第4章5話 母の愛
「いやさぁ~、ギルマスのあんたも見てたと思うけど、昨日の大仮面舞踏会の会場で副ギルマスのプッチーニに呼ばれてあいつの屋敷に行ったら、急にゲヘゲヘとか言いながら襲い掛かって来てさぁ。
仕方なく正当防衛で返り討ちにしたら、あの豚が召喚したドラゴニュート達が屋敷を壊しちゃってさぁ。
んで、壊れた書斎の金庫から裏帳簿と麻薬が大量に袋に詰まって出てきたからさぁ、熨斗を付けてギルマスに届けておいたんだけど~?」
その翌朝はゆっくりと古老の高級ホテルの朝食をルームサービスでメイとお母さんと一緒に取ってから、商人ギルド本部のギルマスに会いに来ていた。
昨晩は流石に麻薬治療で疲れていただろうお母さんをメイとお風呂に入れてから、アリスの部屋を使ってもらったらすぐに眠ったようで。
夜中に様子を見に行っても幸い薬物中毒による後遺症も無いようで、今朝は二人共にだいぶ顔色も良くなってきている。
ただ、あの豚の副ギルマスに約一ヵ月に渡って性的暴行を受けていたお母さんの体力は、大量の麻薬投与で限界まで落ちてしまっているので、いくら魔法で治療回復したとは言え暫くは安静が必要だろう。
この世界で初めてお風呂につかったらしい元日本人の転生者であるメイが喜ぶので、今朝もお母さんとルリ達が一緒に朝風呂に入っていたようだ。
そう言えば、錬成で作ったシャンプー、リンス、トリートメントに保湿乳液などに、元日本人で転生者のメイが涙を流して喜びながらも何やかやと細かい注文を出して来ていた。
この世界で15年以上生きてきた彼女のその経験と日本人としての知識を上手く噛み合わせて、俺の錬成や資金さえ調達できれば、いわゆる簡略なんちゃって内政チートっぽいこともできるんじゃないだろうか。
髪型も日本オリジナルのヘアアレンジを自分でしていたみたいで――ほとんど引き篭もりだったルリやアリスと違って、普通に女子中学生をしていた彼女の日本での流行などの知識は相当なものがあるようだ。
それはともかく、肝心の商人ギルド本部のギルマスなんだが、当然のように昨晩から一睡もする暇が無かったようで、昨日見た時よりもすっかり十才以上は歳を取ったようにめっきり老込んで見える。
「あぁ~、やっと首を洗って待っていろと言った意味が分かったよ。この馬鹿がやらかしていた公文書偽造、贈賄、違法買収、誘拐監禁、殺人、麻薬取引などあげたら切が無い程だ」
そう言って、床に転がってプルプル震えているガマガエルと豚をかけたような副ギルマスを顎で指すのは、商人ギルド本部のギルドマスターだ。
「だいたい、商人ギルド本部の内部監査で何で発見できていないのよ?」
「いや、もう、何と言うか、申し訳ないとしか言いようがない。この豚は監査官の部署にも賄賂を渡していて、勝手放題をしていたようだ。
勿論、関係していた監査室の馬鹿共はひっ捕まえて、今は地下牢獄に繋いでいる。
だが、麻薬組織のルートだけはこの糞野郎にも分からないらしく、しっぽを掴むことができなかった。すまない」
ガックリと項垂れてしまって、唯のしょぼくれた爺さんにしか見えないギルマスに、アリスはさらに追い打ちをかける。
「謝るのは私達にじゃ無いでしょ? あんたが許してもらおうなんて、図々しいのよ。先に散り散りになってしまっている被害者の家族を全て見つけ出して、謝罪して補償してからでしょ?
