第3章57話 祝賀会の結末
「なあ、レティシアは少し遅すぎやしないか?」
昼食を王族別荘のプチ離宮でみんなで食べてゆっくりと休んでから、ニースィア公爵屋敷で開催される合同演習祝賀会に出席するためにやって来ていたのだが。
妙に首筋の後ろ辺りがチリチリする嫌な感じがしてしまい、思わずアリスに愚痴のようにつぶやいてしまうのだが。
「そんなこと言っても、実の母親からの直々のお呼びだし。本人も最後にキチンと話をしておきたいって言うからさ~」
一足先に公爵屋敷に来てしまっていたミラとクラリスを追うように侯爵令嬢であるレティシアを連れて来てみると、午前中の三馬鹿貴族のことを報告のためにやって来た騎士団長に捉まって思ったよりも時間を取られてしまい――気がつくと祝賀会の直前の時間になっていた。
そしてニースィア公爵領内の貴族連中が続々とやって来ている中で、珍しくレティシアの母親のクライトマン侯爵夫人が早くから会場にやって来ていて、相変わらず高飛車な態度で何故かレティシアと話があると言って連れて行ってしまったのだ。
「そうなんだが――本気で何か嫌な予感しかしないんだけど」
「まあ、確かに護衛も無しに一人で会いにいくのはどうかと思ったけど、何かあればハクローの【ソナー(探査)】と【ドライスーツ(防壁)】で分るし、私もいつでも【遠見の魔眼】で視れるし」
まったく過保護なんだから、と言わんばかりに紅と蒼のオッドアイを細めて見せるアリスに、はあ~とため息をついてボソッとつぶやく。
「いや、この依頼の最後まで一緒にいるって約束したからさ、それだけだよ」
「も~、ハクローくんったら。心配なら心配って言えば良いのに~」
「ハク様、しんぱいしょうでしゅか?」
「フィもしんぱいかも~」
「ニャア~」
「まあ、クロセくんの心配も分からないでは無いけど」
少し膨れながらも拗ねるようにして唇を尖らせているルリに、みんながまちまちの反応を示す。
「クロセ様、この公爵屋敷にいる以上はクライトマン侯爵夫人といえど、おかしな真似はできないはずです」
「はい、姫様。この領主屋敷で騒ぎを起こせば、問答無用でこのニースィアから退去させられてしまいますからね」
先程まで公爵達と別室に篭もって長々と話をしていたらしい、ミラとクラリスもわざわざ俺達の控室までやって来ていて、今さらなあの母親の意図が掴めず少し困惑した顔をしている。
「まあ、とにかく先に祝賀会の会場に入ってましょう? すぐにレティシアも来るかもしれないし、それこそ開場して暫く経っても帰って来ないなら、こっちから迎えに行けばいいんだからさ」
そう言って、アリスが手のひらをヒラヒラと振りながらスタスタと会場に向かって行ってしまうので、みんなも仕方なくその後を付いてゾロゾロと足を向ける。
だから、もう一度ため息をついてから、まもなく最後に会場入りすることになるミラレイア第一王女に声をかける。
「はあ~、じゃあミラ。入場するときには流石に横に付いていられないから、俺達は先に会場入りして王族であるミラの入って来る専用扉の横で待機しておくので、何かあればすぐに呼ぶんだぞ?」
「はい、クロセ様もお気をつけて」
ニコッと切れ長の翠瞳を細めると微笑むミラに手を振ってから、みんなの後を追って部屋を出た。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「お、お母様……こ、これは……どういう」
「レティシア、お前が悪いのですよ? 私の言うことを聞いてあの【勇者】と【聖女】を貴族派に取り込むように工作しないから、この私が自らこうして紅茶に麻痺毒を入れてまでこんなことをしなくてはならないのですよ」
公爵屋敷に貴族派代表のクライトマン侯爵家専用に用意された控室で、麻痺毒で身体が痺れて動けなくなったレティシアがソファに崩れ落ちていていた。
その実の母親が暗い笑みを浮かべて口元を三日月の形に歪ませているところに、後ろで控えていた見たことの無い背の高い貴族風のイケメンが部屋の扉を開けて、――招き入れられて来たのは、確か公爵の孫であるテオファヌとその護衛のようだ。
「これはこれは、クライトマン侯爵夫人。こちらが?」
ニヤニヤした嫌らしい笑みを浮かべたままの公爵孫のテオファヌが顎でレティシアを指すと、母親であるクライトマン侯爵夫人は揉み手をしながらも卑屈な笑みを浮かべて見せる。
「まあまあ、テオファヌ様。家の娘がどうしてもお話がしたいと申しまして。まあ、恥ずかしがり屋なものでして困ったものです」
「くっ……お母様……これは!」
「もうよい、お前達は下がっておれ」
麻痺毒で言うことを聞かない身体に鞭打って何とか顔だけを向けて愕然とするレティシアを無視するように、公爵孫のテオファヌはクライトマン侯爵夫人を部屋から追い出してしまおうとする。
すると特に文句を言うわけでも無く、背の高いイケメンの腕を取ると素直に部屋から出て行く直前に振り向いた母親は、唯一言だけ吐き捨てる。
「侯爵家のために、テオファヌ様には精々可愛がってもらうのですよ?」
そうして扉が締められると、急に大笑いを始める公爵孫のテオファヌ。
「あーっはっははは! どうだ、生みの母親に売られた気分は? 本気で妻に迎えるとでも思っていたのか、あの馬鹿な侯爵婆は? まあ、どうやらあの若いツバメの入れ知恵でもあったようだがな。
この私が姉上の他に心動かされるはずなど、あり得るはずなど無いというのにっ!
