2話 ボーイ・ミーツ・ガールズ
天使の言葉を信じるなら、俺――黒瀬白狼――は異世界に転移された、ようなんだが。
濡れた服からポタポタと水滴が落ちるのを感じながら、眩しかった視界が戻ってくるのと同時に、すぐ傍でドサッと人が崩れ落ちる音がした。
そちらを振り向くと、入院着にニット帽をかぶって骨と皮だけの痩せ細った人が、膝をくの字に曲げて石の床に倒れているのが目に飛び込んで来る。
ギョッとして薄暗い部屋の中で駆け寄ると、すぐ近くにいたらしい真っ紅な長髪の少女も近寄って来て。
「【ヒール】」
と、つぶやくと突然、倒れている入院着の人の周りにぼんやりとした光が現れる。え、今何か光ったぞ?
「あ、あれ? 【ハイヒール】! 嘘っ、何で?」
紅い長髪の少女はビックリしたようにあわて始めるが、それにかまわず倒れている人の顔に手を持っていくと、――息をして、ない。
「本気かっ!」
ライフセーバーの手伝いのアルバイトでの訓練経験から、すぐさま首を持ち上げて気道を確保して人工呼吸した後、胸にまたがり両手を添えて心臓マッサージを始める。
両手で押し込む胸元からは、ズレた薄いベージュ色の入院着の下から手術だろう大きな開胸痕がわずかに見えていた。
「……あなた、手慣れているわね」
そう言って覗き込む、人形のような顔立ちの紅い長髪の少女は真っ紅な洋服――3Dゲームとかで見たことがあるドレスアーマーと言うのか――に白銀プレートを胸に付けて、まるでアニメやゲームの中からそのまま出て来たようだ。
そう、それはニュースで見たコスプレのような格好にしか見えなかった。腰にはご丁寧にも、透明な杖まで下げている。
もしかして、異世界の人だったりするのだろうか。
「ああ、ちょっとバイトでね。 ふうぅ~ふうぅ……」
「そうなの、魔法が効かないから助かったわ。あ、私は赤坂アリス。アリスでいいわよ」
そう言うとアリスと名乗った少女は、紅と蒼の右左違う色をした瞳を細めてにっこりと微笑んで見せる。長い睫毛も、つんとした小鼻も、さくらんぼのような唇も、たぶん美少女というやつなんだろう。
それにしてもよかった、同じ日本人のようだ。いやいや、今はそれよりも。
「くそっ、息をしろ! 戻れ、戻ってこい! ああ、ちくしょう。俺は黒瀬白狼、好きに呼んでくれていい」
「ハクローね。これからよろしく」
呼び方のニュアンスが少し違ったが、そうか、これからこの異世界で一緒によろしくしていくことになるのかと、ふと現実に引き戻される。
何度か繰り返し心肺蘇生を続けていると薄暗くも結構広い部屋の入口の扉が開いたようで、沢山の足音と共に人が大勢で踏み込んで来た。
遠目には西洋風ドレス姿の他に金属鎧姿が何人もいる。元々部屋には他にも学生服を着た何人かがいたみたいで、入ってきたレモンイエローの高そうなドレスを着ているストロベリーブロンドの長髪の少女が、そこにいた数人に向かって大きな声で叫ぶ。
「【勇者】様、この世界をお救い下さい!」
「うっわ、言ってはならないテンプレなことを」
すぐ隣にいたアリスが、呆れたように口の中で小さくつぶやくのが聞こえる。それにしても、異世界の言葉は理解できるみたいだ。こっちに来る前に小さな天使に聞くのを忘れていたので、これは助かった。
続けてレモンイエローのドレスの少女の横を素通りして入ってきた、紫色の高級そうな服を着た爽やかな、同じくストロベリーブロンドのイケメン青年が芝居掛かった仕草で同じく大きな声で叫ぶ。
「私はシャルール王国の第一王子でフレデリック・ドグラン・シャルールです、【勇者】殿!」
と、最初から部屋にいた日本人と思われる制服を着た男女三人組の中の一人の少女の手を取り、手の甲にキスをし始めてしまった。
「あ、ええ? ちょ、ちょっと」
目立つ大きな胸を抱えるようにした女子高校生は驚いて身を引くが、手を掴まれているので逃げることができないみたいだ。こっちの世界では、あのレベルのスキンシップが普通だったりするんだろうか。
そんな光景を横目に見ながらも人工呼吸と心臓マッサージを続けていると、今まで息をしていなかった入院着の人が「げほっ、げほっ、げほっ」と身体を苦しそうに折り曲げて擦れた声を上げる。
「ふーっ、良かった。助かった~」
大きな息を吐きながら、またがっていた病人の身体の上から漸くおりる。そうして【時空収納】の中のデイバッグから取り出した大きなバスタオルで、横たわる身体に付いた水滴を拭き取りながら、その細すぎる身体を守るように覆ってあげる。
「気分はどうだ? 吐き気はするか? 頭痛は?」
そう問いかけながら、慎重に抱き起こして問いかけてみる。するとゆっくりと整った、でも痩せこけた顔を上げて薄目を開けると、ウサギのような紅い瞳がまっすぐこちらの方を見る。
いや、少し遠くを見るように視点が合っていないようだ。まだ、よく見えていないのか?
