第4章12話 鎖に繋がれた天使
「おーい、あんまし下は見ない方がいいぞ~」
そんなことを言いながら足元に開いた大きな穴の中を覗き込むと、礼拝堂の床はポッカリと抜けてしまっていた。
その直径が10m程の穴からは暗闇しか見えず、奈落の底に何があるのか見ることができない、が。
「【遠見の魔眼】――底までは50mぐらいね。そんなに深くはないようだけど、これは地下墓所ね」
蒼い左目に照準線を浮かべてたアリスが、ふんふんと右目を手のひらで塞いで下を睨みつけている。
勿論、パーティー全員の足元には【波乗り(重力)】をかけてあって、空中に浮いているので床が抜けても落下していくことは無い。
焼け爛れながらもかろうじて息をしている教皇と【聖女】は『釣り糸(タングステン合金ワイヤー)』でグルグル巻きにして、逃げられないように穴の途中にぶら下げておく。
他の枢機卿や司教に『白の十字架』達は瓦礫と共に屋外に飛ばされたようだが、【ソナー(探査)】で視ると死んではいないようなので、とりあえず今は放っておくことにする。
「了解。んじゃあ、ゆっくりと降りるぞ~」
「ねえねえ、ハクローくん。『かたこんべぇ』って何ですか?」
洞窟探検でもするつもりで嬉しいのか少しウキウキした口調で、腕にしがみついたルリが頬をくっつけて上目遣いで聞いて来る。
「ん? ああ、それは――」
「遺骨を埋葬するお墓ね」
怖がりのルリに何て説明しようか考えていると、【賢者の石】を持つ物知り博士のユウナが端的に説明し終えてしまっていた。
「え?」
「やっぱり、暗いわねェ。下位光魔法【ライト】」
ピクッとルリの動きが止まったと同時に、アリスが光魔法で奈落の底を照らし出す――と、何層にも掘られた穴と言う穴から骸骨が山のように転がり落ちて来ていて足元はしゃれこうべと骨の絨毯のようになっていた。
「うきゃあああああ!」
「にゃあああああ!」
「ニャア~~~!」
やっぱり、紅い瞳に涙を浮かべて抱きついて来てしまうルリと、その声にビックリしたのか肩によじ登って来るコロンと聖獣ルー。
そんなルリに、神聖教会の修道女であるシスター・フランが雑学な知識を披露する。
「ルリ様、これは昔から教会の地下に埋葬されている骸骨なので、怖いことはありませんよ? 昔から教会の地下は死者がアンデッド化しないように墓地として利用されているのです」
「ガイコツ、嫌ぁああ~~っ!」
それでもやっぱり、怖がりルリさんの耳に届くことは無いようだ。
「それにしても、多いな。流石は二千年分ということか」
いつまでも遺骨の中に立っているのも申し訳ないので、さっさと横穴に退避することにする――が、目をしっかりと閉じたルリが背中にしがみついているので歩き難いことこの上ない。
「ハクローくん~、まだガイコツありますかぁ~?」
いつものように、見えない白く長いウサ耳をペタンとして丸しっぽをフルフルと震わせながら、ペシペシとしがみついた背中を叩いてくる残念ルリさんでした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「随分と深くまで来たけど、逆に骸骨は無くなってしまったわよ?」
何階層もある聖都の地下墓所を最下層に向けて歩き続けていると、急に石畳に覆われた何か施設らしき場所に出てしまう。
「この先に例の封印結界があるみたい――なんだけど」
「この魔力は――普通じゃない?」
【結界】スキルを持つルリが首を捻ると、妖精のフィも魔力による探査の結果がいつもと違うことに違和感を訴える。
「クロセくん、これは【神力】――かも?」
「ええっ、何で聖都大聖堂の地下に? おお、女神様」
女神の半身であるユウナが眉を寄せて、石畳の廊下の先に見える扉を睨みつけるのだが、ぽんこつフランが女神に祈り始めてしまう。
その足元には手足を無くした白い金属鎧の神聖騎士団がゴロゴロと転がっている。ある者は腕を斬り飛ばされ、ある者は銃創を残して腕を吹き飛ばされ、またある者は腕の内部から爆散されて、そして消し炭にされた腕を抱える者達もいて命こそは取られてはいないものの、まともに動ける騎士は一人として残ってはいない。
それが奥の扉に続く石でできた数百mの直線に続く回廊に、どこから現れたのか総勢約三百名の神聖騎士団員が転がされていた。
既に低級回復薬を全員が振りかけられて出血だけは止まっているが、立ち上がる気力も残されてはいないようだ。
「魔力回復薬を一本飲んでから行くわよ」
「は~い」
「了解でしゅ」
「フィは美味しくないからいらない~」
「ニャ……」
「はいはい。フィとルーは飲まなくてもいい」
「へ~い」