貴様、王国の第一王女殿下である姉上の所にいる馬の骨の冒険者と知り合いらしいな……ちょうどいいから、奴が悲しみに後悔する顔が見たいんだ。やれっ!」
病んでギラついた瞳を血走らせた公爵孫のテオファヌが連れて来ていた大柄な護衛に指示すると、護衛は背中に抱えていたバトルアックスを振りかぶってレティシアに力一杯に振り下ろす。
「きゃあ!」
バギンッ、と蒼白い火花を散らして衝撃音と電撃音を上げるが、【ドライスーツ(防壁)】を貫通することはできず、しかしそんなことは気にする様子も無く護衛の男は黙って何度も打撃ともいえる斬撃を繰り返す。
その度に、レティシアは声にならない悲鳴を上げる。
「きゃっ!」
「んん? 何だ、魔法防御か? ふんっ、手足の何本かは切り落としても構わんから思いっきりやってしまえっ!」
自分の考えていた結果とは違ったことが気に入らなかったのか、さらに機嫌を悪くして病んだ瞳を暗くさせて自制がきかなくなっていく公爵孫のテオファヌ。
【ドライスーツ(防壁)】で物理攻撃を防御して掠り傷ひとつ付いていないものの、その圧倒的な圧力が戦闘経験の無いレティシアに否応なく襲い掛かる。
全く動けず逃げることすらできずに打ち付けられるバトルアックスの恐怖に、辛うじてヒリつく喉を振り絞って心から信頼する、その人の名を叫ぶ。
「……っ、は、ハクロー様っ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「がぁっ、防壁魔法が! 警報まで、イエロー?」
既にミラレイア第一王女と正妃を会場に迎えて、ニースィア公爵が派遣していた公爵領騎士団と冒険者達の合同演習部隊の帰還の祝賀会が開催されていた。
今日だけは貴族達だけでなく、平民の騎士団員や冒険者達までもが公爵屋敷に入ることを許されているため、結構な人数が大きなダンスホールに溢れ返っている。
まあ、冒険者達は壁際に並べられているケータリングと酒に群がっていて、上座で嬉しそうに能書きを垂れている公爵や正妃達に集っているのは貴族連中だけだったりするのだが。
そこでは満面の笑みを浮かべたクライトマン侯爵夫人が、Aランク災害級魔獣ベヒモスを討伐して帰還したはずの自身の――何故こうなっているか理解できずに引きつって真っ青な顔をした夫を、嬉しそうに迎えている。
そんな中、急に頭を押さえて唸るように叫んでしまうが、すぐさまアリスが紅い右目を手のひらで覆って続けざまに叫ぶ。
「え? 【遠目の魔眼】! ミラがっハクロー、飛んでっ!」
「くそっ、【チューブ(転移)】っ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ヒヒヒッ、泣けっ、喚けっ! 姉上にまとわりつく下郎風情の売女がぁ!」
公爵孫のテオファヌの病んだ狂気の叫びと共に、護衛がバトルアックスを大上段に振り上げたその時。
「何やってやがんだぁ! 殺すゾごらぁ!」
突然、空間に出現した転移魔法陣ごと斬撃が斬り裂き、衝撃音と共にバトルアックスを持った太い腕が宙を舞う。
「ぐあっ! ちぃいいいいっ!」
腕を斬り飛ばされた護衛は一瞬たじろいだものの相当な使い手なのだろう、すぐに左手で腰の後ろに下げていたショートソードを抜刀する。
しかし、その前に斬り裂かれた空間から飛び出して来た勢いのままに、左手で逆手に抜刀された直刀【カタナ】が左肩ごと斬り飛ばしてしまう。
「がぁああああ!」
「ヒッヒィイイイ! き、貴様っ、あの時の姉上に付きまとっていた下郎がぁ!」
「大丈夫かっ、レティシア! 【ライフセーバー(救命)】!」
部屋の隅っこに張り付くように小物臭い誰かいるようだが無視して、まずはレティシアに回復魔法をかけながら抱き起す。
「あ……は、ハクロー様……ああっ!」
