第4章41話 ちらし寿司
「ここをこうやってねぇ、こうっ。ほらね、上手にできるでしょ?」
「わお~っ! お姉ちゃん、できたよっ」
【砂の城】二号のダイニングテーブルに座って、ふふんっとペタンコな胸を張っているエマ先生に教えてもらいながら海老の皮むきをしているのは、子猫のアップリケが可愛いフリル付きエプロン姿のヒスイだ。
今晩の夕食は、午前中にお買い物に出ていたヒスイがお姉ちゃんと一緒のものが欲しいと言って、手に入れた冒険者のギルドカードを見たアリスが、半ば強制的に問答無用で【ミスリル☆ハーツ】へ加入させてしまい、その歓迎会をやるんだと気炎を上げた結果、まだ日も高いうちから具沢山のちらし寿司をみんなで作っているところだ。
「やっぱり女の子のお祝いって言えば、お雛様とちらし寿司でしょ?」
とか言って、嬉しそうにボールに入れた卵をかき混ぜているのはアリスで、その隣ではまだ包丁を持たせてもらえないルリが見えない白く長いウサ耳をピンとさせながら、ピーラーでニンジンを皮をむくように薄切りにしている。
「うふふ~。家もよく、ひな祭りにはちらし寿司を家族で作っていました~。
あれ? そう言えば、あの頃から妹の詩織ちゃんは包丁でトントンしてたのに、私はピーラーだったような……あれあれ?」
楽しそうにお話していたルリが思わず暗黒歴史を掘り起こしてしまったようで、視線をどこか遠くにして肩を落としている。
「お~、ヒスイはお料理も上手なだぁ~。うふふ~」
そうして、自慢の妹の隣りでハラハラしながらも何をするでもなく唯見守っているだけのユウナは、すっかり姉バカのようにしか見えず、海老の皮むきを料理とは言わないだろうとは誰も言えないのだった。
「はいは~い、どんどん薄焼き卵ができて来ましゅよ~」
元気な声で【魔法のフライパン】を持って来てヒョイっと、ミニまな板の上にひっくり返していったのは戦う【料理人】コロンだ。
それを嬉しそうに子供包丁を持って腕まくりをしているのは、お腹に赤ちゃんのエンデがいる母親のセレーネなんだが。
「ふふふ~。それじゃあ、トントンして錦糸卵にしますねぇ~?」
「端っこはフィが味見をしてあげるわよ~」
「ニャア~」
既にその横では妖精のフィが、小さなマイフォークを持って待ち構えていて、聖獣のルーも嬉しそうにジッと目を離さない。
「さばいたお魚はこっちに置いておきますね?」
「はい、姫様。後はお湯をくぐらせる魚介類がありますので、そちらでは煮穴子の味を調味料で調えていただいて」
綺麗に生魚を三枚におろしてから食べやすいように薄く切った皿を持って来たミラに、後ろからいくつもの鍋に【魔石】で火をかけているクラリスが声をかける。
「よいっしょ、よいっしょ」
「……よい、しょ」
その鍋のひとつで小さなコレットとジーナがお手伝いと言って、さっきから丹念に灰汁取りをひたすら続けている。
「あのぉ~、寿司酢というのを合わせてみましたがこれで良いのでしょうか?」
ちょっと自信無さそうに指を舐めて味見を繰り返しているのは、超多忙の中でそれでも後から遅れて駆け付けて来てくれたレティシア侯爵その人だ。
どれどれ~? とか言って、アリスとルリが指をつっこんでペロっとしてみるのだが、分かっているのか分かっていないのか二人して小首を傾げてしまう。
いつもは日本の味を再現する担当のハクローが、まだ二階で倒れたままなので味付けに関しては危なっかしいことこの上ない。
「う~ん、最後の微調整はやっぱりハクローを叩き起こしてから、やらせるとしましょうか?」
「ええ~っ、やっぱりですかぁ? かわいそうなハクローくん……」
諦めだけはいいアリスがスッパリと唯一の男に丸投げすると、しょんぼりとルリが悲しそうに眉を下げてしまう。
「もぉ~、味付けはコロンがやっときましゅから、アリスおねーちゃんとルリおねーちゃんは鶏そぼろをジュウジュウしておいてくだしゃい~」
そう言って、危険を感じたらしい戦う【料理人】のコロンが、今日の料理で一番大事な寿司酢を日本人であるはずの二人から取り上げてしまう。
「ええ~、大丈夫なのにぃ」
「わ~い、ジュウジュウしていいのぉ?」
ちょっと不満なのかアリスが、ぷう~っと頬を膨らませるが、ピーラー以外のお料理当番が回って来てルリは嬉しそうに紅い瞳をワクワクとさせる。
その時、扉を開けて飛び込んで来たのは、商業都市ヴィニーズと領都レティスに拠点のニースィアを股にかけて連日のように飛び回っていたメイとお母さんだった。
