第4章36話 勇者の救済
トンッ、と【砂の城】二号の玄関を出た所で俺は地面を蹴って、そのまま放り投げたサーフボードに飛び乗ると急加速急上昇を始める。
というのは、さっきから【砂の城】一号と二号の二棟が建っているすぐ裏のニースィア城壁の上から、索敵マーカーに敵反応がアラートを上げているからだ。
夜月の照らされた城壁にそびえる監視塔が見える位置まで上昇すると、意外なことに上位火魔法の直撃を受ける。
とは言っても、防壁魔法があるので俺の身体に着弾している訳では無いので、ちょっと熱いぐらいなのと――この後に魔力消費が厳しくなることが確定している現在の状況で、想定外に余計な魔力を浪費させられたことが、えらくムカつくぐらいか。
「や、やったかっ、ざ、ざまあみろ! 第一王子である、――次期国王であるこの俺をバカにするからだ! あはははっ、これでも喰らえ、これもだっ、こいつもくら……え?」
城壁の監視塔の上ではフレデリック第一王子が目をギラつかせて唾を飛ばしながら、魔法スクロールを振りかざしている。いったい、何枚持って来ているのか。
しかし、その上位火魔法や上位氷魔法、上位風魔法に上位水魔法が炸裂する度に、吹き荒れる爆風や轟音と共に舞い散る黒煙と火花の中から、ゆっくりとTシャツに短パン一丁の無傷な俺がサーブボードに乗って姿を表すと。
「ひっ、ど、どうして? 上位魔法なんだぞ! 王国の国宝の魔法スクロールなんだぞぉ!」
まだまだ持っているらしい魔法スクロールを広げて起動させようとするので、ドンッ、と空中で予備動作無しで加速すると黒煙を切裂いて一瞬でアホ王子の目の前に出現する。
「ひぃいいいいいっ! ば、バカなっ」
それでも、現実を否定し続けるアホ王子に鼻をつける寸前まで近接して、その青い両目をジロッと覗き込んでから、ニヤッ、と口を三日月のように耳まで裂いて。
「あばよ、タマナシのアホ王子」
そうつぶやいてから、両手に魔法スクロールを持った腕を、肩の付け根から【抜刀術】で斬り飛ばす。
「……え?」
おそらくは触れられたぐらいの衝撃しか身体には伝わらなかったはずだが、周囲には鮮血が噴水の様に舞っていて、斬り飛ばして落ちて来た両腕を二本共に焼き鳥の様に直刀【カタナ】で串刺しにすると、アホ王子の目の前にかざしてやる。
「ああ、残念だったな。神聖皇国の【聖女】は超位回復魔法が使えなくなったから――」
そう言いながら、串刺しにした奴の両腕を目の前で『分解』する。
「……あ?」
「――お前の腕は、もう二度と復活することは無い」
そうして、サラサラと灰になって散っていく両腕だったものを、直刀【カタナ】をヒュンと振って払うとジロッとアホ王子の隣りでガタガタと震えている、残念【勇者】を睨みつける。
「まだ、こんな所にいたのか? お前、このアホ王子の護衛だろぅ? 何にもできねぇなら、サッサと王城にでも帰れよぉ」
「ひっ……」
生徒会長は後ろに下がろうとして尻もちをついてしまい、脚だけをズリズリとあがくように動かし続ける。
すると、横に立ってぽわぽわとした視線でこちらを見ていた、宮野副生徒会長がアホ王子を指差してどうでも良いことだけど、とでも言うようにつぶやく。
「そろそろ、止血しないと死んじゃうわよ?」
「ん~、別に俺は困らんぞぉ? だったら、先輩が回復魔法を使ってやんなよ。それぐらいできんでしょ?」
面倒臭そうにそう言い返すと、ニコ~ォっと暗い笑みを浮かべてから、う~ん、と人差し指を頬に当てて考え込むようにして。
「じゃぁ~、黒瀬くんにぃ貸しひとつってことでい~い?」
なんて言いながら、コテンと可愛く小首を傾げて見せるので、舌打ちをしてからアホ王子へと手を向けて、サッと【ライフセーバー(救命)】を加減して簡単な回復魔法で止血だけは処置しておく。
「チッ、こんなアホ王子でも死んだら、弟思いの優しいミラが悲しむからな。おい、アホ王子、命拾いしたなぁ? 精々、ミラに感謝するんだな……」
