第5章6話 魔王の娘ソフィア
「ねえ、何してんの?」
いつもの夜明け前の朝練を終えて学生寄宿舎である【砂の城】四号の前まで帰って来ると、玄関先で小さな片手鎌を持ってしゃがみ込んで草刈りをしているソフィアを見つける。
「え? ああ、お帰りなさい。ここら辺って使ってなかったみたいで、草ボウボウだったから。ちょっとねぇ、えへへ~」
確かにここには元々、木造モルタル二階建ての廃墟のような旧教員用寄宿舎が建っていたから、元は庭っぽい何かだったらしい周辺も荒れ放題ではある。
しかしだからと言って何故、魔王国のお姫様が朝っぱらから草むしりなんぞしているのか。
訳が分からず俺が首を捻っていると、可愛い眉を下げてしまって恥ずかしそうに俯くとボソッとこんなことをつぶやく。
「……えと、昨日もご飯をご馳走になったからね? お返しに何か出来ないかって、思って……草刈りは得意だからさ」
そう言うと、ニッコリと笑って手にした片手鎌を胸元に構えて、ふんすっとスレンダーな胸を張って見せる。
ああ、コイツはそう言う奴だった。そう思いつくのと同時に俺も出来るだけ優しい声になるように気をつけて口を開く。
「ああ、そうか。ただいま、ソフィア。ありがとうな? さあ、それぐらいにして一緒に朝ご飯を食べよう?」
「え? いいの? え、えへへ~、ありがと」
そう言って、横からの朝日を浴びながら嬉しそうに微笑むアッシュベージュ色のウェーブショートの髪を風にそよがせる少女は、昨日と同じ男子学生服を着ていた。
「それじゃあ、食べながら聞いて頂戴。今日からいよいよ、ここモニャコ公国にある人の手によって創られたと言われている人工地下迷宮に挑戦するわよ!」
「「「「おおー!」」」」
「え? お、お~?」
【砂の城】四号、改め新学生寄宿舎のダイニングでは、戦う【料理人】コロンが作ってくれた朝食を取りながら今日の作戦会議が執り行われていた。
勿論、貧乏学生である魔王国のお姫様なソフィアも一緒になってパクパクと食べていたのだが、今のアリスの鬨の声にギョッとして乗り遅れてしまっていた。
昔はこのノリに付いて来れていなかったユウナでさえ、今は「お姉ちゃんが頑張るのだっ」と誰よりも気合の入り方が段違いだ。
「あ~、ソフィア。ここはテレは捨てろ? ノリで勝負だ」
「わ、わかった。頑張るっ」
綺麗なヘーゼルの瞳をパカッと見開いて、元気に拳を丸めて返事を返して来るお姫様なはずのソフィア。
昨日の晩はみんなで仲良くここの大浴場の温泉に浸かって、その時にシャンプー他のお風呂セットを渡したので、今日のアッシュベージュ色の髪は一段と艶々でふわふわになったウェーブショートにまとめられていて。
困ったことに、とてもじゃないが男の子に見えないのだが良いのだろうか。
しかも、この新学生寄宿舎の中では気が緩んでいるのか、腰の黒鳥翼が露わになっていて、ピョコピョコと揺れて可愛いことこの上ない。
「ところで、頑張るはいいんだが。武器とか装備は大丈夫なのか? 何なら何か貸すぞ?」
「むぐむぐ、ごっくん。大丈夫。あむあむ、ほら」
昨日の夕食も一緒に食べたはずなんだが、喋る間も惜しんで朝食を口に放り込み続ける金欠学生のソフィアさんに、また余計な心配をしてしまうのだが。
彼女がホイッと右手を横に差し出すと、パシッと【大鎌・デスサイズ】が飛び出して来る。
「うおっ、で、デカいなぁ。それって、中指の指輪から召喚したのか?」
「ごっくん。うん、そうだよ? 父様の形見なんだぁ、えへへ~」
そう言って、わずかに眉を下げて寂しそうに笑う前【魔王】の一人娘。当時のことは知らないが、彼女にとっては良い父親だったのではないだろうか。
