第4章3話 精霊祭の後始末
「それで何処の誰だか分かったのか?」
今さっきまで突然のように現れた高位精霊達によって騒然としていた、商業都市ヴィニーズのピアッツァ回廊広場に面したひと際大きな塔の中から窓の外を覗き見ている、初老の細身の男が後ろを振り返ることなく|
訊ねる。
「はい、どうやら王国の冒険者だったようで、中でも希少とされる精霊使いのようです。また、一緒にいた中には同じくらい珍しいとされている妖精使いもいたようでして」
「ふむ……会って話をすることはできそうか?」
執務室の重厚な木製机の前に立つ秘書風の男が手にしたバインダーを見ながら報告するのを遮って、その部屋の主は振り向くと逆に問いただす。
「いえそれが、神聖皇国へ向かう教会関係者の護衛任務の途中で寄っただけのようで、早ければ数日を待たずにこの地を去るかと。神聖教会に働きかけて精霊祭が終わるまでの一週間は、ここに足止めさせるようにいたしましょうか?」
「そうだな。まずは会うための時間を稼ぐためにも、教会には護衛対象を何とかして足止めさせろ。そのうえで、他から余計なちょっかいをかけられる前に、明日の晩の商人ギルド本部会館での大仮面舞踏会に招待しろ。
理由は何でも良い、適当に懸賞当選か招待状でも送りつけてここに来るようにすれば良いだろう」
「はっ、ギルドマスター。では、そのように手配します」
そう言って綺麗な姿勢で頭を下げて退室しようとする秘書を、見送りながらも顎に手を当てた初老のギルマスが口を開く。
「頼む。ああ、そうだこのことはプッチーニの奴には知られんようにしろ」
「しかし、あの副ギルマスが黙って見ているはずは無いと思いますが?」
「奴が知って動き出すまでだけで良い。最初に拗れさせられる前に会っておきたいだけだ」
「かしこまりました。それでは失礼します」
今度こそ出て行った秘書が閉めた扉を見やってから、面倒な事にならなければ良いがと思い立つのは、この世界の経済を事実上牛耳っている商人ギルド本部のギルドマスターだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「わ~、とってもおいしかったです。特にあの塩に固められて埋まったお魚にはビックリしましたぁ」
ピアッツァ回廊広場から少し入った閑静な住宅街の傍にある高級レストランから、入り口の水路に停めた小舟へと乗り込むルリが嬉しそうにはしゃいでいる。
「確かに。あれはメイさんに案内してもらわないと、食べられなかったよなぁ」
「ふふふ、お気に召したようで良かったです。ああ、足元に気をつけてくださいね」
今日の夕食は小舟の操舵手であるメイに観光がてら紹介してもらったレストランでご当地メニュー紹介も兼ねて一緒に食事を取ったのだ。
費用は全額が必要経費として神聖教会持ちなので、全く気にすることは無かったのだがメイが最初は難色を示して大変だった。
最後はせっかくなのでもう一泊していくことにして、明日もメイとヴィッシーのポチタマを貸切ることで、漸く了解してくれた。
「流石の戦う【料理人】のコロンもあれにはビックリしましたでしゅ」
「フィはおいしかったら何でもいい~」
「ニャア~」
ここヴィニーズのご当地料理は料理人としてのコロンにも刺激になったようで、明日からも是非ともメイには引き続きご当地料理の案内をお願いしたいところだ。
まあ、妖精のフィと聖獣のルーは口に入れば何でも良さそうだったが。
「お料理と一緒に出されて来た、ヴィニーズのグラスも綺麗だった。あれは、ここでなければ手に入らない」
「あ~、確かに色取り取りの精密な加工のガラス細工は王都でも見なかったわねぇ」
無表情なままでユウナが、食事が盛りつけられて出て来ていたガラスでできた皿やグラスを思い出してつぶやくと、アリスがフムフムと頷く。
「むふ~っ、私としてはあのデザートのグラスに盛りつけられていたティラミスというのが……じゅる。ああ、思い出しただけでも。おお、女神様どうしましょう?」
