第4章28話 トリック・オア・トリート?
「いらっしゃいませ~。わあっ、ビックリした。久しぶりですねぇ、いつ戻られたんですか?」
蔦の生い茂った煉瓦造りの外観をした『ラング・ド・シャ』の店内に入ると、いつものように白い半袖ワイシャツに黒のショートパンツをサスペンダーで吊った、金髪ショートボブの可愛いボクっ娘が、迎えてくれた。
トレードマークの白いフリルのエプロンでチェシャ猫もニヤニヤ笑って舌を出している。
その変わらぬ笑顔と接客スキルの高さに、優しく微笑みながらアリスが口を開くのだが。
「近くまで来たからちょっと寄っ」
「お師匠様ぁ~っ!」
ズドドドドドッと飲食店内だというのに物凄ものすごいスピードで走ってやってきたのは、お揃いのユニフォームを着たパティシエでウリ双子の男の娘の方だ。
「わっきゃぁ~」
「チョコブラウニーが完成したんですよぉ~! 食べてみてくださいぃ~、ほらっ、今ぁ、すぐ!」
引きつった笑顔で少し仰け反ったルリに、かじりつくほど目をキラキラさせてしまって相変わらず可愛い見た目に反して、熱いパッションをほとばしらせている。
パカンッ
「あいたぁ!」
金属のいい音がして、男の娘の金髪ショートボブの頭を冷静な澄まし顔をしたボクっ娘の持った金属トレイが殴り飛ばしていた。
「店内を走るなとあれ程言ってるでしょ~が! コホン、それではお席までご案内させていただきますので、こちらへ。ほら、あんたはさっさと試作品を持ってくるんでしょ?」
ササッとヘコんだ金属トレイを背中に隠すと、優雅な仕草で手のひらを上に向けると何事も無かったように接客を再会するボクっ娘のウェイトレスさん。
「ああっ、そうだった! お師匠様、ちょっと待っててくださいねっ」
そう言うと男の娘は後頭部にタンコブを作ったまま、スタタターッと早歩きでバックヤードへと消えていってしまった。それを見送ってから、ようやく白いテーブル席へと案内されたのだが。
「ルリ様はお菓子パティシエの師匠までされていたのですね~」
「あ、あはは~?」
ボクっ娘にサーブされたアールグレイと各種ラングドシャをいただきながら、フンフンと感心したようにレティシアが頷いて見せるので、ルリは乾いた笑いを返すしか無いようだ。
いや、あの頃は唯美味しいものを食べたかっただけです、とは言えないもんなぁ。
新作のチョコブラウニーの出来も予想以上に美味しかったので、見えない白く長いウサ耳をピンと立てたルリさんは気を良くしたのか、ピッと人差し指を上げて嬉しそうに、ふふん、と宣言する。
「次はフォンダンショコラに挑戦したいと思いまぁ~す」
「おお~っ、お師匠様ぁ!」
祈るようなパティシエの男の娘に連れられて、お手伝いのコロンに味見担当のフィと一緒にバックヤードに行ってしまう。どうせ、今回も試作品を山ほど抱えて帰ることになるのだろう。
そうだ、ついでにニースィアに帰る前にはお留守番組みのみんなに、王都でも唯一軒の【勇者】のケーキ屋でおみあげを買って帰るかな、などとボンヤリと考えるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「き、貴様ら! ここで会ったからには貴族の決闘をっあいたぁ!」
『ラング・ド・シャ』を出て帰りに【勇者】のケーキ屋に寄って、おみあげ用にショーケースに入ったホールケーキを買い占めていると、奥の個室から出てきたらしい貴族令嬢が喚き始める。
この店では前にもこんなことがあったはずだなぁと思いながら振り返ると、頭を抱えた貴族令嬢の隣で綺麗なカーテシーを披露しているのは確かランベール元副騎士団長の妹のステファニーだった。
「みなさま、ご無沙汰しております」
「あら、妹ちゃんじゃないのよ。おひさー」
お貴族様なご令嬢の丁寧な挨拶に軽すぎる挨拶を返すアリスを見て、さらに激昂する隣の変な金髪を肩口でぱっつんと揃えた貴族令嬢は、確か――誰だっけか?
