第4章38話 おうちにかえろう
「ふう~、思ったよりも時間がかかったなぁ。何でこうなるかなぁ?」
モニャコ公国の城門の前で一人の少女をお姫様抱っこしたままで、俺はゼイゼイと肩で息をしていた。
辺りを見回すと既に日が暮れようとしていて、家路につく大勢の人達の行列で城門も長蛇の列をつくる程に混み合っている。
初めて目にするモニャコ公国は、断崖絶壁に街が張り付いたような印象の街で、下からは見通しが悪くてどのくらいの広さがあるのか一目ではちっとも分からなかった。
しかし、街の灯りだけは眩しい程に炊かれていて、結構な人口がいることがそれだけで分るぐらいだ。
この城門の混み具合の様子では、まだ入国するのに小一時間はかかりそうだなぁ、などと考えていると。
「おい、そこの男。冒険者か? 抱えている女性だが――もしや、くっ! 貴様っ!」
とか馬上から叫びながらやって来たのは【解析】で視ると近衛騎士団隊長のようで、サラサラの金髪に優男風のイケメンだ。
本当にこの世界はイケメン率が高い。もしかしたら、美男美女でないと優先して生かしておいてもらえないので、ブ男は自然淘汰されるから数が少ないのだろうか。
などと、どうでも良いことを徹夜明けのボンヤリした頭で考えながら現実逃避していると、下馬したイケメン近衛騎士団隊長が抱いていた女性に手を伸ばそうとして来るので。
「それ以上、近寄れば敵対行動とみなして迎撃する。これは警告だ。繰り返す、これは警告だ」
そう不機嫌な声で吐き捨てるように言い返してやると、顔を真っ赤にした短気なイケメンの近衛騎士団隊長は腰に下げていた剣をいとも簡単に抜刀してしまう。
「迎撃だと? 警告だと? できるものならやってみろ……うっ」
やってみろと言うのですぐさま軽く【威圧】してやると、アッサリと顔を真っ青にしてプルプルと震え出してしまった。
何だ、このチンケな口だけイケメン近衛隊長は? 仕方が無いので大きなため息をついてから、後ろに付いて来ていた近衛騎士団の団員達に向かって投げ槍に言い放つ。
「おい、そこの近衛騎士団。今からこのお前達の隊長が意識を失うからサッサと連れて帰れ。いいな?」
「なっ、おい貴様っ、何を! うわっ……」
近衛騎士団員達の中でも若い騎士が馬から飛び降りて近づいて来るが、そのタイミングで【威圧】のレベルを少し強めにしてやると、イケメン近衛騎士団隊長はクテンと意識を失ってその場に崩れ落ちてしまう。脆過ぎだろぉ?
それを擦違おうとしていた若い騎士が、ギョッとして地面に倒れる寸前で受け止めて一緒に尻もちをついてしまう。
「た、隊長! しっかりしてくださいっ、隊長ぉ!」
「おい、そこにいる近衛騎士団員で、この女性の家族を知っている奴がいるみたいだが……ああ、なんてこった公国のお姫様かよ~。チッ、やっぱ見捨てりゃよかったかぁ。面倒臭ぇなぁ。
という訳で、今すぐにこの女性――エヴァンジェリーナというのか、家族に会わせろ」
時間が無いと言うのに何でこうも余計な手間ばかりが増えていくのか、そんな苛立ちから後ろで唖然としている近衛騎士団にとうとう命令までし始めてしまう。
「……いや、しかし」
「構わないよ。僕が一緒に行こうじゃないか。それなら文句はあるまい? ねぇ~、異世界召喚者の――君はハクローくんだろうか? 僕の【鑑定】が通らないなんて、名前だけの【勇者】とは違うようだねェ」
【解析】によると近衛騎士団の副隊長らしい中年が口篭もっていると、その後ろから音も無く表れた見るからに日本人の男がとんでも無いことを言い出す。
確かに索敵では唯一人だけアラートを上げていた程の60越えのレベル持ちだったが、向こうも【隠蔽】を使っているらしく全てのスキルを見ることまではできない。
「公王の弟なら、このエヴァンジェリーナの従兄でもあるんだろうから預けてもいいんだが」
「いや、事情は俺じゃなくて直接家族にだけ知らせてやってくれないか? その方が良いんだろ?」
【解析】できる範囲で分かった情報からもう手を引こうとするが、逆に手をヒョイヒョイと振りながら付いて来いと言われてしまうので、もう一度だけ、はぁ~っと大きなため息をつきながらもその後を付いて行くことにする。
よく見るとその公王の弟にも黒毛のネコ耳があって、さっきから俺がお姫様抱っこしている女性にも実はネコ耳があったりする。
もしかしなくても、この公国の名前からして猫人族が王族だったりするんだろうか。とか、意外とどうでもいいことを考えながら、ふとニースィア冒険者ギルドのネコ耳受付嬢ニーナのニヤケ顔が浮かんでゲンナリしてしまう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「エヴァ!」