「……そうか、それじゃあ武器はそれを大切に使うとして。防壁魔法はかけてやるけど、その学生制服のままってのもなぁ?」
「ん? もぐもぐ、だって男物の服ってこれしか持ってないからわわわっ」
「ふふ~ん、心配なんて要らないわよぉ~?」
「そうですよ、昨晩のうちにアリスちゃんがデザインして――」
相変わらず口に朝食を突っ込んだまま小首を傾げるソフィアに、後ろからアリスとルリがやって来て左右から肩をガッチリ掴んで、ニコ~っと笑う。
そして、どこから取り出したのか仕立て糸が付いたままの服を抱えたミラと、裁縫箱を手にしたクラリスがジリジリとにじり寄って来ている。
「勿論、いつものミスリル繊維を駆使して仕立ててありますよ?」
「はい姫様、後は細かい手直しだけなので、ちょっとここでひん剥いてしまいましょう。うへへ~」
あ~ぁ、それじゃあ俺はちょっと席を外しているかな。と、コロンが淹れてくれたアールグレイが入ったカップを持って、今回の新学生寄宿舎として採用された【砂の城】四号に特設されたテラスへと向かう。
テラスと言っても、大浴場と同じように偏光ガラスで囲われた、まあ所謂温室のような造りになっている。
ただ、反射率と透過率はいつものように調整してあるから、中からは何もない青空が見えているが、外からは【偽装】も付与してあって壁にしか見えないようにしてあるのはこれまで通りだ。
すると、後ろのリビングからは若干艶めかしい衣擦れの音と共に、魔王国お姫様であるはずのソフィアの助けを求める悲し気な悲鳴が聞こえてくるが、決して振り向いてはいけないのだった。
コロンの注いでくれたお茶のお代わりをいただいて暫くしてから、アリスの呼ぶ声に応えて振り返ると、そこにはなんということでしょう?
自分の身長の二倍はあろうかという【大鎌・デスサイズ】を抱えた、そのまんま黒いゴシックロリータ風のフリルをふんだんに使ったドレス――いや、あれは前の切れ込みから見えているのはスパッツか? いや、フリルがついたドロワースのようにも見えるのは決して気の所為なんかでは無いだろう。
を、腰を覆うようにした大量のフリル付きフレアに、スラリと伸びた美脚には同じく黒のフリル付きガータニーソと編み上げブーツを履いている。
そして、胸元は縦にフリルで隠すようにしてオープンショルダーのアームスリットにも大量のフリルが付いていて、極めつけはヘッドドレスもフリル満載だ。
「……う、こ、これって、女の子に見えない?」
「そりゃあ――み、見えませんよ? どこから、どう見ても男の娘ですがな?」
綺麗なヘーゼルの涙目でウルウルと上目遣いで聞いてくるので、思わず本音を漏らしそうになってアリスのギロッという視線に気圧されるように、良く分からない灰色のコメントを訛りながらも返してしまうヘタレ。
「そ、そう? よかったぁ~、ほら、ボクって魔王城でもこんな服は着ていなかったから、似合わないかと心配で……」
それは向こうでも女の子の格好をしてなかったと言っているのか、釈然としなかったがここは聞いてはいけない所だと直感が告げるのでそれに従って、ははは~とか乾いた笑いを返すしかなかった。
「勿論、超絶に似合ってるわよ! 【大鎌・デスサイズ】を持ったゴスロリ小悪魔、キターッ!」
「うん、とっても可愛いよ? そのおっきな鎌にも似合い過ぎてビックリ?」
「コロンもかっちょいいと思いましゅ?」
「フィもなかなかイケてると思うわよ?」
「ニャア~?」
「ねえ、クロセくん。どうして、みんな疑問符が最後に付いているの?」
もう日本の秋葉原文化を異世界で萌えさせて止まらないアリスの雄叫びが響くのだが、対照的に困ったように苦笑しているのは他の愉快な仲間たち。
うん、嘘はついてないのは確かなんだが。それでも、これはどうなんだろうか?
