第4章7話 聖都の孤児院
「これって、どこまで街があるのよ?」
「いやぁ~、私もそこまでは。まあ、この丘から見渡す限りはずっと街並みがどこまでも続いていますねぇ」
ようやく水上都市ヴィニーズから三日かけて、神聖皇国の聖都にやって来ていた。
これまで通り当たり前のように城壁も城門も無く、それどころか気付けばいつの間にか入り込んでいた聖都の街並みは果てしなくどこまでも続いていて、その人口の多さは王都のそれよりも確実に多いと思われ。
この光景はどこまでもベッドタウンが続く、関東近郊とまるで同じだった。
しかし、これだけの街と人がいるのに、王都や他の街と比較しても農地が圧倒的に足りていないように見えてしまう。
街並みも気のせいか古ぼけていて、どう見ても貧民街のそれと変わらないようにしか見えない。
そのくせ、街道だけは石畳でアンバランスに強固にできている。他の国を多くは見ていないが、都市間の街道を全て石畳に舗装しているのは神聖皇国だけだ。
そんなアリスの問いにもさっぱり役立たずなぽんこつフランは、それでも自分の故郷に帰って来たのが嬉しいのか、いつもよりも少しだけ碧眼を優しくして馬車の車窓から外の街並みを眺めている。
「フランちゃんは帰って来るのは、何年振りなの?」
「え? う~ん、だいたい二年とちょっと、といった所でしょうか? まあ、聖都といってもごらんのような有様なので、私が知っているのは教皇庁の近くの孤児院とその周辺だけなんですけどねェ」
懐かしそうに眼を細めるシスター・フランの横からルリが窓の外を覗きながら訊ねると、苦笑しながらもそんな言葉を返して来る。
「それじゃ、まずは孤児院の方から寄って行くの?」
「はい、ルリ様。ちょど通り道にあるのと、今日はこのままですと教皇庁に着く頃には日が暮れてしまいますので。今晩は孤児院か近くの宿で一泊してから、明日の朝に事前の連絡をした上で訪問するのが良いかと思います」
コテンと小首を傾げながらルリが聞き返すと、珍しく事務的でまともな返事を返して来る修道女のフラン。
「了解よ。ビーチェ、孤児院の近くまで行ったらフランが指示するから、このまま聖都の中心に向かって行って頂戴。道は分かる?」
「ああ、それなら心配はいりませんよ。神聖皇国の都市間の街道は全てが聖都に繋がっています。というか、聖都の教皇庁を出発点にして街道が各地に伸びて行っている、と言った方が分かりやすいですかね?」
アリスが御者席に座るテディベアぬいぐるみのビーチェに声をかけると、地元っちぃのフランが驚愕の道案内を始める。
すると、男前なビーチェは黒グラサンをしたままで、グイッと親指――っぽく手を上げると黙って馬車を繰るのだった。
「それにしても、ユウナの言っていた通り獣人族の奴隷が多いな。しかも、扱いが良くないようだ」
「うん。私も【賢者の石】の知識でしか知らなかったけど、これほどとは。【純潔の女神】アルティミス様がこの国に足を踏み入れないはずだ」
道行く人々を見ていると否が応でも気がつくことがあるので思わずユウナを振り返ってしまうと、珍しく眉に皺を寄せて難しい顔をしていた。
「それって前も言ってたけど、なんでさ?」
「苛烈な性格で知られ、【狩猟の女神】でもあるアルティミス様がこれをご覧になると、おそらく――いや、間違いなく滅ぼされてしまうだろう」
珍しいものを見た興味からかつい余計な事を聞いてしまうと、聞いたことを後悔するようなユウナの回答が帰って来る。
そして、女神の半身はそのまま断罪の言霊を続ける。
「この国にはもはや自浄作用を望むべくも無い程に、人の欲望で肥大化し過ぎてしまった。何故ここまで成ったのかまでは分からないが、既に救う術は無い」
「たはは~」
この国で生まれ育って神聖教会の修道女で、しかも【女神の使徒】な上に【神託】スキル持ちのフランとしてはさぞかし耳に痛いことだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「まあ、まあまあ、まあまあまあ~。フランったら久しぶりに帰って来たと思ったら旦那さんを連れて帰って来るなんで、隅に置けないわねぇ。いったい何処で、その爆乳に引っかけて来たのよ?
しかも、結構クールな影のあるイケメンじゃないのよ。ちょっと細過ぎる気もするけど、これからたっぷり食べさせて胃をガッチリ掴んでしまえば安泰よっ」
「ええっ! ハクローさんは、そんな旦那さんなんかじゃ」
「まあ、ハクローさんって言うのね? 家のフランがお世話になっています。うっかり者なこの娘ですが、根は素直で残念なへっぽこですので末永くよろしくお願いしますね?