そんなデカい声を出して後から応接室に入って来て、公王宮殿に着いたばかりの俺がお姫様抱っこをしたままの女性――エヴァンジェリーナをひったくったのは、ガタイの良いマッチョ親父の日本人っぽいネコ耳だ。
いや、もう何だか訳が分らん。早く引き渡して帰ろう。
そのマッチョ親父――【解析】で視ると公王本人らしい、が優しくエヴァンジェリーナ姫を抱きしめて様子を窺っていると、後から正妃がドレス姿で走ってやって来る。正妃は金髪だが勿論、ネコ耳だ。
そうして俺を案内して来たエヴァンジェリーナの従兄が、後ろ手に応接室の扉を閉めて出て行ってしまう。
おい、護衛が誰もいなくなったぞ? まあ、この公王は70レベルあるからちょっとやそっとじゃ殺せないんだろうけど。しかし、この公国の王族はどいつこもいつも異常にレベルが高いなぁ。
「そ、それで、エヴァはどこに……?」
「――あ~、少しショックな話をしますので、まずはソファに腰掛けてください。ああ、俺はハクロー。さっきまでいたエヴァンジェリーナ姫殿下の従兄さんにも、どうしてか【鑑定】で見抜かれたらしいですが、異世界召喚者だけど【勇者】ではありません」
我に返った公王の質問を遮るようにして、自己紹介をしながらエヴァンジェリーナを抱きしめた二人がソファに座るのを待ってから、余り二度と話したくない類の話を始める。
「それでは、気をしっかり持って聞いてくださいね。俺は冒険者ギルドの指名依頼で、ここモニャコ公国へ転移魔法の転移先の登録のために、飛行魔法で移動している途中。
海沿いに大森林があって索敵に引っかかる敵影を発見したので、高度を下げて確認したところ、オークの集落に――」
そこまで黙って聞いていた正妃が、「ひっ」と息を呑むのが聞こえてしまう。だが、二人共に娘を抱いた手を離そうとはしない。本当に大切な家族なのだろう。
「――人が、捕えられていました。ので救出を最優先に考えて、捕まっているボロ小屋の屋根をぶち破って内部に侵入して身柄を確保、近くにいたオークは全て集落ごと皆殺しにしました。
救出時に生きていたのは残念ながら、そちらのエヴァンジェリーナ姫殿下のみでその他の者達は全員が既に死亡していました。遺体は回収してきていますので、後で引き渡します。
それで、姫殿下の――状態ですが。恐らくは捕まって数日が経過していたものと思われます。その間にオークから、――その、暴行を受けていたようで」
「ぐっ!」
今度は公王が奥歯を圧し折ったのか、鈍い音が応接室に響き、ポタポタと顎を伝って血が綺麗な絨毯に滴る。
「――姫殿下はオークの子を身籠っておられました」
その時点で二人の瞳からは滂沱の涙が後から後から流れ落ちて、抱きしめているエヴァンジェリーナ姫の身体にボトボトと滴となって雨のように降り注いでいた。
「先程、身構えられたようにオークの子は身籠ってわずか数日で臨月を迎えると、勝手に母体を切裂いて出て来るようです。
お腹の大きかった姫殿下もその場ではどうすることもできなかったので、新しいタオルに巻いてから抱いて飛行魔法で移動を再開したのですが、途中で――動き始めてしまって。
緊急着陸したのですが、その時には既に体内から母体を食い破って出て来る所でした。ので、放置するのは危険と判断して胎盤ごと引き摺り出して殺してから、姫殿下には回復魔法をかけてあります。
失われた血液は戻ることはありませんが、傷は治療回復しているはずなので確認してあげてください」
そこまで一気に話し終わると、二人共に抱きしめた綺麗なタオルで巻かれた愛娘のエヴァンジェリーナの身体に縋りつくようにして泣き崩れてしまっていた。
「それから、最後にひとつだけ。胎盤も力づくで引き摺り出しましたので、母体を痛めていないか心配です。ちゃんとした医師に診てもらって、将来に姫殿下がお子さんを産むことができるように配慮してあげてください」
そうなんだ、無茶な堕胎手術で子供を授かることができなくなったために、長いこと悲しんだセレーネを知っているから、そんなことを口にしていた。
「……娘が将来に子供を授かることを望むと言うのか?」
公王は絞り出すようにそんなことを聞いてくるので、俺は首を振りながら正直に応える。
「それは分かりません。でも、将来に姫殿下がお子さんを本当に望んだ時に、授かることが出来ない身体であることは可哀想だと思います」
「……必ずや、医師には見せます」
今度は正妃が震えたままの涙声で答えるので、ここまでかと判断して帰ることにする。
「それでは俺はこれで。冒険者ギルドの仕事があるので帰らせてもらいます。ああ、このことを知っているのはここにいる人間だけです。さっきの従兄にも話してはいません」
