4話 瑠璃色の覚醒
異世界に召喚されて2日目の夜明け前。まだ薄暗い病室のベッドの上で、藍川瑠璃はゆっくりと意識を浮上させる。
(……やっぱり生きてる。夢じゃないんだ)
身体の節々は言うことを聞かず、上手く動かすことができない。薄く目を開けてみるが視力は衰えたままで、でも紅い瞳だけをわずかに巡らすと、それを見つける。
窓の外には夜明け前の瑠璃色の空。そのわずかな明かりの下で見つけた、自分の手を握る日焼けした少しだけ大きな手。そこだけ温もりが伝わる温かい手。
見る影もない自分の細く痩せた指をどうにか動かし、少しだけ握ってみると優しく包み込むように握り返してくるその手。
そして自分の顔のすぐそばにある、黒ではない変わった色をした――そう、瑠璃色に輝く髪。どこまでも、どこまでも夜明け前の空のように透明な瑠璃色をした髪。
わずかに首を傾けてその髪に顔を近づけてみると、なつかしいお日様の匂いがした。
(ああ、生きていてよかった……)
まどろむ瑠璃の意識は再び沈んでゆく。しかし、しっかりと繋がれた手は離されることはない。
◆◇◆◇◆◇◆◇
しまった、心電モニター代わりに手を繋いでいたら、そのまま爆睡してしまっていた。外はもうすっかり明るい。異世界に召喚なんてされて疲れていたとはいえ、なんてこった。
ふとベッドの藍川瑠璃を見ると、長い睫毛を伏せてかすかな寝息が聞こえてくる。よかった。
彼女は少なくとも昨日から何も口にしていないはずなので、何でもいいから食べやすいものを用意しようと思い立つ。できればお粥――お米がなければ、オートミールか。
準備をするため手を離そうとすると、細い指が離すまいと握り返してくる。
ふと気づくと、薄目を開けてる紅い瞳と目があった。昨日より視点がはっきりしてきているのか。
自分の目付きが極めつけに悪いことは、姉貴達六人にいつも言われてよく知っているので、できるだけ優しく怖がらせないよう声をかける。
「覚えているか? 昨日会った、黒瀬白狼だ。何か食べた方がいいんだが、藍川さんは食べたいものとかあるか?」
力無く、ふるふると小さく首を振る、透けるように綺麗な白髪の少女。
「じゃあ、お粥かオートミールを作ってみるから待っててくれるか? あ、飲み水はこれだ、常温でいいか?」
あまりに軽い少女を抱きかかえて座らせ、背中にクッションを入れる。そしてゆっくりとコップを傾けて、桜色の唇に持っていく。少し喉に引っかかるようだが、コクコクと飲んでいるので一安心だ。
「トイレは? この部屋のその扉にあるから、必要なら言うんだぞ。よし、じゃあ、王城の食堂で材料をもらって来るから、ちょっとだけ待ってろよ」
昨日教えられた食堂で少し細長い米と塩などのちょっとした調味料をもらってきたので、おかゆに挑戦だ。病室の入り口にあるミニキッチンに向かい、水を多めにして長めの時間でよくよく煮込んで完成。
クッションにもたれたまま白い長髪を垂らす少女に、米の見た目がなくなってトロトロになった異世界お粥をよそって食べさせる。
「ふーふー、もう熱くないぞ。ほら、あーん。ちょっとずつ、ゆっくりな」
少しずつ流し込むように、しかし慎重に食べさせている間に、彼女本人が持っているスキルについて説明する。
「藍川さんは【健康】ってユニークスキルを持っているんだけど、これがすごいらしくて、何と『全状態異常耐性』と『自動回復』のコンボなんだってさ。各種耐性に対する強度とか時間当たりの回復量とかはスキルレベルによるみたいだけど、ちゃんとご飯を食べて、いい子で寝ていたらすぐに良くなるみたいだぞ」
藍川瑠璃の綺麗な白髪の頭を、思わずさすりさすりしながら応援する。
「がんばれ……がんばれ……他のことはいいからな、食べて寝ることだけでいいから、がんばれ」
少女もそれが分かったのか、小さくコクンとうなずくと眠くなったようで、薄く開いていた紅い瞳をゆっくりと閉じる。クッションをどかして静かに横に寝かせると、ほどなくして小さな小さな、本当に小さな寝息が聞こえてきた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
【勇者】召喚された生徒会長達六名は病室にいるハクローと藍川瑠璃を除いて、今日から騎士団との合同訓練に参加させられていた。いつも騎士団が使用している、城内演習場だ。
