第4章15話 越後屋とお代官様
「はぁ~、ところで色々と聞きたいことはあるのですが。まずは、師匠は大天使ミカエルとはお知り合いで?」
崩れかけで危険な大聖堂は放置して孤児院に戻って来て、シスター・テレーザに頼み込んで――包帯の天使のことを説明すると珍しくおばちゃんトークも無く、昨日から借りている三段ベッドの部屋とは違う少し広めのベッドがひとつだけの寝室に案内されていた。
そうしてやっと落ち着いてから、約束通り戦う【料理人】コロンの淹れてくれる美味しいアールグレイを上品にいただく白刃斎を、瑠璃色の瞳を細めてジロッと睨みつけないよう気をつけながら見つめる。
「え~っと、ほら。【剣聖】なんての押し付けられてるから、知り合いの知り合いっていうか。ねぇ?」
「そこで、どうして視線を逸らすのですか?」
ツィーっとソッポを向くので、覗き込むように目を合わせると。
「だぁってぇ~、ほら。空間を斬って来たらさ、あんなボロッチイ建物の中だったからまさか聖都大聖堂だとは思わなくってさぁ。あは、あははは~?」
「だってじゃありませんよ、師匠。まさかとは思いますが大天使ミカエルから、今回のことが【純潔の女神】アルティミスにはチクられたりしませんよね?」
もう一度ジロッと見つめながら、念を押してみるのだが。
「え~、大天使長である聖ミカエル様は忙しいから、いちいちそんなことしないと思うぞ? それに、アルティミス様もまだ本調子じゃないから、こんな遠くの半島の先のことまで気にしてないんじゃないかなぁ?」
「ふう~ん、だったら良いですけどね。ところで、どうしてコロンにあんなことを? コロンは師匠の弟子ではありませんよ?」
だいぶブスッとした顔をして今度こそ白刃斎を睨みつけるが、飄々とした様子で今度も躱されてしまう。
「あ~、それなんだがな。先に言っておかなくて悪かったよ。でもあそこで無傷で戦力を残している神聖騎士団の精鋭である聖都守備隊の隊長を放置すると、後が面倒臭そうだったからなぁ。
ほら、あいつって本気で神聖教を信仰してるからさぁ。融通が利かないんだよなぁ、そう言うヤツって大概が寄る辺を失うと碌でも無いことしかしなくって。
力があるだけに被害が大きくなるんだよ、まあだから闘技場の中に押し込めておけば最低限の被害で」
「その被害がコロンというのであれば……」
極限まで機嫌を最悪にして【威圧】まで漏れさせ始めてしまう俺に、手をパタパタと振りながら白刃斎が苦笑いする。
「まてまて、銀狐のコロンちゃんには怪我なんかさせないよ? それよりも、お前達の方が心配なんだが」
「え? 俺達は出場なんかしませんよ?」
キョトンとしてみんなを見回すと、師匠は馬鹿だなぁ~という顔をして。
「闘技場はトーナメント方式だぞ? その半分が神聖騎士団から精鋭部隊員が出て来るとして、残りが誰になるかお前にも分かってるだろ?」
「あ……まさか、獣人族の戦闘奴隷を」
「この状況で他にいるか? あいつはガチガチの神聖教会の信徒だぞ? それがたとえ女神様の御心から乖離していようがそんなことには構わず、捻じ曲げられた神聖教の教義に従って、奴が人族以外の獣人族やエルフ族達を人間扱いする訳が無いだろ?」
「チィッ、ガチで狂信者か!」
「奴だけじゃなく闘技場見に来る信徒達もその方が楽だからな、自分自身のこれまでに言い訳する必要も無くなる訳だし」
そう言って、神聖教会の修道女であるシスター・フランの方を見つめる白刃斎。急に見つめられてビックリして、しかしふと俯くように視線から逃げてしまうポンコツは。
「た、確かに仰る通り、私も含めて教義を妄信する嫌いはあると思います。しかし、その教義を改訂してきた歴代の教皇猊下があのように、大天使ミカエル様により天罰を下されてしまうと流石にこのままではいけないのではと」
「当たり前だ。貴様達のように心が軟弱な人族が数だけ寄り集まって何を信仰しようが勝手だが、女神様や天使様がそんなことに配慮して天罰を下すはずが無い。
愚かな教皇達のように虚無の彼方に追いやられたくなければ、教義を含めて考えを改めることだな。このままだと、神聖教会という一括りでまとめて天罰が落ちて来る日も近いかもしれんからな?