お母さんも薬物中毒の後遺症もすっかり抜けて、ゆっくりと体力を回復させているところだ。
「遅くなりましたぁ~」
「ふふふ、やっと帰って来られましたぁ」
見ると二人共に気の所為かやつれているようで、化粧で誤魔化してはいるが僅かに目の下に隈までつくってしまっていた。
そうして二人は真っ先にアリスに視線を送ると、哀しそうに眉を下げて小さく首を横に振って見せる。
実は商業ギルドの世界ネットワークを駆使して、【賢者の石】がどこかに残って無いか探してもらっていたのだ。しかし、商業ギルド本部のギルマスの強大な力を以ってしても、発見することは出来なかったようだ。
すると横から助かったぁ~とばかりに、戦う【料理人】のコロンが駆け寄って来てメイの手を引っ張る。
「ああ~、良い所に帰って来たでしゅ。この寿司酢を味見してくだしゃい~」
「え? あぁ~、ちらし寿司を作っているのね? まかせて頂戴っ。十年以上が経とうとも、ちゃ~ぁんと日本の味は忘れていないから大丈夫よ!」
ポンッと意外と豊かな胸を叩いてから、ふふんっと腰に手を当ててメイがその胸を張って見せるので、お母さんも嬉しそうにパンと手のひらを合わせる。
「うふふ~、メイはお料理が上手なんですよ? 私でも食べたことの無い料理を、急に思い出したように作り始めるんですからねぇ~」
「う~……。何か同じ日本代表として、私達の立場が無いわねェ」
「仕方ないですよぉ。だって私ってば、お【料理】スキルってあれからちっとも全然まったくレベルアップしないんだもん~」
最初から【料理】スキルを持たないアリスと、持っていても宝の持ち腐れになっているルリが、二人してガックリと肩を落とす。
この二人の女子力たるや、既に風前の灯である。
と、その時、さっきからキッチンに入ってミラやクラリスのお手伝いをしていたヒスイが、お玉を片手にお鍋を覗き込みながら嬉しそうに声を上げる。
「お姉ちゃん、何か【料理】っていうスキルが出来たよ~? えへへ~」
「おぉ~、やっぱりヒスイはお料理も上手なんだなぁ~。お姉ちゃんはとっても自慢だぞっ、ふふふうぅっ……」
褒めて褒めて~っと嬉しそうに見えないしっぽをフリフリと振るヒスイに、当然のように手放しで一緒になって自分のことのように喜んでいたユウナが、急に綺麗な紫の瞳を潤ませて乾いた笑いを漏らして最後には喉を詰まらせてしまう。
そうなのだ、わずか数日でどんどんと見るもの聞くものを際限無く吸収していき、次々とスキルも新しく習得していく良くできた妹に、もっと時間があればどれだけのことを覚えていくのだろうと、ついそんなことを考えてしまうのは姉として仕方の無いことだった。
だから、みんなは忙しく料理をつくるのだ。楽しそうに笑うヒスイが、哀しそうに笑うユウナに気がつかないよう。
みんなで目前に迫り来る悲哀を覆い隠すようにして、ワイワイとはしゃぐのだった。
「何か、お腹空いたぁ~」
リビングにまでいい匂いが漂って行っているようで、ソファでゴロンとなっている天使のアシエルがおでこに包帯を巻いた頭をヒョコっと持ち上げて、リリ~ンリリ~ンと御子守帯が結ばれた『鈴の緒』を鳴らしながら、天使の祝福とも催促ともつかない声が聞こえて来ていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「やあ、久しぶりだな少年。元気そうでなにより」
気がつくと見慣れたはずの湘南の海岸の波打ち際に立っていて、もう冬だと言うのに踝まで浸かった海水はちっとも冷たくなくて、むしろ海風と共に気持ちがいいぐらいだ。
足の裏の砂が波にさらわれる感覚も妙にリアルで現実としか思えないのだが、そんなことがあるはずが無い。
このまま家に帰れるのだろうかと、ふと考えてから、思わず苦笑してしまう。俺の帰るべき場所は、こんな所にはあるはずが無かった。
ああ、早く帰らないと。またルリが、みんなが、俺の小さな家族が余計な心配してしまうじゃないか。
そんなことをボンヤリと起き抜けのハッキリしない頭で考えている間も隣に立つ、見覚えのあるへそ上丈の白いキャミソールから黒の見せブラをはみ出したままのジーンズのショートパンツ姿で、両腕にはびっしりとトライバルを入れてキャロットブロンドの長髪を海風にそよがせた女の人は黙って待っていてくれた。
「ああ、魔法使いのお姉さんか。【竜宮城】へは行けたの?」
