第5章1話 魔法学園へ
「それじゃ行くわよ」
「「「「おぉーっ!」」」」
「ニャアーッ!」
「……お~」
領都レティスの遠浅の海に浮かぶ岩礁に建つ居城のリビングで、鬨の声を上げているのはアリスと愉快な仲間たちで、ちょっとヤル気がない掛け声なのは誰あろう、俺だ。
ヒスイが眠りについてから、既に七日が経っていた。ちょうど彼女が生き急ぐように、懸命に生き抜いた日数と同じだけが経過したことになる。
あれから毎日、ユウナは日が暮れて自分の部屋に戻ると、【格納】から出してベッドに横にしたヒスイの顔を見つめながら、プレゼントされた日記帳に愛する妹へ向けて欠かさず手紙を書き綴っている。
何故それを知っているかと言うと、一度、寝る前に引っ越しの準備があってユウナに話に行く約束をしていたのだが、部屋に行くとヒスイのベッドの横で日記帳を書きながら突っ伏すように眠り込んでしまっていたのだ。
いや、ノックもせずに部屋に押し入った訳では無く、中から声が聞こえて来たので良いのかと勘違いして入ってみると、ユウナが泣きながら寝言をつぶやいていたのだった。
流石に十二月にも入ってそのままだと風邪を引いてしまうだろうと、彼女を抱っこして隣のベッドに寝かせて布団をかけていると、ヒスイのベッドに開けっ放しになっていた日記帳が目に入ってしまって。
それはまだ書き始めて数日だと言うのに毎日の出来事がビッシリと書き込まれていて、そしてそれは必ず心から愛する妹への愛の言葉で締めくくられていた。
そして当然のように、これまでのページはどれも涙で濡れてしまっているのだった。
無表情なクールビューティーがデフォだったユウナが、今じゃすっかり泣き虫さんだ。ああ後、お兄ちゃんの事はあんまり正直に書かなくていいからね?
眠りについたヒスイの事は、関係者には簡単に知らせておいてある。とは言っても、ミラにクラリス、孤児院の面々とレティシアぐらいなんだが。
まあ、ミラとクラリスは俺達と一緒にモニャコ公国に行くことになっているから、いつも通りと言えばいつも通りなのだし、でもちょうど孤児院の建屋も完成したのは良かった。
最近では前に子供を堕ろして一時期は元気が無かったパメラが、専任として元気に孤児院の面倒を見てくれるようになっている。
やっぱり、セレーネや小さなエマにコレットとレジーナは悲しい顔をしていたが、これから新しく孤児達を受け入れたり忙しくなるはずだ。
天使で包帯を巻いたアシエルはしょうがないとはいえ、寝てばっかりだな。
メイとお母さんは相変わらず商業都市ヴィニーズと領都レティスにニースィアを飛び回っている。その中でも、孤児院の子供達に回せる仕事があればお願いしておいたので、そっちもボチボチ忙しくなるかもしれなかった。
ただ、やっぱりレティシアは侯爵としての仕事があるので、入試申し込みだけはしてたみたいだが、実際に受験して俺達と一緒に魔法学園に入学するのは無理のようだ。
なんて、色々あり過ぎたのでちょっとへばり気味で、バリバリと転移魔法陣を起動させていると。
「ま、間に合ったぁ! 待ってくださいっ、私も行きます! 連れて行ってくださいっ」
息を切らせてリビングに飛び込んで来たのは侯爵のレティシアで、そのまま俺に倒れ込むようにしがみつくと叫ぶように宣言する。
「試験に合格して一年目は単位を取って進級できるギリギリまで頑張って、それでも駄目そうなら仕方ありませんので領都レティスが完成するまでは、一度休学します!」
綺麗なアクアマリンの瞳に涙を溜めてそんなことを言うので、苦笑しながらもその綺麗なシャンパンゴールドの長髪をそっと撫でる。
「そうか、頑張れ。俺達も一緒に手伝うからさ。それに、モニャコ公国の拠点と領都レティスにはアリスが転移魔法陣を常設すると思うから、何かあれば直ぐに帰って来れるさ」
「は、はいっ! 頑張りますっ、えへへ~」
元気に返事をして嬉しそうに笑う侯爵なレティシア。俺の周りには右を見ても左を見ても、みんな頑張る女性が多い。
男としては俺も、もう少し頑張らないとな、などと思いつくこの頃だ。
「それじゃ、行くとすっかぁ?」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……いつも、ハクロー様には驚かされますが。本当に、モニャコ公国の魔法学園の正門前にあっという間なんですね?」
