第4章6話 ビューティーサロン・ルリ
「それじゃ、前髪も切るので動かないでくださいね?」
そう言って、理容師ブラントシザーで櫛で整えた俺の瑠璃色の髪をカットしてくれているのは、何だか少しだけご機嫌なルリさんだ。
メイとお母さんをニースィアの【砂の城】に転移魔法で連れて行ってから、往復の魔力消費でへばってしまった俺を馬車に乗せて水の都ヴィニーズを出発した頃には昼過ぎになっていた。
それでも波魔法で高速で移動できているのもあって、今日は余裕を持って久しぶりの野営の準備を始めている。
ということで明るいうちから【砂の城】二号をどこまでも続く小麦畑を見下ろす、尾花が生い茂る小高い丘の上に設置してしまっていた。
余りの田舎のためか、辺りには農家と思われる建物がポツポツと遠くに点在するようにあるだけだ。
その田園風景を見ながら椅子に座って上半身に布の切れ端を巻いた俺は、この異世界に来て四ヵ月近くも経過して伸びて目に入るようになってしまった髪を鬱陶しそうにしていたところを捕まっているところだ。
ルリが手にしている髪切りハサミは苦労して錬成で再現した高速度鋼の刃を使用した切味抜群だ。仕上げ用にセニングシザーも用意して、俺の量の多い髪を軽くすいてもらっている。
「ふん~、ふん~、ふん~。ハクローくん、これで前は視界の邪魔になりませんか?」
軽快に鼻歌を口ずさみながら、何故か上手にシャギーにまとめてくれるルリさん。同じ刃物でも包丁は全然駄目駄目なのに、どういうことだ?
「ああ、だいぶ目の前がスッキリした。ありがとな」
「えへへ~、病院では暇だったので、小さな子供達に切り絵とかそれを使って影絵とかを作ってあげてましたから、チョキチョキ切るのはチョットだけ上手なんですよ~」
おおー、ルリさんの隠れた才能がこんなところに。そんな嬉しそうに紅い瞳を細めて俺の目と鼻の先で覗き込むように微笑む白髪の少女は、そのままどこかの美容室で働けそうで。
「それじゃ、魔法学園を卒業してどんな奴等からも魔法で身を守れるようになったら、どっか田舎の街にでも行って美容室か散髪屋でもやってみるか?」
「わ~い、カットハウスですかぁ? 現代日本のヘアスタイルや最新流行のトレンドとアレンジを駆使して、この世界でカリスマ美容師だっ! ふんすっ」
うわ~、ルリさんの果て無き野望は殊の外に大きく膨らんで行くようだ。足元の地面に落ちているカットされた瑠璃色の髪が風にさらわれるのを見ながら、ふと思いつくままに口にする。
「カットした後に、シャンプーやらトリートメントとかこの世界では無さそうだからなぁ。意外と流行るかもしれないぞ?
あ~でも、美少女カリスマ美容師とくれば、アホそうな野郎共がわんさかやってきそうだなぁ」
「わきゃ~あ、怪我した時みたくハクローくんの髪を洗ってあげるのは良いですけど、知らない男の人のは嫌かもですぅ。
でもでも、この世界の女性に髪のお手入れを教えてあげるのは良いかもですね~」
せっかくお店の可愛い看板娘になれるというのに、やっぱりこの世界の貴族ですら紳士から程遠い野蛮な男共は嫌悪しか無いようだ。
「ああ、男の野郎共はこの俺がガシガシと束子で擦り洗いしてやるから、ルリは女性の方だけやってくれればいいさ」
「うふふ、身体強化されたハクローくんにタワシなんかで洗われたら、オジさん達は血だらけになってしまいますよ?
でも、ハクローくんと二人で、お店をやるのもいいかもですね? えへへ~」
そう言って紅い瞳を細めて微笑むルリには、いつの間にか【髪結】というスキルが習得されていて、しかもレベルは気がついた時点でLv2という驚異の成長速度だった。
【料理】や【裁縫】スキルはサッパリ上達しないのに、何故だ?
しかし、二人で店を開業するとなると、俺は『髪結いの亭主』ってことになって所謂、嫁の収入で楽な暮らしをするダメ亭主、つまりはヒモということになるのか?
