第4章35話 妹のヒスイ
「チッ、0歳児にも負けたわ。やっぱり、聖都の大聖堂で会った天使には【豊胸】スキルを頼めば良かったわ。失敗したぁ~」
そんなことを言いながら、湯船に浸かるヒスイの意外とボリュームのある胸をモミモミと揉んでいるのはアリスだ。
聖域セルヴァンから転移魔法で帰って来た女性陣は真っ先にお風呂に入って、ヒスイを頭のてっぺんから足の先までピカピカに磨き上げることにしたようだ。
「わわ~ぁ、ヒスイちゃんの肌って赤ちゃんみたいに、ぷにぷになのにシットリと艶々で。はっ、そう言えば0歳児だったぁ!」
さっきからヒスイの二の腕を撫で回しているルリが、ガーンっと涙を浮かべる。それを見ていたユウナがヒスイの小さな手を握ると、庇うように抱き寄せてしまう。
「アリスもルリもそれ以上、ヒスイにくっ付かない。ヒスイもほら、こっちへ」
「……うん、わかった」
ヒスイも大人しくユウナにピトッとくっ付くと、仲の良い姉妹の出来上がりである。
「うふふ~、ユウナさんはすっかりお姉さんですねぇ。じゃあ、私がお母さんですかねぇ?」
そう言うと、セレーネがその豊満な胸でヒスイを後ろから抱きしめてしまう。するとそれを見て、小さなエマやコレットにジーナまでが抱き付いて来てしまって。
「わ~い、ピタ~っ」
「ピタ~っと」
「……ピタッ」
もう大変なことになってしまっていた。慈愛を込めた暴力的な爆乳とツルペタにまとわりつかれて、その溢れる愛に溺れそうになりながらも果敢にBランク冒険者となったユウナが妹のヒスイを抱きしめて守る。
「ひ、ヒスイ、これぐらいのこと、わ、私が何とかするので」
「……うん、わかった」
珍しくユウナがワタワタとしながらもヒスイを守護するように奮闘していると、ヒスイも自らピッタリとユウナに抱き付いて頷いて見せる。
そんなことは関係ないとばかりに、妖精のフィと聖獣のルーはさっきからプカプカと湯船に浮いているが、ザバーッと湯船から立ち上がったコロンが白銀の狐耳としっぽを濡らしたままピンっと立てて、ガオーッと吼える。
「さあっ、綺麗になったら今度はおいしい夕食のお時間でしゅ。戦う【料理人】のコロンにまっかせなちゃ~い!」
「コロン、赤ちゃんには食べやすく消化に良いハンバーグがお勧め。目ん玉焼きも半熟でお願い」
お風呂にまで御子守帯が結ばれた『鈴の緒』を持ち込んで、リリンリ~ンと鳴らしながら、ちゃっかり夕食のメニューをオーダーしているのは、端っこで湯船に首まで浸かった天使のアシエルだ。
今は濡れるので包帯はしていないが、それにしても、金属の鈴なんだろうに流石に神具は錆たりしないのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ほら、こうして半熟の目ん玉焼きを絡めて食べると美味しい。あ~ん」
ナイフとフォークで一口サイズに切り分けたハンバーグを半熟の黄身にまぶすようにしてから、ユウナがそっとヒスイの口に持っていってあげている。
もう、すっかり面倒見のいいお姉さんにしか見えない。
「あ~あむっ、もぐもぐ。ごっくん、……うん、おいしい。ありがと、お姉ちゃん」
「うっ……うん。うん、良く噛んで食べるといい。ほら、あ~ん」
小さな雛鳥のように口を開けてあむあむと食べる、綺麗なプラチナブロンドをショートボブにサラサラとさせて、翡翠の瞳を細めながらニッコリと微笑むヒスイの可愛さに、一発でKOされたらしいユウナがグラッとたじろぐが、何とか持ち直して姉の威厳を維持する。
『これから四日間は全ての時間を、妹のヒスイの為だけに使いたい』
そう、普段はほとんど表情を変えることの無いユウナが、始めて見せる必死の形相でそんなことを言った。
勿論、新しくできた妹の為に時間を割くことに、誰もが否などあるはずも無く。
俺は初めてできた妹に、ここはお兄ちゃんに任せておけ、っとばかりに小鼻を膨らませていると――妹のヒスイにはユウナの背中に隠れられてしまうし、お姉さんのユウナには間に立ち塞がって来られて睨まれるしで、お兄さんはとっても悲しい。
「あ~、ハクローが慣れないことをしてドン引きされてるわよ?」
「はぁ~、ハクローくんはお兄ちゃんキャラじゃないんで無理があるんですよねぇ?」
「ハク様、お兄ちゃんになれないでしゅか?」
「フィには……フィには~……ムリな気がするわ~」
「ニャア~~~」
うっ、何でかいつもにも増してディスられている気がする。そりゃあ、俺には魔物のような姉貴ばっかりが六人もいて、可愛い妹なんかいなかったけどさぁ。
だからこそ可愛い妹が欲しかったし、ヒスイのような可愛い妹ができて本当に嬉しかったんだよ?