涙と鼻水と涎と下から液体を垂れ流していたアホ王子は、ポカンと口を開けたまま、ようやく痛みから解放されて気絶することができたようだ。
その間にも、副生徒会長は一人で何やら暗い顔でブツブツとつぶやいていて、本気でヤンデレルート一直線に見えるんだが。
「あ~、うん。やっぱりそっかぁ~、失敗したなぁ。私って、ホント駄目だなぁ~」
「そう思うなら、今からでも良く考えるんだな」
だからだろうか、少し情けなさそうに眉を下げて悲しそうに微笑む彼女を見てると、つい余計なことを言ってしまう。
すると、闇落ちしていたはずの綺麗な顔をパアっと明るくさせると嬉しそうに、でも後悔を秘めた哀しい笑顔を浮かべて見せる。
「あれ? あれあれ? あれれ~? 私なんかのこと、心配してくれるのぉ~? うふふ~、やっぱり黒瀬くんは優しいなぁ。やっぱり、失敗してたんだ……私ってば」
何を言っているのか、急にうんうんと頷きながら何かを納得したように、でも何か吹っ切れたように綺麗な笑顔で話しかけて来るので、またついそれに答えてしまう。
「失敗したなら、やり直せばいいんだ。その時は手を貸してやるから――」
アリスが聞いたら、またそんなことを言ってと笑い飛ばすかもしれないなぁ。なんてボンヤリと考えながらも、今はそんなことよりやらなければならないことがあるんだ。
「――今は、急いでるから行くぞ?」
「うん、わかった。気をつけてね?」
まるで憑き物でも落ちたように、清々しいまでに何のてらいも無く、素直な気持ちで俺の身体を気遣う彼女に、思わず目を見開くと。
「ああ、わかった。先輩も気をつけてな?」
できるだけ優しい目付きになるように気をつけてから、そんな言葉を口にすると、ずっと立ったままだったサーフボードを踵でコンッと蹴ると、東のモニャコ公国へと向けて全速発進させる。
余計な時間と、余計な魔力を消費してしまったので、ちょっと急ぐ必要があった。
でも、宮野副生徒会長は少しだけ前向きになれたようで、それだけは余計な無駄では決してなかったはずだ。
そんなとりとめも無いことを考えながらも、月光を反射したサーフボードを蹴って青い光弾が轟音と共に夜空を駆ける。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「うん、私もガンバロっと」
月夜に蒼く輝く光弾が東の空に消えて行くのをジッと見つめていた宮野副生徒会長は、自分のコンプレックスでもあるその豊満な爆乳を張ってから、ふんすっと気合いを入れる。
何時でも何処でもほとんどの男性からの不躾な視線を向けられる、自分のこの胸は小さな子供の頃から大嫌いだった。
でも、彼はわずかに眉を寄せながらも、むしろ嫌そうに視線を逸らす。まるで、彼女がそれを嫌がっているのを知っているかのように。少しだけ照れながら、優しくソッポを向く。
そんな、一人で動くことすらできなかった見ず知らずの病気の少女を、今日まで決して見す捨てることなく背負い続けて頑張って生き抜いて来た、心優しい一歳年下のその男の子にやり直しはできるんだと励まされたのだ。
ここで、頑張らなくては女が廃ると言うものだ。
そうなのだ、もう一度、頑張っていい女になってその時は、黒瀬くんから助けに来てもらえるぐらいになっているんだ。
そう思うと、気分も軽くなっていくのが感じられて、何だか何でもできる気がしてくるから不思議だ。
だから彼女はスックと城壁の監視塔に自らの両脚でしっかりとした足取りで立つと、情けなく粗相をして座り込んだもう一人の【勇者】に向けて指示を出す。
「沢登くん、いい加減しっかりして頂戴。その王子様をつれてここを離れるわよ。そして冒険者を雇って王都へ戻るわ。だから偉そうに無駄な虚栄を張る前に、言われたことぐらいちゃんとして見せなさい」
「……う……うん」