なんてことを、魔法と剣の世界の生まれであるはずのレティシア侯爵が言い出す。何か逆だろう? とか、苦笑しながら考えていると、辺りが騒がしくなってくる。
ふと見回すと、魔法学園の正門前に突然のように出現した魔法陣から、ぞろぞろと八人の男女と妖精に空飛ぶ黒猫が出て来たことで、騒然としてしまっているようだった。
正門前を通りかかっていた通行人達は遠巻きに見ているし、どう見ても近衛騎士団員らしき若者が走って行ってるし、門番らしき警備員がやって来るしで。
すると、当然のように不機嫌そうに頬を膨らませたアリスが、ブスッと文句を垂れる。
「チッ、受験日初日から目立っちゃたじゃないのよ? それじゃ、サッサと行くわよ?」
ええ~、だってモニャコ公国の城門は行列が出来ているだろうから、パスって言ったのはアリスだよね?
そうしていると、長い槍を持った門番の警備員が手を振りながら止めに入る。
「ちょ、ちょっと待ってください! 今、また転移して来ませんでしたか?」
「……また?」
先頭を行くアリスが可愛く小首を傾げると、後ろにいたミラが「ああっ」とポンと手を叩いて。
「この前、ニースィア公爵令嬢がここに転移して来たことを言っているのですね?」
「そ、そうですっ。あの時も、大騒ぎになって騎士団までがやって来て、結局は城門の詰め所までご同行いただくことになってしまったのですよ?」
アタフタと身振り手振りで説明をしてくれるまだ若い門番さんは、酷い目に合ったらしい公爵令嬢エステルの顛末を思い出したらしく困ったように情けない顔をしている。
すると、スッとミラの後ろに控えながらも独特の威圧感を放ちながら、侍女筆頭のクラリスが静かに口を開く。
「そこの者。王国第一王女たるミラレイア姫殿下に、城門詰め所くんだりまで足を運べと申すつもりか? 姫殿下に用があるなら王国大使を呼んで話をしてからであろう?」
「……え? ひ、ひぇえええええ! み、ミラレイア第一王女姫殿下ぁ? そ、それは失礼しましたっ! し、かし、当魔法学園の関係者で無いと立ち入りいただくことは」
ギョッとしてしまった門番くんは、すぐさま手にした槍を後ろ手に地面に置くと跪いて、でもプルプルと震えながらもキチンと仕事をするようで口上を述べ始める。
「私はこの魔法学園の卒業生です。この度は護衛を連れて母校に用があって参りました。そこを通してはもらえませんか?」
だからか、ミラも抜群のスタイルを凛と胸を張って見せつけながらも丁寧に言葉を尽くすのだが、根が真面目なのか門番くんは恐縮したままそれでも地面に向かって説明を続ける。
「し、しかし、護衛は一名までとなっており、これだけの人数を」
「ああ、その人達は大丈夫だよ。僕が保証するから、通してあげてくれないかい?」
すると、後ろの方からまた警報を上げながら近づいて来たのは見覚えのある日本人風の黒髪のネコ耳の男で、確か公王の甥だったか。
その突然の高レベルな来訪者に胡散臭そうな顔を隠そうともせずに、アリスがネコ耳男の視線を向けられたままの俺につぶやく。
「……誰よ?」
「ん? ああ、たぶん公王だかの甥……か何か、だったかな?」
あんまし関わり合いになりたくない相手なので、適当に誤魔化すことにするが、相手はそうは問屋が卸さないようで苦笑しながらも人の良い笑顔を向けて来る。
「ええ~、酷いなぁ、僕達の仲じゃないか? それに、彼女のその後のことも話しておかないといけないしねェ?」
「いや、俺は聞く必要は無いな。それで、やっぱり城門詰め所まで行かないと駄目なのか?」
片目を瞑ってウィンクしてくる日本人風のネコ耳イケメンをサラッと躱してシカトすると、地面にへばりついたままの門番くんにもう一度訊ねるのだが。
「いえっ、【剣王】様が身元を保証されるのであれば、この公国で従わない者はおりませんので!」
ガバッと顔を上げたまだ若い実直そうな門番くんは、畏敬の念を込めた視線を黒いネコ耳に向けながらそんなことを叫び出すので。
「え? いやぁ~、あははは。まあ、そうゆうことだから、後で使いを寄こすから、さ?」
「チッ、わぁったよ。行けばいいんだろ、行けばぁ?」
逆にキョトンとした人の好さそうな顔を見せて、照れるように笑いながら手をヒラヒラと振って、返事も聞かずにサッサと帰ってしまう黒いネコ耳の【剣王】とやら。