「うふふ~、でもヒスイちゃんをお姫様抱っこしていた時のハクローさんは、ちょっと目付きの悪いカッコいい白馬の王子様のようでしたよ? だから、元気をだしてくださいね?
それに、エンデが生まれたらお兄ちゃん確定なんでちゅからねェ~?」
慈母の愛をふんだんに放出させながらセレーネが、お腹をさすって胎教に話かけている。おおっ、それは頑張らねば――うう、でもエンデに変なこと教えて欲しく無いなぁ。
「ハクロー、ドンマイ~」
今日特別オーダーした半熟の目ん玉焼きが乗った大盛りハンバーグを、まだ包帯を巻いた手で器用に切り分けながらモグモグと食べている天使のアシエルから、投げ槍なエールが飛んで来る。
男の俺には、御子守帯が結ばれた『鈴の緒』を鳴らしてはくれないようだ。
そんな姉妹の微笑ましい夕食がコロンの特製プリン・ア・ラモードで締めくくられると、ユウナはヒスイの手を引いてリビングのソファにちょこんと座らせる。
そしてその後ろに立ち、シャラッとお揃いのプラチナブロンドのショートボブをかきあげると、自分の左のエルフ耳にいつも付けていた白銀に輝くミスリス製のイヤーカフスを取り外すと、そっと優しくヒスイの左耳に付けてあげる。
ああ、そう言えばユウナのミスリルのアクセだけは左右ペアだったから、同じ魔道具の付与は重ね掛けできないけど、念のために同じものを付与してあったんだ。
「これはクロセくん達がくれた、仲間の証。【魔力制御】、【身体強化】、【防御上昇】、【自動回復】、【加速】が付与された魔道具にもなっている。私のを片方あげるから、大切にしてくれると嬉しい」
何をされているのか興味津々らしく、ユウナそっくりの美しい顔を真っ直ぐにしたままで、翡翠色の瞳を悪戯っぽくチョコっと左上に向けると。
「……うん、わかった。ありがと、お姉ちゃん」
そう翡翠の瞳を細くしてわずかに振り返った妹は嬉しそうに幸せな笑みを浮かべるので、思わず姉は言葉を詰まらせると、逃げるように顔を彼女の髪の後ろに隠してしまう。
「うっ……」
「あ、あっ、そ、そうだ。ヒスイちゃんの場合は【状態異常耐性】とか、【物理防御(最大)】、【魔法防御(最大)】、【自動防壁】とかの方が良いか、も?」
だからすぐさま、ルリが代わりに両手を胸の前でパンっと合わせて、そんなことを言い出す。それに、アリスもポンと手を打って、そう言えばと相槌を打つ。
「自分のスキルと同じ魔道具の付与なら二重の効果があるのが分かっているから、ヒスイが持っている【女神アルティミスの加護】の全ての状態異常を無効化する効果とも重ね掛けできるかもね?」
しかし、ヒスイはパッと姉の腕を取ると、は赤ちゃんのようなプニプニの頬を付けたままフルフルと首を振る。
「ヤっ、お姉ちゃんと一緒がいい」
おお~、これが反抗期と言うヤツか? とアホなことを考えて現実逃避していると、今の一言で流石のユウナも限界だったようで、遂にヒスイのサラサラのプラチナブロンドのショートボブに顔を埋めるようにしてしまう。
「う、うん、……うん。そうだね、お姉ちゃんと一緒で、何かヒスイのためにいい付与があるか、ルリに選んでもらおっか?」
「……うん、わかった。ん……お姉ちゃん? よしよし」
自分の頭を抱きしめて肩を震わす、自分とお揃いのユウナのプラチナブロンドの長髪を優しく撫でてあげるヒスイに、ルリだけでなくアリスまでもが眉間に皺を寄せて潤んだ瞳を細めると、とうとう耐え切れずにツイッとソッポを向いてしまう。
そして、食器の洗い物を終えてリビングに帰って来た小さなコロンも、妖精のフィも聖獣ルーまでもが、黙って静かに優しい視線を向ける。
だからだろうか、最年長者として落ち着いた物腰で微笑むとセレーネが優しく促すように声をかける。
「うふふ、姉妹で仲が良くって羨ましいわぁ。でも、今日はもう疲れたでしょうから、そろそろ二人共仲良く一緒に寝る時間ですよ~?」
「おぉっ、お姉ちゃんと一緒に寝るのぉ~?」
その一言はヒスイの琴線に触れたようで、翡翠色の瞳をキラキラとさせて嬉しそうに小さな拳を丸く握り締める。
そうしてようやく涙を振り払ったユウナが、その少し白目が赤くなった紫の瞳を細めて、ヒスイの赤ちゃんのような頬を優しく撫でる。
「うん、ヒスイ。それじゃ、今日は一緒に寝ようか?」
「うんっ、わかった! えへへ~」
やっぱりお姉ちゃんと一緒に寝るのが楽しみなようで、屈託のない子供のように満面の笑顔で微笑み返して来るヒスイ。
「おやすみ~」