アホな子のぽんこつフランがその暴力的な巨乳を腕で挟んで祈りを捧げていると、運河の途中の十字路で小舟が一旦停止して、交差する小舟を先に通す――のだが、暫くしても発進しないので不思議に思って操舵手のメイを振り返ると。
大きな水路の向こう側の無駄に豪華な屋敷の窓に映る――逆光で良く見えないが女性か、の姿をジッと見つめていたかと思うと、ツーッと涙が一筋頬を伝って落ちる。
次の瞬間、部屋の奥から姿を現したブヨブヨに太った豚のような男に引き摺られるようにその影が消えて、代わりにその豚男が嫌らしい笑みを浮かべてニヤァ~とこちらを見て笑いかけてくる。
そして何事も無かったように、涙を袖で乱暴に拭ったメイが、小舟を発進させるために白いヴィッシーに声をかける。
「ポチタマ行くわよ」
しかし、その女性らしいメイの唇は歯で噛み切られていて、海風にあおられて後方に血を滴らせていることに、前方を睨みつけている彼女は気づいている様子は無かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
亜竜シーサーペントであるヴィッシーのポチタマに引かれた小舟に送ってもらってホテルに戻ると、フロントに神聖教会から伝言が残してあって。
「あれ~? ヴィニーズ精霊祭の最終日に予定されている教会主催の仮面舞踏会に出席してほしい? それにこれは――明日の晩の商人ギルド本部が主催するこの祭りで最大級の大仮面舞踏会への招待状? こんな話は、お昼には聞いていませんが……」
しきりと首を捻るシスター・フランに、アリスが苦笑しながら手をヒラヒラと振る。
「あ~、これはルリ絡みで間違い無いわね」
「うぅ~、すみません。私の所為で」
しょんぼりしてしまうルリの白髪の頭にポンと手をのせると、ゆっくりと撫でる。
「ルリの責任では無いだろ? それに、明日は元々もう一泊延長することにしたんだからさ。せっかく招待されたんだから、試しにその商人ギルド本部の最大と言う大仮面舞踏会とやらを見に行ってもいいし、嫌なら帰ってくればいいだけだしな?」
「う……ハクローくん」
桜色をした唇をへの字に曲げて情けない顔をしてしまったルリに、小さなコロンが抱きついて来てついでに俺の顔を覗き込む。
「ハク様、おいしいものあるぅ~?」
「フィもおいしいものあるならオッケーよ」
「ニャア~」
お子様達は食べ物があれば取り敢えずいいみたいだが、ユウナが澄ました顔をして神聖教会からの依頼をぶった切る。
「明日はそれでもいいけど、予定外の一週間もの滞在延長は神聖教会との契約に無いから無理。ニースィアに残して来たミラ達の所に帰るのを、どうせ碌でも無い理由で不必要に遅らせる訳にはいかない。いいわね、フラン?」
「はひぃ~、やっぱりそうなりますよねぇ。それでは、そのようにヴィニーズ聖堂の大司教には返事を出しておきますぅ」
たはは~、と頭を掻きながらへちょい返事をする修道女のフラン。これじゃ、どっちが護衛任務の契約主か分からんな。
「それじゃ、メイさん。明日も朝から丸一日になっちゃうけど、よろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。それでは、おやすみなさい」
ホテルのロビーまで送って来てくれていた操舵手のメイに挨拶を済ませると、海風のせいか少しべたつくので部屋に戻って風呂に入ることにする。
その夜、月明かりの差し込む寝室の大きなベッドでいつものように、おやすみ三秒で寝静まった小さなコロンのしっぽに丸まった妖精のフィと聖獣ルーを挟んで、反対側で横になったルリが小さくつぶやく。
「ハクローくん、まだ起きていますか?」
「ああ」
海の涼風が流れ込んで来る四階の部屋に、鈴をコロがすようなルリの声が響く。
「あのメイさんですが――もしかして」
「……ああ、たぶんな」
海風に乗って波の音が聞こえて来る。
「それに――あの、窓の女性は」
「……ああ、メイさんの大切な人だろう」