「ぶ、無礼だぞっ、貴様達! 私達を誰だと思っているんあいたっ!」
「あんたこそ無礼よ。いい加減、黙りなさい。不出来な愚妹が失礼しました。後できつく躾けておきますので、何卒ご容赦の程を」
妹ちゃんはスッパアーンといい音をさせて綺麗な平手打ちを見舞った後、流れるような所作でもう一度、今度は目線だけを下げてお詫びの言葉を口にする。
だからかアリスが大きなため息をつきながら、同情するようにフルフルと首を振って見せる。
「あんたも苦労するわね~。お忍びのミラはともかく、この度のレティシア侯爵に対する暴言については目を瞑ってあげるから、そのアホを暫く黙らせておきなさい」
「なにを貴様いたたたっ」
「ご温情感謝します。この愚妹にはよくよく申し聞かせておきます。そう言えば少し前に、お兄様とお姉様にお会いになられたとのことですが」
彼女の隣にいるのは、やっぱりジュネヴァン連邦国との国境の街で会ったことのあるダメな方の妹のようで、耳を指で摘んだまま頭を下げさせながらも、ニッコリと微笑むと何事も無かったように世間話を始めてしまう。流石だ。
そんな様子に苦笑しながらも、アリスが思い出したようにポンっと手を打ってそう言えば、と困った顔をする。
「ええ、二人共とっても仲良く元気にしてたわよ? 話してみるとすっかり丸くなっちゃって、ちょっとビックリしたけどねぇ。ああ、でも歩けるようになったら神聖皇国へ超位回復魔法をかけてもらいに行くって言ってたけど、それ――駄目になったから」
「ええっ! なんで貴様がそんなことをいたたたたっ」
「ええっ! それはまたどうして、神聖教会の【聖女】様に何かあったのですか?」
やはり姉妹なのか、二人そろって似たような反応をしながらもお兄様を心配して表情を曇らせてしまうので、ルリが慌てて手をパタパタと振りながらアタフタと言い訳を始める。
「え~っと、実は神聖教会の【聖女】って超位回復魔法が使えなくなったらしくって、それで今は上位回復魔法で治療されているようですよ? ははは~?」
「う……そんなぁ……」
「う……そうですか……」
同じようにしょんぼりしてしまうので小さくため息をついてから、仕方なく妹ちゃんに目付きが怖くならないように少しだけ気をつけて微笑みかける。
「まあ、温ったかくなって自分の足で歩く気があれば、ニースィアか魔法学園まで来い。何とかしてやるからさ、だからそんな顔をするな」
「え……? そ、それって……」
「え……? わ、分かりました。必ずやお兄様にも伝えて、温かくなってからおうかがいするようにいたします」
耳を引っ張られたまま涙目のアホ妹の方がポカンと口を開けるが、しっかり者の妹ちゃんの方はキチンと頷くと祈るように胸の前で空いていた方の手を握り締める。
「あ~、またハクローがやってるわよ」
「はぁ~、ハクローくんの良いところではあると思うんですが」
「ハク様ぁ、良い子?」
「フィはそうは思わないわ~」
「ニャア~」
「ははは~、まあ、クロセくんらしいと言えばらしいのだけど」
パティーメンバーからは、何故か白い目を向けられてしまう。まあしょうがない、俺はできることをやるだけだ。
「ふふふ、こんなのは何時ものことです。いちいち目くじらを立てていては、淑女としての面目が廃ると言うものです」
「おお~、姫様。既に悟りの境地と言ったところですかねぇ?」
ちょっとだけ無理した表情でお澄まし顔を作ってまで余裕の笑みを浮かべるミラに、ハイハイと言った様子で流してしまうクラリス。
すると、こっちも余裕の無い表情を隠し切れずに、でもレティシアがいつもの毅然とした態度を装うように、ふふん、と笑って見せる。
「ま、まあ、このくらいで驚いていては侯爵家を名のることなど出来ませんからね」
「え? 侯爵……様?」
その一言にギョッとしたのは、残念なアホの妹の方で目を見開いてしまう。
「貴女のように用も無いのに無暗矢鱈と貴族位を振りかざすなら、最低でも最新の全貴族位を含めた方々のお顔を頭に入れておくぐらいはしなさい。でもよかったわね、無礼討ちにされなくて?」
アッサリと呆れ顔の妹ちゃんにダメ出しされて、再び馬鹿面で大口を開けて盛大に脂汗を垂らしながら固まってしまうアホ妹。
「じゃあ、私達は帰ることにするわね。またねぇ~」
アホのことは気にせず、颯爽と右手を上げると店の出口の前に転移魔方陣を開いてアリスはサッサと帰ってしまう。