「自信作ですっ! ふんすっ」
「はい、姫様。これまでにない、究極の男の娘専用装備の完成です! ウヒヒヒ~」
ミラとクラリスにとっても会心の出来だったようだ。まあ、これで防御力だけはそこいらの金属鎧の比じゃないぐらい確保できたから、安全面だけは折り紙付きだろう。
別の意味で安全が脅かされている気はするが、ここは気にしたら負けな所だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「という訳で、冒険者ギルドに来たんだけど……ここって、間違ってないわよねぇ?」
魔法学園の正門前の仕事熱心な若い門番くんに聞いて来たので間違っていないとは思うが、目の前にあるのは何と言うか。
証券取引所? いや、裁判所? というか、どこに冒険者がいるの?
だって、普通の一般人が受付をやっているし、奥の事務職の人達も一般人に見えるし、いやグリーン・ベレーを被った一般人ってのも変な気がするけど。
っていうか、装備がバラバラでガラの悪い脳筋の馬鹿共は何処?
同じ冒険者で実は上級Bランクだったりする自分のことは棚に上げて、そんなことを考えていると、目の前の銀行の窓口の緑色のベレー帽を被ったお姉さんがにこやかな笑顔で声をかけてくれる。
「いらっしゃいませ。今日はどのような御用ですか?」
「……あ、あのぉ。ここって、冒険者ギルドであってますか?」
みんながお化け屋敷にでも来たように俺の後ろに隠れてしまうので、仕方なく唯一の男が代表して恐る恐る聞いてみることにするが。
「はい、間違いありませんよ? ああ、モニャコ公国へは初めていらしたのですね? 実はここモニャコ公国は元々人口が非常に少なくて、国家戦力を確保するために手っ取り早く傭兵を採用した経緯があるんですよ?
最初の頃はそれこそ他の国のように荒くれ者共の集団だったようですが、徐々に『傭兵部隊』と呼ばれるようになった頃には制服も支給されて装備も統一されて。
ああ、この緑色のベレー帽も支給品なんですよ。ですから、この国では一般に私達のことを『傭兵部隊』と呼ぶんです。
そして、他の国と決定的に違うのは冒険者ギルドが傭兵部隊の管理下に置かれていることですかねぇ。
だから、そこら辺で勝手なことをしたり、暴れたりしている冒険者を見かけないでしょ? そんなことをすれば、すぐに傭兵部隊が文字通り飛んできてひき肉にしちゃうからですよ? うふふ~」
銀行の受付のお姉さん――違った、傭兵部隊のお姉さんが自慢気に一気に語ったその信じられない夢物語に、俺達はきっとアホ面をしてポカンとしていたに違いない。
「それで、みなさんはどのような御用ですか? 傭兵部隊への入隊試験だと明後日になりますが?」
「……あ、いえっ。そうじゃなくて、実はこの娘の冒険者登録をしたくって。ああ、俺達はこういう者です」
そう言って優しそうな傭兵部隊のお姉さんの前に、後ろで固まってしまっていた黒ゴスロリのソフィアを引っ張り出してから、【時空収納】から引っ張り出した自分のギルドカードも差し出す。
「まあ、新人さんなんですね? あらまあ、そちらの方達は上級Bランク冒険者だったんですねぇ。これは余計なことまでペラペラと失礼しました。既にご存知の事ばかりでしたでしょうに。
それでは、この【鑑定水晶】に触れてくださいねぇ。はい、そうです。最初は見習いのFランクからになりますので、細かいことは……みなさまの方が詳しいですよね?」
そう言って、即日発行のプリペイドカードのように鉛色のカードをあっという間に手渡して来る。事務手続きも、他の国と比べて雲泥の速さだ。
すると、受け取ったギルドカードを嬉しそうにピラピラさせながら、ソフィアが抱きついてくる。
「わわっ、本当に冒険者のギルドカードだぁ。わーい、ありがとうハクローちん。えへへ~」
「よかったな。それからその『ちん』って何だ? ああ、あと、すみませんがこの娘とレイドの申請をお願いしたいんですが」
「え~、だってハクローちんの方が可愛いじゃん~、ねぇ?」
「はい、すぐにできますので少々お待ちくださいね?」
ねぇ、とか言って黒ゴスロリ姿で可愛くみんなに笑顔を向けてあっという間に仲間にしてしまうので、あっけに取られてしまう。
これは、何だ? 男の娘でもなく、ショタっ子でもなく。いや、間違えた。そもそも男じゃなかった。
じゃあ、唯の可愛い娘ってことで。って、なんじゃそりゃ~!
