第4章25話 感謝の気持ち
「ハクロー様! よかった、まだニースィアにおられたのですね? う……ううぅ……でも、私は」
四凶王の三人をギルマスに引き渡して冒険者ギルドを出ようとした所で、飛び込んで来たレティシアに抱きつかれてしまうが、何だか様子がおかしい。
縋りつくようにTシャツを掴むと、俯いてしまっておでこを俺の胸にくっつけたまま、今にも泣き出しそうに嗚咽を漏らし始めてしまう。
これには流石にギョッとして、とりあえずフロアの端に連れて行くと併設されているカウンターバーの粗末な椅子に座らせる。
「それで、どうしたんだ血相変えて?」
「そ、それが……叙爵式典の日程をちょうど先程、王都からの使者より連絡受けたのですが……しかし」
話を聞こうとするのだが、レティシアは眉を下げて口篭もるとその先を話し辛そうにしてしまって。
でも、叙爵が認可されたのであれば悪い話ではないはずなのだが、日程が問題なのだろうか。などと考えながらも、まずは聞いてみると。
「それで何時なんだ? その叙爵式典ってのは?」
「そ、その……二日後なのです」
しょんぼりと項垂れたままボソボソと話し始めるレティシアに、違和感を感じながらも。
「へぇ、結構すぐなんだな? あれ? また、公爵屋敷でやるのか――いや、違うな。侯爵の任命権を持っているのは国王だけのはずだ。ってことは、まさか!」
「はい……王都にある王城の謁見の間です」
ガックリと両肩を落として、とうとう薄汚れたカウンターにコツンとおでこを着けてしまう侯爵令嬢。
ああ、これはやられた。あの狭量な国王の嫌がらせに違いない。
しかし、彼女と俺達との関係は知られてはいないと思っていたが。それに、言っちゃ悪いがたかが田舎の一侯爵に、そこまでするものだろうか?
「ハクロー! 王都って、それじゃ一週間以上、いえ普通は二週間はかかるじゃないのよ?」
「ハクローくん、それって間に合わないと叙爵は……まさか無しってこと?」
「ハク様ぁ、しょぼん?」
「フィもこれはハメられたんだと思うわよ?」
「ニャア~」
「クロセくん、これはもしかして。クライトマン侯爵家をピンポイントで狙ったのではなく。この時期の全ての叙爵者に、同じことをやっている可能性がある。
目的は徹底的な貴族位の削減による国王の復権。理由も無く慣例となった叙爵を拒否するほどの強権を振るう権威は今の国王には既に無い。だからこのような姑息な手段に出たのだろう」
みんなが嫌な予感の行きつく先に気がついたようで、俺を睨むのは何故だ。
唯一人、【賢者の石】を持つユウナだけがかなり合理的な考察を始める。確かに、勇者召喚に端を発した最近の国王の権威失墜は著しい物があるからな。
それにしても、そんなことを続けていればいずれ有能な人材は全て離れて行ってしまうだろうに。本当にあの国王は馬鹿――なんだろうな。
いよいよ、この国も終わりに近いのかもしれない。
「それじゃ、明後日の王城での叙爵式には誰一人として出席できないってことか?」
「おそらくは。特に王都から遠く離れたここ大都市ニースィアのように、国王派に反旗を翻す可能性のある貴族派と呼ばれる者達は軒並み標的にされている可能性がある。実際、このニースィアでも表沙汰にはなっていないが、クーデターは発生していた」
淡々と間違いではないであろう推論を、背景から論理立てて組み上げて行く女神の半身であるユウナ。これには流石のしっかり者のレティシアも、半分だけ可愛い唇を開けてポカンとしてしまって。
「しゅ、しゅごいでしゅ、ユウナ様。やはり、【純潔の女神】アルティミス様に連なる方でしゅぅ~」
もう、いつもの毅然とした侯爵令嬢のレティシアの面影は無く、しかもカミカミだ。
しかし、ここで笑ってはいけないのだ。これが、最近修得した新しい俺の隠されたスキルだったりする。ふふん。
「ムッ、何だかクロセ様が、ドヤ顔なのが無性に気になりますが。それは置いておいて、どぉ~しましょう……と言うか、実はここへ来たのは」
「分かったよ。レティシアの叙爵式典のついでに、久しぶりの王都観光にでもみんなで行ってみるか?」
綺麗なアクアマリンの瞳に涙を溜めて泣きそうな顔をしてしょんぼりとしてしまったレティシアに、まあ頼られるのは嫌では無い。
自分が何をしようとしているのかそれが分かっていて、わざわざここまで来てくれたんだろうから。
