第3章46話 ミスリルの指輪
今朝も朝日が昇る前の薄暗い時分から、剣術の型なんて知らないので直刀【カタナ】を両手に、とにかく愚直に唯ひたすら振り続けている。
結局、先代【剣聖】の爺さんも当代【剣聖】である白刃斎の師匠も、その二人共が俺には剣の指導をちっともしてくれなかったので、相変わらずの我流のままだったりする。
おまけに今朝はTシャツをレティシアにしっかりと掴まれたままだったので、やっぱり上半身は裸の格好で筋肉の凹凸を伝って流れ落ちる汗をそのままに無心で剣を振るっていた。
そうこうしていると、いつものコロンにテディベアぬいぐるみのビーチェ、それから『車椅子』のユウナまでがどうした訳かルリに押してもらって出て来て、それぞれに剣術の二刀流の朝練と歩行のリハビリを始める。
コロンとビーチェは丘の向こうに見える朝日に向かって、ひたすらのように剣の素振りを繰り返している。その手前では、ルリがゆったりとした動作でラジオ体操っぽい何かをしている、んだが。
「ハクローくん、昨晩はお楽しみでしたねぇ~」
半眼にした紅い瞳をジロッとこちらに向けて、どこで覚えたのか平坦な声でそんなことをつぶやく。けど、自分だってすぐ隣に寝てたろ?
「だいだい、ルリは何だって夜中に俺達の部屋になんか来てるんだよ?」
「うっ、そ、それは……夜におトイレに行って、いつもの癖で間違えたんでしゅ」
急に手をパタパタさせて、ラジオ体操が変な盆踊りになってしまう。口調までもが小さな子供のように舌足らずになって、ルリがアタフタと慌てる。
それでも諦めることなく、口を開こうとするが。
「そ、そんなことよりもっ、ハクローくん、あ……」
「おはようございます。部屋に誰もいないので、ビックリして皆さんどこに行ったのか探してしまいましたよ」
意図した訳では無いだろうが、後ろから被せるようにレティシアがそんなことを言いながらやって来た。今朝は薄い寝間着の上にガウンを羽織って、サンダル履きでペタペタいわせている。
昨晩また寝ながら泣いていたときの涙の跡は、もう見えないようだ。
「ああ、悪い。よく寝ていたので、こんなに朝早くから起こすのもどうかと思ってさ。よく眠れたか?」
気を利かせたのか、話し始めていた言葉を切ってルリが一歩さがってしまう。だから、片手を上げてそれに応えながらレティシアに返事を返す。
「ええ、ありがとうございました。何だかいい夢を見れたような気がします、えへへ~」
やっぱり、あんな親でも心配なんだろう。毅然として決意を固めたとはいえ、まだ少し情緒不安定なようだ。
「そうか、いい夢ならよかった」
「ハクロー様達はいつもこんなに朝早くから、鍛練をされているのですか?」
自然な振る舞いで傍まで来ると、レティシアはさり気なく取り出したミニタオルで上半身裸の俺の汗を拭き取り始める。
しまった、今日は身内だけじゃないんだから上着ぐらい着ておくんだった。そんな反省をしながらも、視界の端でルリがピクッと反応するのが見えて、心の中で舌打ちしてしまう。
「まあね。特に俺の場合、最初から持っていた【剣術】スキルじゃ無いから、練習しないと何時まで経っても上達しないからな。ああ、後は自分でやるから、ありがと」
「そうですか。良い機会なので、私にも教えていただけないでしょうか?」
汗を拭いてくれているタオルを貰おうとする俺の手は、さり気なく遮られてしまう。
そのまま引き締まって割れた腹筋の汗を丁寧に拭いながらも、彼女は思い付いたようにそんなことを言い出していた。
「え? でも、俺は人に教えるなんてやったことないぞ?」
「うふふ、こう見えて私もお爺様にこの家宝の短剣をもらって、【短剣術】スキルぐらいは習得しているのですよ。まあ、もっともレベル1なのですが。
でも手合わせだけでもしていただければ、自分の身を守るぐらいにはなれるのでは?」
そう言って取り出したのは、最初に会った時に自分の胸に突き刺そうとしていた、見たところ美しい装飾が施された一流の宝剣だろう短剣だった。
こんなものをまだ15才の少女になんか持たせて。危うく本当にその短剣は役目を果たして、彼女を殺すところだったんだぞ。
なまじっか碌なスキルレベルも持たずに武器だけ持つから、碌でも無いことにしかならないんだろうに。