とか、意味不明なことを考えているうちに、いつの間にか臨時レイド登録は終わってしまっていた。傭兵部隊のお姉さん、お仕事早過ぎ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「でも、ビックリしたよぉ。この指輪って凄いんだねェ? ペロペロ~」
総合商社のような冒険者ギルドの建物から出て、急な坂道ばかりのモニャコの街を人工地下迷宮に向かってテクテクと歩いている。
それも途中の道端で見つけた露天のジェラートを食べながら、だ。この街も海に面しているからか、十二月だというのに刺すような寒さは無いのでアイスも美味しく食べ歩くことができる。
「あ~、それな。ミスリル製の指輪で、【身体強化】、【防御上昇】、【自動回復】、【状態異常耐性】、【隠蔽】、【偽装】が付与された魔道具になってるからな。
肌身離さず、何時でも何処でもずっと付けているんだぞ? そうじゃないと、魔族ってことが、あっという間にバレるからな? こら、聞いてんのか?」
ルリの付与魔法もすでにLv6までになっていて、これを【鑑定】するには少なくても上位レベルのスキルでないと貫通できないだろう。
のだが、さっきからルリがかぶりついている俺のジェラートに、横から黒いフリル付きヘッドドレスの顔を突っ込んて来ていて。ちっとも、話を聞いているようには見えない。
でもまあ、指輪を左手の中指に付けた時には喜んではいたようだから、まあ少なくとも暫くはつけてくれていることだろう。
右手には中指に父親の形見の【大鎌・デスサイズ】の指輪があるから、邪魔になるかと思って左手に付けたのだが。
その時の、みんなの呆れたような、ホッとしたような、何とも言えない生暖かい視線が痛すぎだのは何故だ。ちゃんと薬指は避けたぞ?
「ああ~、ほらルリ。ほっぺに、またぁ――ちょい、ぱく」
「あ……うへへ~」
そんなことをしているからか、またルリが赤い丸をつけたほっぺに俺のチョコクリームをくっつけているので、指ですくい取って自分の口に放り込む。
ルリが何故か自分のホワイトピーチを食べずに、まず俺のジェラートからツッツきに来るのはいつものことだ。
「わわっ、うう~~ん! ぐりぐりぐりぃ~」
「うわわ~、こらっ! ソフィア、俺のTシャツで顔を拭くんじゃねぇよっ」
すると急に呻き出したかと思ったら、突然のように顔を俺の胸に擦りつけてくる魔王国のお姫さま……なんだよな?
何なんだコイツは? 高堂先輩ってもしかして、コイツの面倒を見るのが面倒臭くなって追い出したとか――まさか、ねぇ?
「ほら、ハクローも馬鹿なことばっかりやってないで。人工地下迷宮の入り口に着いたわよ?」
ブラックベリーをペロペロ舐めている、アリスさんからの厳しいツッコミが飛んで来る。ええ~、俺かよぉ?
ほら、そこで視線を逸らして、てへへ~とか笑ってアッシュベージュのウェーブショートをポリポリと掻いている黒ゴスロリのお嬢さん? はい、あなたですよ、ソフィアさん?