「んん? ああ、少年のおかげて無事に亀さんと行けたよ? でも、欲しいものは無かったんだ……」
七年も前のことを思い出しながらも一言目は十分に注意して、それからずっと気になっていたことを聞いてみるのだが、彼女は優しくも哀しい笑顔を浮かべると、ちょっとしょんぼりしてから首をフルフルと振ってしまう。
何が目的だったのかは知らないけど聞かない方がいいのだろうな、と直感的に思いついて適当に話を逸らすことにする。
「……そう。ゴメン、今日は『うまか棒』持って無いんだ」
「ガーン……。まあ、それもそうか」
本気で、残念そうに肩を落とす――何故か魔法使いのお姉さんと名乗っている、だぶん不自由な女神さん。
「それで、これはどうゆう状態なの?」
「ああ、そうだった。時間もあまり無いので手短にな。ちょっと前に、天使のヤツが女神の神託があるって言ってたろ? これは、それだな。んで、少年にあげてあった【時空魔法】の魔法陣なんだが――」
そう言いながら俺の左腕のTシャツの袖から見えているトライバルを指差すと、そのままそっとその細い指先で触れて。
「――前の時よりも、ちょっとだけ使いやすくなったからな。少年が欲しがっていた、時間を稼ぐこともできるだろう」
二の腕のトライバルが眩しい蒼い光を放つと、本当に久しぶりに脳内インフォメーションが流れる。
――エクストラスキル【時空魔法】が規定値を超えてレベルアップしました。現在のベータ試験から以降は正式運用が可能となります。
そう言えば、最近はちっともスキル習得してなかったからなぁサボってる訳じゃ無いんだけどなぁ、とかまだボケっとした頭で考えていると、彼女の最後の言葉に遅ればせながら過敏に反応する。
「時間を止めることができるのか!」
ガバッ、と柔らかそうな彼女のトライバルだらけの二の腕に掴みかかりそうになって、既の所で何とか思い止まる。
「ふふふ、やっとその気になってくれたか。ああ、そうだ、少年もこれで一人前の――いや、見習い程度だが立派な【時空魔法】の使い手だ」
そう言いながらも優しい瞳で嬉しそうに微笑んでくれる彼女に、途中まで差し出した両手を下げることも忘れて、震える唇で渇いた喉からようやく声を絞り出す。
「も、もしかして――」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ゆ、夢か……しかし」
月明りだけが窓から射し込むベッドの上で起き上がっても、額に手を当てたまま暫くは動くことが出来なかった。
何故なら、今まで小数点以下しか遅々としてレベルアップしなかった、エクストラスキルの【時空魔法】がLv1を超えていたからだ。
名前;ハクロー・クロセ(黒瀬白狼)
人種;人族
性別;男
年齢;15才
レベル;Lv32
職業;【サーファー】
スキル;【解析Lv6】(UP!)【時空収納Lv5】(UP!)【時空錬金Lv6】(UP!)【剣術Lv6】(UP!)【身体強化Lv5】(UP!)【二刀流Lv5】(UP!)【魔力制御Lv5】(UP!)【物理強化Lv5】(UP!)【限界突破】【抜刀術Lv5】(UP!)【格闘術Lv4】(UP!)【隠蔽Lv5】(UP!)【偽装Lv5】(UP!)【威圧Lv3】(UP!)
エクストラスキル;【時空魔法Lv1.2】(UP!)
ユニークスキル;【波魔法Lv6】(UP!)
オリジナルスペル;【ソナー(探査)】【ビーチフラッグ(加速)】【波乗り(重力)】【ドライスーツ(防壁)】【HANABI(爆裂)】【ライフセーバー(救命)】【AMW(ノイズ)】【マイクロ波】
守護;【女神フォルトゥーナの加護】【ルリの友達】【女神アルティミスの加護】
しかし、これだけでは出来ることは限られている。彼女であっても、自身が未完成と言っていたぐらいだ。まだLv1になったばかりでは、その言葉通りに見習いレベルと考えて間違いは無いだろう。
でもそれでも、これで何か出来ることはあるはずだ。何としても、明日までに間に合わせる。
妹になってくれた可愛いヒスイのために、俺は今日まで全く何もしてやれていない。だから、わずかでも可能性があるのなら、持てる力の限りを尽くそう。
どんなことをしても、ヒスイを助けるのだ。さあ、俺の戦いを始めよう。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。今年は皆様にはとてもお世話になりました。皆様もよいお年をお迎えください。