嫌な奴に借りができて、初日から最悪の気分の俺が不貞腐れたように大きなため息を吐き出すのだが、周りの女性陣からは白い視線が投げつけられていた。
「はあ~。ハクローのヤツ、もうこっちに女つくってるわよ?」
「でも、無駄に面倒見の良いハクローくんにしては、何か変でしたよねぇ?」
「ハク様、ネコ耳は天敵ぃ?」
「フィもロシアンブルーのネコ耳は嫌いねぇ~?」
「ニャア~」
「クロセくん、もしかしてこの前に来た時にやっちゃった?」
パーティーメンバーからの視線が痛いんだが。それと、ユウナの不適切な発言に過敏に反応して――ほら、ミラがさっきまでの王女の仮面をポイッと投げ捨てて掴みかかって来ているじゃないか。
「く、クロセ様っ、やっちゃったって何をやっちゃってんですかぁ!」
「ええ、姫様。ここは一晩かけてでも聞き出さなくては、ウヒヒ~」
ああ、クラリスもすっかり地に戻ってしまって、唯の世間話好きの侍女さんになってしまっている。
「はあ~~~。どうせそんなことだろうと思っていましたよ? もう、何処でどんな女性を拾って来ても驚きはしませんって」
すると、意外と落ち着いた様子で大きなため息をついているのはレティシアで、最近では少々のことぐらいでは動じなくなって来ているようで流石は侯爵位持ちの領主様だ。
人は立場と共に成長するということなのだろう。しかし、猫の子を拾ってくるような言い方はどうなんだろうか?
「ま、まあ、とにかく。受験の時間もあるし、そろそろ行こうか?」
ここは戦略的撤退という選択肢しかないのだよ。それは可愛い妹のヒスイだって、きっとわかってくれるはずだ。お兄ちゃんは悪くないよ……たぶん。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「それでは受験番号を確認したら、順番に並んで午前中は筆記試験と午後の実技試験を受けていただきます。結果発表は即日の夕方になっています。合格者はそのまま学生寮へ案内しますが、不合格者はその場でお帰りいただくことになります。何か質問は?」
大学にあるような傾斜に席が配置された大きな講堂で受験要項の説明も終わり、ゾロゾロと廊下に出て受験番号順に割り振られた筆記試験会場となっている各教室へと向かう。
ここ魔法学園の卒業生としてミラとクラリスは、昔お世話になった先生に挨拶に行っているらしいので今は護衛のビーチェを連れて別行動だ。ゴーレムは人としては数に数えないらしい。
それを言ったら、妖精のフィと空飛ぶ黒猫にしか見えないルーはさっきから、少し緊張しているのか白銀の狐耳とふんわりしっぽをピンとさせているコロンの頭の上を、フラフラと飛んでいるが誰も咎める者はいない。
珍しい職種らしいが、【妖精使い】と【魔獣使い】がこの学園にこれまでもいなかった訳では無いということだろう。
とかボンヤリ考え事をしているうちに、午前中の筆記試験はあっという間に終わってしまっていた。
いや、別に白紙で提出した訳では無く、この一週間の地獄のような詰め込み式の受験勉強と言う名の、魔王城での短気集中合宿の辛い日々が思い起こされて、つい窓の外を見て冬風を受ける低い雲に思いを馳せていただけだ。
「うん、美味い。コロンの出汁巻き卵は絶品になって来たよなぁ?」
「でへへ~。ハク様がこれ大好きでしゅから、頑張って練習したんでしゅ」
ロの字型の学園校舎の真ん中にある中庭の芝生にシートを広げて、みんなで戦う【料理人】コロンの作ってくれたお弁当をつついている。
もはや、昔にテレビで見たことのあるデパ地下の高級お弁当のようで、このまま売りに出せそうな勢いだ。
しかもこんなに可愛いシェフが作ったなんて写真入りで売り出したら、あっという間に売り切れてしまうのではなかろうか。
「あ~、ハクローがまたお父さんのような顔してるわよ?」
「まあ、コロンちゃんは可愛いですし、素直ないい子でお料理もできて……あれ? 私よりも女子力高くない?」
「そりゃ、フィが育てたんだからねぇ~」
「ニャア~」
「ふふふ、クロセくんは娘のことになると……仕様の無いのはいつものこと?」
ん? 何かみんなに生暖かい視線を送られている気がするんだが、ルリはどうしてガックリと両手を芝生について血の涙なんか流してるんだ?