だから、やせ我慢でもいいからヘラっと笑いながら、ここは軽い口調で引き受けることにする。
「でも、ハクロー様は昨日も超長距離転移魔法の使い過ぎで、倒れてしまわれたばかりだと言うのに……」
それでもやはり心苦しかったのか、レティシアは辛そうに眉を寄せて長い睫毛を伏せてしまう。
すると、ふんすっと真紅のドレスアーマーの下に隠されている薄い胸を張って、アリスが自慢げにドヤ顔で宣言する。
「まあ、今回はぁ~私もぉ聖都で【空間魔法】をゲットしたしねぇ~? 地点登録できていないから行きは無理だけど、その代わり帰りは任せときなさいよ!」
「それに二日後で良いなら、それまでにハクローくんを完全に回復させてあげますから、心配しないでくださいね?」
なんてルリまでが、ふんすっと何故か可愛らしいドヤ顔をして、見えない白く長いウサ耳をピョコンと立てて見せる。
同じようにこちらは本物の白銀の狐耳をピンと立てた小さなコロンが、ガオーッと吼える。
「そうにゃあ、ハク様にはこの戦う【料理人】コロンが美味しいお料理を作って元気になってもらうから、心配にゃいにゃあ~!」
「ふふふ、フィはちゃんといつもの味見を担当してあげるから問題無いわよ?」
その銀狐の少女の肩に仁王立ちをして、小さい割にはナイスバディな胸をふんすっと張って見せるのは妖精のフィで、その反対の肩では聖獣のルーまでが雄叫びを上げている。
「ニャア~!」
「うふふ、そう。ルーも手伝ってくれるのね? まあ、クロセくんは見張っていないと、またすぐに無茶をするからねェ?」
そんな風に珍しく紫の瞳を細めて微笑むユウナが、人差し指をピッと立てると澄まし顔でそんなことを言い出す。
「あ、そ、そうです、そうですよね! は、ハクロー様はわ、私の英雄なんですからっ! 絶対に、絶対にこんなことで負けたりしませんっ!」
だからだろうか、さっきまで元気の無かったレティシアまでが、両手を丸く握り締めて何だか訳が分からないことを口走り始めてしまう。
あっ――そうまでしてくれて、ようやく分かった。
ああ、みんなは昨日のエンデのことがあって、俺が無力感に苛まれているだろうことを心配してくれているんだと。どんなに鈍感な俺でも気づかされてしまうのだった。
だから、右手の拳を胸の前で握りしめると手の甲を見せるようにしてから、少しだけ上手にいかなかったかもしれないがニカッと笑って見せる。
「ありがとう、レティシア」
「あ……私は別に」
頬を染めて長い睫毛を伏せる彼女に心からの感謝の気持ちを。
「ありがとう、ユウナ」
「うん。無理はしないでね」
珍しく優しく微笑んでくれるいつもは無表情な彼女に心から感謝の気持ちを。
「ありがとな、ルー」
「ニャア~」
肉球をペタペタしてくれる聖獣に心からの感謝の気持ちを。
「ありがとう、フィ」
「フィは別に何もしてはいないわ」
つーん、とソッポを向いてしまった妖精に心からの感謝の気持ちを。
「ありがとう、コロン」
「にゃっ、コロンにまかせるにゃぁ!」
にぱぁっとお日様のような笑顔を見せる彼女に心からの感謝の気持ちを。
「ありがと、ルリ」
「う、うん、うん! うん!」
綺麗な紅い瞳に涙を溜めて繰り返し頷く彼女に心からの感謝の気持ちを。
「サンキュな、アリス」
「ふんっ、久しぶりの王都で暴れるわよ!」
スラッとした顎をツンっと上げてニヤッと笑って見せる彼女に心からの感謝の気持ちを。
ああ、俺は彼女達にこの恩を返せるのだろうか。だから、今はせめて心からの感謝の気持ちがみんなに届きますように。
◆◇◆◇◆◇◆◇
それからの二日間は大忙しだった。
なにせ、レティシアのための王都王城での侯爵位の叙爵式典に護衛として出席するのだからと、俺達まで正装を急遽突貫で【砂の城】二号に篭って準備することになってしまったのだ。
まあ、以前から準備していたミスリルの極細繊維を編み込んた生地をベースにしているのは、コロンのセーラー服と一緒なので技術的には難しくは無かったのだが。
如何せん、家のカリスマデザイナーであるアリスが、前回のコロン同様に各人の意見を取り入れたデザインにトコトンこだわった、すべてがフルカスタムで渾身のオートクチュールな一着らしい。
「ふふん、こんな所かしら?」
やりきった感でテカテカしたドヤ顔で小さな小鼻を膨らませて、今日は純白のドレスアーマーに覆われた薄い胸をこれでもかと張っているのはプロデューサー兼デザイナーのアリスさんだ。
