46話 魔術士マルタン
一夜明けて22日目の朝、静かに剣術と歩行の朝練を終えた後の魔法教室。
今日は珍しくいつもより大人しく、黒板の前に立つミラ先生の授業が進められていく。自慢の☆マークの指差し棒もなんだかあまり光ることがなく、へんにょりしてしまっている。
その裏庭の芝生に立ち、授業そっちのけで黙って病室の方を見つめていたアリスが、おもむろに小さな声でつぶやく。
「杖とローブを買いに行きたいのだけど」
ふぅ、と小さなため息をついて、隣で芝生に座ってやさしく微笑むルリと目を合わせてから、ゆっくりと答える。
「ああ、追加の【錬金】はまかせろ」
「私も【付与】がんばります」
「コロンもおてつだいしましゅ」
「お見舞いに行くなら、おいしいものも持っていくと良いわよ」
フィが透明な妖精の羽をプルプルさせながら、良いことを思い付いたとばかりに人差し指を立てる。
「それではみんなで一緒に鍛冶屋と、それから甘い物でも買いに街までお買い物に行きましょうか」
「そうですね。姫様、ついでに小さな鉢植えのお花を買って来ましょう。初心者の魔法の練習用に蕾を咲かせる可愛い花があったはずです」
ミラとクラリスが授業が終わった後の、今日の午後の予定について考え始める。
「え、なになに? 誰かのお墓参りですか?」
「こ、この空気読めない残念シスターは言うに事欠いて何ということを……食べた栄養はすべてその無駄にデカい胸に行って、脳には栄養が届かずに縮んでるんじゃないの?」
アリスは自分のささやかな胸に手を当てると、シスター・フランのたわわに実った豊満な胸を、腰に下げた白く透き通る【剣杖】でつつく。
「痛い、痛いぃ~。アリスさん、それ先が尖がって痛いですぅ」
「姫様、そういえばフラン様の……何だか一段と大きくなったような気がするのですが」
「いいえクラリス、気のせいではありません。王城の礼拝堂に来てからも更に成長しているようですよ」
「えへへ、毎日ここで女神様のお側に仕えることができて、日々この溢れる信仰心が胸いっぱいに満たされていくのを実感しております。おお、女神様に心よりの感謝を」
シスター・フランがルリの前に跪き、祈るように両手を胸の前に合わせると、二の腕に持ち上げられた柔らかい豊かな膨らみが、グニャっとたわんで零れそうになる。
「キーッ、何よ何よ。ルリ、女神が与える祝福に【豊胸】のスキルがあるなら私にも寄こしなさいよ!」
「わわっ。アリスちゃん、ガクガクしないでください。
いやーっ、目が怖い。怖いです、ハクローくん助けてください~」
「おおぅ、落ち着けアリス。大体、そんなスキルあるのかよ」
「知らないわよ! 天使からもらった『スキル一覧』にはそんなの無かったわよ。
しかぁーし、ここに生きたサンプルがいるのだから、誰も知らない隠しレアスキルとかあるかもしれないわ」
薄い自分の胸を張って、へっぽこフランの盛り上がった豊満な双丘を、神話級【剣杖】でツンツンと突き刺す。
「いやそもそも、そのぽんこつシスターは【信仰】以外のスキルは一切何も持っていないからな」
「それでは、平河くんにシスター・フランの【信仰】スキルを【強奪】してもらって、その巨乳が縮むか確認してみようか!」
突然、後ろから会話に割り込んできたのは、いつの間にいたんだ……謎に神出鬼没なスキル持ちの、高堂先輩だった。
「ぎゃー、悪魔が来た! 私から『【信仰】心』を奪うなんて、何と女神様をも恐れない大それた所業ですか!」
「おしい! もうちょい上だ! 女神が怖くて、飯が食えるかぁ!」
ルリに抱き付き、この世の終わりとばかりに大粒の涙を流しながら叫ぶフランに、高堂先輩が相変わらず意味不明な突っ込みを返す。
すると、いいことを聞いたとばかりに、アリスが大賛成と言うように明るい声を上げる。
「それ良いわね、あのバカ平河のお騒がせスキルにも、立派に平和利用ができるじゃない」
「うわーん、アリスさんまで。何か恨みでもあるんですか? ルリ様ぁ、助けてください~」
すでに、わんわん泣いているフランがルリに縋りつくが、アリスは両手をワキワキさせてフランの暴力的な胸にせまりながら、彩光の消えたオッドアイで睨みつけてつぶやく。
「ん? 恨みというか、逆恨み? いや、妬み? 嫉み?」
「よしよし、アリスちゃんはフランちゃんに酷いことなんかしませんよ」
泣き虫フランのペールブロンドの長髪を、さすりさすりとルリが優しく撫でてやる。
あ、また肩の上によじ登ってしまったコロンが、ふんわりしっぽを丸くしてプルプル震えている。
