第3章53話 侯爵令嬢のお小遣い
「それじゃ、サラも元気でやるのよ?」
少しだけぶっきらぼうに、アリスが腰に手を当てたままでわずかに微笑んで見せる。
鉱山役所の厨房のおばちゃんによる付きっ切り指導で一生懸命にサラが調理した朝食をみんなで取ってから、魔改造した部屋を元に戻して――ああ、お風呂だけはそのまま残しておいてくれと言われて残置することになった。
のだが、二つ無いと不便だろうと室内を拡張してから追加でもう一部屋作って、濃紺色の男湯と紅赤色の女湯の暖簾をかけて来てある。
うん、俺、グッジョブ。
「はい。皆様には大変お世話になりました。このご恩は必ず一生かけてでも、お返ししていきたいと思います」
そう言って、元没落貴族の令嬢だったサラは、沢山の下着類と一緒に貰った予備のシンプルなワンピースのスカートの裾をその細い指で摘まむと左足を下げて、見事に綺麗なカーテシーを見せる。
「サラさん、がんばってくださいね?」
「サラ、がんば」
「フィも応援してるわよ」
「ニャア~」
「早く出所できるよう、がんばれ」
みんなもワイワイとサラの周りに集まって、手のひらを上げてパンパンと手を打ち鳴らす。
「私も応援していますので頑張ってくださいね?」
同じように侯爵のご令嬢なレティシアも手を上げようとすると。
「レティシア様にはこの度は過分なお取り計らいをいただき、お礼の言葉もありません」
サラが深々と頭を下げてしまうので、上げようとしていた手を後ろに隠しながら誤魔化すように微笑む。
「い、いいえ、それ程のことは。それでは御機嫌よう」
「それじゃ次に遊びに来た時にも、またサラが作った手作り料理を食べさせてくれよな?」
そんな風に、ついでとばかりに別れの挨拶を済ませてしまおうとすると――勿論、男になんか触れられるのは嫌だろうからと、手のひらは上げるようなことはしない。
「……クロセ様」
しかし、ジッと黙って俺を青い瞳で見上げていたかと思うと、ゆっくりと自分から震える手のひらを目の高さに上げてくるので、仕方なく俺も右手を上げて。
「ああ、何かあったら呼べ。いつでも助けに来てやるから」
「……はい。このご恩は必ず……必ずやこの命に代えても……」
手を打ち鳴らすのかを思ったら、俺の右手を大事そうに両手で包み込むように抱えると、自分の柔らかく豊かな胸まで持っていって祈るようにしてつぶやくので。
「サラ、そんなことで命かけるなんて、物騒なことは言うな。ほら、せっかくの綺麗な顔が――もったいないぞ?」
そう言いながら、震える肩を見えないフリして、空いている左手で金髪の頭を撫でる。なでりこ、なでりこ。
そのすぐ後ろで、少しだけ機嫌が直ったらしいアリスがインプ族の女に声をかけている。
「あんたもがんばるのよ?」
「は、はい……」
やはり、まだアリスのことは怖いようで、表情も固いいままで視線も泳いでしまっている。
しかし、さっき朝食前に俺達の部屋のお風呂を使ってもらって、沢山ある予備の中で胸の傷痕が見えないよう選んだワンピースも着ているので随分とサッパリした印象になっていた。
やはり、両手が無いと身体を拭くこともできなかったようで髪の汚れも酷かったようだが、お風呂場に様子を見に行ったルリが言うには手伝ってやらなくても、既に器用に右手の『義手』を使って頭も身体も洗っていたようだ。
もちろん、錬成したシャンプー、リンス、トリートメントにボティ―ソープと入浴後の乳液なども大量にストック含めて渡してきてあるので、さっきまでとは見違えるようにピカピカになっている。
当然、片手では背中や右腕を洗うのが難しいだろうと、特注のロングハンドルのボディブラシ――超極細繊維毛を数十万本も使用してある、皮膚の脂肪や老廃物のセルライトを排出させる効果付きの特注品を念には念を入れて渡してある。
それを横で見ていたアリス達には、何で先に自分達に渡さないのかとド突きまわされた挙句、人数分を錬金させられていた。
「頑張って。サラさんをよろしくお願いしますね」
「がんば」