「赤目だと! 魔族か? ならば角があるはず!」
突然、叫んで走り寄ってきた銀色の金属鎧を着た男が、乱暴に倒れていた病人のニット帽を剥ぎ取ってしまう。次の瞬間、引っ張られてバサッと腰まで届くほどの長い真っ白い髪が白雪のように床に舞い散る。
日本から来たんだから、角なんてあるわけないだろうに。何だコイツは。
それより、しまった。あまりにも痩せて押した胸の感触も薄く――げふんげふん、細かったので、今の今まで女の子だと気づかなかったぞ。
「あんたっ、病気の女の子になんてことすんのよ! 【エアバレット】!」
あまりの傍若無人な振る舞いに怒ったアリスが呪文を唱えて、大きなハンマーで金属を殴りつけたような鈍い衝撃音をさせながら、いとも簡単に金属鎧の男を壁まで吹き飛ばしてしまった。
お~。あれって、たぶん本気もんの魔法だよな。
「ぐぁ!」
壁にぶちあたってひっくり返った騎士っぽい男に向かって、腰に両手を当てたアリスがあびせかけるように叫ぶ。
「私の瞳も片方は紅いんだけどっ? 文句あるでもあるの!」
確かによく見なくても、アリスは右の瞳が紅い――が、左は蒼い瞳をしている。これってオッドアイってやつか、と思い当たる。
そしてアリスは光沢のある紅い布地に白銀プレートの胸当てを付けたその薄い胸を張って、膝が隠れるミディ丈の膨らんだスカートをひるがえし、まるで恐れるものなど無いとでも言うように仁王立ちして見せる。
そこに、最初に言葉を投げかけたレモンイエローのドレスを着て青い瞳をした少女が、あわてた様子で間に割って入って来る。
「【勇者】様、副騎士団長のランベールが大変失礼をしました。私は王国第二王女のマリーアンヌと言います、マリーとお呼びください。今回、【勇者】様をお呼びする召喚魔法を使用いたしました【巫女】になります」
この女が元凶の一人か……アリスも目を細めて睨むように、マリーアンヌ第二王女と自己紹介した少女に振り返る。
「私は【勇者】じゃないわ、【賢者】で【聖女】の赤坂アリスよ。アリスでいいわ」
「まさか……、【勇者】様ではないと。それでは早急に皆様のステータス情報を確認いたしませんと。タチアナ副騎士団長、早速ですが【鑑定水晶】をここへ」
マリーアンヌ第二王女は近くにいた銀色の軽鎧を着た女騎士に指示すると、「軽く触れていただくだけで、職業やスキルなどのステータス情報を確認することができます」と説明を始める。
そうしてこの部屋にいて話ができる七人の日本人が簡単にお互い自己紹介をしながら、用意された【鑑定水晶】に触っていくと水晶の中に見たことの無い文字が浮かび上がって来るのが見える。
言葉もそうだが、この異世界の文字も意味だけは自然と分かるようだった。
話すことができそうにない白髪の少女には床に横になったまま少しだけ抱き起こして、痩せ細った手をそっと持って【鑑定水晶】を触れさせることにした。実際のところ、しゃべるのも難しいようだ。
というか、早く病室に連れて行って、医者に診せてやりたいんだが。
あらためて自己紹介によると紅い髪の少女は赤坂アリス、中学三年生のヘビーゲーマーで職業とかスキルとか何でも聞いてくれ、と言ってる。
状況が掴めない俺に、正直これは助かる。
「天使達にあれこれ言って、キャラ設定も完璧よ。もちろんスキルレベルはカンスト! 基礎レベルだけは自分で上げろって言われたけどね、えへへ」
今回の事故を理由に、そうとう天使達に無理難題を吹っ掛けたらしい。どっかで小さな子供の姿をした天使が泣いてそうだ。
男女三人組の長身イケメンは沢登光太郎、高校二年生で生徒会長をやっているらしい。
フレデリック第一王子が手にキスしていたのは宮野香織、同じく高二の副生徒会長でほわんとした雰囲気のたぶん美少女。
もう一人の日本刀っぽい剣を腰に下げた少女が長瀬琳、高二の風紀委員長でキリッとした見た目のおそらくは美少女。何か三人で委員会の準備をしていて、そろって召喚に巻き込まれてしまったらしい。
茶髪の少年は平河衛士、俺と同じ学年の高校一年生だが、本当なのかサッカー部のエースなんだそうだ。
最後にひょろっと細身で目も細いのは高堂享一、高校三年生で今年は受験生の大変な年のはずだ。