まだ学生である六人の前に立つのは銀色の金属鎧を着たランベール副騎士団長、その後ろにフレデリック第一王子とマリーアンヌ第二王女が付き添っている。
「それでは手始めに【勇者】殿達には、この世界の戦闘というものを見ていただこうか」
ランベール副騎士団長がそう言うと、近くにいた騎士団員のひとりをつかまえて、切れないように刃が潰された刃引きの剣同士で模擬戦を始める。それでも金属製の剣を使った、当たれば痣では済まない打ち合いを、生まれて初めて始めて目にした少年少女は「おおぉ~」と感嘆の声を上げるのだった。
すると気を良くしたランベール副騎士団長が、女騎士のタチアナ副騎士団長を呼ぶ。
「タチアナ、付き合え。【勇者】殿達にこの程度の剣戟で驚かれていては、これからの訓練に差し障ってしまいかねん。本物の真剣の立会いをご覧にいれよう」
そう言うなり腰に下げていた装飾過多にしか見えない豪華なレイピアを抜くと、対照的に装飾の一切無い無骨なエストックを抜いたタチアナ副騎士団長と激しい火花を散らしながら真剣同士で討ち合いを始める。
それは素人目にも、明らかに先ほどの模擬戦とは剣のスピードに雲泥の差があった。
「「「「「うわおおお!」」」」」
飛び散る火花と鳴り響く真剣のぶつかり合う金属音に、異世界から来た六人の少年少女達は口を大きく開けて目を丸くする。
そんな様子を一歩下がった後ろから腕組みをしながら見ているアリスは、独り言をぶつぶつとつぶやいていた。
「あれで二人共【剣術Lv6】ということは、私の半分程度ということになるのよね。スピードも【加速Lv4】でこれくらいなら、目にも止まらぬという訳ではないし、やり方さえ間違えなければ……」
しばらくして、打ち合いを終えたランベール副騎士団長が若干息を切らしつつも自慢げに過剰装飾のレイピアを振りかざしながら、羨望の眼差しを向ける少年少女に言い放つ。
「【勇者】殿達にも、このぐらいはできてるようになっていただかないと困りますな。それでは各人で好きな刃引きの剣を選ぶように」
言われた通りに沢登生徒会長は試しに手にした刃引きの剣を振りながら、元の世界でも剣道有段者の長瀬風紀委員長に問いかける。
「剣なんて持ったことないけど、意外となんとかなるものなのか?」
「木刀とは勝手が違うけどね。香織も初めてなのに、様になってるじゃない。やっぱり、【剣術】のスキルを持っているおかげかしら」
「琳ちゃんはやっぱりカッコいいねぇ。あ、高堂先輩も上手だね」
宮野副生徒会長もほのぼのとした様子で、横にいた学校の先輩になる高堂享一を褒めるが、本人は飄々として肩をすくめて見せる。
「大学は医学部志望だから、刃物の扱いは得意なんだよ」
「それって、関係ないっしょ! くそっ、まだ【剣術】スキルを強奪できてないんだから、俺には無理に決まってんだろ!」
この中でただ一人【剣術】スキルを持たない、平河は不満たらたらである。
「まずは走り込みに基礎体力トレーニング、その後に剣術と魔術の基礎演習になる。【勇者】殿といえど、基礎ができていなければ使い物にはならんからな」
そんな【勇者】達をランベール副騎士団長は端正な顔をニヤニヤさせて眺めながら、一般騎士団員と同じ錬度の訓練メニューをやらせようと準備を始めさせる。
異世界生まれの平民の少年少女を侮った果ての振る舞いであることが明らかに分かっているフレデリック第一王子は宮野副生徒会長を心配そうに、マリーアンヌ第二王女は困惑したような表情で、しかし黙って見ているだけだった。
そんな光景を目の当たりにして「ああぁ……」とアリスは天を仰ぎ、大きなため息をつく。誰に教えられるでもなく、こういった感情に人一倍敏感な15才の少女には自然と分かってしまったのだ。
そう、これは他人を見下し、貶め、嬲り者にして悦に入り、そしてそれを見て見ぬふりをし、黙殺する。
例え世界が違おうと、そういう最低で反吐が出るほど下衆な人間達の姿だった。
思わず中学二年の同級生の顔が脳裏にフラッシュバックし、アリスは眩暈を覚えてしまう。
しかし、今はあの時とは違う。たとえ貰い物であろうと、理不尽に立ち向かう力を手に入れたはずだ。
「今度は逃げない」と地面に着いた両脚を踏ん張り、真紅のドレスアーマーの上に白銀プレート付けた胸を意識して張る。
「じゃあ、あんたとそこの宮廷魔術師に勝てば、基礎が出来ているということでいいのね」
そうして適当に刃引きの剣を選ぶと片手でヒュンヒュンと振り回しながら、アリスが顎で指さす。