「マジで、どっから湧いたんですか高堂先輩。びっくりさせないでくださいよ。
それにほら、コロンが怯えてしまってるからトットと帰ってくださいね」
「ガックシ、クロセくんは冷たい。せっかく元気づけてあげようと思ったのに。でも、おもしろかったからいいや」
じゃーねー、と元気に手を振りながらホップ、ステップ、ジャンプと、物凄い達人スキップで去っていくどこまでも陽気な高堂先輩。
ホントにいつも何しに来るんだか、まったく分からん。
ああ~。まだ、メソメソとぽんこつフランが泣いてる。こいつはホントに良く泣くなぁ。
「ほら、もうなんちゃって悪魔は去ったぞ。それに、しょんぼりフランから【信仰】スキルを取ったら、文字通り何(のスキル)も残らないからな」
「えへへ、ハクローさん。褒めてます? 褒めてますよね?」
「え? い、いや……うん」
「ハクロー、何よその曖昧な返事は。そのけしからん胸に、ハッキリ言ってやんなさいよ」
「あはは……はあぁ~」
紅と蒼のオッドアイを細くして顔を近づけて来たアリスは、まだプリプリ怒ってるが、――まあ、この心優しい心配性の少女の元気が、ちょっとでも出たんなら結果オーライか。
「ほら、コロンも……もう大丈夫よ、怖いのはいなくなったわ。それにしてもあの男、近くで視ると……見た目と違うのね」
俺の肩に乗ったコロンの、そのまた肩に乗った妖精フィが、コロンの白銀色の長髪を優しくなでている。
「こぉ~ん」
俺も情けない声で鳴くコロンの頭をなでなでしながら、できるだけ明るくみんなに声をかけてみることにする。
「それじゃ、みんなで買い物に行くとすっか」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「平河くん――【勇者】エイジはどうなるのかしら」
王城の【勇者】に与えられた上級貴族も宿泊する豪華な客室のひとつで、部屋着のままの宮野副生徒会長が白い丸テーブルの椅子に座って窓の外を眺めながら、独り言のように小さな声でたずねる。
その部屋には、いつもの生徒会長と風紀委員長に護衛の女騎士が見える。
「次期王位継承権第一位の面子を潰したのですから、最悪は不敬罪ということもあり得ます。
まあ、現実的にはフレデリック第一王子が望まれているような、死刑ということはないでしょうが、それなりに重い罪に問われることにはなるでしょう」
部屋の扉の前で護衛を務める女騎士のタチアナ副騎士団長が、何の感慨も無いという口調で質問に答える。
「そう……」
「香織が心配しても仕方がないわ」
俯いてしまった副生徒会長の肩に、長瀬風紀委員長がポンと手を置く。すると、部屋付きの侍女が少し開けた扉の向こうから声をかけてくる。
「【勇者】カオリ様、フレデリック第一王子殿下が見えられていますが」
「……会いたくないです」
顔を上げず俯いたままで副生徒会長が答えると、その声が聞こえたのか第一王子が扉の外で大きな声を上げる。
「【勇者】カオリ殿、どうかお話だけでも!」
余りの見苦しさに見かねた風紀委員長が扉の傍まで歩き、白に金細工の扉の向こうを睨むように少し低い声で言い返す。
「帰って下さい。それに、他にお見舞いに行かれる必要のある女性がいるんじゃないですか?」
「それは! くっ、……また来ます」
第一王子の足音が立ち去ると、風紀委員長は丸テーブルまで戻り、俯いたままの副生徒会長の隣でさっきから無言で座ったままの沢登生徒会長に視線をやる。
眉を寄せた生徒会長は黙って椅子に座った姿勢のまま、痛々しい包帯が巻かれた腕で腕組みをした拳を強く握るだけ、だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「このままでは……このままでは【勇者】エイジ様が、私の立場が。いったいどうすれば……」
平河衛士に与えられていた、他より異常に広い複数の寝室のある客室に、一人膝を着く【従属の首輪】を付けた奴隷のサラ。
昨日までは十人以上がいたとは思えない、閑散としたその部屋でブツブツと独り言をつぶやく。
伯爵令嬢のエルミールの持ち物が収まっていたはずの衣装用小部屋は、全てが持ち出されて空になっていた。よく見ると、他の奴隷の女性達九人の少ないながらも服や下着など身の回りの物までが無くなっている。
地下牢に捕えられている平河衛士に、面会を求めて守衛に懇願し続けていた奴隷のサラは、他の奴隷の女性達九人とすれ違いになってしまっていた。