涙と鼻水と涎で汚れた顔をブンブンと縦に振って、【勇者】であるはずの生徒会長は唯々言われるがまま大人しく指示に従うのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふうぅ~……やっと行ったみたいねェ。まったくハクローは一人にすると、すぐに寄り道してェ」
【砂の城】二号の屋上で、左目に【遠見の魔眼】の照準線を遠目にも分かる程にくっきりと浮かび上がらせていたアリスが、小さくため息をつく。
屋上から辺りを見渡すと、城壁の上から降り注ぐ爆炎と氷の塊などに驚いた、路地裏に住む結構な人数の人々が野次馬のように集まって来ていた。
しかし、ルリが魔術結界で完全に遮音までしてある【砂の城】の一号と二号の中は、不自然なほどに静かで。
「大丈夫みたい。ヒスイちゃんとユウナちゃんは、目を覚ましていないよ」
自分が張った魔術結界の中ではそんなことも分かるようになったらしいルリが、少しだけホッとしたようにつぶやくと、妖精のフィが虹色の四枚の羽を震わせながら、ふふんっと胸を反り返す。
「フィが【睡眠】と【淫夢】のスキル合成で眠らせてるんだから二人共、良い夢を見ているはずよ」
「ヒスイちゃんも、それからユウナお姉ちゃんもネンネンできてよかったでしゅ」
「ニャア~」
何故だかヒスイのことだけは妹認定になっているらしい、小さなコロンもホッとしたように胸を撫で下ろす。聖獣ルーも安心したようにひと鳴きしている。
そうなのだ、ユウナは絶対にまんじりともせずに一睡も出来ないだろうことは、容易に想像がついた彼女達が、当然のように妖精のフィと結託して二人には完璧に安眠できる環境を提供していた。
城壁の監視塔の上からアホ王子を担いで【勇者】達が撤収するのを、【遠見の魔眼】で監視していたアリスが終わった終わったと振り返るとヒラヒラと手を振って下へ降りる階段へと向かう。
「さぁっと、私達も寝ましょう。明日は朝からヒスイとい~っぱい遊ぶんだからね?」
「「「はぁ~い」」」
「ニャア~」
元気な返事をしながらみんなも、まだリビングで寝ないで待っているはずのセレーネとアシエルに報告するために階段を下りて行く。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「クラリス、フレデリック第一王子の足取りは掴めましたか?」
王族別荘のプチ離宮の寝室では、ミラがクラリスに湯上りの綺麗なストロベリーブロンドの長髪を、ハクロー特製のブラシと櫛で梳いてもらいながらも、眉を下げて心配そうに訊ねていた。
「いえ、姫様。昨晩は王家別荘の本殿の方に宿泊されたようですが、今朝早くに出立されて本日はお戻りになっていないようです。まあ、一応は【勇者】様がお二人も付いているのですから、そこら辺の盗賊ではどうすることも出来ないとは思いますが。
ただ、……それなのに、武器庫にあった上位魔法スクロールをありったけ持ち出されたようで。王都の防衛戦力が低下しているので、その足しにでもされるのでしょうか?」
「魔法スクロールなら王城にも武器庫にかなりの数があったはずですが……帰りの道中で寄り道でもして、スタンピード討伐で取り零されている上級魔獣でも倒して、その成果でも持ち帰るつもりなのかしら?」
今回わざわざニースィアまで来たというのに、何の成果も上げずに王都へと帰ることになったのだから、気持ちは分からないでは無いが――そんな、殊勝な考えをする弟でも無いと理解してもいた。
どちらかというと、自分の興味のあることにだけ視野が狭くなる傾向のある弟は、一度何かに執着すると他を顧みないことなどこれまでもザラだったはずだ。
「あぁ~、嫌な予感しかしません……」
「はい、姫様。まあ、クロセ様にちょっかいを出しても返り討ちに合うだけですから、心配してもしょうが無いですよ?」
ミラの心配をよそに、わざわざ口にしなかったことまで言ってしまうクラリスに、第一王女が拗ねるようにつぶやく。
「クラリスは余計なことを言わんでよろしい。本当のことになったら、どうするのですか?」