何もしてないのに先に許してもらおうなんで、甘ったれたことを考えるんじゃないわよ。あんたは辞任することも、自害して逃げることもできないと思いなさいよね?」
「う……わ、分かっている。それから、この下種の莫大な資産は全て凍結して商人ギルド本部の管理下に置いたのだが、この屑が裏金を隠していないとは考えられない。
本人に聞いても、白昼夢にうなされているようで要領を得んのだが、何かしらんかね?」
縋りつくように隈を作った顔を向けて来るが、あれはメイとお母さんに渡す金だから引き渡すはずもない。
ところでその白昼夢は最近はさらに凄みを増した、妖精のフィのスキル合成で一言で言って極悪以外の何物でも無い。
「知らないわよ。そんなことよりも被害者とその遺族全員には、キチンと商人ギルド本部の準備金を全て吐き出してでも補償するのよ?」
「う……そ、そんなことをすれば、この商人ギルドそのものが維持できなく」
ボソボソと言い訳を始める老害に、女神の半身であるユウナが紫の瞳を細くして睨みつける。
「それで潰れてしまう組織なら、いっその事キッパリと潰れてしまいなさい。一ヵ月が経過しても被害者への補償がなされていない場合は、天罰が下ると思いなさい」
「ま……まさか、あなた様は……。は……い、商人ギルド本部および全支部を抵当に入れてでも補償いたします」
ズンドコと肩を落として白く灰になってしまったギルマスを残して、アリスと愉快な仲間たちは振り返ることも無くサッサと商人ギルド本部を後にしてしまうのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「それじゃ、ニースィアでいいんですね?」
「はい、ハクローさんにはご迷惑をおかけしますが。よろしくお願いします」
午前中はホテルで休んでもらっていたメイとお母さんに昼食を一緒に取るために帰って来ると、もう今後の身の振り方については母娘の二人で話し合って決まったようでメイがすまなさそうに眉を下げる。
「夫が亡くなったこの地にいても娘も私も辛いだけなので、行ったことの無い新天地でゼロから娘のメイと二人で頑張って行こうと思います。皆様にはご迷惑ばかりおかけして、本当に申し訳ありませんがよろしくお願いします」
お母さんも体調が戻るまでは傍に誰かいた方がいいので、そう言った意味でもニースィアのあの場所は条件的にもいいはずだ。
昼食後にヴィッシーのポチタマに引いてもらって小舟で操舵手のメイとお母さんの二人の家に行って、家具やら着替えやら全てをルリが【収納】に仕舞ってくれている。
流石に男である俺の【時空収納】に、女性二人の下着類を仕舞う訳にはいかないようだ。
「それから、これは俺達からの餞別です。魔道具になっているので、できるだけ肌身離さずに身に付けていてくれると嬉しいです。
ああ、【魔力制御】、【身体強化】、【防御上昇】、【自動回復】、【状態異常耐性】の付与効果付きなので、体調が戻っていないお母さんの治療回復には特に良いかと思います」
そう言って、メイとお母さんにそれぞれお揃いの左右片翼づつのミスリルのペンダントを手渡すのだが、キョトンとして手にしたまま固まってしまう。
あれ? 調子に乗って見ず知らずの男からアクセサリーを渡すのは不味かったのかも。せめてアリスかルリから渡した方が良かったか――とか、盛大に反省していると。
「だから、ハクローは何時になっても駄目駄目なのよ」
アリスがため息をついて、ルリが苦笑しながらも上目遣いで覗き込んで来る。
「ハクローくん、お二人に付けてあげてくださいね?」
「え? 俺が?」
下種な屑男に酷い目にあっていたお母さんは、見も知らない男の俺になんか触れられるのも嫌だろうに――そんなことを考えながら、俺まで固まっていると。
「ふふふ、ハクローさん。アリスさんとルリさんのおっしゃる通り、せっかくですから私の首にかけていただけますか?」
そんな風に柔らかく微笑みながらお母さんが編み込んだ長い髪を肩から前に下して、うなじをさらけ出して見せるので、できるだけ肌に触れないように気をつけながらそっと後ろから片翼のペンダントのネックレスをかけてあげる。
「まあ、ありがとうございます。似合いますか、ハクローさん? ふふふ」
首からかけた片翼のペンダントを指で摘まんで優しく微笑むお母さんに、苦笑しながらもそのデザインの説明をする。
「ええ、よくお似合いですよ。メイさんと二人でお揃いなので、うらやましいぐらいです。
ああ、これが片翼なのはメイさんのとこうして合わせると、ピッタリと一対の大きな翼になる――いわゆる、ペアアクセになってます」
「まあ、まあまあ。娘とペアアクセサリーだなんて、お年頃のメイに嫌がられたりしないかしら?」
「そんなことないよ! 私はお母さんとペアアクセで嬉しいよっ。本当にありがとう、ハクローさん。私にもつけてくれる?」
少しだけ照れたように微笑むお母さんにメイが抱きつくと、そのまま自分のペンダントを俺に渡してくる。だから、後ろにまわってそっとかけてあげる。
「えへへ~、ピタッ。これでいつでも一緒だよ、お母さん?」
「まあ、メイったら。こんなに大きくなったのに、甘えんぼさんねぇ」
お母さんにくっつくと、首からさげたペンダントトップの片翼をお母さんのそれに合わせて、本当に嬉しそうに微笑んで見せるメイ。
どこまでも慈愛の表情で優しくメイのサラサラの金髪を撫でるお母さんは、やっぱり嬉しくも幸せそうで。
――だから、幸せそうな二人を見守るようにして嬉しそうに、でも少しだけ寂しそうにしているルリとコロンの小さな手を握る。
すると少しだけ目を見開くのだが、すぐに手をギュッと握り返して来る二人。
