忘れていましたが、召喚直後は心臓が停止していますので、くれぐれも蘇生の方をお忘れなきよう」
「え?」
「それでは以上になります。次の方、どうぞー」
「ええーっ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇
藍川さんのどう聞いてもぽんこつな、天使とのやり取りに痛むこめかみを指でおさえる。
「そ、それで召喚されたときに心臓が止まっていたのか……天使、そこは何とかしろよ。マジ、びっくりしたんだからな」
「えへへ、驚かせてしまってすみませんでした。正直、クロセくんがいなかったらどうなっていたか……本当に助かりました。ありがとうございます」
ぺこり、そのまま深々と頭を下げ続ける白髪の少女。ベッドの上の少女がシーツに頭を付けるほど下げている、いや、下げさせていることが異常に居心地が悪かった。
「わかった、わかったから、もういいから。あれはどう見ても、天使が悪し、どうかしてる。
藍川さんも少しはアリスを見習え。あいつは髪や目のカスタマイズはもちろん、スキル構成は言いたい放題でレベル初期値なんてLv10だし、武具類も神話級フル装備で予備までそろえさせたらしいぞ。
俺とすれば、あとは元気になってくれさえすれば、それでいいからさ」
「でも、おかげてファーストキスをすることができました。小さな夢がひとつかなってしまいました、えへへ」
藍川さんは頭を上げると、薄い桃色に頬を染めて微笑みながら嬉しそうに言葉を続ける。心なしか、いやんいやんとクネクネしている気もする。
「え?」
じ、人工呼吸のことを言っているのだろうか? お年頃の女子高校生がそれでいいのか? 救命活動と一緒にしたら、ダメだろう。いやダメだ、絶対にダメに決まってる。
「こ、この前のは俺もファーストキスということになるので、ノーカンで。ファーストキスはあらためてな?」
「えー。じゃあ、また今度ですよ?」
何だか悪いことをしたような気もするが、これから元気になれば、この異世界でそんな機会も増えてくるんだろうから……な。
この異世界での将来かぁ、と、あらためて考えていると、藍川さんが少し小首を傾げて透き通るような紅い瞳で覗き込んでくる。
「帰りたいですか?」
「んー、……帰っても家には姉貴達が六人いるだけだから。親父はめったに帰って来ないし、母親はもういない」
そう、姉貴達だって母さんの死が悲しくなかった訳がない。それでも彼女達は気持ちを切り替えて自分の人生を生きていくことができたが、俺は違った。それだけのことだ。マジにうじうじした後ろ向きな人生で、正直、自分でもキモイ。
「ご、ごめんなさい」
「いや、8年も前のことだから。気にしないでいい。俺も言い方が悪かったな」
「……私は元の世界で一度は死んでいたはずなので、この世界で生きているだけでも嬉しいです。でも、ひとつわがままを言えば、お父さんとお母さんに親孝行がしたかったです。あ、あと、お友達が欲しいです、えへへ」
小首をかしげたそのままの藍川さんが薄く微笑みながら、寂しそうにそんなことを言う。
だから俺は、その紅い瞳を真っ直ぐ見て宣言する。
「じゃあ俺が異世界で、藍川さんの最初の友達だな?」
そしたら、白髪の少女はちょっと驚いたような顔をすると、
「えへへ、ありがとうございます。夢がひとつかないました」
少し頬を染めて、細くした紅い瞳の奥をわずかに濡らしながら薄く微笑む。たくさんあるだろうその夢の中で、たったひとつの願いがかなったからと、嬉しそうに微笑む。
◆◇◆◇◆◇◆◇
真夜中過ぎの寝静まった病室で、親孝行がしたいという藍川さんの言葉を思い出す。
レベルアップした【解析Lv2】で見た彼女の【親孝行Lv1】スキルには、これまで見えなかった『次回のスキル使用までのカウンタータイマー』とかいうものが表示されるようになっていた。
タイムアップまでの残り時間はざっくり1年弱のようだ。彼女自身の【鑑定】ではそこまで詳細には見れていないようなので、これはしばらく言わない方がいいのかもしれない。
直前には何らかの準備が必要になるんだろうが。
それが彼女にとって幸せな未来になるよう祈りつつ、椅子に座り手をつないだまま、ゆっくりと眠りに落ちていく。