ああ、死と断罪の大天使長であるところの聖ミカエル様の唯の知り合いとして一言だけ言っておくが、神聖教会などという自称集団を数多おられる神々の言葉を伝える代行者としては見てはいないからな? 当然だが間違っても自分達、神聖教会が特別だなんて決して勘違いしないことだ」
白刃斎の恐らくはこれ以上は無い的確なアドバイスを受けて、それでもしょんぼりしてしまうへっぽこフランはさらに落ち込んでしまう。
「う……わ、分かりました。はあ~、これからどうなってしまうのでしょうか。近く、新しく教皇猊下を選定する選出会議が開催されると思いますが。神聖教会の威信は地に落ちてしまって……」
「別に神聖教会がやることは変わらないはず。これまで通り、信徒からお布施を集めて迷える者達を導くことに変わりは無い。ただ、これまでと違うのは天使様の【神力の欠片】を利用した【神力】を行使することができなくなるだけ」
すると、【賢者の石】を持つ女神の半身であるユウナが端的にまとめてしまう。まあ、確かにその通りなんだが。
それよりも、とホテルに戻ってからルリとコロン達が一生懸命に血に汚れた包帯と手足に絡まった鎖を取り外してから、少し温めの湯船に浸けて身体にこびり付いた血痕や汚れを洗い流してくれて、今はベッドに横になって静かに寝かされている天使に視線を向けると。
「ああ、今はそんな糞教会のことよりも、この天使さんのことなんだけど。大天使ミカエルからも、頼むとか言われたんだが」
「その――大きな声では言えないんですが、彼女の傷痕でいくつかは古くなり過ぎているようで――アリスちゃんと精霊さんの回復魔法や治療魔法でも全てを治すことまではできなくて」
ルリが悲しそうに長い睫毛を伏せながら視線を向ける先には、真っ白なシーツがかけられていないベッドの上に広がる綺麗な正統派金髪と顔の半分を新しい包帯で覆われたままの天使の――少女だった。
そう、両手を胸の前で交差するようにして血に汚れた包帯で身体中をグルグル巻きにされていたから気づかなかったが、何と助け出した天使はまだ歳の頃ならルリ達と変わらないぐらいの、まだ少女と言ってもいいぐらいの女の子だったのだ。
その替えられた白い包帯から覗く痩せ細った顔は、頬はコケて目の下にも隈ができているが、綺麗な目鼻立ちをしたおそらくはどちらかと言うとまだ幼さが残った、街で擦違えば十人全てが振り向くほどの相当な美少女さんだ。
「じゃあもう一度、今度は俺が超位回復魔法でやってみるよ」
「ハクローくん無理だけはしないでくださいね」
「ハク様、がんば」
「フィも見ているから頑張って」
「ニャア~」
「クロセくん、肩を叩いたらすぐに止めるの、わかった?」
いつも超位回復魔法を使った後はぶっ倒れる俺のことを心配してか、みんなが心配そうに声をかけてくる。
「――ハクロー。頼むわね」
最後にアリスが紅と蒼のオッドアイを細めて優しく微笑むと、そんなことを言って来るので。
「ああ、限界までやってみるから後のことは頼んだ」
できるだけ、ぎこちなくならないようにニコっと笑ったつもりだが、上手くはいかなかったようだ。
仕方が無いので、深呼吸をひとつしてからベッドに眠る天使の少女の横に行って跪くと、その手をシーツから出して握り締める。
【解析】によると確かに呪いは無くなっていて状態異常は見受けられないが、逆に身体にだけ傷痕が残っているということは――【ライフセーバー(救命)】をかける――残りの魔力を全て注ぎ込んで、全身から脂汗が噴き出るのを我慢して奥歯をギリッと噛み締めながらも、何とかここ最近の数十年までの間にできた傷痕は無かったことにするが、二桁の年代の後半になると遡ることもできなくなって来て、その傷は数百年の時間を経過している可能性があって。
――あ、と思った瞬間に視界が歪んで血の気が引いて暗闇に意識が落ちて行ってしまった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「馬鹿弟子は何時もこんな無茶をしているのか?」
ツインルームの天使が眠るベッドとは別の、もうひとつに寝かされているハクローを見下ろしている白刃斎が悲しそうに黒い瞳を細めてつぶやく。
するとシーツから出された手をしっかりと握り締めて離さないルリが、その紅い瞳の視線をベッドに眠るハクローに固定したままで、震える桜色をした唇を開くとゆっくりとつぶやく。