などと、半ば八つ当たりのように内心で悪態をつく。しかし、それがこの理不尽な異世界では必要なことであることも、また事実だ。
「わかった、【短剣術】を教えることはできないけど、簡単な組み手の相手ぐらいなら俺でもできると思うから」
「それじゃ、私が【短剣術】の基本技だけは教えてあげる」
横から無表情なユウナが紫の瞳を細めたままでそんなことを言い出すので、ちょっとビックリした様子のレティシアが嬉しそうに微笑む。
【賢者の石】には、そんなものまでインストールされているようだ。
「はい、ありがとうございます。それではよろしくお願いいたしますね」
「じゃ、じゃあ私もっ!」
はいは~い、と手を上げたのはルリなんだが。絶対に、駄目だ。
「ルリはまだ、やっと一人で歩けるようになったばかりで、走ったりとか激しい運動はまだ無理だろう? それに、お子様包丁を使うのがやっとなんだから、刃物を持つのはまだ早いと思うんだが」
「うっ……う~うう~~ううう~~~」
何がそんなに不満なのか、紅い瞳に涙を浮かべて唇をへの字にしたまま、細い指で俺の上腕三頭筋をつつきながら唸り出してしまう。
「分かった、分かったから。そ、それじゃ、今朝の朝食はルリがお子様包丁でトントンしてくれた、豪華野菜サラダにしようか?」
「わ~い、頑張ってトントンするからね?」
両手を万歳して喜ぶルリさんに、何とか説得できてよかったとホッと胸を撫で下ろす。
ルリに人殺しの刃物なんか要らない。これは俺の独善的で絶対的な我儘だった。本当なら、銃だって持たせたくないぐらいなんだ。
こうして何の因果か、お貴族のお嬢様の剣術訓練の相手をすることになってしまった。
そこらへんに落ちていた木の枝を拾って、先代【剣聖】の爺さんや当代【剣聖】で師匠の白刃斎の真似をして軽く振ってみると、意外と自分の剣筋もその軌道がゆっくりとだが見えてくるのだった。
ところで、鍛練のために着替えてくると言って一度部屋に戻ったレティシアは、スパッツの上に何故かまた俺から奪った大き過ぎるTシャツだけを着た、非常にラフ過ぎる格好をしていた。
それって、ブラをつけてないだろ。一人前の高校生男子としては、非常に目のやり場に困るんだが。
朝食までの小一時間も組み手を続けていると、驚いたことにレティシアは【短剣術Lv2】にレベルアップするだけでなく、【加速】と【身体強化】スキルまで習得していた。
恐るべきは、いつの間にか彼女が新しく持っていた加護、【ルリの友達】の超絶チートっぷりになるのだろう。しかし、ルリと友達、なのか?
「ハクロー様、何だか身体が思った以上に上手く動くようになってきましたよ。えへへ~」
「ああ、スキルレベルもアップしたようだし、新しいスキルも習得したみたいだからな。もう決して自害なんてまねしたら、絶対駄目なんだぞ?」
嬉しそうに向日葵のような子供っぽい笑顔を見せる彼女に、ふと思いつくままに口を開いてしまっていた。
「え? ――ああ。うふふ、分かりました。はい、決して二度と自害はいたしませんので、万が一の時はハクロー様が私を守って下さいね?」
透き通るように綺麗なアクアマリンの瞳を細めて、ちょっと困ったように微笑んでから、レティシアが上目遣いに覗き込んで来る。
だから、決意を込めて頷くのだった。
「あ、ああ。そうだな、分かった。必ず助けに行くよ」
「ふわぁ~あ、ハクロー。また、あんたはそんなこと言って」
やっとお腹が空いて起きて来たらしいアリスが、ボサボサの紅い髪の頭を掻きながら呆れたように大きな欠伸をしていた。
「何だよ」
「別にぃ~。その前に、いつものミスリルの魔道具は渡しておきなさいよね。あんたが助けに行くまでの、ちょっとの時間稼ぎは必要でしょ?」
興味無いとばかりにヒラヒラと手のひらを振りながらも、反対の手でアリスが自分の首からぶら下げているミスリルのドッグタグを指差す。
「え? ああ、そうだな。すぐに準備するよ。ありがとう、アリス」
素直に礼を言ってから、キョトンとしている彼女の宝石のようなアクアマリンの瞳をの覗き込むようにして問いかける。
「レティシア、付与効果を付けたアクセサリーを身に付けて欲しいんだけど、何がいい?