「フィもがんば~」
「ニャア~」
「インプ族であれば、寿命も人のそれよりも遥かに長い。ならば、これからの人生で罪を償う機会も訪れよう。だから、頑張れ」
初級地下迷宮で顔を会わせたことのある、みんなが順番にインプ族の女にも声をかける。そして、ユウナの女神の半身としての言葉に一瞬だけ目を見開くが、すぐに長い睫毛を伏せると、祈るようにして頷く。
「はい、頑張っていきます」
この鉱山の監責任者であるデルヴァンクール伯爵に聞いてみると、『義手』でも右手が使えるようなら慢性的に人手不足の役所内で何でも仕事があるだろうから、坑道に入れられることは無いだろうとのことだった。
全く……、本当にサラは糞フレデリック第一王子の子供じみた八つ当たりに会っただけのようだった。
今度、俺達に変なことでもしようもんなら、その時は王子さまだろうと本気で手加減無しだ。
「時々、俺達もここに来るから、その時は右手の『義手』の状態も見てやるからさ。ああ、そうだ伯爵が役所内で働けるって言ってたから、がんばるんだぞ?」
「はい……がんばる。それから、ありがとう」
そう言って、彼女が右手を上げて来るので、パンッと手を打ち鳴らす。
「ああ、またな」
「……うん。チェーリア」
しおらしく俯いて、そんなことをつぶやくので。
「え?」
「名前。あたしの」
「ああ、そうか。チェーリア、またな」
笑いながらそう言うと、打ち鳴らした右手を自分の薄くなってしまった胸元に持っていって、大事そうにゆっくりと右手の拳を握ると嬉しそうに柔らかく微笑む。
そうしていれば、ちっともビッチになんか見えないのに。
だから、黙ってその頭を撫でる――と、チェーリアはくすぐったそうに瞳を細めて微笑むのだった。
「おお、レティシアここにおったか!」
さあ帰ろうと馬達をテディベアぬいぐるみのビーチェが連れてきたところで、呼ばれてもいないのに昨日のことをもう忘れたのか、騎士団副団長兼副ギルマスのクライトマン侯爵がゾロゾロと騎士団員を連れてやって来ていた。
それを見たレティシアは心底ガックリ来たように肩を落として、大きなため息をついてしまう。
「はあ~、お父様。何のご用ですか? 昨日も申しましたが、お話することはございませんが」
「何を言っているんだ、そこの下賤な平民共に騙されてそんなことを言っているのだろう? 可哀想に、後はこの私に任せておけば良い。
さあ、お前が冒険者ギルドにしたという指名依頼を私に引き渡しなさい。いくらなんだ? 何なら、ここで払ってやってもよいぞ?」
一夜明けて何のスイッチが入ったのか、立て板に水のように要らん事をペラペラとくっちゃべり始めるアホ副ギルマス。
これには娘のレティシアとしても、流石に呆れたようで。
「指名依頼料は銀貨一枚ですが……言っておきますがそれを、お父様に引き渡すつもりはありませんよ?」
珍しいことにブスッとして不快だと言わんばかりに、少しだけ恥ずかしそうに唇を尖らせて渋々答えるのだが。
「なんとっ! たった、銀貨一枚でAランク災害級魔獣ベヒモスの討伐と坑道の地下迷宮化の阻止とは……レティシア。お前、お金持っていないのか? 流石にニースィア冒険者ギルドの副ギルマスとしても、その金額は無いと思うぞ?」
「お、お父様がお小遣いをくれなかったんじゃありませんかっ!」
真顔なアホ副ギルマスの突っ込みに、思わず顔を真っ赤にして怒鳴り返す侯爵ご令嬢なレティシアさん。周囲の騎士団員の中には裕福ではない下級貴族もいるだろうか、同情するように困った顔をしてしまっている。
「(侯爵のご令嬢のお小遣いって、意外と少ないのね?)」
「(でも、銀貨一枚って結構お菓子買えますよ?)」
「(コロンのおこづかいは銀貨五枚でしゅ)」
「(フィのお小遣いも銀貨五枚~)」
「(ニャア~)」
「(家のパーティーのお母さんなルリは、無駄遣いに厳しいから――でもそれでもお小遣いは銀貨五枚だから、それって侯爵ご令嬢よりも多い?)」