そんないつもの風景を見ていたレティシア侯爵が、手で口元を隠しながらコロコロと上品に笑う。
「うふふ、それにしてもコロンちゃんは本当にハクロー様のことが大好きなんですねぇ?」
「えへへ~、コロンはハク様が大好きでしゅ~」
ふんすっ、とお気に入りのセーラー服の真紅のリボンの下の豊かになってきた胸を張った小さなコロンが、嬉しそうにそんなことを嬉しそうに言ってのける。
「ふんっ、珍しいな今年は田舎臭いだけでなく、ケモノ臭いヤツまでいるのか?」
その時、特に警報を上げることも無く近づいて来た、取り巻きを連れた偉そうなお坊ちゃまが唾を吐きながら高笑いを始めていた。
制服を着ていないってことは、同じ受験生ということだろうか。
「ははは、そうですね」
「まったくもって」
「この臭いはかないませんな」
同じように取り巻き連中が調子に乗ってはやし立てるのだが、アリスが振り向きもせずに鼻で笑い飛ばしてしまう。
「ふんっ、たかが十階建ての高層建築も造ることが出来ないへっぽこ技術しかない癖に、どっちが田舎モンよ? だいたい、あんた達の使ってる固形石鹸なんか糞じゃない、人間の腐った臭いも洗い流せてないわよ?」
その物言いに、これまでそんなことを言われたことが無かったのか、ギョッとした驚いた顔をしたお坊ちゃまは急に顔を真っ赤にして喚き散らし始める。
「き、貴様ぁ、この帝国第三王子である私に向かってその口の利き方は何だ!」
「はあ? この魔法学園の中では身分の差は無いわよ? そんなことも知らないで、お坊ちゃまはお受験してるの? 今日はママが付いて来ていないから寂しいのかしらぁ?」
ケケケ~、とか笑いながら耳をほじって見せてフッとそれを吹き払うと、その中指を立ててニヤ~っと三日月のようにした口を耳まで裂いてしまう。
「文句があるなら、受験で家のコロンよりも上位になって見せなさいよ? そしたら、話ぐらいは聞いてやっても良いわよ? まあ、お坊ちゃまじゃ無理でしょうけどねェ~。ウヒヒ~」
「なっ、貴様ぁ! 栄光ある帝国の第三王子であるこのボクチンをバカにしたあぁ! ゆるさんっ、私の方が平民や獣人よりも優秀であることを見せつけて、帝国の威光を見せつけてやろうではないかぁーっ!」
「そうだそうだ」
「平民のくせに」
「ケモノの分際で」
激昂したらしい帝国第三王子のお坊ちゃまは、取り巻きの連中と共に気炎を上げながらドスドスと足を踏み鳴らしながら、それでも大人しく去っていく。
ここで手を出すほどには、根性がある訳でも無いようだ。
「はぁ~、初日からなんだかバタバタと忙しいなぁ。静かなのは試験している間だけじゃないか?」
こんなんで、嬉しそうにルリが待ちわびていた、楽しい学生生活ができるのだろうか。などと、さらに低くなってきた曇天を見上げながら暗澹とした気分になってしまうのだった。