みんなとお揃いの、ミスリス製の魔道具なんだけど。ルリのLv5になった付与魔法で【魔力制御】、【身体強化】、【防御上昇】、【自動回復】、【加速】が付いたレア物なんだよ」
「え?」
突然の問いに彼女がビックリして固まってしまったのを見て、アリスが紅い髪の頭を抱える。
「あちゃー、相手の女の子に聞く奴があるかしら?」
「え? だって、身に付けるのなら気に入ったのじゃないと」
「はあ~、だからハクローは馬鹿だって言うのよ」
完全にアホの子を見る目で、呆れたようにため息をつくアリスの視線に耐え切れずに、とりあえずは良かれと思って考え直してみる。
「うっ……分かったよ。それじゃ、付けていても邪魔になり難いブレスレットで作るけど」
「指輪がいいです! ルリ様が指にされているようなっ!」
「「え?」」
突然、レティシアが必死に祈るように大声を上げる。それでも恥ずかしかったのか、頬を染めて唇をわずかに震わせている。ビックリした俺と、何故かルリまでが思わず言葉を詰まらせる。
「ゆ、指輪で……お願いします」
「……あ、……ああ。分かったよ。ちょっと待ってて」
この前、ジャイアントミスリルゴーレムからドロップしたミスリルの延べ棒を一本取り出すと【時空錬金】でイメージを込めて錬成を始める。
ルリの指輪は元々俺が日本から持って来ていた、男性用の翼を広げたデザインを女性用に細くして二連にサイズ調整したものだ。
今回のレティシアの指輪は最初からの錬成なので、ちょっとこだわって、いつもの翼だが一枚一枚の小さな羽が重なって高さのある、幅の細い立体的なデザインにしてみた。
「はい、できたよ。サイズは調整できるからね」
「あ……はい」
ハッ、と一拍置いてから途中まで出しかけていた左手を引っ込めてから、おずおずと右手を差し出すレティシアの細い薬指に苦笑しながらもそっと入れてみる。
「緩かったりキツかったりしたら、手直しするから言うんだぞ?」
「……は……はい……あり……ありが……ありがとうござ……います」
そのままミスリルの指輪ごと、右手を大事そうに左手で包み込んで豊かな胸の前で握りしめると、俯いて肩を震わせ始めてしまう。
またどうせ、悪質なハニートラップの罠にかけようとした悪女な自分なんかに、とか考えているに違いない。
だから、俺の胸の前で俯いたまま、小さく震える彼女のサラサラのシャンパンゴールドの金髪をゆっくりと黙って撫でる。なでりこ、なでりこ。
その握り締めた彼女の拳を伝って、涙が滴となって地面に落ちて染みをつくるが、誰もが黙って静かに彼女が泣き止むのを待っているのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
その日の夕方には、合同演習場所となっている鉱山に着いていた。岩石ばかりがゴロゴロしている、禿山の中腹にへばり付くようにできた街だ。
気のせいか、ビーチェが御する馬達が走る巡航速度も、少し上がっているような気がする。
殺風景な山肌に見えてきた、街っぽいものを馬車の車窓から見上げながら、依頼主のレティシアが観光ガイドを始める。
「ここの鉱山は基本的に犯罪奴隷を中心に採掘をしているので、住民のほとんどがニースィア領から派遣された監督の役人達ばかりです。そのため、街には塀の無い刑務所のようなものがあるだけで、ホテルや旅館のような宿泊施設はありません。
刑務所なのに塀が無いのは、【従属の首輪】にここから一定以上の距離が離れると、自動でゆっくりと首が締まって行く術式が組み込まれているからですね」
「それじゃ、先行している侯爵領騎士団や冒険者達はどこに泊まっているのよ?」
「今回の合同演習のためのベースキャンプが、安全な坑道内部に設営されているはずです。例年ですと刑務所の犯罪奴隷達と揉めるのを避けるため、と言うか視界に入れるのも嫌う貴族出身の騎士達の意向で、街からは離れた場所になっていると思います」
唇を尖らせたアリスの当然の質問にも、懇切丁寧に答えてくれる侯爵令嬢のレティシア。
「それじゃ俺達は逆に合同演習の奴等を避けて、むしろ街の近くに設営した方がいいってことか」
「そうねェ。どうせベヒモスの居場所を聞いて、奴の場所を特定して狩るまでの間だけなんだから、話しの聞ける人のいる街の近くにしましょう」
そんなアリスの指示で、ビーチェが街へと馬車を進める。だが、掘り抜かれた洞穴がそのまま住宅になっているような構造の街だった。
階段と石畳ばっかりが岩山にくっついた、そんな場所に向かって馬車を進めようとするが、これ以上は難しい。
仕方が無いので、途中から馬車を【時空収納】にしまって、馬も一緒に引きながらみんなで歩いて階段を昇る。
しかしどこまで行っても傾斜ばかりで、【砂の城】二号を出せるような開けた場所が見当たらないのは誤算だった。
「これは参ったな。とにかくベヒモスの状況も知りたいし、ミラにもらった紹介状を持って公爵領から派遣されている監督役人の責任者の所にでも行ってみるか?」
「そうね、このままじゃ情報も無いまま夜になってしまって、闇雲に坑道に突入することになっちゃいそうだもんね」
小さくため息をつきながらボヤいていると、アリスも肩を竦めてフルフルと首を振る。
そうして波魔法で浮かせたユウナの『車椅子』を押しながら階段を昇って行こうとすると、振り返ったユウナがジッと視線を固定して来る。
「どうした? もしかして歩きたいのか?」
「うん、いい?」
少しだけ恥ずかしそうにしながらも珍しく自分の意志を表示するユウナに、嬉しくなって微笑みながらその綺麗なプラチナブロンドの長髪を撫でる。
「ああ、構わないぞ。その代わり、疲れたら『車椅子』を出すからすぐに言うんだぞ?」
「うん、わかった」
わずかに美しい宝石のアメジストのような紫の瞳を細めて微笑むユウナの手を取って、ゆっくりと『車椅子』から立ち上がらせると手をつなぐ。
そして、【時空収納】へと『車椅子』を仕舞うと、握ったユウナのてをそっと引きながらゆっくりと石の階段を昇り始めてみる。
暫く昇るとそれまでの木製扉ではなく、金属扉のある洞窟の入り口に目的の看板を見つけたので、少しホッとしながらも中に入ってみることにするのだった。