あの毅然とした気丈なレティシアが、状態異常ごと治療回復されて動き始めた腕を震わせながらTシャツにしがみ付くようにして顔を押し付けて慟哭するので、左手の直刀【カタナ】を床に突き刺すとしっかりと胸に抱きしめてその震える背中を優しく擦る。何度も擦る。さすり、さすり。
「き、貴様っ、この公爵家でこの孫の私をぎゃああああ!」
「ほら、もう大丈夫だぞ? な? 俺が来たから、もう大丈夫だ。五月蝿ェーぞ、ドチンピラが」
少しでも震えが止まるように、少しでも安心できるように、優しく小さく震える背中を擦りながら、極細に錬成して高速回転させた爆裂魔法を一気に数百発を空中に起動待機させると、連続で時間差を付けて壁際で喚いている小物臭しかしない男の全身に撃ち込みそのまま着弾と同時に起爆させる――と同時に回復魔法もわずかにかけ続ける。
「ぎゃああああああ――っ! あっ、ああああああ!」
手足を広げたままで壁にダーツのような爆裂魔法で磔にされて、倒れることも気を失うこともできずに痛覚を残したままで微弱に回復されながら激痛にひたすら耐えるしかない小物臭いお坊ちゃま。
「大丈夫っ、レティシア! 貴様らかぁ――っ!」
やっと【神速】で扉をぶち破って現れたアリスが、部屋で俺に抱きかかえられて床に倒れているレティシアを見て真っ紅な長髪を紅蓮の魔力に逆立てて、床に転がっていた護衛と磔刑にされた若造の股間を一瞬で消し炭に変えてしまう。
「ぎゃあああああ!」
「ぐああああああ!」
ようやくレティシアに駆け寄ると、一緒になって背中を擦り始めるアリスがひたすらに謝る。
「レティシア、ごめんなさい。ちょっと目を離したばっかりに。怖かったでしょ、ごめんなさい」
「レティシアさんっ、ああっ! こいつらぁーっ、レティシアさんをいぢめたなっ!」
遅れてやって来たルリが高位六精霊を顕現させると、六色の魔力の渦が磔状態のお坊ちゃまと護衛の男の二人を床と壁に押し付けてガリガリと物理的にも削り取っていく。
「フィもあったまきたー!」
「ニャア――!」
「あーっ、コロンもおこったじょ~!」
ああ、妖精フィに聖獣ルーまでが激怒して、小さなコロンが支えてきた無表情のユウナまでが。
「ふん、弾の無駄ね。でも、一発づつだけは憂さ晴らしに――喰らえ」
パンッパンッという軽快な発射音と共に二人の片耳が魔法自動拳銃P226から発射された9x19mmパラベラム弾に吹き飛ばされる。
「ほら、みんな来たぞ。レティシア、もう大丈夫だろ?」
「……うん……うん」
未だに小刻みに震えが止まらないレティシアの細い身体を、両腕で胸の中に包み込んで温めるようにして抱きしめるが、コクコクとわずかに顔を胸に押し付けるようにして頷くだけなので、危うく屋敷ごと吹き飛ばしてしまいそうになる溢れて暴発しそうな魔力を抑えるのに必死になっていた。
今は駄目だ。レティシアが頑張ったんだから。今だけは、まだ駄目だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「え? そ、それは……どういう意味で?」
その頃、合同演習の成功を祝う祝賀会の会場ではニースィア公爵が壇上に呼び出した貴族派の代表であるクライトマン侯爵夫妻に、ご機嫌な様子で話しかけていた。
「ん? 分かり辛かったかの~。もう一度言うとだな、Aランク災害級魔獣ベヒモスの討伐を見事成し遂げた合同演習部隊の取りまとめであるクライトマン侯爵には、その功績を称えて領内最西端の所領を与える。
貴殿ならば未開の彼の地の魔物達も難なく討伐して、無事開拓してみせると信じておるぞ。領地開発が完了するまでは流石に忙しいだろうから、帰って来んで良いからな? はっははは。
ああ、それから貴様と仲の良い男爵三家については、公爵領内での役職を解いておくので連れて行っても良いぞ? ただし、次期当主達は暫く預ることになっておるし、まあもう帰る屋敷も既に無いらしいがな?