この五人の高校生は全員が同じ制服を着ているので、湘南海岸沿いの俺と同じ高校だったりする。召喚に巻き込まれた場所は、どうやら別々みたいだったが。
どうしてこの八人が選ばれたのか…。
マリーアンヌ第二王女が水晶の表示を読み上げさせて書き取らせたステータス情報はこれになる。
ただし、【鑑定】を使う他の召喚者達にはスキルレベルにもよるが、Lv1では全項目がここまで見えているわけではないようだった。
名前;ハクロー・クロセ(黒瀬白狼)
人種;人族
性別;男
年齢;15才
レベル;Lv1
職業;【サーファー】
スキル;【解析Lv1】【時空収納Lv1】【時空錬金Lv1】
名前;ルリ・アイカワ(藍川瑠璃)
人種;人族
性別;女
年齢;16才
レベル;Lv1
職業;【■■■■■】【勇者】
スキル;【鑑定Lv10】【収納Lv1】
ユニークスキル;【健康Lv1】【親孝行Lv1】【友達Lv1】
名前;アリス・アカサカ(赤坂アリス)
人種;人族
性別;女
年齢;15才
レベル;Lv1
職業;【賢者】【聖女】
スキル;【遠見の魔眼】【未来視の魔眼】【火属性魔法Lv10】【水属性魔法Lv10】【風属性魔法Lv10】【土属性魔法Lv10】【氷属性魔法Lv10】【雷属性魔法Lv10】【聖属性魔法Lv10】【剣術Lv10】【身体強化Lv10】【魔力制御Lv10】【鑑定Lv1】【収納Lv1】【無詠唱】
名前;コウタロウ・サワノボリ(沢登光太郎)
人種;人族
性別;男
年齢;17才
レベル;Lv1
職業;【勇者】
スキル;【剣術Lv1】【身体強化Lv1】【剣聖Lv1】【鑑定Lv1】【収納Lv1】
名前;カオリ・ミヤノ(宮野香織)
人種;人族
性別;女
年齢;16才
レベル;Lv1
職業;【勇者】
スキル;【剣術Lv1】【火属性魔法Lv1】【水属性魔法Lv1】【風属性魔法Lv1】【土属性魔法Lv1】【魔力制御Lv1】【鑑定Lv1】【収納Lv1】
名前;リン・ナガセ(長瀬琳)
人種;人族
性別;女
年齢;16才
レベル;Lv1
職業;【勇者】
スキル;【剣術Lv1】【抜刀術Lv1】【身体強化Lv1】【剣豪Lv1】【鑑定Lv1】【収納Lv1】
名前;エイジ・ヒラカワ(平河衛士)
人種;人族
性別;男
年齢;16才
レベル;Lv1
職業;【勇者】
スキル;【強奪】【鑑定Lv1】【収納Lv1】
名前;キョウイチ・タカトウ(高堂享一)
人種;人族
性別;男
年齢;17才
レベル;Lv1
職業;【勇者】
スキル;【剣術Lv1】【闇魔法Lv1】【身体強化Lv1】【魔力制御Lv1】【鑑定Lv1】【収納Lv1】
結局、俺の名前の読み方は最初にアリスが呼んだ、『ハクロー』で固定ということか。まあ、いいんだけど。
これを見ると確かにアリスのスキル構成だけが――レベルも含めてだが抜きん出ていて、どうもチートと言うヤツらしい。まあ、それを言ったら、他の【勇者】のスキルも十分にチートのようなんだが。
このステータス情報に表示されない隠しパラメータとして、HP、MP、攻撃力、防御力、魔法攻撃力、魔法防御力、速度、運、他があるんだと、アリスが自慢気に言っているので、たぶんそうなんだろう。
ところでアリスがセカンドジョブまで持っている職業と言うのは、最終的にはサードジョブまであるらしく、これも表示されていないようだが職業レベルが上がると、選択可能リスト一覧から選ぶこともできるようになるみたいだ。
他には、水晶には武器や装備は表示することができていない。あとは【偽装】スキルがあると正確に表示されないことがあるとも言っていた。
白髪の少女、藍川瑠璃のファーストジョブはなぜか、表示が文字化けでもしているのだろうか、異世界の王女達にも読むことができなかった。
「はははっ、何そのスキル構成! 攻撃系スキルのがひとつも入ってねーじゃんかよ。しかも【サーファー】ってどんな職業だよ」
【強奪】スキルを持つ平河が、俺と藍川瑠璃のスキル構成を笑っているようだ。藍川さんのスキルは、どれも見た目が幸せそうで良いと思うんだけどな。