そうそう、ついこの間も早朝に女神様から神託があったというのに、そのまま二度寝してしまって、起きたら神託があったことすら忘れていた時には流石にビックリし」
「ぎゃああああ~! シスター・テレーザっ、何を余計な事言ってんですか! しかも、ハクローさんは旦那さんじゃありませんしっ」
「あらあら、まあまあ、それじゃ彼氏ってこと? 若いって良いわねぇ~、いつ結婚するの? デキ婚するよりは、ちゃんと入籍してからの方が本当は良いんだけどぉ。
でも、若い性衝動は抑えられないものねぇ~? 分かってます、分かってますよぉ。家のフランの爆乳を前にして堪え切れる狼さんはいませんからねぇ」
「違うって言ってるじゃないですかっ、彼氏でもありませんし! それに私の胸はこの際、関係無いでしょーっ!」
という具合に聖都の孤児院に着くなり、ぽんこつフランのお世話になっているシスター・テレーザがやって来て、それから以降はこの文字通り機関銃のようなおばちゃんのマシンガントークが続いている状態だ。
ちなみに、弾切れになるようすは全く無い。むしろ、息継ぎすらしていなように見える。
流石に耐えかねたのか、アリスが小さく手を上げて戦略的撤退を選択する。
「あの~、それじゃ私達はどっか宿でも探してきますのでこれで」
「あら、まあ、皆さんもここに泊って行ってくださいな。まあ、孤児院なんで綺麗な所じゃありませんが、それでも雨風だけは凌げますから是非とも泊っていって、最近のフランの様子でも聞かせてくださいな。
だって、フランったらこんなに照れちゃって~。素直じゃないんだから、皆さんにもご迷惑をおかけしていないと良いんですが。そうそう、この娘ったら小さい頃から泣き虫なんで、あっちにぶつかったら泣いて、こっちで」
「照れてなんかいませんって、それより最近は泣いてませんっ」
それでも、この元気なおばちゃんが俺達を逃がしてくれるはずもなく、アリスの話はスルーしてサッサと奥に引っ込もうとしてしまう。
その後を追うように、へっぽこフランが何とか話をしようとするのだが――既にしっかり碧眼には涙を溜めて、もう泣いてるじゃないか。
しかもテレーザおばちゃんの後ろから、俺のことを凄い目で睨みつけて来ている餓鬼共が、どうやら十人ぐらいいるのようなんだが。
「おい、お前フラン姉ちゃんの何なんだよ?」
「旦那じゃなくって、彼氏でもないなら、何なんだよ?」
「俺達のフラン姉ちゃんに手ェ出しやがったら、ただじゃおかねぇぞ?」
「だいたい、その冴えねぇツラじゃ相手にもされてねぇだろ?」
「見るからにヘタレだし、甲斐性無さそうだし、貧乏クセェーしィ?」
「だいたい、剣の一本も持ってねェって、戦闘力ゼロかよ?」
「どーせ、口先だけのキモい野郎なんだろ?」
「そーだ、そーだ。そのクセ、フラン姉ちゃんの胸に吸い寄せられやがって」
「おまけに、ムダに女ばっかり侍らせやがって」
「リア充乙っ、爆発しろっ! そして、フラン姉ちゃんの前から消え去れっ」
7才ぐらいから12才ぐらいまでの男の子から、言われなき誹謗中傷を受けて俺の繊細なガラスのハートはひび割れてしまって、今にも粉々になりそうで。
「初めて会った割りには、ハクローのこと良く見てるじゃないのよ」
「ハクローくんは確かにヘタレですけど、そんなに甲斐性無いことも無いかもですよ?」
「ハク様は強いんだじょぉ」
「フィもつよぉーい!」
「ニャア~」
「はぁ~、ここまで子供に嫌われるクロセくんって、ちょっとしたレアスキル持ちかも?」
いやむしろ、仲間からの言葉による攻撃の方が立ち直れなくなりそうだったりする。やっぱり、俺の心のオアシスはコロンだけだよ、ぐすん。
「ほら、子供達もアリスさん達と仲良くしてくださいね? ハクローさんとは別に仲良くしなくてもいいですけど、いぢめちゃ駄目ですよ? いいですね?」
おい、泣き虫フラン。もっかい泣かしたろうか?
◆◇◆◇◆◇◆◇
結局、シスター・テレーザに連れられるがまま、孤児院の一部屋を貸してもらって一泊することになっていた。
聖都の教皇庁の近くにあるからか、結構古くからある建物のようで元修道院を改修して使用されているらしく、中庭があってその周囲を石造りの平屋建てが取り囲んでいる構造だ。
普段は成人男性は足を踏み入れることが無いらしく、小さな子供達や職員らしい修道女達から物珍しい視線を向けられてしまう。
与えられた部屋は学生寮というか軍隊宿舎のようなウナギの寝床のような長細い一室に、左右の壁際に三段ベッドが据え付けられているという――あれ?
「あの~、もしかして俺もこの部屋で寝るの?」
「あらあら、まあまあ、若いからって毎晩四人の女の子と寝所を共にするのは、ハーレム王に俺はなるぅ~ですか? 今晩だけは規則でシスター・フランとは別に部屋になったちゃいますけど、まあ寂しいことは無さそうなので無理に我慢なさらなくても結構ですよ?