「(あ~、ユウナ。それはアリスや俺に自由な金を持たせていると、あっという間に無くなっちまうから、しっかり者のお母さんなルリが家の財布を握ってるんだよ。家のお母さんを怒らせるとお小遣いを減らされるから、気をつけないと駄目なんだぞ? 怖いんだぞ、本当なんだぞ?)」
「(ゴホンッ! ハクローくん、ちょっとお話が……)」
「(あ……)」
後ろで隠れるように、俺達がこしょこしょと小声でひそひそ話をしていると。
「ハクロー様っ! 全部聞こえてますよっ!」
何故だか、俺だけがレティシアに名指しで怒られてしまっていた。解せん。
「こら、レティシア。そんな卑しいCランク冒険者のことなどどうでも良い、それよりも私の話を」
「あ~、それじゃそろそろ帰るわよ」
これ以上ここにいても無駄なので、アリスがアホ副ギルマスの話を途中でぶった切ってしまう。それには俺も全く同意するところであるからして、とっとと帰ることにして詠唱も無く転移魔法陣を展開させ始める。
「【チューブ(転移)】」
今回は馬達も連れて帰るので少し大きめにしたからか、空間を切裂く時に放電と火花が散ってから、グニャリと目の前の中空が歪む。
「「「「「おおっ!」」」」」
「ん?」
これが何か分かった騎士団員もいたようで、驚愕した顔をして一歩後ろに下がってしまうが、何か分かっていないらしいアホ副ギルマスは馬鹿面を下げてポカンとしている。
「「「「「「それじゃね~、バイバイ~」」」」」
「……フッ」
アリスと愉快な仲間たちがサラ達に手を振りながら、サッサと転移魔法陣の歪を抜けて帰ってしまう。それに続くように男前でニヒルな笑顔を残して、馬達を連れたテディベアぬいぐるみのビーチェが歪を抜けて行く。
「ほら、レティシアも急いで」
「あ、クロセ様。お待たせしてすみません。今、行きます」
アホ副ギルマスと話していたレティシアも、パタパタと走って来てアッサリと転移魔法陣を抜けて行ってしまう。
そうして最後に残った俺が辺りを睥睨すると、視界に入ってきたサラとチェーリアが目を合わせるなり再び深々と頭を下げるので、顔を上げるまで待ってからもう一度笑って手を振ると、いつまでも何事かを喚いているアホ副ギルマスを放って殿として転移魔法陣の歪を抜けるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「な、なな、何だあれは! 私の娘を連れ去ってしまったぞっ」
【ミスリル☆ハーツ】のメンバーが侯爵令嬢のレティシアと共に転移魔法陣で姿を消して、見送りに来ていたらしい鉱山役所の職員達も役所に戻ってしまった後には、公爵領騎士団員達しか残ってはいなかった。
「いえ、副騎士団長殿。あれは冒険者ギルドの指名依頼の依頼主を護衛して、ニースィアに帰還したのだと思いますが」
「馬鹿言えっ! この私が話をしている最中に、娘がいなくなるはずが無いではないかっ」
「しかし、誰が見てもあれは」
「き、貴様っ。私の言うことが聞けないと言うのか!」
何を言っても話を聞く様子を見せない副ギルマスのクライトマン侯爵に、騎士団員達もとうとう呆れてしまって投げ槍に言い捨てる。
「あ~、そう言えば副騎士団長殿。ベヒモスが本当に討伐されたとすると、我々も報告のために急ぎニースィアに帰還しなければなりません。彼らから騎士団団長に話が行くよりも先にご自身で報告された方がよろしいかと思いますので、至急、現地撤収のご指示を」
「お、おうっ。そうだな、それは急がなくては! 冒険者達にも撤収の指示を出させろっ」
とうとう親指の爪を噛み始めてしまう、副ギルマスはこれから道中どうやって休みなく馬を走らせるかを考え始めるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「そうか、それはご苦労だったな。それにしても、地下迷宮化とは……しかも、それが魔族が絡んで来ていたとはな」
転移魔法陣であっという間に海沿いの王国第二の大都市ニースィアの門前に戻って来て、そのまま冒険者ギルドに指名依頼完了の報告に来ていた。