「はい――超位回復魔法を使えるのが、何故かハクローくんだけなので。私の胸の手術痕も彼が消してくれました」
「私の切られた脚の腱も、クロセくんが元に戻してくれた。だから今は、歩けるようになっている」
ベッドの反対側からもう片方の手を握っているユウナが無表情のままで、しかし哀しい声色で優しく囁く。
ゴソゴソッとハクローにかけられたシーツが動くと、その下から白銀色をした狐耳がピョコっと覗く。小さくシーツの中で丸くなっているのはハクローにしがみつくようにして眠ってしまっている、しっぽをからめたコロンだ。
聖獣ルーはその長い白銀の髪に埋もれるようにして、一緒に丸くなって寝ている。
そこに、七色の光の粉がキラキラと零れるように降り注ぐ。妖精のフィがハクローが眠るベッドの上で、【睡眠】と【淫夢】をスキルを使って四枚の透き通った羽を震わせながら舞っているのだ。
高位七精霊達も光輝く少女の姿でベッドを取り囲んで心配そうに漂っているが、回復魔法や治療魔法では魔力そのものを回復させることはできない。
チッ、と舌打ちをしながら悔しそうに眉を寄せるアリスが、珍しく親指の爪を噛む。
「それでも、完全に傷痕を消すことはできなかったわ。神聖教会の糞【聖女】も偽物だったから、セレーネの不妊治療もできないし」
「でも、ハクローさんの回復魔法のおかげで天使様のお顔の傷痕も幾分は消えましたよ? 良かったです。おお、女神様に感謝を」
こんな時にも女神への感謝の祈りを忘れないぽんこつフランを、怒るのは筋違いであることは分かってはいても、それでも怒鳴り散らしそうになる自分を抑えられないアリスだった。
確かに綺麗な顔の半分を覆っていた包帯もそのほとんどが取り払うことができてはいるが、それでも額をはじめとして何箇所かは、まだ傷痕が残っていて。
お年頃の乙女としては、顔や身体に残る傷痕は致命的なものであることに変わりが無かった。
だというのに、無責任にも何もしていない神聖教会の修道女が勝手に女神に感謝の言葉を捧げる――その厚顔無恥で自己満足でしかない自慰行為に反吐が出そうになる。
今この時、神聖教会のアホ共が天使を取り返そうとして自分達に何かして来ようもんなら、聖都を一瞬にして灰だけが残る更地にしてくれてやる自信がある自分に、思わず小さなためいきをついてしまう。
そんなアリスの肩にポンッと手を置くと、ニカッと笑って白刃斎が悪魔のように耳元で囁く。
「神聖教会をこの機会に徹底的に立ち直れない程に潰しておきたいのは、オレも同じだ。残る神聖皇国の最大戦力は各地に散っている神聖騎士団を除けば聖都を守護する聖都守備隊の精鋭達だけだ。だから、明日の闘技場の武闘大会では力の限り暴れていいぞ?」
「へえ~。そんじゃ、明日は精々大暴れするとしましょうか。ああ、でも私って手加減が下手だから、対戦相手を殺してしまったり闘技場をぶっ壊したりしたらゴメンね?」
紅と蒼のオッドアイを細めると、さくらんぼ色をした唇をニヤァ~っと三日月の形に歪ませて悪い顔をするアリスに、白刃斎が手のひらをヒラヒラとさせる。
「ああ~、四年に一度開催されるの世界武闘大会の会場でもある聖都の闘技場には、世界に数台しかない超位魔術結界装置と時間魔法陣が組み込まれていて、部位欠損だろうが肉体が破壊されることは勿論、即死でも限定的に時間を巻き戻して生き返らせられるから心配するな」
「それって、獣人族の戦闘奴隷も死ななくていいってことじゃ――ないわね。どうせ、【従属の首輪】を付けている者には効果が無いように設定されてるんでしょ? どこまでも、糞な奴等ね。
あれ、でもそれじゃ神聖騎士団の聖都守備隊の戦力を削ることはできないんじゃあ」
舌打ちをしながらも、う~んと小首を傾げるアリスに白刃斎が、はっはははと笑う。
「馬鹿だなぁ~。一度徹底的に死にたくなる程の恐怖を魂に刻み込んでやれば、ヘタレて二度と歯向かうことはできなくなるじゃないか、だろ?」
「あぁ~、そう言うこと? なら、任せておきなさいよ。そう言うのは得意中の得意だからねぇ~、イッヒヒヒィ~」
これ以上は無いという程に悪人顔をしたアリスが高笑いを始めると、白刃斎が同じく悪い顔をしてつぶやく。
「ふぉふぉふぉ。越後屋、お主も悪よのぉ~」
「いえいえ、お代官様ほどでは~。あっははは」
そんなアリスと白刃斎の意外に時代劇好きな現代日本人コンビの、乾いた笑いがホテルの室内に響くのだった。