他の奴隷の女性達九人とは違い、ひとり戦闘スキルもまともに持たない奴隷のサラだけは、誰からも脅威と判断されることもなく、その瞬間だけ綺麗さっぱりと忘れさられていたのだった。
するとその時、半開きとなっている部屋の扉がノックされる。振り返ると黒いフードをかぶった男が、部屋の入り口に立っていた。
「あなたは、確か……」
「良い話が……あるのですが、ねぇ?」
訝し気な顔をする奴隷のサラに、男は深くかぶった黒いフードの下で、口が耳まで避けるような笑みを浮かべて、そう囁いたのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
王城の別棟にあるルリの隣の病室、怪我をして入院している――かつては宮廷魔術師だったマルタンのお見舞いに来ている。ミラとクラリス、フランは用事があるので、王城に戻ったところで別れていた。
ベッドに座って頭を下げるマルタンの首に巻かれた包帯は、まだ取れないようだ。
「わざわざ、【賢者】アリス様に見舞いに来ていただけるなんて。宮廷魔術師ですらなくなってしまった僕なんかのために、本当にありがとうございます。
すごく嬉しいです、一生の思い出にして、――そうだ、退院したらさっそく家族に自慢しないと」
未だ擦れた声も、まだ少し辛そうで。えへへ、と笑う顔色もあまり良いとはいえない。
「そう……」
ベッドの傍に立つアリスの人形のように整った顔からは、すっかり表情が消えてしまっている。
まるでセルロイドでできたような、触るとすぐに割れて壊れてしまいそうな、そんな風に見えてしまった。
そんなアリスの、それでも儚いほどに美しい顔をまっすぐに見つめながら、マルタンはわずかに恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべて、その心に灯る目に見えない何かを大事そうに、目の前の憧れの人へと捧げる。
「宮廷魔術師団長のご温情で魔術士見習いとして、怪我が治った後も王城で働かせていただけることになりました。
全ての魔法スキルを失って、またゼロからになっちゃいますが、もう一度……もう一度【賢者】アリス様と同じ属性魔法スキルを習得するために、が、がんばり……頑張ります」
無表情だったアリスの綺麗な紅と蒼のオッドアイが細められ、さくらんぼのような唇にそっと、わずかに嬉しそうな微笑みを浮かべる。
そして、【賢者】で【聖女】な異世界からやってきた少女が、その道を示す。
「がんばれ」
そう言うと、アリスは【収納】から取り出した、新品の杖とローブをマルタンに手渡す。
肝っ玉ドワーフ母さんの鍛冶屋で買ったばかりの新品に、俺が【時空錬金】でスロットを三個づつ追加で錬成して、ルリが杖に【魔力制御】、【魔力強化】、【魔力上昇】を、そしてローブには【魔力制御】、【魔力強化】、【防御上昇】を、いつの間にかLv3にレベルアップしていた【付与】スキルでかけた無銘のレア装備だ。
「え? あ……ありが……ありがどう、ございまずぅ」
手にした杖とローブをしっかりと握りしめて、嗚咽を漏らすように擦れた声を絞り出すマルタンに――零れ落ちる涙は見えなかったことにした。
「これは、私達からです。大通りの『ラング・ド・シャ』っていうクッキー屋さんの、新作ラングドシャのクッキーなんですよ。
これが甘くて、しかもサクサクでおいしいんです」
「コロンも、うまうまです」
「フィも味は保証するわよ」
アリスが完成したばかりの新作クッキーを、ルリから受け取って手渡す。『【暴食】の妖精』フィさん、おみあげの味見と言っては、いったい何個食べていたんですか?
「それから、これはミラレイア第一王女からのお見舞いの品で、【魔力制御】の練習するときに使う花らしくて、魔力を込めると蕾が花開くという鉢植えです。
入院しているのに切り花ではなく鉢植えなのは、退院しても繰り返し何度も、何度でもずっと練習してほしいからだって言ってた」
ミラとクラリスから預かっていた、小さな鉢植えを【次元収納】から取り出して、ベッドサイドの白いテーブルの上に置く。
「みなざん、本当にありがどうございまず。僕、頑張りまず」
全てを失った元宮廷魔術師の少年がどん底の標高ゼロから、再び遥か高見を目指して立ち上がる。
眩しいくらい輝く、真っ紅な長髪をなびかせるその美しい頂きを見上げて、ただの魔術士見習いはその第一歩をゆっくりと、しかししっかりと踏み締めて上り始めるのだった。
後年、マルタンは国境を越えて慕われる【大魔導師】として、その名声をあまねくこの世界に轟かせることになる。