そんな気の抜けた返事をしながらも、顔を青くして壁に張り付いて震えている神聖騎士団員の廊下の真ん中を、テコテコと歩いて最奥の金属製の扉の前に立つ。
「これは――封印結界だけじゃなくて、呪術? みたいなのもかけられているみたい」
「防御最大で中に入るわよ?」
部屋の結界を視たルリの明らかに物騒な台詞に、警戒レベルを最大まで上げてアリスが突入の号令をかける。
「これは――ひ、酷い! おお、女神様っ」
サッカー場程の広さのある大きな部屋の真ん中には、さっき教皇専用の礼拝堂で空間の裂け目から見えていた包帯だらけの身体を鎖で四方八方から繋がれたまま立たされている一人がいた。
しかも、さっきは狭い空間の裂け目で気がつかなかったが、その足元には杭ぐらいの太さがある槍のようなものが、血だらけの地面に突き刺さっていた。
そして一番太い鎖が繋がれて吊り上げられた頭上の何も無い空間には、見えない壁にでもめり込むように一本の魔槍が鎖と共に突き刺ささっている。
よく見ると足元には血がついて転がった杭のような槍と共に、床一面に刻まれた魔法陣が見て取れる。
「あれは【ロンギヌスの槍】、だと――本物なのか? それから、足元のは【聖絶】? ――の術式が組み込まれた魔法陣のようだな。神殺しの槍とかなり強力な呪いみたいだ」
【解析】で視ても明らかにヤバ気な魔槍と魔法陣に、近づくもの躊躇われてしまう。
「ルリとユウナはここにいて。絶対に近づくんじゃないわよ。コロンとフィにルーは二人の直援お願い。ハクロー行くわよ?」
フッ、と大きく息を吸ってからアリスがゆっくりと近づいていくので、その横に並んで俺も防壁魔法を最大値までブーストしながら付いて行く。
「鎖は【物理強化】された唯の鉄製で、古過ぎて錆びついてるわ。包帯も【自動回復】が付与してある普通の物みたい」
1mぐらいまで近づいてアリスが周囲を見回すのだが。
包帯と鎖にグルグル巻きにされた人物は、拘束具で縛られたように両腕を胸の前に十字にして、巻き付けられた血だらけの包帯からは今も鮮血が滴り落ちて、地面に染みを作り続けている。
その血で汚れた包帯で覆われた頭部は、わずかに金色の充血した左目だけが包帯の隙間から覗いているだけで、さっき見えていた乱杭歯が覗いていた口も鼻も耳も血にまみれた包帯で覆われている。
包帯の隙間からはみ出ている血に染まった金髪はバサバサで、頭部に浮かぶ鈍く光る輪は消えてしまいそうだ。
「これからあなたを拘束している魔法陣と魔槍を撤去するから、じっとしていてね?」
眉間に皺を寄せたアリスが辛そうにそう言うと、静かに頷くように包帯の隙間から見える左目が一度閉じられるので。
「【AMW(ノイズ)】では解呪まではできないから、力尽くで魔法陣を破壊するぞ」
そう言って、足元の魔法陣に組み込まれた術式の魔素を最大にしたランダムノイズを印加してジャミングしながら、爆裂魔法を際限なくぶち込んでいると一部の術式が欠損したのか、暫くして青白い光が消えて無くなる。
ふぅ~、暴走したり爆発したりする術式が組み込まれていなくて良かった。まあ、天使を拘束して従わせるぐらい尋常じゃない程に強力な呪術みたいだから、そんな余分な余裕は無かったんだろうが。
すると、急にビクンビクンと全身を痙攣させ始めてしまう。
「不味いっ、ハクローは超位回復魔法を! 私は神殺しの魔槍を抜くっ!」
そう言って、アリスが【身体強化】で飛び上がると、空間に極太の鎖を突き刺していた【ロンギヌスの槍】に飛びついて力一杯引っこ抜こうとする。
「【ビーチフラッグ(救命)】!」
俺は強い呪いで苦しんでいるらしい、包帯の身体に全力で超位回復魔法をかけていると、ドサッと魔槍が抜けたのか鎖と共に包帯だらけの身体が落ちて来るので慌てて抱き留める。
「がぁあああああ!」
急に神殺しの魔槍の拘束から開放されたからか、激痛に絶叫するので懸命に超位回復魔法をかけ続けていると、ガクッと糸が切れたように意識を失ってしまった。
「はぁはぁはぁ。クソッ、呪いはやっぱり解呪できないぞっ」
「しょうがないわね。一度、上に戻って教会の上層部に聞いてみましょう。勢い余って、皆殺しにしなくて良かったわ」
状態異常が解除されないので舌打ちしていると、アリスが神殺しの槍を持ってスタッとすぐ横に降り立って肩を竦めて見せる。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「で? この糞みたいな【聖絶】っていう呪いは、どうやったら解呪できるのよ?」
教皇庁の建物が礼拝堂ごと崩壊してしまったので、隣のひび割れただけの聖都大聖堂にやって来ていて、腕組みをして仁王立ちしたアリスが辺りを睥睨している。