いつも通りネコ耳の受付嬢ニーナに見つかるとすぐにギルドマスターの部屋に通されて、元Sランク冒険者でもあるダークエルフのギルマスに概要を説明しているところだ。
今日もトレードマークとなっている真っ赤なチャイナドレス――白い百合の刺繍されている――を着てソファで脚を組んでいるので、サイドのスリットから太腿と黒い下着の紐が丸見えですよ。
いや、ルリさんがこっちを睨んでいるので、視線は決してそっちに向けることはありませんが。
そしてちゃっかり、受付嬢のニーナもネコ耳をピクピクさせながら、ギルマスの隣りでクッキーを頬張りながらニコニコとお茶をしばいている。
「それで、これがダンジョンコアの『水晶石』で、こっちがAランクの災害級魔獣らしい噂のベヒモスの【魔石】よ」
「うわっ、デカあっ。って、ティーカップが机に置けないじゃないですか~」
アリスが幅が1mぐらいある二つの塊を出すもんだから、ネコ耳ニーナがブーブーと文句を垂れる。だいたい何でお前がここにいるんだよ。
「念のためにベヒモスの死体は解体しないでそのまま持って帰って来ているけど――見る?」
「いや、そんな物を出せる場所は練習場しかないし、そこに出されても死体から溢れる状態異常のオンパレードでは浄化しきれないだろう?
いや、それが不要と言っている訳では無いのだ。いずれ公爵様にもこの件は合同演習の結果を含めて報告に行かねばならんだろうから、その時に一緒について来」
「嫌よ。ベヒモスの死体を渡すからあんたが見せてきなさいよ」
ズバッとギルマスの台詞をアリスがぶった切るもんだから、ウルウルと金色の瞳を涙目にしてしまって、隣でネコ耳をヒクヒクさせている受付嬢のニーナに助けを求めるように視線を向ける元Sランク。
まあ、そのためにギルドの裏ギルマスであるニーナがここにいるんだろうからねぇ。
「そうですね。公爵様へのご報告はリアーヌ様お一人の方が良いでしょう。ああ、そんな泣きそうな顔をされなくても、勿論この私もお付き合いいたしますが。
それよりも、報告は合同演習組が返ってくる前に急いだほうが――できれば、今日にでもされた方が良いですね。
それで肝心のベヒモスの死体ですが、合同演習の成功を記念して公爵様が祝賀会を開催することになっていますので、その時に公爵屋敷の庭先にでも転がしておいて出席者に見せびらかせば良いかと。
ああ、そのままでは状態異常耐性の無いお貴族様は軒並み死に絶えてしまいますので、ルリさんの魔術結界で死して尚溢れ出続けるおぞましい状態異常スキルを封印していただければ」
「おおー! 流石はニーナだ、頼りになるっ。あれ? でも、合同演習が成功って?」
感動してバインバインの豊満な胸で抱きしめてしまうギルマスに、柔らかな爆乳に埋まって嬉しそうにだらしない顔でデヘヘ~と笑って抱きつき返しているネコ耳ニーナがニヤケ顔のままで答える。
「あ~、そこは公爵領内の貴族派の殲滅作戦にも関わってきますので、私の方でやっておきますよ。ですから、リアーヌ様は今日中に公爵様に報告と、三日後の夕方に公爵屋敷で開かれる祝賀会に出席いただいて、アリス様達が持って来られるベヒモスをお披露目していただければ――後のことはこの私が」
「おお~、そうか! 悪いな、それじゃニーナ頼んだぞっ」
あ~、ロシアンブルーのネコ耳をピンとさせて、小さな鼻をスピスピさせながらドヤ顔をしているニーナを、何故か殴りたくなってしまうが――それにしても、全部丸投げで良いのか残念ギルマス。
「ウヒヒ~、お任せください~。当ニースィア冒険者ギルドの有望株だった竜人族のBランク冒険者を殺してくれやがっただけでなく、あろうことか私のリアーヌ様を悲しませた糞野郎共には産まれてきたことをバッチリと後悔させてやりますから。ウッシシシ~」
おお~、ニーナの小さかった口が耳まで避けて三日月のようになってしまって、まるで猫又のようだ。
こりゃあ、今回の報復相手は間違い無く唯じゃ済まされないだろうなぁ――って、あれ? それって、副ギルマスじゃないのか?