第5章5話 エヴァンジェリーナ姫
「は、初めまして……エヴァンジェリーナと申します」
「……始めまして。クロセ・ハクローです」
今日食べるお金も無いと言う極貧な魔王国のお姫様ソフィアも一緒に遅い昼食を取っていると、モニャコ公国公王の甥である【剣王】からの使いが学生寄宿舎である【砂の城】四号にに迎えにやって来てしまった。
そういえば昨日そんなことを言っていたなと思い出して仕方が無いので嫌々ついて行くと、案の定、行き先は公王宮殿で応接室に案内される。
しかし、暫くしてやって来たのは驚いたことに、前にオークの集落から助け出した公国のお姫様だった。
既にあちこちあった傷や痣も無くなっていて、元々の小柄でスレンダーなスタイルに淡い撫子色のドレスを着て、母親とお揃いだろう綺麗なベビーピンクのブロンドヘアーをサイドアップにまとめていた。
見たところ具合も悪く無さそうなので、それは良いのだが――これは。
「お父様――こほん、公王陛下はちょっと手が離せない用があるようで、遅れて来ますので。それまでは、私がお相手を務めさせていただきますね?」
そう言って、綺麗なピンクトルマリンのような瞳を細めて微笑んで見せるエヴァンジェリーナ姫殿下。
しかし、俺にはボロボロになったお腹の大きな彼女の記憶しかないので、どうしてか違和感がぬぐえないでいた。
そうなのだ、あんな目に遭って、まだ何日も経っていないのにこんなに笑えるものなのだろうか。
「……い、いや、それは構わないんだが」
「おお、すまんかったな、エヴァ。客人の相手をさせてしまったようで悪かった」
そう言いながら、ドカドカと慌ただしくやって来たのはガタイの良いマッチョ親父の公王様だった。しかも、演技は得意では無いのか、台詞がいちいちワザとらしい。
「いえ、お父様。ではこちらの方が?」
「ああ、今度、お前の同級生になる大魔術師だ。おぉ~そうだった、ハクローも娘とは仲良くしてくれると嬉しい」
「まあ、大魔術師様でしたか? それでは、来年からは同じ学び舎に通うことになりますのでよろしくお願いしますね」
「……あ、ああ。それは構わない、が?」
思わずそんなことを口走ってしまっているとも気づかずに、最後の一言は公王へと放たれていた。
しかし、当の公王ときたら張り付けたような笑顔を満面に浮かべてしまっていて、こっちの視線を完全に無視していて取り付く島も無い。
それにしても、これは思っていたよりも困ったことになったかもしれない。
とか眉を寄せて考え込んでいたからだろうか、お姫様が可愛らしいベビーピンクのネコ耳をピョコっとさせながら、こちらを上目遣いで覗き込んで来ていた。
「あのぉ、ハクロー様とは以前何処かでお会いしたことがあったりは?」
「え、エヴァよ。お前もまだ体調が優れないのだから、もう下がって良いぞ?」
父親の少しだけ慌てたような台詞に、ぴょこんと元の位置に戻ったお姫様は、ニコ~っとピンクトルマリンの瞳を細めて微笑んでから。
「まあ、これは失礼しました。それでは来年、魔法学園で」
チョンと可愛らしいカーテシーを見せてから、綺麗なベビーピンクの長いしっぽをフリフリとさせながら退室していくのだった。
そうして応接室の扉が完全に閉じられたのを確認した公王が、さっきまで張り付けていた仮面を脱ぎ去ると、一気に老け込んでしまったようにソファに項垂れて座り込んでしまう。
暫くそうしていただろうか、やにわにガバッと顔をあげるとすっかり頬はコケて目の下に隈をつくった酷くやつれた様子で口を開く。
「い、今、見ていただいた通りの――ぐっ、――娘はあの日の数日前に公国を出かけるあたりから記憶が無くなっているようで。目を覚ましてからは、当時の事は何も覚えてはおらんようなんだ」
途中に一度、ガリっと奥歯を噛み締める鈍い音をさせると、一気に話し終えた公王はそれでも涙を浮かべて、握り締めた拳の震えが止まることは無かった。
だからだろうか、また余計なことを言い出してしまう。
「……なら、このまま忘れ去ってしまうことも、彼女の為になるのでは?」
「それなんだが。二十四時間、娘を見ている訳では無いのだが、ふとした瞬間に何か違和感のような物を覚えたり、何かを思い出そうとするようでな――悪いことに、ここ二日程は悪夢にうなされているようで。朝起きると、泣きながら眠り込んでしまっていたらしく」