それだけ言うと、サッサと応接室を出て行こうとする。しかし、公王はそれを許そうとはしない。
「ま、まってくれ、せめて礼だけでも」
しかし、足を止めることなく振り返りもせずに言い放つ。
「姫殿下のためにも、今回のことはお互い忘れた方がいいでしょう。それではこれで」
そうして、得意では無いのだが無理矢理に作り出していた【ドライスーツ(防壁)】を応用して応接室全体に作り出していた魔法防御、音声遮断などを解除してから、扉のノブを開けて部屋を出る。
するとやはり、月光が射し込む廊下の反対側には、さっきの従兄が腕組みをしたままこちらを睨んでいた。
「凄いねェ、全てを完全遮断する魔術結界とは。初めて見たよ」
「そうかい」
それだけを擦れ違いざまに吐き捨てると、そのまま振り返ることも無く立ち去ることにする。畜生、余計な魔力を使わせやがって。
俺が魔術結界なんか張れるかよ、ルリの見よう見まねのやっつけ仕事で構築しだだけのパチモンだ。
ああ、ルリの所に還らなくては……早く、かえろう。おうちにかえろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「大丈夫ですよ。堕胎の処置が良かったのでしょう。子宮に損傷は見当たりませんので、将来にお子を授かることも出来るでしょう」
オークに囚われていたとは言わずに、緊急で呼び出した公王専属の主治医に、自室に寝かせたエヴァンジェリーナを怪我の治療と合わせて診せていた。
初老の主治医は長年に渡り公王家に仕えていた者で、第一王女であるエヴァンジェリーナを取り上げたのもこの主治医であった。
「そ、そうですか……それは」
正妃はさっきから涙が止まることが無く、ずっと泣き続けていたがようやく言葉を発すると、ベッドで眠り続ける娘を抱きしめてまた泣き始めてしまう。
だから、公王がその大切な娘を見つめたままで、それでも礼を述べるのだが。
「助かったぞ。感謝する」
「いえ、むしろ私は何もしておりません。それよりも、これは上位回復魔法で治したものでは無い可能性があります。
私はエヴァンジェリーナ姫殿下を幼少の頃より、ずっと診させていただいておりますが、小さな頃にお怪我をされた膝の傷痕などまで綺麗サッパリと消えて無くなっております」
初老の主治医は謙虚にフルフルと首を振ると、訝し気に診断結果を語り始める。だから、公王も不審な点があるのか確認するように聞き返す。
「それはいったい、どうゆうことだ?」
「それが、私も一度しか診たことが無いのですが、この処置痕は超位回復魔法に以外は不可能かと。しかし、神聖教会の【聖女】も現在では超位回復魔法が使用できなくなっているとの未確認情報もありますので、これ以上は私からは何とも」
やはり、首を振りながらそれでも長年の経験からか断言するように言葉を紡ぐ主治医に、筋肉マッチョな公王は愕然とする。
「何と……彼は超位回復魔法の使い手ということか、しかも転移魔法も飛行魔法までも使いこなす。やはり、異世界人というのは……」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「――はっ――はっ――はっ――」
魔法学園の正門前に転移魔法の転移先登録を済ませてから、モニャコ公国の城門を抜けるとそのまま海沿いの真っ暗な街道をひたすらニースィアに向かって、自分の脚で走っていた。
勿論、【身体強化】で最大限ブーストしてあるが、昨晩からの魔力消費が激しいために、飛行魔法やあまつさえ転移魔法など使うと明日の公爵令嬢の転移ができなくなる可能性が非常に高かった。
だから、少しでも魔力消費を抑えるために自分の脚で走り続けているのだ。がむしゃらに、頭をからっぽにして唯々、ニースィアで待つルリの元へ戻るために地面を蹴り続ける。
確か公爵令嬢との約束は昼前だったはずだ。それまで夜通し走り続けて、昼前には転移してでもニースィアの公爵屋敷に到着していなくてはならない。
ああ、何だってこんなことをしているのだろうか。
途中で投げ出したくなってしまうが、その度にミラの哀し気な顔が脳裏に浮かび、クラリスのメガネがキランと光るのを思い出し、アリスがパカンと頭を――そう言えば、最近は叩かれていないな。
小さなコロンの可愛い笑顔と狐耳にしっぽ、大食いの妖精フィ、モフモフな聖獣ルーが繰り返し思い出される。
ああ、最近は表情が豊かになって来たユウナに、初めての妹になってくれた可愛いヒスイ。
そして、紅い瞳をした白髪の少女、ルリ。幸せそうに笑うことが増えた彼女の元へ。みんなが待つその元へと。
だから、力の限り脚を動かし続ける。唯ひたすら、暗闇に浮かぶ地面を蹴り続ける。
さあ、おうちにかえろう。