その足元には純白だった聖職者服を黄色と茶色に染めた教皇に、同じく修道服を汚した【聖女】が『釣り糸(タングステン合金ワイヤー)』で縛り上げて転がされている。
勿論、建物の外まで吹き飛ばされていた枢機卿に司教達と『白の十字架』達も縛られて座り込んでいる。
大聖堂の中には何事かとやって来ている一般教徒達の他に、教会上層部が縛り上げられて正座させられている光景に、どうしたら良いのか分からないらしい神聖騎士団や一般の教会職員達も遠巻きに覗き見ている。
唯、俺がお姫様抱っこをしている血だらけで包帯姿の人物に気がつくと、ざわざわとし始める。
「あれは人か?」
「包帯だらけの化物?」
「翼があるから獣人だろう」
「汚らわしい獣人が何故ここに?」
衆人環視だからという訳ではないだろうが、公会議でも口上を述べていた教皇の次に位の高いらしい枢機卿が、ようやく重い口を開く。
「そ、それは――何分、何百年も前の呪術術式なので、今となっては解析できる者も果たしているかどうか」
「フンッ、そんなこと言っていいの? 私達はこの包帯だらけで鎖に繋がれた傷だらけの天使を、聖域セルヴァンに連れて行っても良いのよ?」
紅と蒼のオッドアイを極限まで細めて不機嫌そうに、縛り上げられて座り込んでいる枢機卿達を見下ろしながら、口元だけはニヤァ~と極悪の笑みを浮かべているアリスさん。
「なっ、アルティミス様にそんな状態の天使様を見せるというのか!」
「そ、そんなことをすればっ」
「あの潔癖症の【純潔の女神】様が唯で済ませる訳が無いぞ!」
「下手をすると、神聖教会が消滅させられるっ」
「それどころか我々は、全員殺されるぞ!」
「殺されるだけならまだましだっ」
「最悪は永劫の虚無の彼方に堕とされてしまう!」
事の重大さに気がついたらしい、教会上層部の面々は天罰を恐れて恐慌状態で口々に絶叫し始めてしまう。
「五月蝿いわよ! あんた達のような糞共が、地獄に落ちようが知ったことかっ。そんなことより、この【聖絶】って呪いを解呪できるの? できないの? 今すぐ、ハッキリさせなさいよっ」
「そ、それは……」
「歴代教皇であれば!」
「馬鹿、それを口にしてはっ」
「今は隠し事をしている場合では無いぞ!」
突然、ガヤガヤと言い合いを始めてしまう神聖教会の枢機卿や司教達。どうやら、何か方法があるようだ。
「何か知ってるなら、サッサと白状しなさいよ。いつまでも、この大聖堂でこんなことをしていると、うっかり死と断罪の大天使長である聖ミカエルがやってきたりしてェ――あんた達、神聖皇国ごと全員一人残らず皆殺しになるんじゃないの?」
「ぎゃああああ! 枢機卿様も司教様も、早く知っていることがあるなら言ってください! このままでは、何の罪も無い女神様の信者の方達まで巻き添えで天罰が下ってしまいますよっ」
すると周囲に集まっていた野次馬達も、やっと俺が抱いているのが女神の御使いである天使だと理解したらしく。
「馬鹿なっ、神聖教会は天使様をあんな目に合わせていたのか!」
「しかも、女神様に隠していたらしいぞ?」
「何と酷いことを、許されないことだっ」
先程までの自分達のつぶやきを忘れたようなその無責任な台詞には、呆れるのを通り越して――これで神聖教会の奇跡が無くなったと知ったら、この厚顔無恥な信者達は何と言うのか。
血を流して死にかけている天使を、それでも神聖教会に還せとでも言うのだろうか。
その時、ズズズズッと低い引き摺るような音を立てて、女神像が立ち並ぶ大聖堂の祭壇が左右に割れてポッカリと地下の暗闇に続く階段が姿を現す。
「ま、まさかっ」
「いかん! 今、出で来られてはっ」
「隠すことも、言い訳することもできなくなるぞ!」
その地下への階段がどこへ繋がっているのか知っているらしい、一部の枢機卿だけがギョッとした顔をして騒ぎ出す。
しかし、何も知らないらしい他の枢機卿や司教達に加えて、信者達や騎士団達はキョトンとしてその穴の暗闇を覗き込む。
すると、その薄暗い穴の奥から何かが、ブゥンンンと音を立てながら出て来る。
それは、どうやら飛行魔法を使った浮遊装置のようで、足の無い丸い椅子のようなものの上に座っているのは、皺だらけのヨボヨボの老人で――それが、一人だけでなく次々と何十人も出て来たのだ。
その時になってようやく、我に返ったらしい教皇が助けを求めるように叫び出す。
「教皇猊下っ、助けてください! こいつらが、我ら神聖教会の天使を奪おうとしてっ」
それに応えるように、最初に姿を現わした特に皺だらけのまるで猿のような老人が、そのトンデモない台詞をポロっと漏らす。
「何ぃ? 【不死魔法】への魔力供給が切れたから、慌てて出て来てみれば。いったい、どうなっておるのだ?」