そうしていると、いつの間にかアリスも元々母親のいないユウナも妖精のフィと聖獣のルーまでもが手を繋いでいた。
そう、俺達にはこの世界に母親はいないかもしれないけど、こうして一緒にいて手を繋いでくれる小さな家族が傍にいるんだから。
だから、――だから。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ただいま」
「まあ、ビックリした。おかえりなさい、ハクローさん、ルリさん。あら、そちらの方は?」
超長距離転移魔法で海沿いにある王国第二の大都市ニースィアの裏路地の外壁傍に建つ、【砂の城】へとメイとお母さんを連れてルリと帰って来た俺は、玄関から入ったところでリビングにいたセレーネを驚かせてしまったようだ。
「ああ、驚かせたようですみません。今は水上都市ヴィニーズにいるんですが、そこで友達ができたので――メイエルさんとお母さんのマリアンナさんなんですが、ニースィアを案内しようかと思って。
詳しい話はまた後でしますが、まだ一部屋空いていたはずなので暫く二人に使ってもらってもいいですか?」
「うふふ、勿論構いませんよ。そもそも、ここはハクローさんが作ったんじゃないですか。
はじめまして、私はセレーネと言います。ちょっと病気を患っていたので、視力と聴力が心許ないですが、よろしくお願いします」
俺の適当な説明にも優しく微笑んで、動じることなくセレーネは二人に挨拶を始める。
「まあ、こちらこそよろしくお願いします。私はメイの母親でマリアと呼んでください。私も少し身体を壊していたので体調は万全はありませんが、この娘共々よろしくお願いします」
「私はメイって言います。ハクローさんとルリさん達には、お母さんの命を助けてもらいました。これからこのニースィアの街で、できれば商人としてやっていけたらいいと思っていますのでよろしくお願いします」
お母さんとメイが二人して仲良く挨拶を交わすが、大事なことを言うのを忘れていたと思い出したところで。
「セレーネただいまっ! あれ、お客さん?」
「ただいま~」
「……ただいま」
ボフッ、とセレーネの豊かな胸に、走って飛び込んで来たのは小さなエマだ。コレットにジーナも一緒に出かけていたようだ。
「よっ、ただいまでお帰りだな?」
「エマちゃん~、お帰りなさい~、んん~、ぐりぐりぃ~」
スチャッと片手を上げて帰還の挨拶をすると、ルリがたまらずエマに抱きついてそのプニプニの頬に自分の頬をくっつけてスリスリし始める。
「わぁ~、ルリおねーちゃん。ビックリしたぁ、もう帰って来たの?」
「んん~、ちょっとだけ? また、すぐに出るんだよ」
くすぐったそうにしながらも、嬉しそうにルリに抱きつくエマ。そして、コレットとジーナも懐いてくれたようで、ルリくっついていく。
「コレットちゃんとジーナちゃんもただいまでお帰り~、えへへ」
「うん、ただいま」
「……おかえり」
はにかむようにしている二人に少しだけ安心すると、メイとお母さんの二人に向かって説明する。
「ああ、ここは孤児院も兼ねていて、エマとコレットにジーナがここの子で、もう一人」
「エマ、走って行っては危ないじゃない。ただいま帰りました――あら?」
赤ちゃんのニコラを抱っこ紐に入れて、すっかり孤児院の職員が板についたエンデがゆっくりとリビングに入って来ると、千客万来にビックリした顔をする。
「ああ、エンデただいま。メイさんとお母さんのマリアさんだ。暫くの間ここで一緒に暮らしてもらいたいので、よろしく頼むね。んで、その赤ん坊がニコラだよ」
「エマちゃん、メイちゃんのお母さんは病気をしていたから、回復薬を毎日、朝に一本飲ませてあげてね?」
「うん、分かったよ。ルリおねーちゃん、エマに任せてねっ」
そうしてバタバタしながらも、ルリの【収納】に入っていたメイとお母さんの着替えや荷物を空き部屋に移し終わると、俺とルリは再び超長距離転移魔法でヴィニーズに帰ることにする。
「じゃあ、ドタバタして悪いけど行くね。ああ、そうだ」
そう言って思い出したように、セレーネの耳元に小さな声でお母さんの事情をつぶやいておく。すると、
「はい、私もその身に降りかかった辛い気持ちは少しは分かると思うので、お力になれると思いますよ。ふふふ、もう。ハクローさんらしいですね?」
なんて、俺の耳元に唇をつけるようにして小さな声で囁くセレーネ。
「メイちゃんもお母さんも、ここの魔術結界に登録しておいたから出入りは自由にできるからね。それじゃ、行ってきま~す」
何故かピッタリと俺のお腹に抱きついたルリが、みんなに向かってヒラヒラと手を振るのだが。別にそんなにくっつかなくても、転移は危なくないように調整できるんだけど。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ハクローの転移魔法で空間の歪にルリと二人で消えてしまった後の【砂の城】のリビングで、ようやく我に返ったメイが恐る恐るセレーネに訊ねる。
「ところで、ここって本当に王国のニースィアなんですよね?」
「え? うふふ、そうですよ。ハクローくんは本当に高位の転移魔法が使える魔術師さんなんですよ?」
おかしそうにクスクスと笑うセレーネが、いたずらっぽく少女のような仕草で片目を瞑ってみせると。
「はぁ~、彼はやっぱり普通じゃないですよねぇ?」
「ふふふ、私も含めてここは普通じゃない人ばっかりなんで、そこは気にしたら負けですよ?」
ガックリと肩を落とすメイに、何でも無いことのようにセレーネは肩を竦めて見せるが、ふんす、と少しだけ元気が出てきたらしい母親のマリアが声援を送る。
「そうですよ、メイ。彼の周りには可愛い子ばっかりですが、私の大切なメイも十分に可愛いんだから負けては駄目ですよ?」
「ええ~?」