あと他人の職業を笑うのは勝手だけど、【勇者】と呼ばれるよりは遥かにマシだと思うぞ。俺にはそんな【勇者】には、とてもじゃないがなれなかったよ。
「確かにクロセ殿とアイカワ殿のスキルでは、戦闘を行うにはいささか心もとないものがありますな」
さっきアリスにぶっ飛ばされて鼻血を垂らしたままのランベール副騎士団長にも、いささかお気に召さないようだ。その前に鼻血くらい拭けよ、お貴族様じゃないのかよ騎士様。
それにしても、王国が必要としているのは初めからチートスキルを持った【勇者】で、何のスキルも持たない異世界のただの平民はお呼びではないということか。
勝手に呼んだのはお前達だろうに。
そんな話をつまらなそうに聞いていたアリスが、マリーアンヌ第二王女に低い声で訊ねる。
「ところで『世界を救って』って言ってたけど、【魔王】でもいるの?」
「【魔王】がいるわけではありませんが、隣国の帝国に不審な動きがあり、我が国に侵略戦争をしかけようとしています。このままでは世界が戦火に巻き込まれてしまいます。
私はこの戦争を何としても止めたいと思っているのです。【勇者】様、世界の平和を守るために、どうか我々にお力をお貸しください」
いかにも悲劇のヒロインっぽい仕草で、豊かな胸の前に両手を握り締めて祈るようにマリーアンヌ第二王女が助けを求める言葉を口にする。
「わかりました、もちろん僕達も協力させていただきます」
「そうね、これからお世話になるみたいだし、できるだけのことはするわ」
「えーと、そ、そうなのかな?」
すると考える間もなくアッサリと、生徒会長、風紀委員長、副生徒会長の三人はすっかりその気になったようで――戦争支援だが、いいのか生徒会長。さっき「父親は日本国の国会議員だ」って言ってたような気がしたんだが。
「俺は【強奪】スキルで、がんがんレアスキルがゲットできればそれでいいよ。あ、もちろん日本人のみんなからは【強奪】しないから安心してね」
平河は戦争も何も、関係ないみたいだ。それにしても【強奪】って使い方しだいではそうとう凶悪になりそうだが。念のために【解析】で見ると、
<スキル【強奪】>;生物である魔物や人に直接触れることで、対象の持つ【鑑定】で見ることのできるスキルのひとつを奪い取ることができる。成功率はスキルレベルによる。Lv1では確率1/10。生物以外から奪うことはできない。同じスキルを重複して奪うことはできない。ユニークスキルや一部のレアスキルは奪うことができない。
制約条件は厳しいようだが他にも同様のスキルがあるかもしれないから、なんか対策を考えておいた方がいいかもしれないな。
そんなことよりも今は、藍川瑠璃を支えたまま俺もマリーアンヌ第二王女に訊ねる。
「そろそろいいか、病人を医務室に連れて行って早く医者に診せたいんだが」
「何を言っている、そんなことより【勇者】殿には国王陛下への謁見に向かう必要があるので、我々に付いて来てほしい。スキルはともかく、アイカワ殿も【勇者】の一人なのだから、一緒に来るのが当然であろう」
「え?」
「あんたこそ何言ってるのよ」
突然、変なことを言い出すフレデリック第一王子に、アリスと二人でビックリする。この世界、いやこの国では人の命は【勇者】といえど、それほど軽い扱いということか。
「王子様、藍川さんは起き上がることもできない重病人ですよ?」
「いや、しかし【勇者】カオリ殿。そうは言っても、国王陛下がお待ちになられて……」
宮野副委員長とフレデリック第一王子がのんびり押し問答を始めてしまったが、――これは駄目だな。
「俺は藍川瑠璃さんを医務室に連れて行くから、アリスはそっちを頼む」
「わかったわ。後で様子を見に行くから」
「ああ、誰か医務室の場所を教えてくれ」
バスタオルに巻いた藍川瑠璃のあまりに軽い身体に驚きながら、胸に抱えるようにして膝の下に腕を回し横に抱き上げる。
するとようやく渋々といった様子で、マリーアンヌ第二王女が女騎士に指示を出してくれた。
「タチアナ副騎士団長、騎士団の医務室へ案内を」
「え? わ、私がですか? ……了解しました」
ともかく不満たらたらの女騎士の後に付いて行けば、やっと異世界召喚魔法陣のある部屋を出て医務室に向かうことができるようだ。