ああ、あんなに可愛らしいお姫様なんだ。自分を守ろうとして、嫌な記憶を押し込めようとしているのかもしれないが。表面化した時が、逆に危険かもしれない。
「……それで、俺を呼んだのは?」
だからと言って、俺に出来ることなど限られている上に一国のお姫様に、してやれることなど無い――はずだ。
「あ、ああ、それはさっきも言ったが、来年からエヴァも――娘も魔法学園に入学することが決まっておるのでな、何かあった時には助けてやって欲しいのだ。この通り、頼む」
そう言って、深々と一国の王が平民の一学生に頭を下げてしまう。ああ、どうしてこうも理不尽な世界なのだろう。
「……それだけでは、無いのでは? 今日、俺を呼んだ理由は」
余計な事だとは分かっていても、そう聞いてしまう自分を抑えることは出来なかった。また、甘いとアリスに怒られるところがありありと思い浮かんでしまう。
「あ、ああ、実はあの後、ハクロー様に言われた通りに主治医に診せたのだが、超位回復魔法によるものではないかと。そ、そこで、可能であれば、娘の記憶を完全に失くして」
「自分で言っていることが分かっているのですか? どんなにしても、人の記憶を完全に消し去ることはできませんよ? それは本人以外の周りの人の記憶までは消せないからです。今の彼女に起きているように、必ず周囲との齟齬は発生して、彼女自身が記憶を復元しようすることは避けられません」
公王もそれは本意ではないのだろう、視線を合わせようとはしないまま言い出しにくそうに、しかし決意だけは固く、それでもあえてそれを口にする父親の愛に、最後の問いを投げかけるしかない。
「わ、分かっている! そんなことは十分に承知しているんだ! だが、それでも、娘の処女膜さえ再生して見せた、ハクロー様になら完全とはいかなくても――どうか娘を今一度、救ってはもらえないだろうか? 勝手な言い草だとは分かっているんだが、妻も心労の余り倒れてしまって、もうハクロー様に縋るしか他に方法が」
公王として、命令することも出来るだろうに。それを、この人はしないんだな。だからだろうか、こんな時だというのにみんなの笑顔が脳裏に浮かんでしまう。
あぁ、それから処女膜がどうこう言ってるけど、女神に誓って俺は知らないからな?
「……はぁ~。まず、その『様』は止めてください。さっき、お姫様に言っていたように呼び捨てで結構です。それから、このことは仲間には話して協力を得ることをご了解ください。ああ勿論、仲間には他言無用を確約させます。それがこの話を受ける条件です」
「……お? おお! 引き受けてくれるか! あ、ありがとう、感謝する!」
ガッとそのデカいガタイで飛びかかられて、両手をガッチリ掴まれて握り潰されそうになる。いや、普通の人なら70レベルに全力で握手されたら簡単に潰れるからね。
「それでは一度戻って仲間と一緒に、そうですね今夜の真夜中にここに来ます。その時は、お姫様のお部屋への立ち入りを許可ください。ああ、勿論、公王陛下もお立会いいただいて結構です」
「わ、分かった、娘の部屋へは私が案内しよう」
ゴツイ筋肉マッチョ親父に至近距離でボロボロと泣かれては、そうそう長居できるものでは無いので、サッサと帰らせてもらうことにする。
「では、後ほど」
ペコリと頭を下げて、サラリとでっかい両手を払いのけると、スタスタと応接室から退散する。ああ、アリス達に何て言って説明したらいいのか。誰か代わってくんないかなぁ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「という訳でみんなの力を借りたい」
今はその日の真夜中の公王宮殿の応接室で、【ミスリル☆ハーツ】のメンバーが、お眠中の妹のヒスイを除いて勢揃いしている。
そして目の前には、今回の指名依頼の依頼主である公王陛下がデカいガタイを猫背にして、祈るようにこっちをジ~ッと見つめている。
「はぁ~、ちょっと目を離した隙に何をやって来たのかを思っていたら」
「あはは~、ハクローくんらしいと言えばらしいですねぇ」
「ハク様ぁ、がんばれー!」
「フィも手伝うわよ」
「ニャア~」
「クロセくん、あの時にそんなことを……そう」