いや、いやいや、冒険者として店の用心棒とか、お掃除とかなら――ああ、何か手に職でも付けないと駄目かも。
でもそうか、この異世界で将来のことが少しでも考えることができるようになってきているのなら、こんなに嬉しいことは無い。
元の世界では死ぬしか無かった白髪の少女は、この世界に来てから自らの手で未来を掴み取ることをその紅い瞳で夢見るまでになっていた。
「あはは~、じゃあお店の名前は『ビューティーサロン・ルリ』って感じか? でも、二人だけで店なんか始めちまったら、アリスはともかく、コロンやユウナが寂しがるかもしれないからなぁ。まあ、フィは放っといても付いて来そうな気がするけど。ああ、ルーもコロンが一緒じゃないと駄目だろうしな」
「ああっ、も、勿論、コロンちゃんとユウナちゃんも、それにフィちゃんとルーも家の娘なんですから一緒ですよ?」
慌てて少し大きなシザーと櫛を持った手を、パタパタとさせ始めるルリさん。
するとそのまま、俺の鼻先についてるカットした髪を飛ばそうとシザーを置いた手をパタパタさせるが、飛び切らないようで今度は桜色をしたぷっくり唇を寄せて来てフーフーと息を吹きかけて来るので、ルリの甘い吐息と共に何だかいい匂いがしてきて――思わず、抱きしめてしまいそうになっていると。
彼女のすぐ横からフッと同じように息を吹きかけて来る、透明な少女の姿をした――高位風精霊か?
「わわっ、ビックリした~。ええっ? うふふ。じゃあ、みんなも出て来て下さい! ほら~、みんなお友達ですよ?」
夕方にはまだ間のある、でも西の空は少し空が茜色に色づき始めたススキ野のその場所に、高位七精霊が薄ぼんやりとした輝きをまとって少女の姿で顕現して、楽しそうにルリの周りでこしょこしょとヒソヒソ話をしながら踊り始めてしまう。
「あら、新しい娘? 風の精霊みたいね。ああ、ハクローが邪な考えを起こさないように、ルリを守護するために現れたのね?」
「おい、人聞きが悪いだろ。いや、確かに考えてみれば、そんなタイミングだったかも?」
急に現れた高位七精霊に呆れたように苦笑しながらもトコトコとやってきたアリスが、ニッヒヒと嫌な笑みを浮かべてこっちに紅と蒼のオッドアイで流し目を向けて来る。
「え? ええ? ハクローくん、私に何かしようとしていたんですか?」
「お? あ、い、いや、別に、何も、そんな」
さっきとは違って、不思議そうに半開きになった艶のあるリップをすぼませながら、上目遣いで綺麗な紅い瞳をクリクリさせながら覗き込んで来たルリが、そっとその細い指先で俺の頬に残っていたカットした髪を取り除く。
「うふふ、何しようとしてたんですかぁ? ねぇねぇ、ハクローくん。ねぇ~ってばぁ~」
「う……それは……その……つまり」
その細い指先で俺の頬に付いたカットしてくっついている髪を一本づつ取りながら、スッと尖った顎を近づけて来てわずかにグロスの乗ったルージュの隙間から甘い香りのする吐息を吹きかけるので、長い睫毛で伏せられた少しだけ潤んだ、でも悪戯っぽく細められた紅い瞳から目を離すことができない。
「コホン、あんた達。私がいるの忘れてるでしょ? まあ、煽ったのは私だけど~。せめて、私がいなくなってからにしなさいよ」
ジトォ~っとした紅と蒼のオッドアイで、真横から眉に皺を寄せたアリスに睨まれてしまい、あっけなく現実に引き戻される。
「わわわっ、そ、そういえば! きゃふ~、はずかしいでしゅ~」
「たはは~。いや、今のは本気でヤバイとこだった~」
パッと手を離して距離を取るルリと、冷や汗を拭うしかない俺は乾いた笑いが引きつっている。
「まったく、若いもんの邪魔をするつもりも無いけど、小さな子供達の前では節度を守るのよ? 特にハクローは一度、タガが外れるとあんたの場合どこまでも手加減無しでノンストップなんだからね?」