あの時の彼女の頬を伝う涙と噛み切った唇から流れる血を思い出して、思わず目を瞑ってしまう。
「ハクローくん、私はエマちゃんを酷い目に合わせてしまったことを、とっても後悔しています。でも、それでも」
「ああ、ルリは大切な物を守ってくれればそれでいい。後のことは俺達に任せろ。でも、今みたいにまず一言言ってくれると嬉しいかな」
そうなんだ。平和な日本とは根底から価値観が違う、こんな狂った世界で、俺や恐らくはアリスまでもが狂わずにいられるのは、俺達のパーティーの良心であるルリがいてくれるからだ。
もし、この世界の女神の半身であるユウナの言う通りに、今以上に苛烈なことをし始めると、いずれ俺達までこの狂った世界に取り込まれてしまう気がして。
それだけは、――心優しいルリを巻き込むことだけは、何としても避けなければならない。
すると暫く静かな時間が過ぎでから、少しだけ鼻に詰まったような声でルリが頷く。
「はい、ハクローくん。ありがとうございます」
そう言うと、俺から奪ったTシャツに鼻を埋めた小さなコロンの頭の上からルリの手が伸びて来たので、だいぶふっくらと柔らかくなった――でも細いその指に絡めるように握り返すと、そのまま安心したようにルリの寝息が聞こえてくるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌朝はホテル四階のベランダで遠くに水上都市ヴィニーズの海を見ながら、夜明け前から直刀【カタナ】を出して【二刀流】の朝練をしている。
と、隣のフランの部屋から出てきたテディベアぬいぐるみのビーチェがピョンとベランダを飛び越えて来て、横に立つコロンに並んで一緒にすっかり俺よりも上手くなった【二刀流】の鍛練を始める。
朝食は高級ホテルだけあって、ルームサービスしてくれるというのでベッドルームの小さなテーブルで海から昇る朝日を見ながらみんなで取ってから、早くから迎えに来てくれた操舵手のメイと一緒に朝市に出かけることにした。
今朝は最初からヴィニーズ観光のためか、メイも精霊祭の仮面舞踏会に合わせるように仮面を付けて来ていた。
「わあ~、ハク様ぁ。お野菜がいっぱいでしゅ~」
「フィも生では食べれないわね」
「ニャア~」
「ハクローくん、何だか良く分からない香料が大きな袋で山盛り一杯ですよ?」
「うわっ、ハクロー。朝上がったばかりの魚がデンッとそのまま売ってるわよ」
「クロセくん、可愛い手工芸品もあるので赤ちゃん用のおもちゃをニコラと、後はそこのをエマ達に買っていきましょう」
「う~~、ハクローさん。もう食べれましぇ~ん」
みんな商業都市ヴィニーズの朝市に並ぶ、物珍しい品々に興味津々といった様子だ。
密かに優しいユウナは乳飲み子の二コラにコロコロと音の鳴るおもちゃを、小さなエマとコレットにジーナへは女の子らしい綺麗なガラス細工の小物入れを買って帰ることにしたようだ。
寝坊助フランはまだ寝ぼけたままだけど。
「メイさんもよく朝市では買い物をするのですか?」
「ああ、家はいつも母が……いえ、今は私が時々」
俺が不用意に放った言葉が地雷を踏み抜いてしまったようで、瑞々しい朝日に輝くこの朝市にあって、仮面から覗く彼女の採光の消えた瞳だけが余りに暗く浮いて見えてしまっていた。
それからは暫く街の観光をして、ついでにガラス工房も見学させてもらってから昼食を取って、ヴィニーズの海にもヴィッシーのポチタマに引いてもらった小舟に乗って見に行ったりしていると、いつの間にか夕方になっていた。
そうして夕陽の差し込む無駄に豪華な屋敷の窓に、今日も女性の姿が見えている。
今日はまだ時間もはやいからか逆光になっていないので、その見姿が良く確認できるのだが。
小舟に操舵手として綺麗な姿勢で立つ、仮面を外したメイにそっくりな綺麗な女性で、でもあれは【解析】で診ると【薬物中毒】の状態異常が確認できてしまう。
そう言えば、メイとそっくりな青い瞳が潤んでしまって白目も充血して目の下に隈もできている。