結局、みんなには詳しい話を何もしないまま公王宮殿に連れて来てしまっていた。理由は簡単だ、俺がその説明を長々とすることに耐えられそうになかったからというだけの、何ともヘタレた理由だったりする。
みんなへの説明はその説得を含めて、依頼主であるところの公王本人から不要なところは端折って話してもらおうと思ったのだが。
驚いたことに公王は厳しい顔をしてはいたが、お姫様の身に起きたことを全て包み隠さず全て話してしまっていた。
ただ、これには流石のみんなも言葉が無かったようで、全員が全員、同じように眉間に皺を寄せたまま唇を噛み締めてしまったままだった。
それはそうだ、まだ同じ歳の16才のお年頃の少女がオークに攫われて乱暴された挙句に身籠らされて、終いにはお腹を裂いて出て来たと聞けば、思う所もあるだろう。
そうして公王に連れられてやって来たのがお姫様の寝室なのだが、俺達が入室する前に先に妖精のフィには部屋へ侵入してもらって、念のために途中で起きたりしないように【睡眠】と怖い夢を見ないように【淫夢】のスキル合成を使ってもらってある。
「んで、こちらがそのお姫様、エヴァンジェリーナ姫殿下になる」
「キターッ! ハクローよくやったぁ! ピンクのネコ耳っ、こ、これは絶対に助けねば! 本当はロシアンブルーのネコ耳も好きだったのに、あのニースィア冒険者ギルドの受付嬢の所為で嫌いになりそうなのよねぇ。ど~してくれるのよぉ」
「わぁ~、ハクローくん。可愛らしいお姫様ですねぇ~」
「ハク様ぁ、フィのスキル合成はバッチシでしゅ」
「フィにまかせておきなさいっ」
「ニャニャ~!」
「クロセくんには考えがあるんでしょうけど、具体的にはどうするの?」
やはり精神的にキツかったのだろうアリスが無理にテンションを上げてくれているので、それに乗っかるようにして手早くパパっと片付けてしまうことにする。
「ルリはこの部屋の魔術結界を維持しておいてくれ、絶対に外部に漏らしたくない。
まず最初に俺が【解析】スキルでお姫様の該当する記憶を『分解』するから、アリスが【遠見の魔眼】を使って照準してから【キューブ】で隔離、次にルリが魔術結界を上から被せて外部からのアクセスを完全に遮断する」
「それはヒスイに使ったのと」
それを聞いていたユウナがすぐに気がついてしまう。だから、アッサリと白状してしまうことにする。
「ああ、対象が記憶の一部だからこっちの方が簡単だ。記憶を取り除いてしまうと、補完するように他から再構築される可能性もあるので、残したままブラックボックス化して読取禁止領域に指定する。将来的には別の記憶領域に回避ルートが構築されるだろう」
「き、君達は、いったい……」
俺達の話を後ろで聞いていたマッチョ親父の公王が愕然として表情をして、独り言をつぶやくが構ってられないのでとっととやっつけてしまう。
「さあ、始めるぞ――できた」
「こっちも」
「終わったよ?」
そうしてモノの十秒もかからずに終わらせてから、振り向いてポカンとしている筋肉マッチョな公王のゴツイ手を開かせると指輪をひとつ手渡す。
「問題の記憶の隔離は終わりました。ただ、魔法に絶対は無いのでそこのところは勘違いしないように、彼女の様子には今後も十分注意してあげてください。
それから、この指輪は今も妖精のフィが行使した、【淫夢】スキルが付与してあります。いかがわしい類のものではなく、楽しい夢のみを指定して夢見できるように構成されているものです。念のために【偽装】で隠してありますので、ご両親からプレゼントしてあげてできるだけ寝る時には身に付けるようにしてもらうと悪夢を見ないと思います」
筋肉マッチョ親父の公王がボケっとしている間に一気に説明を終わらせてしまうと、みんなの顔をぐるっと見渡してから、もう一度だけ淡い撫子色を基調としたベッドで眠ったままのお姫様の安らかな寝顔を確認する。
そのピンクベージュのブロンドヘアーからピョコっと覗いたネコ耳に、本当に可愛らしいという単語がピッタリの寝顔に、今日はもう悪夢を見ないといいのだがと考えながら。
「それじゃ、俺達はこれで」
そう言うと、できるだけ静かに転移魔法陣をベッドから離れた壁際に浮き上がらせて、掻き消えるように転移してしまう。
「……え?」
そうして眠れるお姫様の寝室には、デカいガタイの筋肉マッチョだが心優しい父王が一人だけ残されていた。