この三ヵ月で俺のどうしようもない性格を知り尽くしてしまっているらしいアリスさんから、ありがた~い苦言をいただく。
「いや、もう、本当、面目次第もない。」
「いやぁ~~、たはは~。ヤだなぁ~、アリスちゃんったらぁ~、もぉ~」
この時の俺とルリは、まるで世のバカップルと同じような顔をして笑っていたのかもしれない。
ああ、アリスの真似をしてか、その後ろで宙に浮いている高位七精霊までがその薄い光り輝く少女の姿でフルフルと残念そうに首を振っている。
「あ~っ、何か増えてましゅ~」
「あら、ホントねェ。風の子かしら」
「ニャア~」
「はあ~、飛び出して行こうとするこの子達を抑えるの大変だったんだからね?」
トテトテとやって来た小さなコロンと妖精のフィに聖獣のルーが、高位風精霊を見付けて驚きの声を上げるが、その後ろからゆっくりと自分の脚で歩いて来たユウナがその綺麗な紫の瞳を細くして睨みつけて来る。
「「てへペロ?」」
ルリと二人並んで頭を掻くしかない。すると、その後ろから、凄い勢いで走って来たのはぽんこつフランだ。
「わわわっ、ルリ様っ。これは、高位風精霊ではありませんか! 何と、遂に高位七精霊を従えるに至ってしまわれましたかぁ~。おお女神様、祝福のあらんことを」
「ああー! そうでちた、ハク様ぁ。お月見の準備ができまちた」
五月蝿いへっぽこフランはどうでも良いとして、戦う【料理人】のコロンが思い出したように俺の手を引く。
『中秋の名月』はだいぶ前に過ぎてしまったが、実は今日は『十三夜』になっていて『後の月』とも言われて、俺はすっかり秋も深まってシンと澄み切った空気のこの頃の月夜が好きだったりする。
コロンに手を引かれて連れて行かれた【砂の城】二号の前に出された白テーブルの上には、夜風に揺れる尾花の穂と共にお月見団子が積み上げられている。
勿論、『十三夜』にちなんで十三個並べて積み上げてもらっている。
そして、各人の前にはお月見うどんです。
流石は商業都市ヴィニーズと言ったところで、さっきのお団子の材料の白玉粉といい、中力粉なんていうこの世界では中途半端なパンにもパスタにも向かないタンパク質の割合の小麦粉まで手に入ったのだ。
実はこれで、ようやくお好み焼きやたこ焼きも――まあ、それはまたの機会に。
ただ、これだけでは殆ど精進料理のようになってしまって育ち盛りの家の娘達には物足りないと思うので、サイドディッシュとして水上都市ヴィニーズで手に入れた海老やら各種野菜をどっさり天ぷらにしてもらっている。
「わーい、いただきまーす。ぱくっ、あれ?」
「うわっ、最初っからお月見団子に行くかよ?」
白い椅子に座るなり手を合わせたかと思うと、いきなり各人にも取り分けられているお月見団子に齧りついたのはルリだ。それはデザートだって。
「わわわっ、中に餡子が入ってますっ。しかも、粒あんでしゅ!」
小さな子供のような顔をして、ほっぺを赤くしながら嬉しそうに両手でひとつのお月見団子を握り締めてモグモグしているルリに、ふんすっ、とばかりにコロンがすっかり女性らしくふっくらとしてきた胸を張って見せる。
「ふふん、戦う【料理人】がハク様に教えてもらって、密かに仕込んでおいた秘密兵器なのでしゅ!」
「う……っ」
するとドヤ顔をしているコロンの手を両手で握って、紅と蒼のオッドアイに涙を浮かべて同じく口いっぱいに頬張ってモグモグしているのはアリスだ。ほっぺに餡子ついてますよ。
先にデザートを食べるか迷っていたユウナが、一口だけパクッとお月見団子を小さな口に入れて。
「あ、本当だ。アリスが泣くほど美味しい」
「馬鹿者ーっ! 餡子は団子にいれるだけじゃなく、おはぎにして良し、クリームあんみつにして良し、バターを塗ったパンに挟んで良し、それ以外の何にでもオッケーの万能スイーツなのよ!