「ほお、【賢者】で【聖女】のアリス殿が、わざわざ剣術で私と勝負なさると?」
「何を古くさいこと言ってんのよ、現代魔術師は近接戦闘ができて当たり前でしょ。どっちからでもいいから、サッサとかかってきなさいよ」
ちょっとムッとしたのか、ランベール副騎士団長が隣に立つマルタン宮廷魔術師をやはり顎で指しながら言う。
「では、いきなり剣術で挑むのは酷というもの。まずは、宮廷魔術師のマルタンからお相手いただくのが良いでしょう」
「え! ぼ、僕からですか?」
「じゃ、ちゃっちゃといくわよ」
手にしていた剣を置いてすたすたと歩き出すアリスと演習場の中央で向かい合うマルタン宮廷魔術師に、審判を買って出た宮廷魔術師団長が声をかける。
「相手を殺さぬよう、始め!」
すぐさまマルタン宮廷魔術師は魔法の詠唱を始める。とは言っても、一部の限られた魔術師しか習得していない【詠唱短縮】によりその時間はわずかで完了する、……はずだったのだが、その前に。
「遅いわ」
アリスの静かな声に、愕然として詠唱を中断してしまうマルタン宮廷魔術師。その視線の先、アリスの周囲の空中には既に【ファイヤーボール】が何十という数で待機していた。
「む、【無詠唱】!」
「しかも、あの数を同時にか!」
その凄さを同じ魔術師として自身の身をもって実感できてしまった、マルタン宮廷魔術師と宮廷魔術師団長が顔を真っ青にしてたじろぎ、一歩下がる。
「そ、そのような下位魔法など、数だけ何発あろうが何の痛痒もない!」
悔し紛れに叫ぶランベール副騎士団長の頭上に【ファイヤーボール】だった数十の炎の塊が渦を巻いて集まったかと思うと、大きな太陽のように一つに収束していく。
「あんたには、上位火魔法の【メテオ】の一発分で十分ね」
「くっ、……わ、我が剣と勝負するのが恐ろしくなったとみえる」
ランベール副騎士団長は頭上の熱量に大汗をかきながら、それでもまだ苦し紛れに言い訳を続ける。
それを聞いたアリスはパチンと指をならして【メテオ】を一瞬でかき消すと、再び近くにいる騎士団員の持つ普通の片手剣を取り上げて、片手でブンブン振り回す。
「ちょっと借りるわね。あんた御託が多いのよ、トットとかかって来なさい」
「き、貴様っ、身の程を知れぇ!」
これまで平民に見下されたことなどない、伯爵家三男のランベール副騎士団長は激昂してレア級武器の魔法剣レイピアをアリスに向けて振りかざす。
しかし、アリスは何の捻りも無く基本的に刺突してくるだけのレイピアの剣筋の軌道上に、斜めに自身の持つ刃引きの剣を差し込んで、強い力を使うこともなく軽快な剣戟の音と共に、そのすべてをパリングしてしまう。
「おのれっ、貴様ぁー! 小手先だけで、ちょこまかと卑怯だぞ!」
とうとうブチ切れて、重量のある金属鎧を着込んだ肩で、ゼイゼイと息を切らすランベール副騎士団長に、アリスが鼻で笑って言い放つ。
「あら、じゃあ、これ以上時間をかけ無いよう、あんたの剣と首をもらうわ」
言うなり、爆発的な【加速】でランベール副騎士団長の懐に飛び込んだアリスは、その精密な剣さばきで魔法剣の最も脆い一点をピンポイントで突くように繰り出し、鈍い音を響かせて無駄に豪華なレイピアを根元から叩き折ると、返す普通の剣をピタッと首に寸止めさせる。
「そこまでっ!」
あわてた騎士団長が試合終了を告げる。根元から折れてしまって元魔法剣であったが豪華な装飾だけとなったレイピアの残骸を持って座り込むランベール副騎士団長に、
「あんたの口先だけの首なんて、いらないわ」
とアリスは静かに言うと、キラキラした尊敬の眼差しを向けて来る周りの騎士団員達を、ちょっとたじろぎながら見回す。
「基礎レベルがLv1の私でも【剣術】レベルが十分に高ければ、これぐらいのことはできるのよ。あなたたちもできるだけ【剣術】レベルを上げるよう、これからも精進するといいわよ。
それじゃ、私は基礎レベルアップに行ってくるから邪魔しないでね」
騎士団員に敬礼で見送られて、アリスは隣の別棟の病室に向かって長く紅い髪をなびかせながら颯爽と去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、マルタン宮廷魔術師が嬉しそうにクネクネと腰を振っているのだった。
「ああ、【賢者】で【聖女】なアリス様! これからレベルアップして、さらにお強くなられるんですねー!」