まさか店内で転移魔方陣を展開させるとは思っていなかったみんなが、ビックリして挨拶もそこそこに空間の裂け目へと飛び込む。
そして、最後にやっぱり綺麗なカーテシーを見せる妹ちゃんの頭をついいつもの癖で撫でそうになるのをギリギリで思い止まってから、買い占めたケーキを収納し終えた俺も転移魔方陣を抜ける。
その横ではアホの妹の方が転移魔方陣と俺を指差して、口から唾を飛ばしながら何事か喚いていたがそっちは勿論無視だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ただいまぁ~!」
「「「「おかえりなさ~い」」」」
「……おかえり」
突然のように【砂の城】のリビングに現れた転移魔法陣を、スタッと抜けて降り立ったアリスの元気な挨拶を先頭に、こっちも元気な返事を返すセレーネとエマ達お子様三人組。
赤ちゃんのニコラはお休み中のようだ。
いや唯一人、ソファで横になっている今日も包帯を斜めに額に巻いた天使のアシエルだけが、ボソッと気怠そうな返事をしたみたいだ。
「ほらぁ~、おいしいラングドシャのクッキーがいっぱいと、新作のチョコブラウニーだよぉ~。気分はちょっとだけトリック・オア・トリート?」
帰って来るなり嬉しそうに抱えていた包みをテーブルに広げ始めているのはルリさんで、すぐに小さなコロンがお茶を淹れにキッチンに向かってしまう。出来過ぎた子でお父さんは、逆に心配です。
そう言われてみれば、時期的にもカボチャが見当たら無いのはちょっとだけ寂しいかも。
そんなどうでもいいことを考えていると、いつもの無表情なユウナにポンっと肩を叩かれて。
「それもいいけど、ケーキを先に食べた方が良い。クロセくん、んっ」
「ああ、そうだな。まあ、【時空収納】の中では時間がほとんど止まっているから悪くなることはないけど、早く食べた方が美味しいだろうしな」
そう言いながら、机の上に買い占めて来たホールケーキを次々と並べていっていると、二階からお母さんと降りて来たメイが目を見開くとダーッと涙を流してしまって。
「ハクローさんっ、こ、これはぁ! ま、まさかっけ、け、けけけけケーキっ!」
「うふふ、そうですよ。異世界から来た【勇者】が作ったと噂のケーキ屋さんで買って来たんですよ?」
「はい、姫様。確かニホンという国から来られて魔王を倒した大英雄のお一人で、今はどこか旅をされていて、でも時々はお店にも帰って来られていると聞いています」
確かにベーキングパウダーを使ったケーキ屋は王都でしか見たこと無いので、ミラがちょっとだけ自慢そうに紹介すると、クラリスもミニ知識を披露する。
「でも、フィはクッキーも好きよ?」
「ニャア~」
お菓子大好きな妖精のフィとしては、やっぱりラングドシャもお勧めのようだ。勿論だが、聖獣のルーも大好きだ。
「あらあら、まあまあ。今日はご馳走ですねぇ」
嬉しそうにメイのお母さんが、少しだけふっくらとしてきた頬を両手で挟んで微笑んでいる。目の下の隈も取れて、薬物中毒の症状だった白目の充血もすっかり無くなっているようで本当に良かった。
小さなエマにコレットとジーナが目をまん丸にして、机に並べられた数々のホールケーキとクッキー類の山に仰天してしまっている。
「「「わあ~、これホントに食べていいの?」」」
「うふふ~、エンデぇ~。これはどれを食べるか迷ってしまいまちゅねぇ~?」
まだ見た目にはちっとも細いままのお腹をそっと擦りながら、セレーネも本当に嬉しそうに母親の顔で微笑んでいる。
そこへ、静かにソファから包帯を巻いた天使のアシエルが、手にした御子守帯が結ばれた『鈴の緒』をリンリンッと鳴らしながら注意を促す。
「セレーネ、いくら妊婦と言っても食べ過ぎはダメ」
それでも、セレーネは困った顔をしながらもクスクスと笑いながら嬉しそうに、自分のお腹に小さな声で話しかける。
「あら~、エンデぇ。また、怒られてちまいまちたよぉ?」
と、その時玄関の扉が叩かれる音が響いて、暫くして小さなエマがリビングへと連れて来たのは珍しいことに王族別荘の侍女見習いの女性だった。
彼女は深々とお辞儀をしてからミラへと報告を始めたのだが、それがお呼びで無い訪問者を伝えるビックリする内容だった。
「【勇者】様が二人とフレデリック第一王子殿下がプチ離宮に見えられており、ミラ様に面会を申し入れておりますので至急お戻り下さい」