コロンはとっても良い子よ、よくやったわぁー!」
お月見団子の中に餡子は邪道だとか言われるかとも思っていたが、喜んでくれたのなら良かった。まあ、これぞジャパニーズスイーツの王道だからな。
まあ、この小豆もようやく初めて商人ギルド本部があるヴィニーズで見つけたんだが。
「ふふふ、好評でよかったでしゅ」
「フィにも大好評ぉ~」
「ニャア~」
みんなに褒められて嬉しそうに笑顔のコロンとフィにルー。そして、我が道を行くぽんこつフランはひたすらお月見団子を口に頬張っていた。
「う~、おいしいですぅ。ああ女神様、幸せでですぅ~」
「お前らも、お月見団子ばっかり食べてないで、お月見うどんも食べろよ? あんまり置いておくと、伸びちゃうぞ? ズルズル~。おぉ~、ちゃんと腰があるじゃないか」
たぶん鶏だと思うが念のために錬成で殺菌消毒しておいた生卵と、海苔が見つからなかったので代わりのワカメを入れたお月見うどんも結構イケると思うんだけどなぁ。
「クロセくん、このパスタは音を立てながら食べる種類のものなのですね?」
俺が美味そうにズルズルとお月見うどんを食べていると、不思議そうな顔をしたユウナが紫の瞳だけをキラキラさせて覗き込んで来ていた。
「ああ、俺達の元いた世界の日本ではズルズル言わせて食べるのが粋だったはずだ。でも、良く知ってたな。【賢者の石】の知識か?」
「うん。遥か東方の文化にそういうのがある。私も頑張って真似てみる。ズ、ル……ズ……ル……ん~、意外と難しい」
そう言えば箸も錬成して人数分だけ用意してあって、アリスとルリはともかく、この世界でユウナだけが俺達の見よう見まねで箸を使ってくれて、一生懸命にお月見うどんを食べてくれているその姿は何だか見ていて嬉しいものだった。
だから、箸を持つユウナの右手に手を添えてから、簡単な持ち方を教えてあげる。
「箸は親指でこうして固定してから、人差し指でこうやって――そう、そうだ。ああ、やっぱりユウナは器用で物覚えが凄く早いんだなぁ」
「ふふふ、本当に食べ易くなったわ。ズルズル~、ズルズル~。ふふふ、うん。本当に美味しい」
ニコ~ォと嬉しそうに歳相応の笑顔を見せるユウナに、白テーブルの中央に出してある錬成で出してあった薬味を見せる。
「これは七味と言ってちょっとだけかけるとピリッと辛くて美味しいんだ。こっちは柚子胡椒と言って、柑橘系でちょっと慣れが必要かな」
そう言いながら、自分のお月見うどんにパパッと七味をかけると、ズルズル~と掻き込む。うん、やっぱり美味しい。
「ふ~ん、じゃあ。パパッとこれぐらいで、ズルズル~。あ、色々な薬味の深い味わいがして、ズルズル~。うん、美味しい」
おお、七味も気に入ってくれたようで良かった。いや、それよりも今は。
「おい、そこで物欲しそうに見ているポンコツは手を出すなよ?」
「ああ~、またポンコツ言いましたねェ~。ふん、もう成人している大人な私は違いの分るイケてる女性なので、七味とやらも大丈夫なのです」
ババッと七味の小瓶を振るへっぽこフランは、お約束の内蓋が取れることも無く、ちょっと多くかかったようだが真っ赤になることも無く、フォークでうどんをクルクルと巻くとパクッと口へと運ぶ。
「ふふん、どうです? ちゃんと、美味しいですよ? 七つの隠し味もこの私にかかれば……あれ? 後から辛くなって……あれ? 何かガリッとぎゃああああああっ! か、辛いです!」
「あ~、それは山椒だな? 日本の山椒はそんなに辛くないけど、中国のは激辛だからもしかしたら錬成で混じったのかも――どんまい?」
水のがぶ飲みしながら口を押えてヒィ~ヒィ~言ってるぽんこつフランを、気持ちだけ労ってみるが、彼女の涙は止まることがなかった。
そう言えば、山下公園の中華街で食べた麻婆豆腐に入っていた山椒が、無茶苦茶なほど激辛だったなぁ~とか全然関係無いことを思い出していた。今度、なんちゃって中華に挑戦してみるか?