「はぁ~、それは姫様。既に手遅れかと……なんせ、もう立太子することも現実的には出来なくなってしまっているのですからねぇ。あそこで姫様がお助けしなければ、今頃はこんな心配すら出来なくなっていたかも、いえ必要が無くなっていたかも知れないのですから。これ以上は、甘やかされても良い結果にはならないかと」
王国の王族であるミラレイア第一王女専属の侍女筆頭を長年に渡って務めて来ているクラリスは、それでも優先順位としては遥かに下に位置するフレデリック第一王子などのことのために、自分の姫様が心を痛める方が余程腹立たしいのは事実だった。
それでも、心優しいミラは小さくため息をつくことを抑えることができないようだ。
「本当に何も無ければ良いのですが……」
「姫様、そんなにため息をつきますと、幸せが逃げて行きますよ?」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふう~、とりあえず資材関連のとりまとめだけは何とかなったわねぇ。いつの間にか、ビーチェちゃんが石畳を引くのに合わせて上下水を通しておいてくれたので助かりました。これで【砂の城】簡易版で暫くは生活できると思います」
手にした書類をパサッと机の上に置きながら、メイが疲れたように目頭を揉みしだく。
レティシア侯爵領の領都レティスにある【砂の城】簡易版のひとつでは、夜遅くまで都市の開発進捗の確認が行われていた。
結局、領主であるレティシア侯爵と都市開発責任者に抜擢されてしまったメイはお母さんも含めて、ニースィアに帰ることができずに領都レティスに泊まり込みになってしまっていた。
「建築班はハクロー様達がどこからか持って来た建造物の魔法スクロールの設置準備に入っていますから、そこはメイさんに任せますね? 後は工房班も素材の整理を始めているので、手始めに何から製品化するのか指示して上げてください。農業班についてはやって来た農耕機材と家畜達に引かせて山側の広大な土地に連れて行ってもらわなくては」
レティシアまでが肩をトントンと叩きながら首をコキコキと鳴らしているので、メイのお母さんがぽやぽやした声で嬉しそうに微笑む。
「でもでも~、獣人の人達が思ったよりも元気になって良かったですねぇ。みさなん、どなたも手に職がある人達ばかりのようなので、美味しい料理も食べれてとっても嬉しいですぅ~」
「ふふふ~、お母さんは最近は食欲も出て来たみたいで、すっかり顔色も良くなって元気いっぱいだけどねぇ~?」
元気になった母親にペッタリくっついて嬉しそうに微笑むメイの、そのミルクティーカラーの髪を優しく撫でながら同じく微笑み返す。
「うふふ~、もうメイったら。いつまで経っても子供なんだからぁ~」
「お二人は仲がよろしくて羨ましい限りです」
じゃれつくように仲良く抱き合う母娘を見ていて、何を思ったのかわずかにアクアマリンの瞳を細めてそんなことを言い出すレティシアに、お母さんが気遣うように聞き返す。
「レティシア様のご家族をこちらにお呼びになるのは、いつ頃になりそうなのですか?」
「――そうですねぇ。父はともかくお母様は、キチンと領主としての侯爵屋敷が完成しないと来ないでしょうねぇ。まあ、今も侯爵領でもニースィア寄りの小さな村の代官がいる屋敷に厄介になっているようなので、今暫くはそのままでも。
それよりも、お母さんもそろそろお休みにならないと、お身体に触りますよ?」
何処か遠くを見るように視線をやるとレティシアは、苦笑しながらも首を振って見せて、逆にメイのお母さんのことを心配し始めてしまう。何故だかレティシアは、メイの母親のことをメイが呼ぶように『お母さん』と呼ぶようになってしまっていた。
「は~い。じゃあメイ、一緒にお風呂に入りましょう。あ、そうだ。レティシア様も一緒にお風呂入りますぅ~?」
「え? あ……ええ、それではお母さんと一緒に湯浴みすることにしましょうかね?」
「え? ええ~っ! お母さんって、ええ~っ、レティシア様もぉ?」