それから、他にも、貴殿と仲の良かった伯爵位、子爵位、男爵位の二十数家についても同じく役職を罷免して身軽にしておいたので、連れて行くなり好きにするが良かろう。あーっはっははは!」
隣に立つ夫と同じように顔を真っ青にしてしまったクライトマン侯爵夫人は、チアノーゼが出たように紫色に変色した震える唇で何とか声を振り絞る。
「い、いえ、公爵様……それは、あまりにも」
「ああ、そうじゃった。庭にはAランク災害級魔獣ベヒモスの死体を展示しておいたから、よくよく見て見ると良い。ちなみに、猛毒に関しては魔術結界を張ってあるから近寄っても問題無いぞ。
おお、あれは夫人の自慢の侯爵殿が討伐したんだったな。これは失礼、っははは!」
ギョッとして、庭先に横たわる小山のようなAランク災害級魔獣ベヒモスの死体を見て、トラウマが蘇ったのか膝をガクガクさせ始めてしまう副ギルマスのクライトマン侯爵と騎士団員に冒険者達。
「副ギルマスよ――いや、既に元かな? 後のことは冒険者ギルドに残った私達に任せて安心して行かれるが良い。なんせ貴殿が育てた、Aランク災害級魔獣ベヒモスをたった五人で討伐できる逸材がこのニースィアには居るのだからな。あっははは!」
侯爵の後ろからワイングラスを片手に、高笑いをしながら声をかけてきたのは元Sランク冒険者のギルマスだった。今日も元気に真っ赤なチャイナドレス姿で、金色の登り龍の刺繍が美しい勝負服だ。
すると、話がちっとも見えない副ギルマスのクライトマン侯爵が口篭もりながらも、何とか言い返そうとするが。
「あ、いや、その……実は」
「クライトマン侯爵夫妻には、この度の国難と同義であるとも言えるAランク災害級魔獣のベヒモスの討伐、本当に大儀であった。この喜ばしい吉報は既に国王陛下にもお伝えしており、公爵殿の所領分配についてもご了解をいただいているので謹んでお受けするように」
一番前の上座席で着席したままで、ワイングラスを上げて見せるのは王国の正妃だ。その止めの一言で、震えていた膝が支えきれなくなって、ついに座り込んでしまうクライトマン侯爵夫人はそれでもカチカチ歯を鳴らしながら口を開くと。
「いや、しかし、家の娘と公爵様のお孫さ」
「ああ、貴殿達の良くできた娘はたいしたものだ。そうだ、この機会に爵位を譲ってはどうか?」
「「え?」」
キョトンとした顔で惚けてしまうクライトマン侯爵夫妻に、これが本当の止めだと言わんばかりに公爵が大きな声でとぼけて見せる。
「嫌だと言うなら~、そうだなぁ貴殿達のクライトマン侯爵家とは別に今回の褒美として、公爵の儂でも叙爵できる男爵位でもやって、独り立ちさせてしまおうかの?」
「「ええ!」」
そのトンデモない発言にギョッとして脂汗をボタボタと垂らし始めるクライトマン侯爵夫妻に、いやー困ったと嬉しそうに大笑いする公爵。
「そうすれば、あの良くできた娘はこのニースィア公爵領の発展に大いに貢献してくれるだろうの? ああ、侯爵家は跡取りがいなくなっていずれ取り潰しになってしまうがな、わっははは!」
「「あ……ああ……いえ、家督は娘に譲りますのでクライトマン侯爵家は残していただきたく……お願いいたします」」
とうとう、逃げ道も全て断たれて、言葉も無い様子の二人は唯々呆然とするだけで。
周囲に集まっていた貴族派の下級貴族の面々も、自分達が粛清対象となっているのか分からずに真っ青になって戦々恐々としている。
そこへ、慌てた様子で侯爵家の家令がやって来て公爵に耳打ちすると、ご機嫌だった顔を急に真っ赤にして、座り込んでいたクライトマン侯爵夫人の腕を掴んでを引き摺るようにして連れて行ってしまう。
そんな様子を少し離れた壁際で眺めていた背の高いイケメンの若いツバメは、チッと舌打ちをしてからスルリと抜けるように祝賀会場を後にするのだった。