あ、でもでも大きな声を出されますと、壁が薄いので隣の部屋のシスター達に聞こえてしまいますから、できるだけ抑えて注意してくださいね。後は」
おお~、俺相手でも情け無用の機銃掃射が続くようで、ほんの数秒で蜂の巣ですな。
「わ、分かった。分かったから、ありがとう」
「あらまあ、若いのにあんまり淡白だとこれだけ多くの女性を相手に大変でしょうけど、まあ夜になると狼さんに大変身して若い衝動が暴れ回って遠吠えを始めるのでしょうから余計な心配はやめにして、今晩だけはフランの爆乳がいないからって他の娘達に荒れ狂う噴火の矛先をあれ? あれ? あれあれ?」
おお、強制的にぽんこつフランに引っ張られるようにしてシスター・テレーザが連れ去られてしまう。
あのへっぽこも【ルリの友達】スキルのおかげで無駄に経験値を稼いでいるから、基礎レベルも隠しパラメータも一般人以上の物を持っているので逃れることはできんだろう。
「な、何だか凄い人でしたねぇ……あはは~。はぁ~」
もうすぐ夕食ですからねぇ~とか手を振りながら、へっぽこフランに引き摺られるようにして去って行くテレーザおばちゃんを見送りながらも、ルリの可愛い笑顔が引きつってしまっているじゃないか。
「予想はしていたけれど結果的とはいえ、フランと別々にされてしまったからハクローもマーカー監視は続けておいてね。私も【遠見の魔眼】で追いかけておくようにはするけど」
「ああ、分かった」
アリスがそれでも護衛モードを切らせることはない。何せ考えようによっては敵地ど真ん中とも言えるのだ。最悪は、この半島の神聖教会の全ての信者達が敵に回る可能性すらある。
まあその時は、いざとなれば転移魔法で逃げるだけだが。
「ねぇハク様ぁ、コロンはどこで寝たらいいでしゅか?」
「え?」
ちょいちょいとTシャツの裾を引かれて室内を見渡すと、人一人が横に慣れるだけの木製ベッドが左右に三段づつあるだけなので、いつものように川の字になって寝ることはできそうもない。
「すまないが、コロンも大きくなったから今日だけは三段ベッドの下で寝ることはできるか? 俺はその上で寝るようにするから。ちゃんとどこにも行かないから、心配しないで」
「えぇーっ! ハクローくんと一緒じゃないと寝れましぇんよぉ~」
せっかく俺が小さなコロンを説得しているというのに、悲鳴のような抗議は全然別の方向から聞こえてきて――ルリさんが紅い瞳に涙を浮かべながら、小さな拳を丸く握り締めてウルウルしている。
「はぁ~、ルリも一番のおねーちゃんなんだから。小さなコロンが一人でも寝れると言ったら我儘を言うんじゃないぞ?」
「お? うんっ、ハク様っ。コロンは下のベッドなら寝れましゅ。うへへ~」
ふんすっ、と女性らしい滑らかな曲線を描くようになってきた胸を張ると、コロンが自慢気に白銀色の狐耳をピクピクさせてふわふわのしっぽをパフンパフンと振るので、よしよしとその綺麗な白銀の髪を撫でてあげる。
「そうかぁ~、コロンは偉いぞ~。もうすっかり、おねーちゃんになったからなぁ~。チラッチラッ」
そう言いながら、可愛い桜色の唇をへの字にしているルリに視線をチラチラと向けていると、プルプル震えながらも。
「うっ……うぅ……分かりまちた……おねーちゃんもハクローくんの下で寝ましゅ」
どっちがおねーちゃんなんだか分からないような、舌っ足らずな台詞を絞り出すのだが。
見えないはずの白く長いウサ耳はペタンとしてしまっていて、見るからに寂しいと死んでしまう雪ウサギのようなので、仕方なくその耳元に口を寄せるとそっと囁く。
「どうしても寝れないようなら、みんなが寝た後に俺のベッドに来てもいいから――だからちょっとだけ、がんばれ、な?」
「……っ! うんっ、……うん、がんばりゅ!」
紅いパッチリお目目をキラキラさせながらも、嬉しそうにもう一度小さな拳をギュッと、ふんわり柔らかそうな胸の前で握り締めて見せるルリ。
だから、その白髪をゆっくりと撫でてやることにする。
「うへへ~」
少しだけ元気が出たのか。嬉しそうにニコ~っと微笑むルリさん。
ちょっと前に、俺が眠ってしまったレティシアを連れ帰ってその傍を離れられなかった時には、この世界に来て初めてルリはコロン達だけと寝たらしい。
けど結局、その夜は一睡もできなかったようだ。
しかし、彼女の後ろから向けられて来るアリスとユウナに妖精フィとおまけに聖獣ルーの生暖かい視線が痛いなぁ。