「はい、これで完成です。みなさん、とてもお似合いですよ?」
「はい姫様、なんとか間に合わせることができました。しかも、ミスリル金属で造られたとは思えない上品な肌触りにビックリです。まるで極上のシルクのようでいて、それでいてテロテロにならないしっかりしと形状記憶合金とか言う特性も兼ね備えた、これまで見たことも無い至高の出来です」
わずかに目の下に隈を作ったミラがホッとしたように微笑むと、【裁縫】スキルを全開にして獅子奮迅の活躍を見せたクラリスがメガネの縁をクイッと上げながら得意そうにキラーンと光らせる。
すると、同じく腰に手を当ててすっかり女性らしい曲線を描くようになった豊かな胸を張って、嬉しそうにニコ~っと微笑んでいるのはルリさんだ。
「それに、付与魔法もコロンちゃんと同じで【物理防御(最大)】、【魔法防御(最大)】、【自動防壁】、【自動修復】、【視界遮断】のフルセットですよ、ふんすっ」
そうなのだ、何でなんだか今回もアリスはミニスカートにこだわってしまって、ルリと妖精フィの服まで【視界遮断】を付与する羽目になっていた。何故こうなった。
まあ、ショートパンツを希望して譲らなかったユウナまで、【視界遮断】を付与することになったのはある理由で俺のこだわりだったんだが。
ただ、ミラとクラリスは元々がロングスカートのデザインだったので、本来は必要無いのだが【視界遮断】付与してある。仲間外れは嫌だそうだ。
んで、肝心の主役であるレティシアなんだが、元々用意されていたドレスは一言の元に却下されて、挙句にミニスカートにこだわったアリスがロングスカートを薄いパレオのように脱着式にしてしまったので結局は【視界遮断】を付与することになっていた。
もはや、何をしに王都に行くのかサッパリ分からん。
「わあ~、お姉ちゃん達みんな綺麗ィ~」
「うん、とっても似合ってるよぉ~」
「……ピカピカですねぇ」
それでも、隣の【砂の城】一号である孤児院から様子を見に来ていた小さなエマやコレットにジーナには大好評だったようで、三人共に目をキラキラさせている。小さくてもやっぱり女の子ということなのか。
「うふふ~、本当にとっても良く似合ってまちゅねぇ~? ねぇ~、エンデぇ?」
衣装合わせをしているリビングのソファにゆったりと座っているセレーネが、まだほっそりとしたお腹をゆっくりと摩りながら胎教なのかしきりに話しかけている。
その姿は、すっかり幸せな妊婦さんといった風だ。心配されていた悪阻なんかも、まだ先のようだった。
するとその隣の大き目のソファに横になっている天使のアシエルが、リ~ンリリ~ンと御子守帯が結ばれた『鈴の緒』を鳴らしている。
お腹のエンデにとっては、常に子宮の天使の加護を受けているという最高の環境のようでよかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「う……うう……ハクローさん達が帰って来ないぃ~」
二日前に教皇庁の宝物殿に行ったはずなのに、案内をしていた教会の修道女の目の前で消えてしまった彼等は、それ以降帰ってくることが無かったらしい。
もちろん、聖都の孤児院にも獣人族の奴隷達が宿泊している貸切ホテルにも顔を出していない。
その間も奴隷解放された獣人達はどんどん貸し切ったホテルに連れて来られていて、シスター・フランは毎日が大忙しで泣きそうになっていた。
「ま、まあ、開放された元奴隷の獣人族の方達については、神聖皇国以外の何処かに連れて行こうとしていたようですから? バラバラではなくてある程度、人数がまとまった所で移動を開始するのでしょう?」
そう言いながら少しやつれた表情で苦笑いをしているのは、神聖教会の【聖女】キアーラだった。彼女も一昨日からずっと奴隷解放の現場に立ち会っていて、その度に弱っている獣人族の人々に回復魔法を施していた。
その姿は聖都のあちこちで見られたので、人種に分け隔てなくひたすらに無償の救済を与え続けるその姿は、新しい神聖教会の有り様を体現しているとして神聖教会の信徒だけでなく獣人達からも尊敬の念を込めて見つめられるほどだった。
「うう~、でもでもぉ。みんながいないと、仲間外れにされたみたいでさみしぃ~」
実際、置いてきぼりにされた泣き虫フランがとうとう泣き出してしまっていた。