するとソファで横になっていた天使のアシエルが、リリ~ンリ~ンと御子守帯を結んだ『鈴の緒』を鳴らして、どうか今宵は良い夢が見れますようにと祈りを込めて祝福を送る。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ユウナが妹のヒスイの手を引いて二階の寝室へと上がって眠りについても、暫くは誰も口を開かなかった。いや、開くことができなかったと言った方が正しい。
だから、唯一人の男である俺が、苦しいのを耐えるように渇いた喉から声を振り絞る。
「とにかく、ヒスイの命を助けるためには、【賢者の石】を見つけるしか無いということで間違い無いのか……」
「でも、もう聖域セルヴァンにも無いみたいだし……」
綺麗な眉を寄せてしまって、アリスが悔しそうに俯いてつぶやく。すると、セレーネが少しだけ柔らかい声で遠くを見ながら囁くように話し始める。
「私もかつて耳にしたことがありますが、【賢者の石】は古代文明の遺跡から見つかった遺物のはずです。ですから、今の時代に製造方法は伝わってはいないはずで……」
「もしかして、その古代文明って……」
ルリがその言葉の裏に隠された悲哀を感じ取ったのか、語尾を飲み込むように訊ねると。包帯を巻いてソファに横になった天使のアシエルが、何でも無いことの様にアッサリと答えてしまう。
「そう、神々の手によって滅ぼされた」
「うにゃぁ~、ハク様ぁ」
「フィもにゃぁ~よ」
「ニャア~」
小さなコロンもこれには流石にへちょいため息しか出ないようで、それは妖精のフィも聖獣であるルーも同じのようだ。
「チッ、後は俺達にできることをしてやるしかないってことか……」
「とにかく、楽しいことや嬉しいこと、愉快なことに美味しいものを、いっぱい、い~っぱい、ヒスイちゃんに、に……っ」
元気に明るく楽しい話をしていたはずのルリが、その紅い瞳から堪え切れずに涙を零してしまう。
かつてはもうし死ぬしか無かった彼女の場合でさえ、近いうちに死ぬかもしれないという漠然とした覚悟はあったものの、余命が後四日などという日付指定の死刑宣告を受けたことまでは無かったのだろう。
そんな彼女だからこそ、その押し潰されるような恐怖は、後ろ髪を引かれるような無念は、言い様の無い哀しみは、解り過ぎるほどに解ってしまう。
そして、何より残されるだろうユウナの苦しみさえも、ずっと目の前にあった死に、愛する家族と共に立ち向かい続けて来た彼女には理解できてしまうのかもしれない。
「明日はミラにも王家に何か伝わっていないか聞いてみるとして、あぁ……そう言えば公爵令嬢を魔法学園に明後日には護衛して連れて行かないと」
ここにはいない、仲間で後は何か知っていそうな顔ぶれを思い出していたのか、アリスがボソッと余計なことまで思い出してしまう。
「ああ、それか……魔法学園はまだ転移先として登録できていないからな。いいよ、どうせミラが泣きそうな顔でもしたんだろうから、俺が今夜のうちに【波乗り(重力)】で、ひとっ飛びして来るさ。後は二日後に転移魔法が使えればいいんだから、後のことはアリスにまかせるよ」
この間のエンデのことを思い出して、不意に暗い顔をしてしまったかもしれないけれど、できるだけ悪い目付きは柔らかくしてニッコリと微笑んで見せながら、軽い口調でヘラヘラとそんなことを言っていた。
これで、俺はまたヒスイのために何もしてやることができなくなるだろう。
「ハクローくん……」
「ハク様ぁ……」
「フィにも任せるのよ……」
「ニャア……」
だからか、みんなが益々哀しそうな顔をしてしまって。すると、アリスだけが紅と蒼のオッドアイをギュッと細めてどこかを睨みつけるようにして。
「この【賢者】で【聖女】な私に任せておきなさい。だから、ハクローは安心して行って来て頂戴……お願いよ」
そんなことをぶっきらぼうに言ってのけるのだが。その目尻には、部屋の【魔石】の灯りを反射して、わずかに光るものがあった。
これは仕方の無い役割分担だ。だって、アリスは飛行魔法を持っていないのだから。
そうしてみんなの祈りに応えるように、元女神のセレーネが豊かな胸元に両手を握り締めると慈愛の言霊を伝えてくれる。
「ハクローさん、無茶はしないでくださいね?」
「がんばれ~」
ソファに横になっている包帯を巻いたアシエルも、ヒラヒラと手を振って応援だけはしてくれているようだ。
「じゃあ、あんまり遅くなる前に行って来るよ」
きっと今度は上手に笑えていた、はずだ。