この水路の下から診ただけで外見上にそれだけの異常が見て取れるのだ、身体はどうなっていることか――あまり時間が残されて無いかもしれない。
窓の女性は震える手でガラス窓に触れているが、立っているのもやっとなのか、それでも必死に引きつる笑顔を作って見せる。
だから、メイがつぶやくのだ。
手にした仮面を再びその綺麗な顔につけると、擦れた声で、絞り出すように、小さな子供が今にも泣きだしそうな、そんな小さな声で助けを求める。
「ハクローさん達は日本人ですか? ちょっと色が違うけど、黒い髪に黒い瞳――日本人ですよね? 実は、私も日本人なんです」
屋敷の窓を見上げたまま視線を逸らすことなくつぶやくメイの髪は綺麗な金髪で、肌は白人のそれで、瞳は宝石のような青だ。
「ふふ、そうです。私は転生者です。日本にいたときの名前は沙月でした。
どうした訳か私が転生したのは小さな商家で、優しいお父さんとお母さんのいる幸せな家庭でした。でも、一年前にこの商業都市ヴィニーズに仕事の都合で引っ越して来て、全てが終わりました。
商人ギルド本部の副ギルドマスターのプッチーニがどこかで私の母を見初めたらしく、あの手この手で言い寄って来て、そしたらお父さんが一ヵ月前に突然の事故で――。
そしたら、あの豚がお父さんの残した借金を肩代わりしてやるからって、お母さんに……お母さんに、妾になれって……嫌だって、言ったんだけど……言うことを聞かないと私を借金奴隷にするって……それで、お母さんが……うっ……ううっ……ううう~~~」
真っ直ぐに窓に立つ女性――母親の姿を見据えながら、仮面の下から溢れる涙を拭うこともせずボロボロと零し続ける、日本からの転生者であるメイは。
俺達と同じぐらいの歳のはずなのに、この世界には既に産まれてから十数年の年月を重ねていて。
元いた日本の記憶を持ちながらも、この世界で産んで育ててくれた母親をこれほどまでに愛していて。
そんな彼女が、同じ日本人の俺達に助けを求めると言うのであれば、持ち得る力の限りを尽くそう。
「だから、だずけでくだざい。おがあざんを、だずげでぐだざい。おねがいじまず、おがあざんを……だずげで」
「任せてください」
「任せなさい」
「任せろ」
ルリとアリスに俺が横に並んで、揃って答える。
「ハク様が助けるなら、コロンも手伝いましゅ」
「フィもお助けねぇ~」
「ニャア~」
「はぁ~、まあこうなるんじゃないかと思ってた。私達に任せておきなさい」
小さなコロンに妖精のフィと聖獣のルーが続けて声をあげると、無表情のままでため息をつきながらもユウナがふっくらして来た胸を張って見せる。
「え? ええ? ええー?」
未だに訳が分かっていない、ぽんこつフランだけがオロオロとしているが、とりあえずそれは放っておいて。
やることが決まれば動きが早い、アリスがテキパキを指示を飛ばし始める。
「それじゃ、正義の味方。仮面レンジャーとしての【ミスリル☆ハーツ】の初仕事よ。
まずメイにはこの後、今晩の商人ギルド本部が主催の大仮面舞踏会に私達と一緒に出席してもらうわ。丁度、仮面もつけていることだし、フランの代わりに参加しても分からないわ」
「ええー! 私はお留守番なんですかぁ? 嫌ですよぉ、連れてってくださいよぉ~。びえぇぇぇ~」
あ~ぁ、泣き虫フランがまた泣き出してしまった。
「わ、分かったわよ。じゃあ、おまけでフランも付いて来て良いわよ。そこで、副ギルマスの何とかいう豚に合えればそれで良いし、会えなくても今晩中にケリをつけるわよ」
やると決めたらとことん早いアリスが既に紅い瞳をキラキラさせて、さくらんぼのような唇をニヤ~っと月の形に変えて何やら悪いことを考えているようだ。
「あー、副ギルマスの名前はプッチーニな」
「んなことは、どーでもいいのよ。我らが同胞である日本人に理不尽な真似をしてくれた、この世界の屑に目に物を見せてやるわ。見てなさいよ~」
はぁ~、それじゃあメイのお母さんを泥棒しに行きますか?